横入り交渉
キャリー商会の正面扉が開かれ、そこから2人の男が入って来る。
それに続いて、小汚い布の塊が入って来る姿を目撃した優斗はぎょっとし、同時に吹いた風の匂いに顔を顰めた。それも一瞬の事で、すぐに真面目な顔を作った優斗は、一先ず様子を見る為に浮かせかけた腰を落ち着けると、状況を観察し始める。
「おい、奴隷の買取はここでいいのか」
「あっとるよ」
「急いでるんだ。さっさとしてくれ」
居丈高な男が、布の塊を指差す。
もちろんそれがただ布である訳が無く、頭からつま先まで大きなフード付きボロ外套に包まれた人間だった。
大きさとキャリー商会に持ち込まれ事からきっと年頃の少女なのだろうと考えながら、優斗は他人の商談を横で見ると言う機会に恵まれた事に気付き、今後の参考になるかもしれないと考え、静観する。
「あんたら字ぃ読める?」
「読めねぇよ。それがどうした」
「んじゃあ、あたしが読むから答えてってぇな」
「はぁ!?」
居丈高な男は怒鳴り散らすような大声でアニーに詰め寄り、睨みつける。
少女らしい売り物の隣に居る青年はそれに驚いてびくりと肩を跳ね上げるが、当のアニーは涼しい顔だ。
「聞かな値段決めれへんやろ」
「知るか。俺は急いでんだよ。さっさとしろ」
「はいはい。じゃあ、1つ目――」
「んな事より、いくらだ」
男の言葉に、アニーの視線から温度が消える。
優斗の方は、商談として参考にならないが、こんな買取客も居ると言う意味では勉強になるかな、と考え直しながらその光景を見つめている。
そしてアニーに対して本格的に危害を加える様なら男を突き飛ばすくらいは出来るかな、とも考えて再度僅かに腰を浮かせる。
「あーそー。そんじゃ、公国金貨1枚ね」
「はぁ!? ふざけんな! 女奴隷の相場は調べてあんだぞ!」
「金貨1枚」
「15枚だ!」
2人の提示した金額に、優斗は吹き出すのを堪えていた。
確かに女性奴隷の相場は、金貨15枚くらい、だった。しかしそれは、容姿が並み以上の十代の生娘で、更に売りになる点があると言う最良条件での場合だ。ついでに言えば、男の提示した額は売値であり、仕入れ相場はもっと低い。条件をほとんど満たすフレイですら金貨10枚程度の評価だった事を考えれば、目の前の薄汚れた少女に金貨15枚はありえない。
アニーの方は、持ち込んだ少女の年齢も容姿も、そして男性経験の有無も不明でかなり小汚いとは言え、金貨1枚は極端だと優斗は考えた。しかし実際のところ、買付先で足元を見て、その程度で買い取ると言う事は良く見られる光景だ。
「そもそもそん子、奴隷になる事、承諾してるん?」
「当たり前だ。なぁ?」
外套のフードが縦に動き、肯定を示す。
優斗は勝ち誇ったような男と呆れ顔のアニーから目を離し、少女だと思われる外套とその傍らの青年に視線を向ける。
青年はこの件に乗り気でないのか、浮かない顔だ。少女自身に思い入れがあるのか、人身売買に抵抗があるのか不明だが、優斗はその姿に共感を覚える。
少女は変わらずその場に在るだけだが、ボロボロで汚れの目立つ外套姿からは、僅かにゴミの様な匂いが発せられている。匂いはそこまで酷くないが、場所柄、女性奴隷に施された香水や果物等の匂いが漂っているせいで際立っている。
「じゃあ、2枚」
「おい!」
「あんなぁ、お客さん。そもそもその相場自体が間違ってんねんで」
「はぁ!? 俺はちゃんと確認したぞ!」
「それ、店で売っとる子やろ? あんた、こうた値段で売るアホがおるとでも思とるん?」
「そ、それでも1枚は安すぎだろうが!」
「仕入れた後、身なりととえたり、躾もせなあかんねんで?
相場はええとこ8枚くらいのもんや。それも、最高の状態で、や」
男が「うっ」とうめき声を上げ、勢いが消えた事で場の主導権が完全にアニーの支配下に落ちる。
優斗はここからが見どころだ、と思いながら、後で参考にする為に聞き逃すまいと耳を澄ませる。
「で、金貨の相場変動があったせーで今は高く見積もって7枚。なんもわからんから、そこから全部引いたら1枚や」
「おい、さっき2枚って」
「聞きや。
7枚から生娘やないなら1枚。字が読めへんなら1枚。書けへんなら1枚。見てくれが悪うて2枚。体型が悪うて1枚引いた訳や。
確認せぇへんと即決するっちゅうんはそう言う事や。判ったか?」
アニーが示した減算方式の価格はあまりに適当な内容だが、商売と言うモノに疎い男をたじろがせるには十分で、その姿を見たアニーはため息を吐く。
こう言った手合いは、どこにでも一定数存在する。その中で、直接暴力を振るわない男はまだ善良な方なのだが、優斗にはこれ以上ない最悪な客を黙らせたように見え、心の中でアニーを称賛していた。
「わかったんなら1個ずつ聞いてくで」
「ちっ。わかったよ」
「とりあえず外套脱いで、顔見て、体型は触らせて貰うでな。んで、そっちん子にもあたしの質問に答えてもらうけど、ええな?」
「わかったから早くしろ」
男が促し、少女が一歩前に出る。
その瞬間、優斗は状況を観察しながら思い付いた、ある事を実行する事を決断する。
そして決意と同時に行動も開始した優斗は、立ち上がるとアニーに近づいて耳打ちする。
「俺も質問していい?」
「ヤダ」
「そこを何とか」
「キャリー商会に男店員がおるなんて広まったら大変やん」
「あー、そっか。じゃあ」
優斗は目標を変え、質の良い銅貨を手探りで1枚取り出しながら男に歩み寄る。
そして男の手を強引に取ると、銅貨を握らせながら営業スマイルを浮かべた。
「私はこの商会に買付にきた商人なのですが、良い商品が無く、困っていたのです」
「お、おう?」
手の中に押し付けられた銅貨を意識している男からは、生返事しか返ってこない。
優斗はまだ手を固定しており、男はその中身が確認出来ない。それに加えて唐突な行動に男が驚いている隙に、優斗は捲し立てる。
「彼女に触れないと誓います。ですから、少し質問をさせて頂いてもよろしいですか?」
「あ、あぁ」
「ありがとうございます。良き商品であれば、是非お願いします」
お願いしますと言う言葉を、驚きから解放された男は買取希望なのだと判断した。
それにより、無茶な値付けを防げると共に、手の中のお金が手に入ると考えた男は、にやりと笑う。そして優斗が離れた事で確認した銅貨が質の良い物である事を確認すると、再度口元を歪ませる。
「勿体無いなぁ」
「ちょっと考えてる事があって」
「商売の邪魔される気がするわ」
事実、状況次第では横取りを考えている優斗は苦笑いで返答する。
しかし、ある程度安全に試せる機会に色々と試しておきたい優斗は、説得の為に少し声のトーンを落としてアニーに囁きかける。
「後でお詫び、しますから」
「詫び?」
「もちろん、手伝ってくれるならお礼も」
その言葉に何か反論しようとしたアニーが、何かに気付いたのか、言葉を飲み込む。
そしてにやりと笑い、横目で2人の客を確認すると、優斗の耳の近くに口を寄せ、囁き返す。
「ほんなら、ご飯奢ってや」
「お安い御用です」
「ちっと値ぇ張る、えぇとこがあるんよ。今夜、空けといてな?」
「了解です」
交渉が成立し、優斗とアニーが揃って少女の前に並ぶ。
そしてお互いに見詰め合う。賄賂を払ってまで優斗が問いたい質問が何なのか興味を持ったアニーが、視線で先手を譲る事を伝えると、優斗はそれに応えて頷く。
「貴方はどうして奴隷になる事を良しとしたんですか?」
優斗の質問は、奴隷商人にとってもある程度重要なモノで、優斗が聞かずともアニーが問うた可能性は高い質問だった。
平凡でアニーにとっては詰まらない質問ではあったが、まだそれだけで評価を決めるのは早計だと考えたアニーは、少女の答えを待つ優斗から視線を外し、自身も少女に視線を向ける。
「村の為」
素っ気なく答えた声は少ししゃがれていた。
女性にしては低めで、しかし十分に少女らしい声色の返答に、優斗は喉でも傷めているのかと考えながら、足りない情報を追加で問う。
「凶作の影響で?」
「違う」
「では、何でしょう?」
「盗賊」
少女の端的で装飾ない返答に、優斗は元来寡黙なのか、それとも喉を傷めている影響なのかと考える。
そして帰って来た答えを受け、次は隣に居る大人しそうな青年に視線を向ける。
「あ、いや。その、盗賊が来て、村を荒らして行ったせいで、何も無くなったんです」
「もしかして、火事があったと言う件ですか?」
「あぁ、そうだ。いや、そうです」
「じゃあ、何故貴方何ですか?」
視線を戻して優斗が問うと、少女は一瞬も躊躇う事なく、理由を口にする。
「お父さんが守った村だから」
「……詳しい説明を聞いても?」
「私も守る」
「……すいません、説明して貰ってもいいですか?」
優斗は同じ内容の台詞を、今度は男達に向けて発する。
それを受けた男達は嫌そうな顔をしたが、お互いに顔を見合わせるとしぶしぶ口を開く。
優斗の隣では、アニーが面倒な事を代わりに聞いてくれたと、内心喜んでいた。
「村が盗賊に襲われたんだ。で、ルーツさんが退治してくれた」
「その時に盗賊が村に火を付けたせいでたくさんの建物が焼けてしまったんです。
その時、倉庫にあった貯えも全部……」
「で、村が飢え無い為には金がいる」
ルーツと言うのはきっと少女の父親の名前なのだろうと考えながら、優斗は眉を潜める。
彼らの言う事は、一見筋が通っている。
しかしそこに感情論を少しだけ挟む事により、大きな違和感が発生する事は明らかだ。優斗はその疑問を解消すべく、男達に質問を続ける。
「この子の父親は?」
「その時の傷で死んだ」
「うちの妹も、危ないところを助けて貰ったのに……」
2人が何かを思い出して遠い目をしている光景に、優斗の違和感は膨れ上がる一方だ。
優斗はその確信に触れるべく、少し多めに息を吸い込むと、視線を尖らせて2人を見据える。
「では何故、村を救った人の娘を奴隷に?」
「……」
「……」
返って来た沈黙に、優斗は続く言葉を発するべきか、悩む。
悩んでいる優斗。黙り続けている2人。
そんな沈黙の空間を破ったのは、静観していたアニーだった。
「まぁ? 親無しっちゅうんは後腐れないしな?」
「あぁ、なるほど」
「ちがっ! いや、違わない。けど、違うんだ! そう、仕方が無かったんだ!」
「何がでしょうか?」
大人しかった青年の激昂に、優斗は内心で驚きながらも静かに問い返す。
優斗の対応が冷静であったせいか、青年の勢いはすぐに窄み気味になり、しかし言葉は惰性の様な勢いで続く。
「うちの村は小さいから、売れるような娘は俺の妹か、この人の娘くらいしか……」
その言葉で、優斗とアニーは大まかな状況を理解する。
お金を得る為に人を売ると考えた時の候補を消去法で考えると、まず復興に必要な男手が外され、値の安い割に一部の頃柄に置いて非常に役立つ老人も外れる。残るのは、女・子供だ。
そこから更に、なるべく高く売れて一番移動の手間がかからないと言う条件が付属すれば、やはり若い女性が売られるがセオリーだ。フレイの村がそうであったように。
「なるほど」
「仕方なかったんだ! 俺だってルーツさんには感謝してるし、娘さんに申し訳ないとも思ってる! でも!」
「まぁ、落ち着け。なぁ、商人さんよ。俺らはさっさと売って金が欲しいんだ。もうこの辺でいいだろう?」
「失礼しました。では、次の質問をさせて頂きます」
今まで居丈高だった男からの静かな言葉に、優斗はまた少女に向き直る。
そしてその様子から、男も今の状況にもろ手を挙げて賛成していないのだろうと、優斗は考えた。
もしかすると、ある程度の値で売れなければ、次は娘や妹を売ると脅されてここに来ているのでは、とも考えて、優斗には盗賊に襲われた事も含め、彼らに対する同情が生まれていた。
「家事、身の回りの世話、火の準備は出来ますか」
少女がこくりと首肯するが、優斗はどれに対する返答なのか迷い、迂闊な質問方法に反省する事になる。
優斗は同じ質問を重ねる事を嫌い、あえて何も言わないのであればきっと全て大丈夫なんだろうと解釈した。
次の質問はと口を開こうした優斗だが、それをまだ思い浮かんでいなかった為、ならばそれを考えている間にアニーと交代する方が効率的だと考え、提案する。
「アニー、一度交代しよう」
「はいはい。じゃあ、とりあえず外套脱いでくれる?」
首肯した少女はもぞもぞと動くと、外套を脱ぎ捨てる。
外套が床に落ちた後に現れたのは、ぼさぼさの長い髪を携えた少女だった。
光の加減でアッシュブロンドにも見える淡い金色の髪は色あせ気味な上に汚れており、顔を半分以上隠している。隠れている顔も、そして服も汚く、全体的に薄汚れている印象だ。しかもその顔には、あざが出来ている。
「ん? その顔どうしたん?」
「殴られた」
「ち、違うぞ」
アニーが視線を投げかけると、男2人が狼狽える。
それはきっと、盗賊の仕業なんだろうと考えたのは優斗と同じで、アニーはそこからもう1つの可能性を思い付いていた。
「あんた、男と寝た事ある?」
「お父さんと」
「あー、そやな。盗賊に乱暴されへんかった?」
「殴られた」
「だけ?」
「手を押さえられたから、蹴って逃げた」
珍しく長い言葉で行われた少女の説明に、アニーと優斗が顔を見合わせる。
少女は小さく、優斗の首か顎あたりまでしかない。そんな小さな少女が、盗賊を蹴り飛ばし、逃亡を図ったと言うのだ。
アニーはそれを信じられなかったが、その真偽を確認する意味はなく、最終的には別の方法でアニーの問うた事柄は確認する事になると結論すると、次の質問に移る。
「ほなら、歳は?」
「判らない」
「は? 親から聞いてないん?」
「お父さんも知らなかった」
拾われた子なのだろうかと考えながら、アニーは仕方なく外見から年齢を推測する。
年齢と言うのは、若い女性を買っていく客にとってそれなりに重要な事だ。
極端な話、年齢不詳で売っている場合、若く見える年寄と言う可能性もある。そうなれば使える期間も違えば、体力の衰える時期も違うので、どうしても価格の基本が悪い方を前提となってしまう。
「20超えてる事はあらへん?」
「……判らない」
「収穫の回数とかで数えてへんかった?」
「してない」
これはお手上げだ、とアニーは頭をかく。
見た目から10代半ばから後半と予想される少女。
アニーが質問を続ける中、優斗はそんな少女を観察し、どの程度自分の望む条件に沿っているのか確認して行く。
優斗が今、欲しているのは人手だ。
しかし、優斗の提示する労働条件は、アニーからその条件ならば奴隷を買う方がと指摘された程であり、普通の求人方法では人員確保が難しいと判断していた。ならば、奴隷になるしかない相手ならば良い返事を貰えるのでは、と優斗は考えた。
目の前の少女は、優斗の望む最低限の能力を有すると自称している。そして何より、村の為に身を投げ出せる人間だ。きちんと恩を売れば、裏切られても根こそぎやられる可能性は低いと考えられる。条件としては上々だ。
「ちょっと触るで」
「うん」
「……ん?」
体型を確認する為に少女の身体を上から順に撫でていたアニーの手が、途中で止まる。
しかしそれも一瞬の事で、何事も無かったかの様に鳩尾の上辺りで止まった手が再び動き出し、手のひらが足先までを撫でて行く。
服の上からとは言え、少女はそれに対して少しだけ顔を顰めている。
優斗の方は、なぞられた体型が痩せ型、しかしいわゆるスレンダーなものではなく、むしろ幼児体型に近いモノである事を確認しながら、無意識に少女の胸へと視線を向ける。
アニーがなぞった事で一瞬だけ確認出来た、フレイよりも、そして下手をすればシャオジーよりも小さいのでは思える程の胸。今は厚手の服で判りづらいが、引っ掛かりも無く撫で続けていた事からも、膨らみらしい膨らみはないのだろうと優斗は予想していた。
優斗がそんな事を考えていたのは、セクハラ目的と言う訳ではない。
もちろん、若い男である優斗にそう言った思考が欠片も存在しなかった訳ではないが、主な理由は彼女の女性的な魅力についての考察だ。それはアニーの値付けを予想をする為であり、同時に自分が雇う場合のあれこれを考える為の1要素としてだ。
「まぁ、大体金貨2枚くらいやね。それでえぇなら、奥で色々確認させて貰うわ」
「2枚、って、おい。安すぎるだろうが」
「そんな事あらへんで。
年齢不詳、目元がきつい以外はこれといって特徴のあらへん娘やし、何よりめっちゃ汚いやん」
「それはそうだが……」
「文字も数字も出来へんみたいやし、化粧の仕方も知らんとか、教える事多すぎやわ」
キャリー商会では、奴隷に最低限の教育を施してから売り出す事が多い。
直ぐに使うならもちろん、何かを仕込むつもりでも基本的な知識や、奴隷としての基本的な振る舞いを教えて置く事は重要だ。
奴隷契約時にある程度の基礎知識は覚える事になるが、それでも不足する部分と言うのは多い。
「それは困る!」
「やったら他行きや。まぁ、えぇとこ1枚半やと思うけど。
一応、色は付けたったんやで?」
男はまたアニーに詰め寄り、青年は顔面蒼白で立ちすくんでいる。
優斗はその光景に、やはり人質を取られているのだろうかと考えながら、アニーから解放された少女と再度相対する。
「幾ら必要か知ってる?」
「判らない」
「じゃあ、逃げる気はない?」
優斗の爆弾発言に、静かだった場が、一瞬だけ更に静寂を深める。
男は唖然としており、青年は質問を受けた少女に視線を向けている。アニーはと言うと、聞いた瞬間は驚いていたが、今は口元に愉悦を浮かべて優斗を観察している。
優斗はそれぞれ別の意図を持った視線を全員分向けられながら、それを気にする事なく、続きを口にする。
「逃げる気があるなら手伝うけど」
「ざけんなっ!?」
アニーとの交渉を中断していた男が、我に返った瞬間に頭を沸騰させ、優斗に掴みかかる。
アニーはそれに対して何か行動を起こす事はせず、相変わらず興味深そうに2人を見つめ、青年は真剣な面持ちで少女の方を見つめている。
しかし優斗は気にすることなく、身をねじると首から上を少女に向け、その姿を見据える。
「話を聞く限り、今の君には村を救う義理は無いと思うんだけど、どうかな?」
「黙れ! 部外者は黙ってろ!」
激昂する男が腕を振り上げ、優斗は身を固くする。
しかし、やり過ぎたかと反省する優斗にその腕が振り下ろされる事は無なかった。
何故なら、ずっと隣に居た少女が、男の服の裾を掴み、それを止めたからだ。
少女は首を横に振る事で否定を示し、それを見た男はしぶしぶ手を離す。
優斗の方は、手を離されて一瞬よろけたがなんとか立て直し、営業スマイルを浮かべると懲りずに再度少女に向き直る。
「お父さんが守った村だから?」
「そう」
「それだけ?」
「……違う」
「理由を聞いても?」
「そう、教えられた」
相変わらずシンプルな回答を完全に理解した訳ではなかったが、優斗は十分だと満足して少女に礼を告げる。
少女が小さく頷いた事を確認した優斗は、今度は男に向かい、質問を口にする。
「お金、どの程度必要なんですか?」
「は?」
「まず、荷馬車一杯の食糧です」
「おい!?」
横から口を出した青年に男が抗議するが、青年はそれを無視し、優斗から視線を外す事はない。
優斗も見返す事で見詰め合う形になり、お互いの思惑の欠片を視線で交換する。
青年から見れば、優斗は普通より安く奴隷を仕入れようと、奴隷商を介さずに買い物をしようとしている商人に見えていた。故に青年は、アニーの提示額以上であっても買い取ってくれるだろうと予想した。そして商人であれば買い取り交渉にも心得があると考え、ならば現金で無く現物であれば、多少吹っかけても乗って来るのではないかと言う思い付きを実行した。
それを何となく把握した優斗は、彼らの望む最低限を把握した上で、それ以外に何が必要なのかを知る必要があると考えた。しかし、あまり乗り気である事をおおっぴらにするのは良くない、とも考えて遠まわしに質問を重ねて行く。
「それなら金貨2枚で十分過ぎるのでは?」
「焼けたり、壊れたりした家を再建する為に釘や道具を買いたいんです」
「他には?」
「生活用品もかなり焼けてしまったので……」
「具体的には?」
「ぐたいてき?」
「何が欲しいんですか?」
「あぁ、えっと。鍋などの銅製品です」
「そうですか。ちなみに村の粉ひき小屋は?」
「へ?」
「無事ですか?」
「は、はい。村から離れたところにあったので」
「判りました。ありがとうございます」
優斗がお礼を告げ、身体ごと視線を逸らした事で、青年は肩を落とす。
口を挟むタイミングが見つからず、結果無視された形になっていた男が青年に文句を言う為に詰め寄り、アニーだけが動向を見守る中、優斗は少女の前に立つ。
優斗はこれから行う交渉について思いを馳せながら、改めて目の前の少女を観察する。
一見ではお世辞にも可愛いとは言えない薄汚れた格好で、臭って来る程に不潔。別の意味で、綺麗ではない。
そこだけ見れば良くない事だらけだが、そんな状態でも最低限とは言えきっちりと受け答えが出来、その上で村の為に身を投げ出す覚悟がある。そう言った精神的な意味では、優斗にとっては十分に掘り出し者だった。外見については、手を入れる事である程度整える事が可能だ。
「荷馬車一杯の食糧と生活用品や再建用品を積んだ荷馬車を村に送り込む費用、約金貨3枚分を私から借りる気はありませんか?」
優斗と正対する少女は、その言葉が理解出来ないのか、少しだけ眉を潜める。
優斗の方は、金貨3枚は妥当なのだろうかと考えていた為、そんな少女の態度に気付かず、そのままの勢いで条件提示を開始する。
「もちろん、タダで貸す訳でなく、代わりに私の元で働いて貰います」
「……?」
少女は僅かに首をかしげるが、優斗の説明はまだ終わらず、言葉が続いて行く。
「仕事の内容は基本的に私の身の回りの世話です。料理洗濯等の家事はもちろん、火の番もして貰う事になると思います。それ以外にも色々ありますが、その辺りは要相談で」
「……」
少女は優斗の発する言葉を出来る範囲で聞き取り、把握する為に真っ直ぐ優斗を見つめている。
それを、理解しているのだ、と判断した優斗は、最後まで一気に説明してしまおうと、次の言葉を発する。
その間も男が青年に詰め寄っている為、2人はまだ気づいておらず、唯一気づいているアニーは、相変わらず楽しそうにその光景を観察していた。
「契約期間は借金返済までです。あ、そういえば契約権はありますか?」
「契約権?」
「判らないなら後で確認すると言う事で。月給は公国銀貨1枚でどうですか?」
その発言に最も驚いたのはアニーだった。
それは奴隷寸前の、言い換えれば行くあての無い、稼ぐ技能も無いであろう人間に提示するにはあまりに高額だったからだ。
優斗がその額を提示した理由は、昔、ユーシアの使用人がその額で働いていると聞いたからだ。
更に言えば、平素であれば金貨1枚の相場は銀貨33枚~35枚の範囲であり、この額ならば昇給を含めても十分な雇用契約期間を確保出来ると判断したからでもある。
これは奴隷を買う事に類似する行為であるが、決定的に違うのは、逃げ出す事が出来ると言う点だ。
契約権を失っても農民として過ごす分には困る事は少なく、嫁に行くのであればほとんど問題がないと言っても過言ではない。それは普通ならば看過できない問題点だが、優斗にとっては自分の行動に対する指標兼免罪符となる。
「奴隷になるよりは良いと思いますよ」
優斗はそう呟くと、最後の説明をする為に小さく息を吸った。
それはアニーに人を雇うに当たって最大の難関だと指摘された事柄だ。
「私は旅の行商人ですので、この地を離れる事になります。基本的な衣食住はこちらで準備するつもりですが、住む場所は固定されません。
移動は荷馬車なので、馬や荷馬車の手入れも覚えて貰う事になると思います」
それに対する少女の反応は、優斗が予想した通りこれまでで最大の反応を引き出す結果となる。具体的には、目を見開いて優斗を見つめている。
そして最後に嫌な点を前面に押し出す事で、後々のトラブルを避けようとした優斗の条件提示順は、別の意味で成功する事となった。
「その条件で、私に雇われませんか?」
「うん」
悩む事なく即答された以外、予想通りだった優斗は、首肯していた少女の頭から視線を外すと、そのまま体ごと振り返る。
そしていつの間にか優斗達のやり取りを見ていた男2人に向き直ると、営業スマイルで結果だけを告げる。
「お望みの物は明日買い付けます。
ちなみに、荷馬車には乗れますか?」
優斗の質問に、状況を把握出来ていない2人はただ首を縦に振って首肯する。
その反応に満足した優斗は、アニーに視線を向けると、声に出さず口の動きだけで、おねがい、と告げる。
アニーはそれに、指を一本立てる事で答えて了承すると、優斗がその意図を理解する前に行動を開始する。
「今日はもう店じまいや。やから明日また来てや」
「いや、まだ買取が」
「本人か保護者の承諾があらへん奴隷は買い取り出来やんの」
「承諾していると言っただろう!?」
アニーと彼女に詰め寄ろうとする男との間に、優斗が体を入れてそれを防ぐ。
男はその行動に驚いている間に、最悪でも標的を自分にかえなければと考えた優斗は、少しだけ真面目な表情を作って、男に告げる。
「今、本人がそれを取り消しました」
「何!?」
「彼女は私が雇う事になりましたので」
混乱する男と青年。
そんな2人に事情を説明し、納得させる為に優斗とアニーはそれなりに長い時間を費やした。そして本当に支払われるのかと言う疑いの視線を残し、2人がしぶしぶと立ち去るのを見送ると、優斗はまず、アニーへと視線を向ける。
「ありがとう」
「かまへんかまへん。お安い御用や」
「じゃあついでに、この子を綺麗にしといて貰える?」
「はぁ!?」
「協力、してくれるんでしょ?」
優斗の言葉に、アニーは考える。
そしてこの状況は自分に都合の良い展開を導く為に使えると思い付いたアニーは、にこりと笑うと少女の肩に手を置き、了承した旨を口にする。
「ついでに、今晩はうちで預かるわ」
「助かるけど、いいの?」
「もち。
何なら最低限の躾もしょーか? 安くしとくで」
優斗はそれを冗談だと考え、ほどほどによろしく、と告げると少女に笑いかける。
そしてまだ名前も聞いていないと気づいた優斗がそれを問う寸前、アニーによってそれが妨害されてしまう。
「やったら、いっぺん宿に戻りや」
「ん? 食事、奢る約束だし、このまま」
「もうちょいましな格好して来い、ちゅー事や」
「なるほど」
優斗はそれを、高級店に行く為に、と言う意味で受け取り、素直に頷く。
その後、待ち合わせ場所と時間を決めると、促されるままに宿に戻った優斗は、公式な場に相応しい格好と言うモノを知らない事に気付き、仕方なくそれなりに見栄えする格好を吟味して待ち合わせ場所に向かう事となった。
優斗くんが人を雇おうと試みる話でした。
とは言え、名前すら確認していない辺りは、相変わらずな主人公なのでした。