選択の道標
騙されていた事に気付いた優斗がまずとった行動は、その場の収集を付ける事だった。
『一度仕切り直しませんか?』
『悪いが、部外者は黙っていてくれ』
『私は構わないのですが、このまま続けると取引先に悪い印象を与えてしまいますよ?』
優斗の指摘に、シーイがはっとしてタガルを見る。
言葉が通じないとは言え、険悪な雰囲気を感じ取ったタガルがげげんな顔をしている事に、しまった、と言う表情を浮かべたシーイを見て、優斗は外堀を埋めに行く。
「すいません、タガルさん。ちょっとした行き違いがありまして」
「は、はぁ。そうですか」
「コルト商会様と禍根を残す事なく契約を交わす為にも、一度出直そうと思うのですが。もちろん、私としてはこの商会の良いところを余すことなく伝えるつもりです」
「そう言う事でしたら、仕方がありませんね」
土壇場で反故にされた形であるにも関わらず、不満な顔を見せる事なくそう告げるタガル。
優斗がそれを通訳されているシーイに視線を送ると、しぶしぶと言った体で頷くのを確認してから、極力シャオジーの方を見ない様に彼らに退室を促す。
商会を出ると彼らの馬車が停まっており、乗り込んでいく2人に後日優斗達の方から訪ねる約束を交わして逗留先を尋ねてから、優斗達は宿を探した。そして高すぎず、しかし正面通りに面した安全そうな宿に部屋を取ってしばらく休んだ頃、優斗はようやくシャオジーを正面から見据えた。
『とりあえず、ワケを聞いてもいい?』
『……何かあったらそう名乗れって、お父さんとお母さんが』
俯き気味になりながらそう告げたシャオジーの手は膝に置かれており、僅かに震えている。
優斗は消えそうな表情を営業スマイルを浮かべる事で誤魔化し、なんとか取り繕いながら続く言葉を待つ。
『売るより送り届けて褒美を貰う方が良いと思わせれば無下に扱われる事も、無体な事をされる事ないだろう、って。礼金くらいいくらでもなんとかしてやるから、って』
それは彼女を心配する親の愛情であり、同時に彼女にとっては遺言でもある。
そんなか細い少女の弁明に、普段の優斗であれば同情し、優しい言葉をかけて手を差し伸べたはずだ。しかし、仕方がないと思いつつも、無意識ではフレイに裏切られたと感じていた優斗は、身代わりの様に縋り、守っていた相手が自分を欺いていた事を簡単に許し、受け入れる事が出来なかった。
『俺は信用されてなかった訳だ』
『そんな! こと、は』
迷い込んだ異国の地で初対面の男を信用しろ、と言うのは無茶な話だと優斗は理解している。
そして自分が全面的に信用し、彼女の事を最優先に行動していたからと言って、相手にも同じ事を求める愚かさも知っているつもりだったが、静かに湧き出し続ける感情が理性的な思考を阻害し、それが正しいのだから仕方がないと納得する事が出来ない。
『商会を乗っ取られたみたいだけど、約束の物はどうするつもり?』
『それは、その』
段々と涙声になって行くシャオジーに、子供を嬲っている状態であると気づいた優斗は、少しだけ冷静さを取り戻す。
優斗は感情に流されてきつい態度でシャオジーを責めてしまった事を反省する。しかし彼女を許し、受け入れると言う選択も出来ず、ならば自分はどう言ったスタンスを取るべきかと考えるが、良い案は浮かばない。
『その、実は提案、と言うかお願いがあるんです』
『ん、何?』
優斗から責める様な雰囲気が消えた事を敏感に察知したシャオジーは、今が好機と提案を口にしようとするが、自分の言葉が怒りの再燃を招くのではと恐れ、逡巡する。
しかし言わなければ始まらない。そう考えると意を決して立ち上がり、恐る恐るそれを口にする。
『商会を取り戻すのを手伝って欲しいんです』
『お礼が欲しければ手伝え、って事?』
『そうじゃないです! いえ、そうなんですけど……』
胸元で指をこねくり回すシャオジーの仕草を見ながら、優斗は己の発言がまたきつすぎた事を反省する。
そして申し訳なさそうな泣き顔から一転、何故か恥じらうような仕草で顔を赤くすると言う豹変ぶりの意味と意図が掴めず、真意を探ろうと目を細める。
『私は商会主の娘ですから、一応、跡を継ぐ権利があるはずなんです』
『そうなんだ』
『でも、仮に私が跡を継いだとしても、私はまだ商いの事に詳しくないので、結局は実権をシーイに握られてしまうと思うんです』
優斗は想像する。
シーイが連邦に戻った時に商会主が死んだので跡を継ぎましたと伝えれば、不信感を買う可能性は高い。商会主の娘であるシャオジーが存命であるならおさらだろう。ならば間をおいて冷静になったシーイがシャオジーをお飾りの商会主としようと考える可能性は、低くない。それが嫌ならば、シャオジーが国に戻れない様に仕向けるか、彼女を養子にする等によって縁続きになると言う方法もある。年齢差を無視するなら婚姻でも良い。
『だから私に、優秀な商人の伴侶が居れば解決するんじゃないかな、って』
『なるほど』
優斗は、道理だ、と考え、想像を続ける。
シーイと言う中年商人は、シャオジーの能力の低さを理由に跡を継ぐことを拒否した。それを覆す良い手ではあるが、逆に厄介な相手と謀殺される可能性も孕む、危険な方法でもある。それは現在でもあり得る可能性であり、今日、彼らに付いていかなかった理由の1つだ。
そこまで考えながら、優斗は彼女の真意に辿り着く事はなく、次の言葉を聞き、驚く。
『だから、その』
上目使いで見つめるシャオジーと優斗の視線が交錯する。
しかしそれは一瞬の事で、すぐにシャオジーが俯き、目を逸らすが、何かを決意してまたすぐに顔を上げ、真っ直ぐに優斗を見据える。
『私を貰ってください』
『は?』
虚を付かれて間抜けな表情を浮かべた優斗だが、それでも思考は止まらない。
シャオジーが望む伴侶は腕利きの商人であり、彼女から見て大量の荷物の販売を委託されている優斗がそれに該当する人物であると誤解していてもおかしくない。更に言えば、この地の人間で両方の言葉を話す事が出来る優斗は、この地に販路を作ろうとしている商会にとってはとても都合の良い人間だ。
優斗がその可能性に思い当たらなかったのは、自分が商会を経営できるだけの手腕がある優秀な商人だとは露程にも考えていなかったからだ。
『お礼の代わり、と言うだけじゃないです。その、ですから全部優斗さんの好きに。もちろん、取り戻した商会も』
『いや、ちょっと待って』
『何でも、聞きます。優斗さんの言う事、何でも。ですから、お願いです』
シャオジーの懇願に、優斗の感情が少しだけシャオジーに傾く。
優斗は自分の右手が無意識に内にシャオジーの頭を撫でようとした事に気付き、はっとする。
そして先ほどまでとは真逆の感情に流されそうになった事に歯噛みしながら、シャオジーの提案を冷静に判断すべきだと考えた優斗は、感情的な部分を極力排し、事実だけを抽出し始める。
『他に条件は?』
冷静に、事実だけで判断する方法として、優斗は無意識に慣れた手法を採用する。
昨今の優斗にとって最も馴染み深い手法。すなわち、商取引における利益と損益による判断。
故にまずは全条件を聞き出すべきと考えた優斗の反応に、受け入れてくれるのでは感じたシャオジーは、嬉しそうに、それでも真面目な声色で質問の答えを口にする。
『私の子供に跡を継がせてくれれば、それ以外は何も』
『それはまぁ、何というか』
シャオジーの出した条件は、それ以外は何も、言う言葉とは裏腹に簡単なモノではない。
シャオジーは全てを優斗の好きにして良いと言ったにも関わらず、それらに制限をかけた形になる。商会を売り払う事は出来ず、シャオジーに子を産ませなければならない。誰との、と言う指定はなかったが、優斗が商会を経営するのであればそれは明白だ。
『どうでしょうか?』
シャオジーの不安げに揺れる瞳を覗き込んだ優斗は、その視線を下側へとスライドさせると、舐める様な視線で彼女の身体を観察する。
わざと下品に振舞った優斗の行動に、シャオジーは嫌悪感を抱く事もなく恥ずかしそうに目を伏せ、むしろ小振りな胸を両腕で寄せて強調すると、優斗に差し出すかの様に突き出す。
シャオジーの年齢は12歳と優斗よりも9つも年下だ。容姿はそれなりに良く、今はまだ全体的に小さくて幼いが、将来有望である事はほぼ間違いない。とびきりの美人になるかは不明だが、一定水準以上の良い女になる事は確実だ。
シャオジーは勘違いと思い違いにより、優斗に好意を持ち、最善の相手だと思い込んでいるのだ、と優斗は判断する。見知らぬ異国の地で唯一言葉が通じる相手に優しくされれば好意を持つのは不自然ではない。優斗の特殊な立場から、その能力を大きく見積もり過ぎてしまった事も。それらは優斗にとって優位に働く誤解だ。
しかし、実際に商会を経営する能力が無い以上、報酬である大規模な商会の主と言う立場は、魅力的なモノではない。それどころか突然割って入った事で不評を買い、己の身を危険に晒す可能性がある。
『悪いけど、その提案には乗れない』
『私の事、嫌いですか? 嘘を吐いていたからですか? それとも――』
シャオジーが早口で捲し立てるが、言葉が乱れたせいもあり、優斗にはその半分も理解出来なかった。ただ、必死な形相と縋る様な視線から、内容を想像する事は難しくない。
返答の来ない問いを続けていたシャオジーが、がっくりと項垂れてベッドに横たわる姿を視界の端に捉えながら、優斗は別の事を考えていた。
シャオジーが優斗を欺いていたと知ってから、頭の隅でずっと考えていた事。それは生きる為の道標にして、拠り所について。
真っ先に思い浮かんだのは、一番多くの時間を過ごした、最も大切な女性。
優斗は、アイツへの思いだけを抱いているべきだったのではないか、と自問する。だがすぐにそれは、フレイと言う存在によりあっさりと揺れた弱いモノであり、実現できたとは思えないと自答する。そしてそんな自分には既にそんな資格はないのではないだろうか、とも。
次に思い浮かんだのが、この地において帰る場所をくれた少女。
しかし、最大の拠り所だと感じていた相手が去り、女性、むしろこちらの人間全般を不信気味の優斗には、利用価値があったからこその言葉ではと言う疑心が拭えない。屈託なく笑った彼女がそんな人間でないと理性は訴えているが、今はまだ恐れの感情が強い。
『シャオジー』
『なんでしょうか!?』
声かけられたシャオジーが、もしや気が変わったのではと期待を抱いて顔を跳ね上げる。
しかし、優斗の心が自分を欺いていたと感じているシャオジーと、心の底では彼の元から逃げてしまったと感じているフレイに本当の意味で寄りかかる事はない。
『提案がある』
『はい!』
弾むシャオジーの声に、優斗は少しだけ罪悪感が浮かぶが、無視する。
裏切られる前に裏切ろう、と決意するには優斗は善良過ぎ、騙されても信じ続ける程強くもなかった。
そんな彼が選んだ心の寄る辺にして支えとは、先ほど無意識に選び取った行動でもある、商売、と言うモノだった。すなわち、利益と損益を比較し、利が大きくなる様な判断を行う。己の倫理観を完全に捨て去れるとは考えていないが、その比率を出来うる限り前者へと傾ける。
そしてそれを実行するべく、優しい表情と声色でか弱い少女の心に這い寄る。
『シャオジーが商会を取り戻すのに協力する代わりに、お礼を上乗せして貰う、でどうかな?』
『是非!』
甘い甘い優斗の甘言に、シャオジーは一瞬の躊躇もなく飛びつく。
優斗は優しい笑みの裏側で、交わすべき条件について思考する。そして連邦との取引を行う好機があればと、念の為準備していた用語メモを取り出して目を向ける。
『じゃあまず、商会を取り戻す、の定義をしよう』
『えっと、どういう事でしょうか』
『例えば、取り戻すのが商会の名前だけなら、あちらに別の名前を名乗るように交渉するだけで済む』
優斗の例えに、シャオジーは首を横に振って否定する。
商会を取り戻す、の定義。それは優斗にとって、クリア条件の設定に他ならない。
優斗としてはこれを定めないと、シャオジーが納得するまで付き合う事が必要になり、彼女のさじ加減によっては終わりが無くなってしまう。
『全部、取り返します』
『そう。それなら手伝えない』
決意を込めて言葉を発したシャオジーに対し、優斗は協力すると言う宣言をあっさりと覆す。
それを受けて青ざめる彼女に対し、優斗は柔和に微笑みかけながら、その手を頭の上に乗せ、優しく撫でる。
『目標が無いと取り掛かれないでしょ?』
『あ、そ、そうですよね!』
『最終的にどうしたいのか、ゆっくりでいいから考えてみて』
優斗の言葉から即座に協力を拒否された訳ではない事を読み取ったシャオジーは、優斗がまたそれを口にする前にと急ぎ、焦りながら思考する。
優斗の方は相手の余裕を奪い、冷静さと慎重さを削ぎ取った上で都合の良い方向へ思考を誘導する為に次なる手を打つ。
『考えてる間に、お礼について話そうか』
『はい!』
シャオジーは優斗の提案を、考える時間が稼げると考えて即答で肯定する。
一度は全てを捧げる覚悟を決めたシャオジーにとって、優斗がどんな条件を出そうとも――商会の存続を脅かさない限り――肯定する以外の選択肢は存在しない。故に基本的に思考の片手間で済む、と言う彼女の考えは、当然ながら優斗も判っている。そしてそんな事を許す優斗ではない。
『最初の条件通り、とりあえず砂糖が欲しいんだけど』
『それはもちろん大丈夫です』
『商会がこの大陸へ持ち込む砂糖を全部、って言っても?』
それはいわゆる、独占契約と言うモノだとシャオジーは把握する。
商家の娘であるシャオジーは、それが大きな利益を生む事を知っている。しかし同時に、独占で主に不利益を被るのはそこから買う側であり、優斗に売る側の商会は、利益が減る事はあっても損をする可能性は低い。故に彼女は、買取価格に関する条件がなければ、一品程度なら問題ないはずだ、と考える。
『独占契約と言う事で良いんですよね?』
『そう考えて貰って構わない。平気?』
『もちろんです』
上手くやればお互いに利益を得られる条件の提示に、シャオジーは優斗の事を、やっぱり優しい人だ、と心の中で評した。
そして、シャオジーが取り戻すべきモノを考える為、完全に思考をそちらに向けようとした瞬間を狙い、優斗はその条件に一言追加する。
『後はシャオジーの条件次第で品目を増やす』
『え?』
『協力内容とお礼は釣り合う様にすべきでしょ?』
その言葉を受け、シャオジーは片っ端から上げていた取り返すべきモノについて、再度検討を行う事となる。
砂糖が欲しい、と言う条件は半ば以上、王国までの送迎で達成されている。
故に、シャオジーはこう考えた。この後出す取り戻したいモノ1つにつき、1品目ずつ増えて行けば、この地では優斗としか商売が出来なくなる可能性がある、と。
『細かい事は、取り返すモノと、その方法を考えてから話し合うと言う事で良い?』
『……はい』
今のシャオジーに選択の余地はなく、迷いながらも肯定する。
そして、まずは取り戻したいモノを優斗に告げ、難易度とそれに伴う品目の増加数を確認してからでも取捨選択を行うのは遅くないと考え、それらを口にしていく。
『いいですか?』
『どうぞ』
『まず、商会の経営を取り戻したいです』
『それは大事だね』
それに対する難易度や方策について口にする事なく、優斗は無言で先を促す。
その行動にシャオジーは、判断を後回しにしてひとまず次を伝えてみようと考え、次々とそれらを列挙していく。
『従業員の人や、船、商品も取り戻したいです』
『それは全員?』
『もちろんです』
『シーイって商人も?』
『あ』
優斗がそう指摘すると、シャオジーはようやく全て取り返すと言う言葉の曖昧さに気付く。
その反応に、そもそも経営者たる彼女の父親が居ない時点で元通りにする事は不可能だ、と考えた優斗だが、それを口にする事はしない。
『1つずつ確認するよ』
『はい。すいません』
『うん。じゃあ、まずズウェイバー連邦にある本店と、あるなら支店と交易ルート、と言うか商圏かな。ついでに資産全般はまだシーイの管轄に入っていないと考えて良い?』
『多分、はい』
『じゃあ、あっちに残った従業員も同じとして、こっちに付いてきた従業員と持ってきた品物は取り戻す?』
『はい』
『既にシーイの息がかかった相手だとしても?』
優斗の指摘に、シャオジーはまた頭を悩ませる。
そして優斗の言葉を、シーイを追い出した後の事まで考えてくれているのだと考えたシャオジーから自然と笑みが零れる。
実際に優斗は、商会のその後についても考えているが、その理由の大半が、シャオジーの権力が強い方が取引相手として有利だろうと言う公算から来ている。
こうして優斗の思惑など知るはずのないシャオジーが、彼への好感度と信頼度を上げた結果、シャオジーは優斗の思惑通り、彼に助言を求めると言う行動に出た。
『元通り、商売を続けられる様にしたいんです』
『そう。それなら、シーイより先に国へ戻って、連邦の本店で後を継いだって宣言すると言う手もあるけど、あっちに信頼できる人は居る?』
『います、けど。でも、そうするとシーイはそのまま?』
『そうなるね。でも、今まで通りの商売は出来るはず。大きな商会が、1つの取引に全てを投じているとは思えない』
『でも、それは……』
『商会を乗っ取られない様にするには、最善の方法だと思う』
今回の事態の発端は事故であり、ならば商会主であるシャオジーの父親がその対策をしている可能性は高いだろうと優斗は考えていた。むしろしばらく国を離れる上、ある程度危険の付きまとう長い船旅をするのだから、当然の備えだと言える。
故に優斗にとってこの手は、シャオジーが商会主にならずとも彼女の父親の遺志に沿う事が出来る為、シャオジーが納得し易く、解決だけを望むなら労力が少なく済む良い手だ。
もちろん、労力が少ない分だけ見返りが少なくなる可能性も高い。特に前商会主を含むシャオジー一家を良く思わない人間に経営権が渡れば、砂糖の件すら反故にされる可能性がある。
『でも、あれはお父さんの物です』
シャオジーは散々迷ってから、絞り出すように言い放つ。
今回のシャオジーの言葉は、感情的な部分から発せられている。シャオジーは子供ではあるが、聡い。だから優斗が最善と告げた事をある程度理解した上で、捨てられない、ではなく、捨てたくない、と言っているのだろうと優斗は考える。
感情論を理路整然と是正する事は難しい。感情論を覆す事が出来るのは、さらに大きな、もしくは強い感情である、と考える優斗は、己が望む状況を作り出す為に考え、言葉を探す。
『商売と言うのは、究極的にはお金だ』
『だったら、あれにかかったお金は!』
『うん。だから、お金は取戻しつつ、あちらを切り捨てる、と言う事でどうかな?』
優斗の提案に、シャオジーは縋るように先を求める。
その後、優斗が畳み掛ける様に口にしたプランの全てを理解出来なかったシャオジーだが、それにも関わらず頷き、この件の全てを優斗に託す事となった。
シャオジーとの話し合いが終わった優斗は、絶対に部屋から出ない様に、そして誰も部屋に入れない様に厳命すると、彼女を残してコルト商会へと向かった。
理由はもちろん、船の積み荷を売る為だ。
「おや、優斗様。話し合いの方はよろしいのですか?」
「どうでしょう。私は参加できる立場にありませんので」
「またまた、ご謙遜を
それで、今回はどの様なご用件で?」
タガルとあいさつを交わした優斗は、応接室の机に積荷の一覧を乗せる。そして少し困った顔をすると、紙の上から指先で机を叩く。
「もちろん、商談に」
「それはそれは。ありがとうございます」
「実はこれらの商品、実際に仕入れた物でして」
「あぁ、なるほど」
タガルはにやりと笑い、優斗もそれに倣う。
タガルは未だに、優斗の事を連邦の人間だと勘違いしている。両方の言葉を話せる人間が王国に数えるほどしかいない以上、その誤解はある程度仕方のない事だ。
そしてタガルは、優斗がコルト商会の見極め役だとも誤解しているが、優斗はそれをあえて訂正しておらず、故にタガルは実際に積荷まで準備するほどの徹底ぶりにも関わらず、それを見破る事が出来たのだと言う自負を持っている。そう推測した優斗は、それを利用して彼に、ここで優斗に恩を売っておくべきだと判断させるよう、仕向けた。
「これが商品の目録と証明書です」
「中々良い買い物をされたようですね」
「この国では隣国の品が流行していると小耳にはさみましたので」
「その通りです」
優斗の持つ情報は、全て資料の受け売りだ。
奴隷による大規模農園が存在する王国では、貴族達がそれを下賤な庶民の食べ物だと揶揄し、主に平民が農業に従事している公国の品を好む傾向がある。昨今ではそれに拍車がかかり、奴隷の手を介さない品物を競って購入する風潮が現れ、公国品の人気と価格が上がっている。
「ほとんどの仕入れは行商人からで、積み込みや荷下ろしは船員が請け負う予定です」
「なるほど。優斗様は商売がお上手だ」
奴隷の手を介さない、と言うのは勿論輸送も含まれる。
これに実際に介していないかと言う点は重要ではなく、それを保障するモノが存在する事こそが売り先である貴族達には重要だ。
タガルは優斗が差し出した証明文書に目を通しつつ、普段の買取許容額を思い浮べ、その最大値を口にする。更に上乗せしなかったのは、不自然過ぎる価格設定で逆に不信感を与えたり、侮られたりしない様にと言う配慮であり、最大値を選んだのは優斗の誘導通り、恩を売っておくべきだと判断したからだ。
優斗はその結果に満足し、表面上はそれが当然だと言わんばかりの態度で交渉成立を宣言する。
「荷物の引き取りは明日の午後以降で構いませんか?」
「えぇ、もちろんです。優斗様のご都合の良い時間を指定して頂いても構いません」
「いえ、その条件で日時はお任せします。その時に品物の確認をして頂き、再度詳細な交渉を行うと言う事で」
「それには及びません」
タガルの言葉に、優斗は少し驚く。
目録と現品の差異や、品質の確認は重要な事だ。
優斗は品物を見て指摘を行いつつも値引かない事でさらなる恩を売って来るだろうと考えていたが、その予想ははずれた。
「品質に関しましては、優斗様を信用しております。明後日の早朝に荷馬車を港へ向かわせますので、そちらに積み込みをお願いできますか?」
「わかりました」
「支払いもその時にさせて頂く、と言う事でよろしいでしょうか?」
「では、荷馬車と共にこちらに伺わせて頂きます」
一瞬、現金でなく引き換えに特産品を、と告げようとした優斗だが、なんとか踏みとどまる。
優斗がこのままコルト商会で取引をする場合、タガルの勧めるモノは連邦で売れる品物に偏る事になる。そして、それ以上に厄介なのが、勘違いを指摘しないまま商談を行う必要があるので、リスクが高い。
公国へ帰る船の積み荷の買付も任されていると言う事実を告げても良いのだが、話が大きくなればなる程シーイの方に話が漏れる可能性も高くなり、別の意味で嘘が露呈する可能性も高くなる。
「では、また明後日に」
「はい。よろしくお願いします」
こうして無事に交渉を終えた優斗は、タガルにこの件は他言無用だと告げると、席を立つ
その言葉に、更なる恩が売れたと内心でほくそ笑んだタガルに見送られて商会を後にすると、優斗は港へと向かう。そして船に乗り込み、割り当てられていた船室へと入る。
「2人とも、宿に移動するから準備して」
「はい」
返事をしたリーチャと無言で準備を始めたチェーゼを横目に、優斗は自分の荷物を全て持ち出す為の準備を始める。
優斗は当初、自分とシャオジーだけが街の宿に移り、2人にこの部屋を使わせる予定だった。
それは折角整えた外見を、納屋や厩で過ごさせて汚される事も、奴隷2人分の宿代を支払うのもどうだろうと考えた結果だ。
「ちょっと事情が変わったから、2人にはシャオジーの世話を頼みたい」
「わかりました」
「あぁ」
優斗はこの2人をコルト商会に売る際に、品目から外していた。
理由は幾つかある。
例えば、彼らの口から自分の本当の身の上がバレる事を懸念した、とか、奴隷を介さないと言いつつ奴隷を取り扱っていれば、手伝わせたと思われるのでは無いかと考えた、とか。
その中で最も大きなモノは、シャオジーの護衛だ。
シーイからすればシャオジーは邪魔者以外の何者でもない。彼がどう言った人間か知らない優斗だが、強硬手段にでる可能性を考慮しない訳にはいかないのだ。何せ、こちらから事を構えるつもりなのだから。
「準備出来た?」
「はい」
「あぁ」
忘れ物が無いか確認した優斗は、荷物を持つと言うチェーゼの言葉を受けて全て手渡すと、手ぶらで船室を後にする。
2人を先導して宿に向かいながら、優斗は今後の予定について頭を巡らせる。
考えているプランは大まかに3つ。本命はもちろん、予備の2つの内容、そして移行する場合の手法、予想される問題点とその解決策を考えながら、宿に到着して2人にシャオジーを任せたらすぐにでも行動を開始しようと考え、足を速めた。
優斗くんが決意する話でした。
利益優先と言う理論武装しながらもやはりどこか甘い彼は、どれだけの利益を掴み取る事が出来るのでしょうか。