商いの境界
翌日の午前中一杯をかけて、優斗はを羅針盤を試作した。
用意した材料は銅と磁石になるべく透明な硝子、赤ワイン、そして方角を書き記した、コンパスカードと呼ばれる物。
まず、赤ワインを蒸留して不純物を取り除いた優斗は、精製された液体をシャオジーのギフトで水とエタノールに分離すると、それらを割合を変えて混ぜた物を幾つか作成する。そしてそれぞれで検証実験を行った結果、水が少し多めの物を採用する。
次に、職人に依頼して銅で器を作らせ、磁石とコンパスカードを配置出来る様に手を加えると先ほど作った液体で内部を満たし、硝子で作った蓋で密封できる様に微調整を行う。
最後に安定を保つために銅で大きな輪とU字型に土台を付けた物を1つずつ作り、先ほど完成した本体の両端に可動部兼接続部を設置して両脇から吊るすように配置すれば完成だ。
前日に大まかな材料と加工の手配をしてあったとは言え、正確な製法も、構造の詳細も知らない優斗によりたった半日で作り出された試作型羅針盤は、接合部の滑りの悪さもあり揺れを軽減出来る程度も低く、まだまだ改良の余地もあるのだが、今の優斗にはこれで十分だった。
ちなみに、急な金属加工の依頼であった為、実作業は工房で弟子として下働きをしている人間が行った。そのせいか表面の処理が甘く、全体的に少し粗が目立つ。
船上で使える羅針盤と言う物は、一見して多大な利益を生み出す様に見えるが実際にはその扱いはとても難しい。
まず、1つ手に入れれば構造を知る事が容易いと言う問題がある。製法を秘匿出来ないと言う事は独占が出来ないと言う事であり、大きな商会が量産を行えば、価格の面で勝つことが難しい。
かと言って、公国や王国の商会に高価格で製法を売る事も難しい。新型の羅針盤は船に1つ欲しい物ではあるが、なくても問題ない物でもある。公国や王国で船便と言えばそのほぼ全てが帝国を含む三国間を結ぶモノであり、近海での航行ならば陸を基準にすると言う手もある。漁師には陸を離れて漁業を行う者も多く居るが、彼らにはそこまでの支払い能力は無い。
優斗は三国の航海事情を知っていた訳ではないが、それでも独占が出来なければ個人で得られる利益が少ない事は理解していた。優斗はその問題をクリアする術を持っていないが、その代りにこれの価値を最も見出してくれる相手に心当たりがあった。
宿に戻ってシャオジー達と遅めの昼食を摂った優斗は、1人でその心当たりへと向かう。
『どうも、シーイさん、でよろしかったでしょうか?』
『あぁ、好き呼べ。で、お嬢様はどうした?』
『置いてきました』
予想外にあっさりと通された優斗を待ち受けていたのは、昨日コルト商会で会ったシーイだ。
優斗はシーイについて、シャオジーから大まかな人となりを聞き出していた。
シャオジーの説明を優斗なりにまとめると、こうなる。良く言えば上昇志向が強く、悪く言えば欲深い人間であり、即物的。商人としてはそれなりに優秀なので商会でもそこそこの地位に付いている。今回の商談は長期に渡って連邦を離れる為、シャオジーの父親が信用している大半の者は国内に残っており、それ以外の者はシャオジーと同じ船に乗り込んでいた。そして彼にとっては運よく、シャオジーにとっては運悪く、シーイは生き残りの船団の中では最も地位が高い。
『実はシーイさんと内密にお話したい事がありまして』
『俺も暇じゃないんだが、お嬢様のを連れて来てくれた恩人を無碍に扱う訳にもいかんからな。話くらいは聞こう』
『ありがとうございます』
丁寧に腰を折って礼を告げる優斗の態度に、シーイは満足そうに首を縦に振る。
シーイのご機嫌取りに成功した優斗は、営業スマイルから一転、少し困り顔を浮かべると、考えていたプランを実行する為、口火を切る言葉を紡ぐ。
『実は、彼女を送り届けたお礼の件なのですが』
『ん、あぁ。なるほど、そう言う事か』
その言葉を聞き、シーイは優斗の訪問を、あてが外れたのでこちらに集りに来たと判断し、ならば扱い易い相手だと考え、にやりと笑う。
金で動く相手ならば、幾らか掴ませて説得役を任せる事も可能だ。優斗の見た目からそこまで歳の差も無いだろうと予測出したので、くっつけて彼女がこちらに永住する様に仕向けると言う手も考えられる。それならば現地の商会と縁を結ぶ為と言う言い訳も出来るので、手を汚す事なくシャオジーを排除する事が出来る。
『何が望みだ?』
『約束したのは、連邦との取引における砂糖の独占契約でした』
『おいおい、それはさすがに』
シーイは優斗の馬鹿げた発言に苦笑する。
彼らが現在手掛けている商売は、国と国が行う貿易の代理に近く――たった1品であったとしても――一個人同士の約束で独占を行うなどと言う事は不可能だ。シャオジーはこの取引を、商会と優斗と言う個人の取引だと考え、受け入れたのだが、例えば王国が直接連邦に要請し、許諾されれば代理人である商会との独占契約など意味を持たない。逆らえば代理の地位を失い、下手をすれば営業停止。従えば契約違反で、商会の存続が危ぶまれる。
『当然、子供相手に無茶を言って見ただけです』
『まぁ、そうだろうな。俺ならそんな契約、絶対交わせん』
『私も、反故前提の契約を交わす気はありません』
そう言って2人が笑いあっていると、扉が叩かれる。
入って来たのは若い男で、シーイと同じく優斗がコルト商会で見た顔だ。
彼は手際よくお茶を机に置くと、無言で退室して行く。
『そこで、提案があるのですが』
『なんだ?』
『実は私、王国の隣国に当たるルナール公国の領主様と懇意にして頂いております』
優斗がそれを口にしただけで、シーイは優斗が何を言いたいのかを理解する。
それがもたらす利益と、手間を考えた結果、シーイは提案には乗るべきではない、と判断するが、続く優斗の言葉でその考えを改める。
『ユーシア領はここから北の、海に面した場所にあります』
『なるほど、そう言う事か』
シーイは、王国内を経由して公国に直接品物を売る事に関して、今の状態では手間と利益が釣り合わないと判断した。王国の港を使う以上、そちらの信用と義理もある。
しかし、優斗のもたらした追加情報が真実で、直接船で乗り込める場所であるのならば一考の余地がある。売り先が多ければ、そしてその両方が欲しがるのであれば、値段は容易に釣りあがる。
『王国の地図はお持ちですか?』
『海沿いだけな』
シーイの返答に、優斗は地形の情報を売れなかった事を残念に思いながら、準備していた地図を取り出す。
サリスよりやや南から帝国までの海岸線付近を書き写した地図には、サリスとオルド王国の首都、そしてユーシアの位置が書き込まれている。
『連邦からならば、距離は大して変わらないと思うのですが』
『確かにな』
シーイの返答に、優斗は内心でこっそりと安堵する。彼は連邦の大まかな位置すら知らないので、今の発言は完全にカマかけだ。
地図を見ながら、シーイは悩んでいる風を装う。実際に考えてはいるのだが、そのポーズの目的は優斗から自分の都合の良い条件を引き出す事だ。
『もちろん、独占などと言う気は御座いません。是非王国とも良い取引を続けて下さい』
『そりゃーそれはな』
『我々は連邦から買い取りたい物があります。そしてその代りとして、こちらの品物は勿論、それ以外にも技術を提供したいと考えています』
優斗はその言葉と同時に、机の上に試作型羅針盤を置く。
袋から取り出したそれを不思議そうに観察するシーイが、これは何だと視線を投げかけて来るまで優斗は無言を貫いた。
『これは?』
『これは羅針盤です』
『羅針盤?』
『船の上でも使える方位磁石ですね。最も、これは私の手作りですが』
手作りと言う言葉に、シーイはまた視線で疑問を投げかける。
それを待っていた優斗は、周りを見渡し、誰も居ない事を確認するジェスチャーをした後、声を潜め、重大な秘密を明かすようにそれを口にする。
『これはまだ秘密の技術なので、王国には持ち込めないんですよ』
『ほう』
『幸い、私は製法を知っていましたので、簡易ですが再現しました。机を揺らして頂ければ、性能は一目瞭然です』
優斗の言葉に促され、シーイが机を揺らす。
しかし、自分で机を揺らし、同時に羅針盤の表記を見ようと思えば、思い切り揺らしているつもりでも観察できる程度には緩くならざるを得ない。実際の船上ではもっと揺れが激しいので乱れる可能性が高いが、この程度であれば試作型羅針盤でも余裕を持って受け流す事が出来る。
『確かに揺れの中でも使えるな』
『でしょう? 正式な物ならもっと性能が良くなります』
『そうか。だが、それがどうした?』
シーイの言葉に、優斗は驚く。
予想していた反応の1つではあったのだが、外海へと商売をの手を広げている商会を乗っ取ろうとしている人間が、この技術の重要性に気付かない訳がないとも思っていた。
とは言え、対策と説明の準備はしてあった優斗にとって、驚きはしても慌てる展開ではない。
『常に正確な方角が判れば、遭難は減るはずです。今回、シャオジーさんが遭遇した様なモノは、特に』
『陸地や空を見れば方角は判る。それに、嵐に合えば操舵が効かないのだから同じだろう?』
『いや、それはそうですが』
優斗は呆れながらも次なる説明を頭に思い浮かべる。
同時に、目の前の男は商会に所属する一商人としてはそれなりに優秀でも、それ以外の事はイマイチなのだろうとも考える。分業による個々の得意分野を生かした効率化は、優斗にとって馴染みの深い事柄だ。
『磁石が使えないのは時化や嵐の時です。そうなれば、太陽も星も見えません』
『なら、地図と陸地を見比べればいい』
『陸の付近ならそれで良いと思います。でも、連邦からこちらまで来る時も、ずっと陸が見えていた訳ではないのではないですか?』
『あぁ、そういえばそうだな』
呑気な言葉に、優斗は自分で説明する事自体が無駄であると考え始めていた。
もちろんその場合の手段も考えてある。
例えば、彼と共にやってきた連邦の船乗りを連れて来て貰えば、羅針盤は大絶賛されるだろう。羅針盤によって買える安全を考えれば、得られる利益以上の絶賛をし、買い取る様に示唆してくれる可能性は高い。
『まぁ、別に買い取ってもいいが』
たかがそんな物かと言いたげなシーイに専門の人間を呼んで欲しいと伝えると、彼はしぶしぶながら先ほどの男を呼び、伝言する。
呼び出した人間が来るまでの間、次善の品を出しておこうかと考えた優斗だが、あまり無駄に手札を晒したくないと考え、しかし時間を無駄にするのは勿体無いと、世間話でもするかのようにそれを口にする。
『そう言えば、蒸気機関と言うモノをご存知ですか?』
『いや、なんだそれは』
『蒸気の力で歯車を回し、船に取り付けた外輪や車の車輪を回す装置の事です』
説明をしながら、しかし優斗はそれが彼に理解される事を期待していなかった。
ただ、優斗が彼らとは違う体系の技術を有しているのだと、それを知ってもらう為だけに、実機の準備すらしていない蒸気機関について口にした。
『蒸気と言うと、水を火にかけた時にでるあれか?』
『その通りです』
『あれで歯車が回せるのか?』
『水は水車を回します。それに火の力が加われば、そのくらいは造作もないと思いませんか?』
優斗には液体と気体が相互に変化する際に云々と言う説明をする気は無く、曖昧に問い返すにとどまる。
しかしその説明の何処かがシーイの琴線に触れていまい、予想外にも食いついて来る。
『その、蒸気機関とやらはここにはないのか?』
『すいません。残念ながらまだ試作段階の物でして。簡単な実証実験くらいしか出来ません』
『それでいい。見てみたい』
優斗にとって、中年の男が目を輝かせて迫ってくるのは、嬉しくないどころか気持ち悪くすらある。
仕方なく、優斗は水の入った薬缶と火に布、そして何か細い管状になっている物を準備して欲しいと告げると、シーイは自らそれらを探しに出て行ってしまう。
十数分後、シーイが優斗の依頼した品を携えて戻って来ると、薬缶の口に管を宛がい、蒸気が逃げ出さない様に布で厳重にぐるぐる巻きにするとそれに火にかけ、シーイが不在の間に不要な紙で折っておいた折り紙の風車を手に持つ。
『ほうほう、それで?』
『沸騰するまで待って下さい』
『わかった』
『シーイさんは、こう言った技術がお好きなんですか?』
優斗が漏らした疑問に、シーイがにかっと笑う。
そして懐から時計を取り出すと、ぜんまいを回してから優斗に見える様、掲げる。
『ばね仕掛けの時計だ。こんなもの、見た事がないだろう?』
『は、はぁ』
『ん? もしや王国にはないが、そちらの国にはあったりするのか?』
優斗が頷くと、シーイは少し残念そうに懐中時計をしまう。
その反応に、優斗は2つの意味で失敗した事に気付く。
1つ目は、公国で見た時計は柱時計や時計塔の様な建物に付属した物ばかりで、懐中時計の様な小さなものを見た記憶はない事。
もう一方は、シーイの機嫌を取る為にも驚き、褒め、煽てておくべきだったのでは、と言う事だ。
『お、湯が沸いたようだぞ』
『そろそろですね』
優斗は風車を管の先端に配置し、余った布を逆の手に持って薬缶の蓋を押さえると、管から蒸気が噴き出し、風車が回る。
その光景はシーイもある程度予想していた様で、優斗に向けられた視線から次に何が起こるのか期待しているのが判るが、優斗にそれ以上の準備は無く、この先は口頭のみでの説明となる。
『これをもっと大きな装置で行い、風車の代わりにシリンダーと言う機械を取り付けます』
『シリンダー?』
『はい。それが噴き出す蒸気の風を歯車の回転に変えるのです』
ここからは機密ですので、と誤魔化した優斗に、シーイは期待外れだと言わんばかりの視線を投げかける。
優斗はそれに怯む事なく、言葉を続ける。その態度には、蒸気機関に関してわざと間違った説明をしている事への気負いは見られない。
『他にも我々は様々な技術を持っています。連邦の方々より進んでいる、とは言い難いですが、方向性の違う技術は色々と役立つはずです』
『俺は自動的に動く物は好きだが、研究者じゃないんでその辺はどうでもいい』
『お金にならないから、ですか?』
『そうだ』
優斗が次の話をどう切り出すか考えていると、部屋の扉が叩かれ、シーイの返事で初老の男が入って来る。
男はシーイよりもかなり年上の様に見え、背も高く体格が良い。
『呼んだか、シーイ』
『おう、船長。おせーぞ』
『娘の土産を買いに出るっつっただろーが。戻って来ただけでもありがたく思えや』
ぞんざいでもそこそこ丁寧にしゃべるシーイと違い、船長と呼ばれた男の言葉遣いは荒々しく、優斗には完全に聞き取る事が出来なかった。
それでも、彼が誰で、どういう目的でここにやって来たかは判っているので問題は無い。
『お前に見て欲しいもんがあるんだとよ』
『なんだそりゃ? 俺は目利きなんてできんぞ』
『そんなもん、お前には期待してねーよ。おい』
『はい。船長さん、こちらです』
優斗が羅針盤を差し出すと、船長はまず外側の輪を指先でなぞり、次に爪で硝子面を覗く。
そしてそこが方位磁石となっている事に気付くと、指を差して問う。
『で、これはどんな磁石なんだ?』
『時化や嵐の中でも正確な方角を調べられる、羅針盤と言う物です』
『そりゃまた、胡散臭いもんだな。おい、シーイ。実際んとこどうなんだ?』
『こんな感じだ』
シーイは船長を机の前へと移動する様に促すと、先ほどと同じ様に羅針盤を揺らす。
机は先ほどよりも強く揺れており、優斗は、表面上は営業スマイルを浮かべつつも試作型羅針盤は大丈夫だろうかとはらはらしながらその光景を見つめる。
検証が始まって数分、揺らしても安定し続ける試作型羅針盤の指し示す方角が実際に正しい事を確認した船長は、優斗が予想した通り興奮気味にシーイに詰め寄る。
『おい、シーイ。これは絶対買え!』
『なんだ、そんなに良い物なのか、これは?』
『良い悪いじゃねぇ。これがありゃ、確実に航海の時間が短くなる。遭難だって減るぞ!』
『……そんな都合の良いもんなのか?』
『あぁ、ここと連邦を何度も往復してる俺が言うんだから間違いねぇ。陸も空も見えなくても方角がわかるんだぞ!?』
『そ、それはそんなに凄い事なのか?』
興奮しすぎて顔を真っ赤にする船長に、シーイは若干引きつつも頭をかく。
先ほど、こんなものと馬鹿にした品がここまで絶賛されている事に、シーイはどう対応すべきか悩む。
優斗の目の前で船長に羅針盤を見せた事も迂闊だった、とシーイは考えたが、そこまで重要な品なら借りて行く事も出来なかったので結果は同じかと開き直り、優斗に向き直る。
『何が望みだ?』
『私とシーイさんが、最大の利益を得る事です』
そのまま持ち帰ってしまいそうな船長からやんわりと羅針盤を奪い返すと、優斗はそれを袋に仕舞う。
そして一旦シーイから視線を逸らすと、名残惜しそうな船長に向かい、言葉をかける。
『すいません。これは私が即興で再現した粗悪品なので、あまりみられると恥ずかしんです』
『あれが粗悪品だと!?』
『正式な作り方をすれば、嵐の中でも確認できるくらいの精度になります』
『おぉ』
優斗の言葉は真実ではあるが、正式な作り方を知る方法は無いので、騙しても居る状態だ。
そんな状況でも優斗は変わらず営業スマイルを浮かべ、本題とも言うべき交渉を始める為、シーイに向き直る。
『この地で白い肌と髪が尊ばれている事は知っていますか?』
『あぁ、まぁ。うちの商会が選ばれた理由の1つらしいからな』
『シャオジーが一家で来た理由、と言う訳ですね』
『そうなるな』
優斗の唐突な話題転換に、シーイは不思議そうにしながらもしっかりと返答する。
余計な茶々を入れられなかった事で、優斗の口は滑らかに嘘の事柄を口にし続ける。
『実は領主様がシャオジーさんの外見をとても気に入りまして。是非彼女の商会と取引がしたいと』
『あぁ、なるほど。お前は領主のお抱えだったのか』
『ご想像にお任せします』
シーイの少し脱線気味の指摘を受け流しながら、優斗の心臓は彼の予想に反して静かに脈打っている。
それを自覚した優斗は、嘘を付き、相手を騙して利益を貪ると言う行為に自分が緊張していないのだと判断し、意外な一面を発見した気分になる。
『ですからこの技術は、既にシャオジーさんの経営する商会に渡す事になっているのです』
『だから手を引け、って訳か?』
『いえいえ。ここからは私の独断なのですが、聞いて頂けますか?』
『聞くだけ聞いてやろう』
『ありがとうございます。
では、シーイさん。この地で商会を開きませんか?』
優斗の突飛とも言える提案に、シーイは唖然とする。
そして彼が立ち直るのを待つ事無く、優斗はその詳細な内容について説明して行く。
『シャオジーが商会主になるように計らい、その交換条件として投資させるんです。そして王国に入って来る連邦の品を一手に引き受ける。
連邦に残った方々を相手取って商会を乗っ取るより、安全で確実な上、利益を自分の懐に入れる事も容易いですよ?』
シーイの心が揺れている事は、優斗の言葉に反応する1つ1つの挙動から容易く把握出来た。
故に優斗は、攻めすぎは疑いを濃くする可能性があると、少し緩急をつける為に軽い口調で次の言葉を口にする。
『もちろんそれはあくまで王国内の話で、公国の方は私が窓口です。
どうです? お互い、お金になる話でしょう?』
優斗がにんまりと笑うと、シーイも引きつり気味ではあるが口元が笑みを形作る。話が思いもよらぬ大きさに膨れ上がった事に驚いているのだろう。その反応から、優斗はもう1押しだと考え、言葉を続ける。
『もし、未開の異国で商会を発足させ、成功を収めれば歴史書に名が載るかもしれませんね。仮に大成功をおさめ、王国での影響が強くなり、連邦にとって有利な取引を行えるようになれば、英雄、とすら呼ばれる事もあり得るかもしれません』
金と名誉。
これ以上に魅力的な物は少なく、今、手を伸ばせばそれを得られるかもしれない。しかも、失敗しても出資相手は海の向こう。捕まる前に金を持って逃げ出す事も可能だ。シーイはそう考え、生唾を飲み込む。
『提案は魅力的だ。だがな、お嬢様が俺に投資をするとは思えないのだが?』
シーイの指摘は、もっともな事だ。
例えそれまで信用していた相手であっても、シェアを奪う形で商会から独立する人間に対して積極的に投資を行う者は少ない。そしてシーイは、どう見ても彼女に好かれていない。
『シャオジーにはもう話がつけてあります』
『本当か!?』
『はい。
人員は必要最低限だけ、出向と言う形でシーイさんの方に。そして積荷の半分を投資と言う形で引き渡す、と言う事でどうでしょうか』
シーイは優斗の言葉を口の中で反芻し、何処か穴が無いか、騙されているのではないかと思案しているが、興奮しきった頭は相手の気が変わる前に早く頷けと急かしている。
そんな状態のシーイが変更を指摘した点は、たった1点だけだった。
『投資じゃダメだな』
『何故です? 失敗しても全額を返済する必要が無い、シーイさんに優位な条件だと思うのですが』
『成功は大前提だ。だからこそ、成功した後に口出しされる方が問題だろう?』
『なるほど、そう言う考え方もありますね』
『俺は商会を持ってまで便利な請負をやる気はねぇんだ。だから金は借りる』
『失敗した時は考えない、と言う事ですか?』
『心配すんな。すぐに返してやる』
興奮気味に自信満々なシーイに内心で呆れながら、優斗は考える。
シーイの読み通り、彼の立ち上げた商会を投資金を盾にシャオジーが連邦から連れてくる信用できる人間をねじ込んで子会社化してしまおう、と言うのが優斗の考えていた一番理想的なパターンだ。それを外される形になり、どれを次善の手に据えるべきか決めると、優斗は再度笑顔を張り付ける。
『では、私が資金を準備し、お貸しする形でよろしいですか?』
『は? 積荷の半分じゃなかったのか?』
『実は、シーイさんの信用出来る者を何名か商会に残す事でご指摘の点は解決できると考えていました』
『おいおい、まさか投資でなけりゃ金は出せないとか言うんじゃないだろうな』
『私は言いませんが、シャオジーは言うかもしれません』
『話は付けてあるって言ったよな?』
『はい。ですから気が変わる前に話を付けたいところなのですが』
優斗が困り顔で告げた言葉に、シーイの表情に少しだけ焦りの色が浮かぶ。
そして焦ったシーイは、優斗が誘導する前に彼が求めていた言葉を口にする。
『まぁ、金の出どころはどこでもいい。だからお前から借りる事でかまわん。ちなみに、どっから出すつもりだ?』
『私がシーイさんに貸したと言う証明書を商会に譲渡する形を取りたいと思っています。私に貸すのだと言う建前であれば、シャオジーも説得しやすいと思いますので』
『あぁ、なるほどな。それならお前が間に入るだけで、最終的には商会から借りるのと同じ訳だ』
『えぇ。ですからそのつもりで契約内容を決めて貰えますか?』
『そうだな』
『私としましては、前金と引き換えに船と積み荷を引き取った後、売り払ったお金で残りを支払おうを考えております』
『妥当だとは思うが、前金は準備出来るのか?』
『もちろんです。むしろ、その程度準備出来ない様では、信用して頂けませんでしょう?』
『ふ。確かにな』
話がまとまる方向に流れ始め、優斗はこれ以上の長居は無用と考え、一旦ここで話を切るべく立ち上がる。
まだ詳細を詰めていない上に正式な契約書の作成は現金を準備してからだと考えながらも、優斗は一旦的な交渉の成立の意思表示として手を差出し、シーイがそれに応える様に握り返す事で握手を交わす。
握手を交わしながら、シーイは先ほど見た蒸気機関の事を思い出していた。そして羅針盤と言うあれ程の絶賛を受ける物を作成した技術力を持つ相手ならば、本当に優斗の言う通りに実現するのではと思え、どうにかそれを手に入れたい、と言う思いが浮かんでくる。
『ところで、羅針盤と蒸気機関の事なんだが』
『申し訳ありませんが、羅針盤は先約がありますので"直接取引をする事"は不可能です。そして蒸気機関は、こちらはすいません。まだ開発中の物なので』
『そう言うな。あぁ、もちろん羅針盤はそれで構わない。だが、蒸気機関をどうにか頼む。完成したら、で構わない。金はちゃんと払う。どうだ?』
『そう言われましても、私の判断では』
『完成したら優先的に買付をすると言う契約するだけだ。代わりに、借用契約書をこの場で作っても良い』
『は、はぁ』
『お嬢様の説得が楽になるだろう?』
シーイの提案を、優斗は頭の中で吟味する。
現金の借用契約は基本的に、幾ら貸して、何時までに幾ら返すと言う事を明記するのが基本だ。とは言え、契約書である為ある程度の条件付けが可能であり、何時何処で幾ら渡し、それをどのような形で返すか、と言う方式を取る事も出来る。もちろん後者の場合、貸付をしなかった時には貸す側、今回で言えば優斗の契約違反となる。
それらを加味して考えた結果、優斗はこれが自分にとって一方的に有利なものだと判断する。ユーシアで蒸気機関の開発を行っていると言うのは嘘であり、開発をしていない技術が完成する事は無い。故に、優斗が開発の途中経過報告、技術供与等を条件に盛り込ませず、ただの優先買付契約として締結する事が出来れば、空手形となる。
『こちらにも条件があります』
『なんだ?』
『契約書類は2言語分、同じ内容のモノを準備し、2通に大きな差異があった場合は無効と言う文章を添えて下さい』
『良いだろう。我々は対等であるべきだからな』
大まかな部分の交渉が成立し、優斗とシーイは細かい条件を詰め始める。
譲渡前提の借用契約書と、優斗の所属内で蒸気機関が開発された場合の優先買付契約の書類が各2枚ずつ作られた頃には、辺りは既に暗くなり始めていた。
優斗くんがシーイと商談する話でした。
これにより誰にどんな利益、ないし不利益が発生して最終的に誰が一番儲ける結果になるのでしょうか。