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異世界行商譚  作者: あさ
寄る辺無き旅
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道標の向かう果て

 この1か月間、公国では多くの商会が多大な被害を被った。それにより利益を貪っているのはもちろんロード商会だ。


 ロード商会はまず、優斗が改造した新型機織り機を導入した工場で絹の大量生産を開始した。技術漏洩対策として奴隷を労働力として行われたそれは、ほぼ24時間体制で稼働している。そして原料となる絹糸の買付は公国内だけに留まらず、王国・帝国で品薄が発生する程の規模で行われ、絹の布地の備蓄量が過去にない速度で増加した。


 次に、流通量を調整し、絹の布地の価格を普段よりも若干の高値を維持させる。そこにクシャーナ・ユーシアの領主任命式典の開催が決まり、ドレスやタキシード等の大量発注を予想した公国中の商会は、こぞって絹を買い集めた。


 ロード商会はこのタイミングで、他の商会よりも多少高値で絹を買取つつ、一定規模以上かつ自分達と直接の繋がりの無い商会ほぼ全てに、ある契約を持ちかけた。それは数か月後に大量の絹を現在よりも少し高い相場で売ると言う契約だ。数か月後、と言うのは式典の1か月と少し前に設定されており、毎回その時期には手直しや追加の注文が殺到する為、その時点でほぼ使い切られている絹が高騰を起こすのが通例だ。何故なら、式典出席者が他の貴族の準備した物に触発され、負けじと更に凝った注文をするからだ。


 故にほとんどの商会がロード商会の提示する契約書にサインをした。その時点でロード商会が絹糸の大量買い付けと布地の生産を行っている事実は知られていたが、工場の数を大きく増やした訳ではないので、どの商会も生産数は例年よりも多少増程度の認識だった。


 当然その読みは外れ、契約通り絹と金貨を取引した時には価格が暴落していた。


 理由はもちろん、ロード商会がため込んだ絹を全て放出したからだ。

 その時の相場からすればかなり安い、しかし普通よりは高い額の絹を、仕立ての依頼を受けている全ての職人に直接、そして大量に売り込んだのだ。その安さから、職人達は大量に買い込んだ。今まで不足気味だった事、経験上、この後も必要になる事などから、値上がる前に出来るだけ多く仕入れ、残っても他に融通すれば良いと考えたのだ。他の者も同じ様に考え、購入している事に気付くには彼らは忙し過ぎた。


 職人達に十分すぎる量の絹を売りつけると同時に、ロード商会は行商人を使って大量の絹を他の商会へと持ち込ませ始める。

 最初は喜んで買い取っていた者達も、あまりに大量に出回り始めてようやく違和感に気付き、仕立ての為にずっと引きこもっている職人を尋ねる事で状況を把握した。しかし時すでに遅く、既に彼らが予想していた絹糸を布地に出来る上限数を軽く上回る量が市場に溢れていた。需要と供給のバランスが崩れれば、価格と言うモノは安易に崩壊する。


 かくして、ロード商会は大暴落を起こした絹を大量に買付け、それを契約通り暴落前よりもやや高値でそれぞれの商会に引き取らせた。



 一通りの状況を確認した優斗は、自分の安易な行動が発端であるこの件の多大な影響に呆れながらも、質問を口にする。


「ここまで酷いと、潰れた商会もあるのでは?」

「はい。路頭に迷っている者も多く、職を失うのはまだましで、行商人の中には莫大な借金を背負った者もいるとか」

「うわ……」

 予想以上の惨事に、優斗は素の声で驚きを漏らす。


 呆けているのもつかの間、優斗は重要な事に気付き、慌ててアイタナに確認を行う。


「キカロ商会は無事ですか?」

「無事です。全ての職員に暇を出し、支店内の商品を全て換金して何とか耐え凌ぎました。我が商会とも縁がありますので、奴隷の買取等を引き受けました」

 アイタナの返答に、優斗は胸を撫で下ろす。


 基本的にロード商会と同じ様な契約を交わしている優斗だが、相手が既にいなくては利益を得るどころか、前金分、損をしてしまう。


 その状況を生み出した原因の1人である優斗は、それによって様々な被害が出ている事に関して、反省する。

 それは被害に遭った人々に対してではなく、安易に新技術を提供した結果、経済を混乱させてしまった事に関してだ。路頭に迷ったり、潰れたりと言う被害はあくまで商取引の結果であり、直接優斗には関係ないと割り切っている。正確には、展開を予想した時点で割り切ると決めていた。


「ところで、お金を借りたいと言う件なのですが」

「はい。公国金貨300枚分の資金を準備させて頂きました」

 提示された額に、優斗は自分の評価が上がっている事に複雑な気持ちになる。


 当たり前の事だが、結果を出していない人間と、出した人間の評価は違ってくる。しかし、結果を出す為には資金が必要な訳であり、しかも今さら額面が増えてもこの件での利益は大差ない。


 優斗はそれを予想して契約を結ぶべきだったのだろうかと考えながら、ある違和感に気付く。


「公国金貨300枚、分?」

「はい。公国金貨が余り出回っておらず、値上りしておりますので、王国金貨や帝国金貨、公国銀貨等で同等額を準備させて頂きました」

 優斗はその言葉から湧き出た疑問を、率直にアイタナに問う。


 優斗の問いに、アイタナは金貨が値上りした理由を判りやすく説明する。それは国内の金貨をロード商会がため込んでいるせいだ、と。


 職人が衣服を作る際、それが貴族の依頼で、かつ高級な物であれば絹以外の物、例えば宝石なども必要になる。そして彼らはそれを購入する為に、貴族から受け取った前金を使う。


 普通であれば、貴族から職人、次に商会に金貨が渡り、巡り巡って税として国に納められる事になる。

 しかし現在、ロード商会の系列以外の商会から、絹と引き換えに大量の金貨が失われている。それは当然、最終的にロード商会へと流れている。


 公国金貨は三国の中で最も価値の高い金貨だ。それが使われないと言う事は、支払われたお金を移動させる為にいつも以上のコストがかかると言う事である。それが削減できるのであれば、支払額が多少増えてでも金貨での支払いを望むのが普通だ。特に、積載量が利益に直結する行商人ならば、猶更だ。


 結果、ロード商会は金貨を持っていると言う事実と金貨を出し渋ると言う形で商談に優位を保つ事が出来る様になり、それに伴う供給不足が更に利益を生む。


「ロード商会、かなり儲けてるみたいですね」

「えぇ、本当に」

 他に自分に優位なカードは存在しないのかな、と考えながら優斗は用意されたお茶を口に含む。


 しかし少し考えただけでそれが思い浮かぶ訳もなく、優斗は中断されていた話題を再開する為に、アイタナと向き合う。


「絹の布地をすぐに手配出来る様にして欲しいんですが。量はこの程度で」

「この程度でしたらすぐにでも手配出来ますが」

「正確には何日でですか? それと、どこから仕入れるのか、予約と言う形は可能か、可能なら不要の場合、罰則があるのか」

「えぇと、優斗様が必要だとおっしゃるのでしたら今すぐにでも確認しますが、たぶん即日どころか即決で手に入ると思いますよ?」

「そうなんですか?」

「絹の布地はどこも大量に抱えていますから。倉庫代がかかるくらいなら、安く買い叩かれてもいいと思っている商会は多いかと」

「あー、なるほど。じゃあ――」


 優斗が思い付いたプランを実行する為の根回しを依頼すると、アイタナは快く引き受け、その返答を聞いた優斗はお茶を飲み干すと席を立つ。

 もう少し話をしないかと誘うアイタナに、宿を探す必要があるからと断ると、荷馬車と荷物はまだしばらく預かってほしいと告げ、商会を後にする。



 荷物のほとんどをキャリー商会に預けてある荷馬車と、貴重品入れに放り込んだ優斗は、ひっそりした宿で隠れるように数日を過ごした。


 優斗が次に動き出したのは、契約から67日目の夕方だ。

 手持ちの中で最も上等な服を身に纏い、念入りに身支度をして向かう先は、もちろんキケロ商会カクス支店だ。


 優斗は商会の中に入ると、そこには誰もおらず、思わず辺りを見渡す。

 ロード商会の策略に嵌り、痛手を負いながらもなんとか営業を続けている様だがその爪痕は深く、店内に並べられた商品は前回訪れた時よりもかなり少ない。そして調度品はほぼ全て失われている。


 優斗が奥を覗いてみようと踏み出した瞬間、そこから1人の少年が現れる。


「あー、すいません。お待たせしました。本日はどのようなご用件でしょうか」

「私は商人の優斗と申します。シュタンさんはいらっしゃいますか?」

「シュタンは今、外に出ております」

「そうですか。では、待たせて頂いてもよろしいですか?」

「もちろんです」

 少年はたどたどしく言葉を紡ぎながら軽く頭を下げると、再度奥へと入って行く。


 すぐに戻って来た少年は机に座って書き物を始め、少し経つと少年に良く似た顔の少女がお茶を運んでくる。前回来た時にお茶を出してくれた女性とは別人だ、と思いながら優斗は笑顔で礼を告げる。

 少女からお茶を受け取った優斗は、味がイマイチだと感じた事で、この商会がやはり窮している事と、自分がお茶の味を判る事に気付き、どんな表情を浮かべるか悩む。


「ちち、いえ、シュタンが戻った様です」

 少年の声が優斗の思考を中断する。


 優斗は立ち上がると振り返り、扉を閉めているシュタンに体ごと視線を向ける。

 そしていつも通りの営業スマイルを浮かべると、優斗に気付いたシュタンの頬がひきつる。


「どうもお久しぶりです、シュタンさん」

「おひさしぶりです。優斗様。いえ、優斗さん、で構いませんか」

「構いません」

「本日はどう言ったご用件でしたか?」

 前に会った時よりも数段やつれているシュタンから発せられる声は、少しだけ投げやりだ。


 その反応の意味するところを、優斗は理解出来なかった。

 もっと劇的な反応を予想していた優斗は、拍子抜けしながらもその理由を探ろうと、あえて本題を避けて話を続ける。


「本日は、キケロ商会様の様子を確認しに来ました」

「はは。ごらんのとおり、売れる物は全て売り払ってお金を作りましたよ。妻や娘を質に入れずに済んだ事だけが救いですね」

 書き物をしていた少年――彼の息子だろう――がシュタンを軽く睨みつける。


 それは、何故自分が入っていないのかと言う抗議なのか、冗談でもそんな事を言うなと言う非難なのか、優斗には判別出来なかった。

 もう少し時間を稼ぐ必要がある優斗は、世間話でもするように、しかし少しだけ本題に近づいた質問を投げかける。


「立て直しには時間がかかりそうですか?」

「少なくとも、新しい支店長が送り込まれる前には立て直さないと、大変な事になりますね」

 現在、公国に幾つか存在するキケロ商会の支店のほぼ全てが同じような窮地に立たされている。


 普段であればこんな失態を犯せばすぐに後任が送り込まれて支店長の座を追われ、最悪、商会自体を首になり出した損益に応じた損害賠償を請求される可能性すらある。しかしまだ断罪の手が届いていない事から、今回の影響でキケロ商会全体が混乱しており、後任を送り込む余力さえ無いのだと推測出来る。


 だからこそ、状況確認に誰かが訪れる前にある程度立て直せば、その手腕により降格を免れる可能性がある。最悪でも、首にならなければシュタンは家族を守りきる事が出来る。ほとんどの支店長が似たような損失を出している今、全てを降格させ、後任を立てられない程度に人材不足であれば、前者の可能性も十分にある。


「幸い、僅かですが商売の元手も目途が付きました」

「それを聞いて安心しました」

「安心、ですか。あぁ、失礼。来客の様だ」

「あぁ、私の使いです」

 挨拶も無く商会の扉を開けて中に入って来たのは、優斗がお使いを頼んだ少年だ。


 彼は指示通りある場所で受け取った手紙を優斗に手渡すと、駄賃を受け取ってそそくさとその場を去って行く。


「そう言えば先ほどお茶を出して下さったのは娘さんでしょうか」

「えぇ。家内でなければ多分そうでしょう」

「可愛らしい娘さんですね。お茶も美味しくいただきました」

「安茶しか準備出来ず、面目ない」

「いえいえ。高価な物より可愛らしい娘さんの淹れたお茶の方が美味しく感じる事もあります」

「そう言って頂ければ、娘も喜ぶでしょう」

 他愛のない会話を交わしながら、優斗は先ほど届いた手紙に目を通す。


 そこに書かれていたのは上手く行ったと言うアイタナからの連絡で、更にもう1枚はその詳細が記された書類だ。

 優斗はその内容に沿って、今から行う商談で使う手段を吟味し、最大の利益を得る為に同情と罪悪感を抑え込みながらそれを口にしていく。


「ところでシュタンさん。こちらで私と交わした契約は覚えていらっしゃいますよね?」

「は? いや、まぁ、覚えていますが。おかげさまでこんな状態になっている訳ですし」

「それでしたら話は早い。早速取引の日時を決めましょう」

「ちょ、ちょっと待て!」

 シュタンが立ち上がり、優斗に掌を向けて言葉を制す。


 優斗は律儀にそれに従い、何故シュタンが落ち着いていたのか、今になって慌てるのかと言う疑問を解消する為に、あえて疑問符が伝わる様な表情を作る。


「絹の取引の件は、既に終わった話でしょう!?」

「……それはどういう意味でしょうか?」

「優斗さん達が様々な言い分で絹の売買契約を交わして、それを依頼主であるロード商会がまとめて我が商会に請求して来たじゃないですか!?

 代金は何とか期日までに支払いました。ですからその契約は――」

「いや、大変申し訳ないのですが、私はロード商会の手の者ではないんです」

 優斗に言葉を遮られたシュタンは、その内容に唖然とし、口を半開きにしたまま固まる。


 とりあえず誤解の元が何か把握した優斗は、誤解を解きつつ現状を伝えるべく、言葉を続ける。


「私は私の判断でキケロ商会様と契約を交わしました。そしてこれがその証拠です」

 優斗が差し出したのは、2か月前にシュタンと交わした契約の書類だ。


 ギフトにより内容を保障されているそれは、調べれば契約がまだ生きている事、すなわち取引がまだ終わっていない事が判るはずだ。


「いや、そんな。でも、ありえ」

「契約内容は持ち込んだ絹と金貨145枚の取引です。何時までに準備出来ますか?」

「で、でででで、で」

 シュタンの顔が興奮で真っ赤に染まって行く。


 そのまま怒鳴りつけられるかと優斗は身を固くして身構えるが、予想ははずれ、シュタンは崩れ落ちる様に席に着くと、ギリギリ聞き取れる程度の音量で呟く。


「出来る訳、ない……」

「では、違約事項に則って違約金と補償をお願いします」

 その言葉に、シュタンの顔色が蒼白になる。


 契約に置いて、何かあった場合の違約事項を入れるのは、もしもの時に契約の権利を失わない為の知恵だ。


 今回、違約事項として記載された条文は、優斗が絹を持ち込めなかった場合、先払いの担保がキケロ商会の物となる事。

 そしてキケロ商会が持ち込んだにも関わらず買取をしなかった場合、先払い金を返却すると共に、別の売り先を斡旋する事になっている。これに期限は設けないが、契約から70日以上経過した場合、1日に付き金貨1枚の倉庫料兼補償を支払う。


 倉庫料は法外だが、それでもキケロ商会が健在であれば痛くもかゆくもない条件だ。しかし現在のキケロ商会ではそうはいかない。

 シュタンが直ぐにでも現金化出来そうな物を全て思い浮べ、支店を立て直す為に準備した私財も含めて全て足した結果、どうあがいても足りないと言う結論に達する。そして何より、この供給過多な市場で大量の絹を全て捌く事など、不可能に近い。


「これがロード商会のやり方か……」

「いや、違いますよ? むしろロード商会とは敵対関係にあります。あ、それなら評判が落ちるのは良い事なのか、な?」

 目の前で打ちのめされているシュタンの姿に罪悪感を覚えた優斗は、それを誤魔化す為にどうでも良い事を口にする。


 彼は優斗の軽口を欠片も信じておらず、この件をロード商会が公国に勢力を伸ばす為に打った一手であり、邪魔な商会の力を削ぐために支店を潰して回っているのだと解釈していた。


 そして反応すら示さなくなったシュタンに、優斗は漫画か小説家等で見た悪役の台詞を引用し、注意を引くと共に遠まわしに脅しをかける。


「可愛い娘さんでしたね」

「!?」

 効果は劇的で、シュタンは体ごと跳ね上がる勢いで顔を上げる。


 怒りと絶望をない交ぜにした表情で睨まれた優斗は、なんとか営業スマイルを維持し、余裕ぶってみせているが、内心では逃げ出したい衝動に駆られていた。


「失礼しました。今のは誤解されても仕方のない失言ですね」

「何が言いたい!」

「いえいえ。シュタンさんにはまだ、商会の建物に倉庫もあります。倉庫には大量の在庫もあると聞いています」

「それを売れと言うのなら無理だ。商会も倉庫も任されているだけで俺の物じゃない。住んでいた家はとっくに売り払って支払いにあてた」

「でしたら、在庫の方は?」

「先ほどようやく買い取り手が現れたが、額面は微々たるものだ。ようやく買い取り手が見つかって、それを元手に立て直そうと思っていたのに……」

「アイタナさん、やっぱり安く買い叩いたんですか?」

「あぁ。うちは倉庫を持っているから維持費がほとんどかからないとは言え、邪魔である事は確かだし、お金になるならそれにこし、って。は? いや、まさか」

「契約書に、どこで仕入れるかなんて書いてありませんから」

 膝から崩れ落ち、地面に手を付ついたシュタンが、優斗に聞こえない声量で、悪魔め、と呟いた。


 シュタンが知った優斗の計画。それは、取引に必要な絹を、キケロ商会で仕入れると言うモノだ。

 この計画の素晴らしい点は、2つの契約が成立すれば輸送費用を一切かけずに引き渡せる事だ。それは取引相手から見れば、シュタンの言う通りまさに悪魔の所業である。


「……何が望みだ」

「私が望むのは、キケロ商会様と契約通りの取引を行う事ですよ」

「頼む。それだけは勘弁してくれ」

「勘弁してくれ、と言われましても契約は既に交わしています」

「言いたい事は判る。だが、家内と子供達を差し出すくらいなら、俺は商会を敵に回してでも逃げるぞ」

 シュタンの様な雇われ者が支店長として全てを任される場合、いわゆる雇用契約をギフトを用いて結ぶのが通例だ。


 それは、逃げたり裏切ったりすればシュタンの契約権が失われ、商人として再起できなくなる事を示す。


 彼がそんな発言をしたのは、キャリー商会の繋がりに優斗の脅し文句を合わせて考えた結果、家族、その中でも女性である妻と娘を商会に売り渡せと暗に告げていると解釈したからだ。例え優斗がそれを実際に行う気が無いのだとしても、脅しとしては効果覿面だった。


「それは困りますね」

「だろう? だから1年。いや、半年待ってくれ。半年で支店を立て直し、少しずつ返済する」

「期限は設けていませんから、幾らでも待ちますよ。ただ、補償は定期的に支払って頂きますけど」

「いや、そうじゃない。新しく契約を交わし、その代わりにこの契約を取り下げて欲しい」

 シュタンが地面に頭を付けて懇願する姿は優斗が押さえている心を動かすが、それにもなんとか耐え凌ぐ。


 仮に現在の契約を完了する事なく半年待てば、優斗は先払い分以外に金貨150枚以上を得る事が出来る。1年であれば、その倍。更に時間が経過すれば、支払額は膨れ上がり続ける。

 故に優斗には現在の契約を取り下げて、新しい契約を結ぶ理由はない。ここに留まり続けるのであれば条件を付けて様々な融通を聞かせると言う手もあるが、優斗は既に東のルナールへ向かう事を決めている。だからこそ、買付資金のほぼ全てをこの契約に費やしている優斗は、まともに商売が続けられなくなると言う意味でもこの条件に乗る事は出来ない。


「それはさすがに虫が良すぎませんか?」

「判っている。だから出来る限り他の条件をのむ。何でもとは言えないが、俺に出来る事ならなんでもする。だから、どうか頼む」

「そう言われましても、私も手持ちの絹が売れないと色々と困ってしまう訳で」

 その、色々、に保管する倉庫代も含まれている事を察したシュタンは、言い返したい言葉と共に奥歯を噛みしめる。


 数秒の沈黙の中、優斗は憎悪と懇願のない交ぜになった表情で睨まれながら、己が取るべき手段を幾つか思い浮べる。


 シュタンの提案を受け入れ、新しい契約の交渉で最大の利益を出す努力をする方法。


 何が何でも支払えと押切り、彼ら一家を含む建物内の全てを売り払って、利益を出す方法。


 そしてそのどちらでもない方法。


「シュタンさんはキケロ商会の名誉に傷を付けない様に、そして支店を守る為に私財を投げ打ってまでロード商会に支払いを行ったんですよね?」

「あ? あぁ、その通りだ」

 虚を突かれて驚きながらも、シュタンは力強く頷く。


 優斗は手の中で契約書を反転させ、シュタンによく見える様に一点を指さすと、これは正当な商談であると自分に言い聞かせながら条件を付きつける。


「キャリー商会からお金を借りられるように口利きしてあげますから、契約書通りに取引を行いましょう。

 そうすればキケロ商会の名誉も守れますし、全て丸く収まると思いませんか?」


 あっさりとそう告げる優斗の営業スマイルが、シュタンには悪魔の微笑みに見えた。

 家族を盾に、女性奴隷専門の商会からお金を借りる事を迫られていると言う状況は、支払いが滞ればすぐにでも嫁と娘を売れと詰め寄られる可能性を孕んでおり、シュタンにとってはそれだけは譲る訳にはいかない一線だ。


 故にシュタンは、これは結局、嫁と娘を売れと言う事なのだと解釈し、優斗を睨みつける。

 しかし優斗はそれを意に介す事なく、説明を続ける。


「借りる額は金貨200枚か、もう少し多いくらいにして、残りを使って支店を立て直す、と言うのはどうですか?」

「そ、そんな事が出来るのか!? あ、いや。可能なのですか!?」

 優斗の提案が、僅かにシュタン有利な物に変化する。


 現在、ロード商会の強引な行動でどこもかしこも似たような状況に陥っており、既に潰れている商会もある中、落ち目の支店長であるシュタンにお金を貸してくれるものはいない。ここよりも返済出来る見込みのある、同じ境遇の商会は幾らでもあるからだ。よしんば居たとしても、その額は微々たるものだ。

 彼は既に商売の元手を得る為に東奔西走し、借金を断られた身だ。もちろん、キャリー商会にも足を運んだが、返事は芳しくなかった。


「色々と条件は付くと思いますけど、その辺りはアイタナさんと直接話して貰う方が良いかと」

「是非! 今すぐにでも!」

「基本的に、土地と建物を抵当に入れる事になりますが、よろしいですね?」

「なっ!? それは」

 土地と建物は、もちろん彼の所有ではなく、キケロ商会の所有物だ。


 そしてそこまで大きな決断を下す場合、支店長であるシュタン1人の判断で無く、商会の本店とも言える場所に許可を求める必要がある。そうしなければ独断と判断され、失敗した時の損害を彼が一手に引き受ける事になってしまう。


「ダメですか?」

「当たり前だ!」

「何でもする、と言いましたよね?」

「結果的に同じ事になったら意味がない!」

 最終的に、家族を守れないのであればシュタンにとっては意味がない。


 優斗は彼にとって家族を守る事が第一である、と言う点を把握し、その言葉が向かう方向も理解した上で、なるべく悪役っぽい笑みを浮かべて、選択を迫る。


「出来ないと言うのであれば仕方ありません。別の方法で支払って頂ける様、アイタナさんと相談します。

 さぁ、どうしますか?

 今ここで全てを失うか、守るべき者の為に失敗できない賭けに出るか。好きな方を選んで下さい」


 そう言って優斗は立ち上がると、扉に向かって歩き出す。

 シュタンはそれを引き留める言葉を探すが、何も思い付かない。


「では、明日にはお返事をお願いします」

「あ、あの」

「ん?」

 目の前の相手に集中していた優斗は、声をかけられた事でようやく店内に人が増えていた事に気付く。


 そこには書き物をしていた少年に加え、先ほどお茶を出してくれた少女が並んでこちらを伺っている。


「あの、私が着いていけば、いいんですか?」

「なっ!?」

「あー」

 少年が少女の襟首を掴み上げる。


 家族一丸となって商会を立て直そうとして、ようやく光明が見えてきた瞬間に、絶望を叩きつけたのは自分だと自覚している優斗は、罰の悪さに顔を顰める。しかも、その光明さえ優斗の生み出した蜃気楼に過ぎない。


「ふざけんな! 絶対に俺が許さないからな!」

「でも、でもお兄ちゃん。このままじゃ、家族みんなが」

「俺がなんとかする! それに、父さんや母さんだっている!」

 目の前で繰り広げられるやり取りに、優斗の良心が熱を持ち、ズキズキと痛む。


 優斗は目の前の兄妹に優しい言葉をかけ、視界の隅に居る商人と新たな契約を結ぶ事で、利益が目減りしてでも助けると言う手段に出たい衝動に駆られる。

 しかし、商売を、最大の利益を上げる事を優先すると決めたのだと、それを押さえつけ、その為にも目の前のソレを止めるべく、口を開く。


「あー、お嬢さん。申し訳ないけど、君1人が身売りしてどうにかなる額じゃないから」

「そ、そうなんですか……」

「それと、安易に身体を売って、返済の足しにしようとか考えない様にね? そんな事すると、その最終手段も使えなくなるし」

「へ? え?」

「それに大丈夫。君たちのお父さんが商売を成功させればいいんだから」

「父さんが無理だって言ったのに、お前はそれでもやれって言うのか!?」

 喰らいついて来る少年に、これは止めるより逃げる方が得策だと判断した優斗は、反転すると扉に手をかける。


 そしてシュタンに視線を送ってから扉を潜り、半歩だけ商会の外に出てから優斗は再度振り返って兄妹に向き直る。


「君たちのお父さんがそこまで無能なら、私は契約を完遂する為に全てを売り払って貰う事にします」

 彼らの反論を待たず扉を閉めると、優斗は逃げる様に商会の前から立ち去った。


 アイタナと合流する約束も忘れて宿に戻った優斗は、緊張の糸が切れた事でどっと沸き出た疲れによる眠気に耐えきれず、そのままベッドに倒れ込んだ。

後味の悪い商談を行う話でした。


今までだだ甘だった優斗くんには、優位にも関わらず精神的にキツイ交渉でした。


商談の行きつく先と、それに伴う一家の今後や如何に。

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