望まぬ邂逅
約束の十分前に到着した優斗は、待ち合わせ場所であるクシャーナが滞在する屋敷の裏門の前に立っていた。
内心、迎えに行った方が早いし確実だと思っていた優斗だが、以前、幼馴染が恋人になって何度目かのデートで、駅前で待ち合わせたいと言われた際に同じ内容を口にして機嫌を損ねた事がある為、クシャーナにも同じように何か意図があり、機嫌を損ねては面倒だと、大人しく待ちぼうける。
鍵がかけられていて開かない裏門で立ち尽くしている優斗は、欠伸を噛み殺しながら左方から小さな人影が向かって来るのを視界の隅に捉える。
キャスケット帽を目深にかぶり、シンプルな男物のシャツとズボンを履いた人物は、一見すると少年の様に見えるが、優斗にはその正体がすぐに判った。そしてその恰好と現れた場所から、嫌な予感を感じ取る。
「やぁ、クーナ」
「おはよう、お兄ちゃん」
「で、その恰好は?」
「えへへ」
誤魔化し笑いをするクシャーナに、優斗の予感は確信に変わる。
そしてその確信を元に、視線でもってクシャーナに疑問をぶつけると、彼女は視線を逸らし、あさっての方向へと顔を背けてしまう。
「クーナ?」
「ほらほらお兄ちゃん、早く行こうよ」
「正直に言いなさい」
「何の事?」
「……屋敷の中でも逢引は出来るか」
「待って待って!」
クシャーナは歩き出そうとする優斗の手を掴むと、縋るように腕にしがみ付く。
優斗の予想通り、無断で屋敷を抜け出して来たらしいクシャーナに、優斗はため息を1つ吐く。
一瞬だけ、本気でこのまま送り返そうか悩んだ優斗だが、約束と報酬の件もあり、仕方なく譲歩を引き出す為、諭すような口調でクシャーナに語りかける。
「ちゃんと許可、取らなきゃダメだろ?」
「で、でもそれだと、ダメかもしれないし、許可が出ても騎士の護衛がつくに決まってるもん」
そんなのは逢引じゃない、と言外に訴えるクシャーナに、優斗は困りながら頬かく。
何とかクシャーナの希望に沿いつつ、双方に問題の発生しない方法は無いものか。
優斗はそんな事を考えている事に気付き、クシャーナには甘いなぁ、と考えると、出会ってこの方、ずっとそんな風だった事を思い出す。それはアイツの面影を見ていたからだと言う自覚はあったが、まさか血縁であるとはその時には考えもしなかったと苦笑する。
「じゃあ、俺が連絡を入れて置く、って事で良い?」
「え、でも……」
「無粋な護衛がつくのが嫌?」
こくこくと首肯するクシャーナの行動に、子供っぽいと言う意味で可愛いなと感じながら、優斗は優しくその頭を撫でる。
優斗の突然の行動に、あっ、と言う声を漏らしたクシャーナだが、すぐに気持ちよさそうに目を細める。
我儘に付き合うのも、逢引の内だろう。
そんな風に考えながら、優斗はクシャーナを見つめる。その後ろに見え隠れする人物をなるべく意識しない様にしながら。
「でも、護衛なしはマズいから、それも俺が準備していい?」
「えぇぇぇ」
「ノル」
クシャーナが上げた抗議の声を無視して、優斗は近くの屋根に向けて声をかける。
するとそこ留まっていた影が、優斗達に向けて急降下する。
「護衛の1人、って言うか1匹で、ノル」
「わぁ、わぁ」
怖がる素振りすらなく目を輝かせるクシャーナに、こっちも騎士団について巡回しているようなお転婆だったなと思い出した優斗は、また苦笑する。
普段であれば優斗が呼んでも気が向いた時しか来てくれないノルだが、今日はヴィスが頼み込んでくれた為、素直に優斗の腕に留まっている。この為に優斗は、何度か訓練もしたし、パッと見では判らない程度に腕の部分を補強した皮の上着を準備した。理由はもちろん、クシャーナを喜ばせる為であり、何かあった時の場繋ぎとしてでもある。
そんな切り札の1つをを早々に切ってしまった優斗だが、嬉しそうにはしゃぎ、様々な角度からノルを観察して居るクシャーナの姿に、まぁいいか、と笑みを零す。
「隠れて護衛して貰う感じになるけど、良い?」
「もちろん!」
ちょっとズルいかな、と思いながらも優斗は言質は取ったとキャリスが手配してくれた護衛が潜んでいるであろう方向に、続行の合図を送る。
陰から護衛をしてくれるのは、もちろんノルだけではない。今ははしゃいでいるクシャーナも、すぐにそれに気づくだろう。しかしそれで駄々をこねて逢引を中断させる様な事はしないだろうと、優斗は半ば確信しながら移動を提案する。
「じゃあ、とりあえず服を買いに行こうか」
「へ?」
「俺はその恰好のままでもいいけどね。可愛いし」
それは優斗の偽らざる本音であったが、男の子の様な格好をしている自覚のあるクシャーナは、不満そうだ。
そんな彼女の心境を、尖らせた口元から察した優斗は、ノルを乗せた腕を軽く揺らして飛び立たせると、逆の腕をクシャーナへと向ける。
「じゃあ、行こうか」
少し残念そうなクシャーナは、差し出された手の意味にすぐ気づいて笑顔になる。
こうして2人は仲よく腕を組んで、最初の目的地となった服飾店と移動する事となった。
どんな服が好きか。どんな服が似合うと思うのか。
服飾店に移動するまでの間、クシャーナからひたすら質問攻めを受けた優斗は、クーナなら何を着ても似合うよ、と言う失言により、選択を迫られていた。
内容はもちろん、本日のクシャーナの召し物について。
お忍びなので変装的であり、なおかつ可愛く、でも子供っぽいものでなく女性的で、同時に優斗の好みでもある服、と言うのがクシャーナから出された条件だ。
「ハードル高いなぁ」
「何か言った?」
「いんや」
上質そうなブラウスを眺めながら、優斗は想像する。
変装的な物と言う条件から、フード付きの服を選ぶか、そうでなければ帽子は必須だ。ヴェールでも良いが、高貴風ではお忍びだと主張している様なので却下。
次の、可愛く、女性向けと言う難題も合わせれば、優斗が取り得る選択肢は多くない。ちなみに最後の、優斗の好み云々、に関してはそうだと言う事にしておけば問題無いだろうと考えた。無論、嘘ではない範囲で。
「こういうのはどう?」
「むむぅ。子供っぽすぎです」
頭から踝まで覆う、シンプルなフード付きのローブは、クシャーナのお眼鏡に叶う事なく棚へと戻される。
既に何度目かのダメ出しを食らった優斗は、僅かに面倒だと感じながらも、次を物色して行く。
最終的に優斗が選んだものは、暗い紺色のニット製フード付きポンチョと、明るい青色のスカートだった。クシャーナがニットの編み込み模様を気に入ったのが決め手となり、その2点を購入すると、優斗が支払いを行う間に、クシャーナが試着室で着替える事となった。
「楽しそうで何よりだわ」
「……案の定、貴方も隠れてましたか」
クシャーナが試着室に消えたと見て優斗に近づいてきたのは、質素なワンピースと帽子で町娘風に変装したキャリスだった。
優斗は、商会のオーナーが何をしてるんだ、と言う感想を口にするべきか一瞬だけ迷ったが、今は時間が惜しいとそちらから接触して来たのなら好都合だと、要件を捲し立てる。
「あちらの護衛はなし。この後は第2番で行く予定」
「人員追加とユーシア家の使用人への連絡は手配済みよ」
「話が早くて助かります。クーナ次第で変更もあるので、その時は例の方法で」
「はいはい。そろそろ出てきそうだし、お邪魔虫は帰るわね」
「そうしてください」
「あら」
優斗の予想外の反応に、キャリスは目を丸くさせながらもさっさとその場を去る。
そして入れ替わるように試着室から姿を現したクシャーナが駆け寄ってくる。優斗はそんな姿を微笑ましげに見つめながら迎える。
「どうですか!?」
「似合う似合う」
「本当ですか! 本当だ、嬉しい」
はしゃぐクシャーナに、優斗の顔にも自然と笑みが浮かぶ。
服を見せびらかす様にくるりと回るクシャーナに、更なる称賛を浴びせながら、優斗はこの後の事を考える。
優斗はこれから、ルナールの東側へと向かう予定だ。
理由は単に消去法で、北は騎士団関係者が多そうなので見つかると面倒であり、南は治安が悪い。西はまだましだが、東ほどではない。
「次はどこへ行くんですか?」
「装飾品か小物でも見に行こうか。それとも、何か見たい物か行きたい場所でもある?」
クシャーナが少し考えてから首を横に振った為、次の目的地は東ルナールの雑貨屋に決定する。
東ルナール。
単にルナールの東側にあるだけなのでこれは正式な名称では無いのだが、市民はもちろん、貴族もそう呼んでいる程に浸透している言葉だ。
そんな東ルナールは、バイスやカクスへのと繋がる水路と隣接している。そしてそれを主に利用する大規模な商会の建物と、彼らを相手に商売をしている商店が多数存在している。
「可愛いお店だ……」
「ん、どうかした?」
「お兄ちゃんがこんなお店を知ってるって言うのは、もしかして」
身長差の関係上、上目使いにじとーっと睨まれながら、優斗は少し考えてその意味を察する。
ここは東ルナールのやや西側にある、女の子向けの小物や装飾品を主に扱う雑貨屋だ。
主に貴族の邸宅で働く侍女向けの店で、彼女たちや、彼女たちを口説こうとしている者、そしてそれに成功した商人達が主な客層だ。
「そりゃもちろん、クーナとの逢引の為に商人仲間から聞いて調べた店だよ」
「本当ですかー?」
嬉しそうに、しかし半ば疑わしげにそう告げるクシャーナ。
優斗の言葉は事実ではあるが、同時にクシャーナのかけた嫌疑も、的を得ている。
教えてくれたキャリスは商人仲間と言えなくもない。ヴィスや他の女性に贈り物をする為にこの店に来たのではと言う意味で視線をぶつけたクシャーナの予想も、優斗は昨日の下見で贈り物購入していたので正解だ。
「そんな事より、いろいろ見て回らない?」
「お兄ちゃんにはそんな事でも、私には大事な事なんだけどなぁ」
不満そうな言葉を呟いているクシャーナだが、表情からはご機嫌である事を伺える。
何時連れ戻されるかもわからないと考えているクシャーナが同じ問いを繰り返す事は無く、2人は並んで店内を巡り始める。
優斗の口から直接、逢引、という言葉が出てから上機嫌のクシャーナを見つめながら、優斗は、引率している気分だ、などと考えていた。
護衛を手配し、下調べを行い、有事の際の対応も検討済み。幾つか準備したクシャーナを楽しませる仕込みも含め、優斗の中で今回の逢引は、むしろ護衛かお目付け役の気分、そうでなければ同伴する保護者の気分だった。
「これ、いいんじゃない?」
「可愛いけど、髪飾りは」
「あぁ、そう言えばそうだね」
フードを被っている頭を見下ろしながら、優斗は次を物色し始める。
優斗やクシャーナが変装をする場合、最も目立つのがその肌色だ。
その対策として、黒系の上着を選び、フードで隠している。隙間から見える肌も影になっていれば、暗い色に囲まれている事もあり、目立ちにくい。
「そうすると、小物の方が良いかな」
「身に着けられるものがいい、かな」
そんなクシャーナの注文に、優斗は頭をかきながら考える。
髪飾りはダメ。同じ理由で、首飾りもイマイチ。消去法で優斗の中に残った選択肢は、指輪・腕輪か、服に取り付けるタイプのアクセサリーだけだった。
優斗はその中から、レースをふんだんに使ったリボンと、赤い宝石がはめ込まれた細身の腕輪を手に取った。
「こんなのはどう?」
優斗が差し出す手から、クシャーナは腕輪を受け取ると、その細い手首を通す。
そして優斗に、どうですか、と腕を広げてお伺いを立てる為に半歩距離を取る。
しかしクシャーナが顔を上げた直後、優斗は一歩彼女に近づき、中腰になると、そのままクシャーナの肩口から首の後ろに両手を入れて交差させる。
「な、な、お」
「ちょっと上向いて」
混乱しているクシャーナは、言われた通りに上を向き、更に目も瞑る。
誤解を招きそうな格好のクシャーナだが、優斗はそれを気にする事なく、手の中にあるリボンを首元に巻き、正面で軽くリボン結びする。
「これでよし。どう?」
「……へ?」
「リボン、こんな感じで」
優斗の指摘に、クシャーナがわたわたと首元に手をやる。
そしてそこにあった感触に、ようやく事態を飲み込んだクシャーナの頬が燃える。
クシャーナはそれを隠す様に俯くと、リボンを解いて優斗に差し出す。それを気に入らなかったと判断した優斗は、苦笑いしながら棚へと戻すと、店員を呼んで腕輪の方を購入する旨を伝える。
「お腹空いてない?」
唐突に口数の減ったクシャーナを訝しげに思いながら、優斗は話しかける。
店を出てから向かっているのは、東ルナールの中央方面。
さすがに遅くまで連れ出す訳にはいかないと考えていた為、優斗は昼食は早めに摂ると言う計画を立てていた。無論、それもクシャーナ次第ではあるが。
「どう?」
優斗が重ねた問いに、クシャーナが小さく頷いた事で、次の目的は昼食に決まる。
店に着くまでに十数分間、クシャーナが何もしゃべらない事に多少の焦りを感じていた優斗は、何がまずかったのだろうと自問しながら、クシャーナを席へとエスコートする。
キャリスの知り合いだと言う店主の経営するパン屋に併設された食堂。優斗は今回、クシャーナの安全と食事時はフードを外す必要がある事から、商談などでも利用されると言う一室を予約していた。
「注文、どうする?」
「お任せします」
ポンチョを預かると言う店員の言葉を否定し、席についてもまだフードを被ったままのクシャーナ。
それを正体を隠す為だろうと考えていた優斗は、クシャーナの態度の変化のせいで言い損ねていた言葉を告げるべく、小さく息を吸う。
「この店、予約する時にちゃんと事情も説明してあるから」
「え、あ、はい」
「上着、預かるよ」
そう言って優斗は、クシャーナに微笑みかける。
当のクシャーナは、脱いでしまえば目深にかぶったフードが隠しているモノが露わになる事に、逡巡する。
しかし脱がないのは不自然であり、礼儀にも反すると覚悟を決めると、立ち上がり、優斗に背を向けてそれを脱ぎ去り、そのまま後ろ手に優斗に差し出す。
受け取った優斗は、上着とは言え、女の子が脱いでいる姿を凝視するのは失礼な事だと同じく目を逸らしていた為、その不自然さには気づいていない。
「じゃあ、こっちで適当に頼むから」
「はい」
俯き、告げられた言葉を、きちんとエスコートして下さいと言外に告げられているのだと誤解した優斗は、店員を呼ぶと下調べの時と同じモノを注文する。
そのまま会話も少ないまま時間は過ぎ、食事が運ばれてくる。
内容は焼きたてのパンに、ローストビーフの様な輪切りにされた肉、シンプルなサラダに白いドレッシングがかけられたもの。そして飲み物は、葡萄の果汁と水。果汁の方は一見、葡萄酒の様にも見える一品で、雰囲気重視の選択でもある。
「パンは隣のパン屋の焼きたてらしいよ。いただきます」
優斗がそう告げても、クシャーナが食事に手を出す気配はない。
仕方なく優斗は、まず自分がとパンを手に取り、その上に肉片を乗せる。多少行儀は悪いが、それにかぶりつくと美味しそうに咀嚼する。
「食べないの?」
「あ、いえ。食べます」
そう言って同じ様にパンに手を伸ばしたクシャーナは、あつっ、と焼きたてのパンに驚く。
そしてまた俯き気味になりながら羞恥に顔を染めると、今度は慎重に自分の取り皿へとパンを移動させ、小さくちぎって口に入れる。
「あ、おいしい」
「だろ?」
その後、優斗が次々に進める食事を、クシャーナがおいしいおいしいと食べると言う繰り返しが行われ、いつの間にかクシャーナの態度はいつも通りに戻っていた。
食事と、食後のお茶を歓談と共に楽しんだ2人は、店を出ると川沿いを歩いていた。
川沿いと言っても本流ではなく、街中を通っている細い支流の川沿いだ。その傍らには大小様々な店が並んでおり、景色を楽しむも良し、ウィンドウショッピングや食べ歩きをするのも良しと言う、東ルナールで最もメジャーなデートスポットとなっている。
とは言え、人が多すぎる場所は護衛がし辛い為、優斗達が向かったのは人通りの多い大通りから少し外れた、景色と雰囲気を楽しむ事がメインの、恋人たちが静かに過ごす為の場所だ。
「店に入る? それとも、景色見ながらちょっと歩く?」
「うーん。あ、そうだ」
何かに気付いたらしいクシャーナが、きょろきょろと周りを見渡す。
主に高い場所――木の上や屋根の上――を見ているクシャーナに、優斗は彼女が何を、むしろ誰を探しているのか気づき、肘を上げる。
「ノルー」
優斗の声に、クシャーナが嬉しそうに笑みを浮かべ、同時に風の音と共に小さな影が差す。
その影が段々と大きくなり、優斗の腕には今朝と同じ様にノルが着地した。
「で?」
「この子にお昼を御馳走したいな、って」
「あー、なるほど」
ノルは基本的に自分の面倒は自分で見ている。
とは言え、彼と食事を共にする機会が無かった訳ではない。
その時にヴィスが与えていたのは、殺したての新鮮なネズミだった。そこから血の滴る肉片と引っ張り出される内臓を思い出し、優斗は思わず顔を顰める。
「いや、ノルは自分の食事は自分で狩るから」
「守ってくれるお礼がしたいの」
クシャーナの本音は、単に餌やりがしたいだけだ。
それを察した優斗は、どうするべきか、真剣に悩む事になる。
まさか街中で生のネズミや小鳥を与える訳にもいかない。それ以前に、それらを貪るノルの姿をクシャーナに見せて良いものか、優斗には判断がつかなかった。
考え抜いた結果、優斗は串焼きの屋台から加熱前の肉を譲ってもらい、後はノルに丸投げする、と言う行動に出た。
「すまん、ノル」
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「何でもない。とりあえず、あげてみれば?」
「うん!」
楽しそうに肉を入れた容器を差し出すクシャーナ。
橋の欄干に留まっているノルは、差し出された肉を一瞥もする事なく、優斗にはひたすら自分の方を睨んでいる、様に見えた。そんな彼に、後で埋め合わせをするから、と手を合わせてお願いすると、仕方がないと言った風体で肉片をついばみ始める。
「わ、わ。食べた! 食べてくれたよ、お兄ちゃん!」
「よかったな」
容器に入った2切れのうち、1切れを数度ついばむと、ノルはそれを咥えてその場を飛び立つ。
翼を広げた瞬間に、クシャーナのフードが風にあおられて外れる。
幸いにして人通りは少ないが、あまり長時間晒しているのはマズいと、優斗はクシャーナに近づくと、そのフードを元の位置へと戻す為、手を伸ばす。
「あー、いっちゃった」
「そりゃあ、食事してるとこをじっと見られてたら、食べ辛いだろうし」
鳥にそんな感覚があるのか、そもそもノルはあれを食べる気があったのだろうかという事は気にせず、優斗はそんな風に誤魔化す。
クシャーナはそれに納得したのか、それともしていないのか、フードを被せられながら手に残った容器と肉片へと視線を落としている。
「お茶でも飲もうか?」
「ううん。もうちょっと歩きたい」
器を残った肉と共に店主に返すと、優斗達はまた川沿いを歩き始める。
途中、何軒か店にも寄り、クシャーナの希望でまた優斗が服を見立てたり、逆に彼女が優斗に着せたい服を見立てたり、可愛い小物にクシャーナが目を輝かせたりと言う楽しい時間を過ごした。
しばらくして、あまり遅くなるのはマズいだろうと考えていた優斗は、最後に喫茶店でお茶をしてお開きにしようとそれを提案した事により、2人はお茶と茶菓子を前に談笑していた。
優斗達が選んだのは、店の端にある2人掛けの席だ。食事と違い、お茶をするのであればフードのままでも平気だと言うクシャーナの要望により、優斗達は一般客と混ざって席についていた。
「それでね、お姉さまったら旦那さんとすっごく仲が良くて」
「子どもさん、まだ小さいんだっけ?」
「うん。すっごく可愛いの」
主にしゃべるのはクシャーナ。優斗はそれに相槌を打っている事が多い。
そこからクシャーナの母親の話になるのではと、期待半分、怖さ半分で歓談していた優斗だが、話の大半はひさしぶりに家に帰って来た姉とその家族の話だった。優斗は、クシャーナと同腹の姉であるアロウズもアイツの娘なのだと思えば、似たような話のループも気にならず、むしろ興味深いとすら思っていた。
「アロウズさんは、見た目通り面白い人なんだねぇ」
「でも、すっごく頭がいいんですよ!」
「さすが、商人の妻」
その言葉に、クシャーナの肩がびくりと揺れる。
優斗にそんな意図は欠片も存在しなかったが、クシャーナはその言葉を、商人として妻に迎えるならああいう人が良い、と解釈した。
そしてクシャーナは、自慢の姉と自分を比べればまだまだ未熟な自分に落ち込みそうになる。
「あのぉ、お兄ちゃん」
「ん?」
「私、もっとがんばって勉強するから!」
「あ、うん。がんばって」
その意図を、良い領主になると言う宣言だと誤解した優斗の応援に、クシャーナのやる気はうなぎ上りだ。
そんな他愛のない会話を続ける間にも、窓の外では太陽の位置が刻々と下がり続けている。
窓の外を一瞥した優斗は、その傾き具合にそろそろクシャーナを返すべきだと考えていたのだが、楽しそうに話をする姿にその言葉を切り出せずにいた。
「あー、クーナ」
「ん。何? お兄ちゃん」
「いや、なんでもない」
不思議そうな顔をするクシャーナ。
そんな平和な一幕を打ち破ったのは、優斗でもクシャーナでもなく、ましてや護衛をしているはずの誰かでもなかった。
「おや、こんなところで会うとは。奇遇ですね、優斗さん」
「……どちら様でしょうか」
「おや、これは失礼しました」
帽子を目深に被った男の唐突な登場に、優斗は右方に視線を動かし、机の下で手を小さく揺らす。
優斗からは誰も確認出来ないが、陰から護衛している誰かは、それにより優斗の合図に気付いたはずだ。
「では改めまして、お久しぶりです、優斗さん」
帽子を取り、その容貌が露わになると、優斗は息を飲み、呼吸が止まる。
優斗は目の前に居る人物に見覚えがあった。
彼の名はハリス。優斗が初めて商談を行った相手であるロード商会の、最初に訪れた街であるアロエナの支店で買い取り担当をしていた商人だ。
「あ……」
「ある場所で貴方様のお名前を見つけましたので、もしやとは思っていましたが。ご無事で何よりです」
言葉とは裏腹に、ハリスの口元には不敵な笑みが携えられている。
その笑みに身の危険を感じた優斗は、咄嗟に逃げ出そうと立ち上がるが、それを制する様にハリスが言葉を続ける。
「逢引のお邪魔をするのは心苦しかったのですが、何せ優斗さんはロード商会と縁の深いお方。しかも私は生死不明と聞かされておりましたので、つい」
「あ、」
その言葉にクシャーナが一緒に居る事を思い出した優斗は、逃げ出す事も出来ず、その場に立ちすくむ。
優斗は、早く助けに来てくれ、と護衛をしているであろう誰かに心の中で懇願しながら、ハリスを見据える。そして有事の際には最悪でもクシャーナだけは逃がさなければとその算段を考えながら、優斗はハリス相手に会話を試みる。
「ご用件は?」
「ですから、本当に優斗さんなのか、確認がしたかったのですよ」
「そうですか。私は確かに、優斗で間違いありません。申し訳ありませんが、今は女性連れなので、遠慮して頂けませんか?」
「もちろんです」
優斗が内心、絶対に無理だろうと思いながら発した言葉に従い、ハリスはあっさりとその場を立ち去る。
最後に、また後で会いに行きますので、と言う言葉と、不気味な笑みを残して。
クシャーナと逢引をする話でした。
最後に懐かしのキャラが出てきましたが、本文でも書いた通り、最初期の商談相手です。
さて、彼は何故こんな場所にいたのでしょうか。