海路の先に
数時間後にようやく会えた船長の反応は、優斗にとって思わしくないものだった。
食事を摂っている彼を捕まえ、酒の小瓶で釣った優斗が船長に依頼したのは、積荷の保護に関する事柄だ。いくらかの手間賃で積荷に手を出さない様に通達して貰うつもりだった優斗は、船長が親切心で告げた言葉に頭を抱える事になる。
曰く、積荷が多少零れたり、零れたモノがどこかに行ってしまったとしても、目録に掛かれた品目が揃っていれば問題ないと言うのが暗黙の了承である。もし、完全な状態でと言うのであれば、積み込みから見張りまで、そちらで人員を準備して貰わなければならない。その場合、当然ながら一定以上の人数は乗船料を別途支払う事になる。
船長は直接口に出さなかったが、船員の行動まで完全に御するのは不可能だと言うのが最大の原因だ。実際、目録には何が入った箱が幾つで袋が幾つと書かれているだけで重量等の表記は無く、よほど大きく目減りしていなければ気づく事が出来ない。そして今回の様に、目に見えて減らないモノについても証拠が残りにくい為、そう言った事が起こる可能性はそれなりにある。
呆れ顔の船長と別れた優斗は、奴隷2人をどう扱うべきか悩みながら、3人の待つ部屋へと向かう。
言葉は通じずとも、数時間とは言え優斗が用意していたトランプやダーツ等で遊んで交流を深めたせいか、シャオジーは優斗への同伴を申し出ず、逆に留守番を買って出た。単純に遊んでいたかっただけと言う可能性は高いが、彼らが居れば1人で行動出来ると言う事は、優斗にとって良い事であり、同時に他の人間との交流はシャオジーにとって良い事だとも優斗は感じていた。
シャオジー1人を置いて行った事に関しては、この数時間で2人が彼女を傷つける様な事はしないだろうと判った事に加え、チェーゼがリーチャに向ける視線から、まるで妹を心配し、見守る兄の様な態度だと感じとった事も理由だ。リーチェを無理やり、と言う話で信用出来ないと感じていた優斗だが、何か事情があったのかもしれない、と思える程度には警戒を緩めていた。
『ただいま』
『おかえりなさい』
優斗の想像していた以上に揺れる船内で出来る暇つぶしは多くない。
優斗が部屋に入った時に行われていたのは、出て行った時と同じくダーツだった。部屋が狭い為、ベッドの上に座ったまま壁にたてかけた的に向かって投げる形を取っている。
木彫りの的に金属製の矢、そのどちらも元々はフレイと遊ぶ為に、トランプのカード部分等と共にカクスの街でオーダーメイドした品だ。ちなみにトランプは、絵柄を書き込んで貰う予定だったフレイが居なくなった為、出発の直前に優斗の手で仕上げられた。
トランプにはまだ少ししか手をつけておらず、現在、延々と行われ続けているダーツの腕前は、上から順にチェーゼ・リーチャ・優斗・シャオジーと言った具合だ。
チェーゼは普通に投げるとイマイチだが、銅製の矢でギフトを使うと精度が異常に高い。
次ぐリーチャは、機械の様に正確に動作を繰り返し、全て似たような場所へと投げ込むが刺さったり刺さらなかったりする。
優斗に関してはそれなりに的にあてるが、力を込めると外し、狙い過ぎると木で出来た的には刺さらない為、的中率は低めだ。
延々とダーツを続けている原因であるシャオジーは、最初は床や壁に穴を空けていたが、今は保護の為にひかれたボロ布と言う名の元・服にしか被害が行かない程度には上達している。
全員が徐々に上手くなってはいるが、木の的に穴が開き過ぎたせいで的に当たっても弾かれたり、刺さらない事が多くなっている。
『続き、やりましょう』
『その前に休憩。何か飲もう』
ダーツを通じて実は負けず嫌いだと判明したシャオジーは、不満そうにしながらもしぶしぶと頷く。
水の心配が無くなった事で果汁が腐るぎりぎりまで保持し続ける理由が無くなり、優斗は早々に消費してしまおうと、杯に果汁を注ぐ。元々、優斗とシャオジーの分しか準備していなかった為、先ほど手渡したままの皮袋を取り出すシャオジーを横目に、杯は奴隷2人に差し出す。
「……飲んでもいいの?」
「ん? もちろんいいけど、果汁は苦手だった?」
「いえ、その」
「奴隷にこんな高いもん飲ませるのか?」
「高い?」
果汁は一般に流通している物であり、平民でも手を出せる安い飲み物だ。
しかし水しか与えられないのが彼らにとって普通の感覚であり、優斗の感覚では安い物であっても、お金がかかる物を奴隷に与える場合、なんらかの意図がある事が多い。
その最たるモノがフレイの様に連れ回す、いわゆる愛玩用や連れ合い替わりに使う事だ。一緒に食事をする為に作法を教え、味を覚えさせ、見栄えを整える為に栄養を取らせる。
病気等で栄養が必要な場合にも与えられる事があるが、それはまた例外的な話だ。
「リーチャ、さっさと飲んどけ」
「うん」
優斗の不思議がる表情から、金持ちの道楽だと判断したチェーゼは、リーチャにそう促すと気が変わらない内にと杯の中身を一気に飲み干した。
休憩が終わるとまたダーツを再開する事になり、その後も食事と睡眠、暇つぶしとしてダーツやトランプ、揺れが少ない時にはオセロをやったり、会話するくらいしかない旅路が6日目を迎える頃、4人それぞれの立ち位置も定まり始めていた。
優斗はシャオジーと唯一話せる人間として会話相手になりつつ、こちらの言葉を教え始めた。奴隷2人には思うところもあり、積極的に干渉しない。
シャオジーは優斗から言葉を学んだり、誰かとゲームしたりしながらのんびりと過ごしている。
リーチャはシャオジーの身の回りの世話と遊び相手を行い、自分から優斗には近づく事はない。
チェーゼは優斗を警戒しつつ、しかし当初とは打って変わって不興を買わない様に大人しく、従順にしており、よく見張りと称して部屋の前で1人になっている。
優斗にとってこの生活で一番の問題は、夜だ。
チェーゼは見張りをするのだと主張して銅の棒と共に扉の外で眠っているのだが、リーチェはシャオジーの寝台で眠っている。もちろん、どちらも船長の許可は得ており、主にリーチェを部屋に置く事に下世話な笑みで了承した。
リーチェとずっと同じ部屋で過ごしているだけでも、彼女の色香にどきりとする事のある優斗にとって、無防備に眠る姿は目に毒だ。きっと何をしても抵抗らしい抵抗はないだろうと言う予想も含めて、優斗は悶々とした夜を過ごしている。眠る時間をずらすか、船倉に返すと言う案も思い浮かんだ優斗だが、一緒に寝る人がいると安心すると言うシャオジーから彼女を取り上げる事も、自分が代わりに抱き枕になる事も出来ず、10日間の辛抱だと耐え忍んでいるのが現状だ。
『今日は揺れがすごいですね』
『だね』
揺れが大きすぎればゲームは難しく、必然的に会話か勉強の時間になる。
しかし、今までにない大きな揺れ方に不安を感じた優斗は、同じくそれを感じ取っており、自分以上に恐れているであろうシャオジーの為に船長を尋ねる事を決める。
「おう、客人。今忙し、いや、あんた、あれもってねぇか」
「あれ、ですか?」
何人かの船員に囲まれた船長に、まるで祈りを捧げられる教祖様のようだと言う感想を抱きながら、優斗は退いてくれた船員に軽くお礼を告げると、輪に割って入る。
何が起こっているのかと船長の手元に視線を向けると、そこには方位磁石が吊るされた紐が握られていた。
「この揺れで方角が調べらんねーんだよ。あぁ、心配せんでも漂流するこたぁねぇぞ。根性でなんとかする」
「根性って」
苦笑する優斗の頭に思い浮かんでいたのは、羅針盤と言う言葉だった。
優斗の専門ではないが、むこうで船に乗った時に運転席にあった巨大な物を見た事があり、彼の弟の要望で受けた説明を大雑把に解釈すると、密封した液体の中に磁石が入っており、それを吊るす事で揺れから守っている、と言う事だった。液体はアルコールと水を混ぜて粘度調整をしている、と言うところまでは思い出した優斗だが、さすがに細かいところまでは記憶していない。
「部屋にあるので取ってきます」
「おう、わりぃな」
部屋に戻り、シャオジーを安心させてから方位磁石を持って再度船長の元へと向かう間、優斗の頭の中では様々な事が渦巻いていた。
まず、羅針盤の構造を少しでも思い出そうとし、同時に羅針盤が開発出来れば得られる利益についても考える。そしてこの船になくともこちらで羅針盤が開発されている可能性はあると考え、ひとまずシャオジーとチェーゼ、リーチャは知らない事を確認する。
「どうぞ」
「おう、助かる」
「いえいえ。ところで、船の上でもっと便利に使える物とか、ないんですか?」
笑顔を浮かべながらも手に汗を握る程緊張しながら問うた優斗に、船長が顔ごと視線を向ける。
そしてにかっと表情を崩すと、声を上げて笑う。
「んなもんあったら、とっくの昔に買っとるわ」
「ですよねー」
優斗は笑顔を返しながら、拳を握る。
陸に到着するまでの残り4日間にやるべき事を手にした優斗は、苦心して方位の確認を終えた船長から磁石を受け取ると、足早に部屋に戻るのだった。
到着予定日を少し過ぎた頃、船長から明日には到着するだろうと伝えられた優斗は、部屋に戻ると扉の前に立つチェーゼを見つけた。
「また見張り?」
「着替えるから外に出ていろと言われた」
チェーゼの言葉を受け、自分も入室する訳にはいかない事を知った優斗は、彼の隣に立ち、壁に背を預ける。
奴隷2人は十数日の間に少し血色がよくなり、服も彼らに合わせてありものを繕った為、以前よりも見栄えする姿になった。
元々、安く買い酷使される肉体労働系の奴隷であるチェーゼは働く事が無いにも関わらず十分な食料を与えられたおかげで心なしか肉が付いた様に見え、リーチャの方は髪の艶が良くなり、梳かしてまとめている為、以前よりも小奇麗に見える。
「そういえば」
「なんだ?」
「リーチャとはどんな仲なの?」
間を持たせると言う意味合いの強い優斗の質問に、チェーゼは訝しげな表情を浮かべる。
奴隷の人間関係を知ろうと言う人間がいない訳ではない。だが、そう言った人間は総じて自分達が楽しむ事が目的であり、詮索される当人にとって好ましくない事態に発展する事が多い。チェーゼ自身、それによって迷惑を被った経験のある人間であり、自然と警戒してしまう。
「同じ場所に居た。それだけだ」
「それだけにしては仲が良い、って訳じゃないけど、なんか兄妹見たいって言うか」
優斗の告げた感想に、チェーゼは、ふっ、と鼻で笑う。
仮とは言え持ち主に対してそんな態度を取れば、罰を与えられる事は想像に難くない。それを身を持って知っていたチェーゼは、しまったと言う表情を浮かべ、ここ数日で緊張と警戒が緩んでしまった事を自覚する。
もちろんその程度で優斗が彼を罰する事は無く、彼もそれを知っていたが、売られていく身としては今後に関わる事なので、危機感を持って反省する。
「兄が妹を犯すか?」
「それ、何か事情がありそうな気がするなと」
根掘り葉掘り聞かれれば、正確に言えば言えと命じられれば拒否権の無いチェーゼが優斗を煽る様な事を言ったのには理由がある。
優斗と言う名の商人は甘い人間であり、同時に職務を異常なまでの真面目さで全うしようとする人間でもある、とチェーゼは考えていた。ならば同情を買い、上手く立ち回れば同じ場所に売るくらいの融通は利かせてくれるのでは、と彼は目論んだ。
優斗の方はと言うと、特に深く考えずに発言していた。人身売買と言う己の倫理観に反する行為を積極的に行う必要がある事に加え、フレイの件もあり、奴隷については考えない様にしていると言うのが正確だ。とは言え、忌避感は既にかなり擦れて薄れ始めている。
「兄妹、と言ったな」
「うん。そう見える」
「俺にそんな資格はない」
「理由を聞いても?」
「持ち主の言葉に逆らう程、俺はばかじゃない」
優斗が無理に言う必要が無い事を伝えるよりも早く、チェーゼは同情を買えそうな事実を選んで口にしていく。
奴隷として初めて売られた場所では、顔を知っている程度だった事。
盗賊に囚われ、余興として何度か交わる事を強要された事。
それが切っ掛けで共に過ごす時間に話をする様になり、情が移った事。
「アイツと一緒に居る為なら、俺は何でもする」
チェーゼの言葉は半ば本心から出たモノでもあったが、打算も含まれていた。
盗賊に囚われている時に聞いた、あいつは女を出汁にすれば働くから扱い易い、と言う陰口。それが事実ならば、優斗がセットで売り込む為の口実になり、共にいられる可能性が上がる。逆にそこに付け込まれて引き離される可能性もあるが、チェーゼは優斗の甘さならばその可能性は低いだろうと予想していた。売られた後の事に関しては、売り先の相手を見てから対処するしかない。
「はぁ。良い話だけど、面倒が増えたと言うか」
「そうか?」
チェーゼは自分の策略が上手く行っている事を確信し、内心でほくそ笑む。
会話はついでに体を拭いていたと言う女2人の、もういいよ、と言う声で終了となり、男2人が中に入ると同時に優斗の退室で中断したゲームを再開する事になる。
予定よりも数日遅れで王国へと到着した優斗は、酒と女を浴びるほど食らうと宣言して出て行った船長を見送ると、資料にあった商会の1つへと向かう。
荷物の運び出しは明日の昼以降で頼むと船長に頼まれていたが、中を見せる許可は得ているので問題ない。
『じゃあ、行こうか』
『はい』
シャオジーに声をかけ、優斗がまず向かったのはコルト商会と言う、大商会だ。
最近、珍しく、目新しい品を取り扱い始め、羽振りが良くなっていると言う情報から、連邦と関係する情報が聞けるのでは、と考えての行動で、シャオジーの同行はその為だ。
コルト商会は港近くにあり、徒歩で向かった2人は長く歩く事なく、目的地に到着する。
「すいません。ちょっとよろしいでしょうか」
「はい、なんでしょう」
「私は公国からやって来た商人で、優斗と言います」
優斗の自己紹介に、店先を掃いていた小僧は優斗と同種の笑みを浮かべる。
反応を見る為に敢えて黒髪を隠さずにやって来た優斗は、それを見ても笑みを崩さない事に、さすが大商会、と感心しながら、少し早口で目的を告げる。
「荷物の買取、と言うか査定をお願いしたいのですが」
「荷物はどこにありますか?」
「船の中に」
優斗がそう告げると、小僧は不思議そうな表情を浮かべた後、少々お待ちください、とだけ言って店内へと消える。
そして戻って来た時には先ほどよりも少しだけ緊張した面持ちで優斗を応接室へと案内する。
「どうも、ようこそおいで下さいました。私はここの支部長を務めております、タガルと言います」
「商人の優斗です。お見知りおきを」
タガルは隣のシャオジーに気付くと眉を潜め、フードを取ると一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、すぐに商談用の笑みを張り付けると、2人をソファーへと促す。
タガルは30前後と言った風体で、大商会の支部長と言う大任を任されている事から、そこそこ若くともやり手の商人なのだろう事が伺える。
そのタガルの指示で3人分のお茶と、シャオジーにだけ高そうな菓子を出され、配り終えた女性が部屋から出たタイミングを見計らって、優斗が口を開く。
「今回、査定して頂きたい品は公国産の茶葉や食材です」
「それはありがたい。是非とも買わせて頂きたいのですが、その前にお聞きしたい事があるのです。よろしいですか?」
「もちろんです」
こちらも聞きたい事がある、と告げるべきか悩んだ優斗だが、話を聞いてからの方が優位に進められるだろうと判断し、口を噤む。
目録すら見ていない状態で問われる質問について幾つかの予想を立てながら、優斗はお茶を手に取ると一口だけ含み、唇を濡らす。
「船で来られたにも関わらず、何故我が商会に足を運んで下さったのですか?」
「それはもちろん、査定をして頂く為です」
「それだけでしたら、こちらが出向くのを待っていれば良いはずです」
タガルの言葉に、優斗は内心で焦り、しかし表情は変えない。
船で物を運び、売る場合の常識を、優斗は知らない。誰も教えてくれなかったし、調べる余裕もなかった。
そして優斗は、この失敗が招く事態を想像する。
まず、自分が不慣れな、付け込みやすい商人と思われ、侮られる可能性。見た目からしても十分にあり得る事だが、これならばやり方次第で実害は最小限で済む。
そして、商品に問題があるのではと考えられる可能性。査定に出向くと言う事は、直接品物を見て貰えると言う事であり、それを避ける事は品質に自信が無いと勘違いされても仕方がない。
しかし優斗の目の前にいる商人はそのどちらとも違う想像をし、提示した。
「間違っていたらすいません。もしや、そちらのお嬢さんに関する事柄ではないでしょうか」
「……何故、お分かりに?」
「我が商会は王国最高を自負しております。一度でも取引した相手の訛りや口調はもちろん、聞きなれぬ言葉であってもある程度は覚えております」
その言葉、と言う指摘に優斗はシャオジーへと振り向く。
彼女がここに入ってから口にした言葉は、Oh、とか、nice、等の呟きのみ。そのどちらもお茶とお菓子への感想だ。
「きっとこれは私達を試す為に設けられた場で、貴方は公国ではなく、連邦の方。違いますか?」
「あー、いや。その」
自信満々に言い放つタガルに、優斗は返答に窮する。
それを早くも図星をつかれたから困っているのだと解釈したタガルは、得意げに自分の予想とその根拠を並べ立てる。
「現在、専属契約を話し合っている商会がどの程度なのか調べようと言うお考えだったのでしょう。しかし、この大陸の常識に疎い事が裏目に出ましたね。
さらに言えば、お連れのお嬢様の持つ真っ白な御髪。我が国にこの様に神々しい姿の少女が居たのであれば、間違いなくどこかの貴族様に召し上げられます。国王に献上される可能性すらあるでしょう」
矢継ぎ早な言葉に、優斗はどう言いつくろうべきか悩む。
しかしある意味好都合だと考え、どうすべきか判断の参考にしようと、シャオジーに声をかける。
『ここの商会、連邦の商会と話し合い中なんだって』
『本当ですか!?』
『うん』
タガルを無視しての会話となるが、彼はそんな事を気にするどころか、やはり、と嬉しそうに、自慢げな笑みを浮かべている。
密談めいた行動にタガルが気を悪くしていない事を確認した優斗が、この後の事についてシャオジーに尋ねようとした瞬間、扉を叩く音が応接間に響いた。
「今は大事な来客中だ。躾がなっておらず、申し訳御座いません、優斗様」
「いえ」
「すいません、ですが、その、例の方々がお付きになりました」
「おぉ、そうか。では、こちらに通せ」
商談中に別の客を同じ部屋に通す、と言う行動に驚いた優斗がその理由を問うよりも早く、タガルが口を開く。
「同僚方もお付きになりました。我々は取引相手として合格点だと告げて頂けると嬉しいのですが、どうでしょうか」
「いや、それは誤解で」
「あぁ、もしや貴方様の立場が悪くなってしまう事を懸念しておられるのでしょうか。もしそうなったとしても大丈夫です。我が商会にて相応の地位を準備させて頂きます」
「ですからそうでなく」
「当方でも両方の言葉をつかえる人間を育成してはおりますが、やはり仲立ちして下さる方がいないと捗らないのが現状でして。むしろ是非我が商会に入って頂けませんか?」
優斗が否定し、タガルが的外れな事を言う。
そんなやり取りを数度交わした頃、扉が静かに開くと2人の男が応接間へと入って来る。
1人は中年の男。それに続いてもう1人、若い男。
若い男は中年の男の従者か弟子なのだろう、付き従うように後ろに張り付いたまま部屋の中へと入って来る。
「どうも、ようこそおいで下さいました」
『おう、今日はよろしく頼む』
「ヨロシク頼ム、との事です」
3人のやり取りから、優斗は若い男が通訳である事を理解する。
同時に優斗は、彼らからはソファーの背もたれによって死角になっているだろうシャオジーの肩がびくりと揺れた事に気付く。
どうしたのだろうと表情を覗けば、シャオジーはどうすればいいのか困り、焦った表情を浮かべている。
『どうも初めまして、ズウェイバー連邦の商人の方ですね』
『おぉ、既にこちらの言葉をしゃべる男を準備しているとは、王国の商人も中々やるな』
中年商人が楽しそうに笑い、言葉を理解出来ないタガルも上機嫌に笑う。
座ったままでは失礼だと立ち上がった優斗に、中年商人は無遠慮な視線を向けて観察しながら自己紹介を始める。
『俺はシーイ。知っての通り連邦の商人で、今回の商談相手だ』
『私は優斗と言います。そちらの御姫様を連れてきた、この商会とは関係のない、単なる商人です』
優斗は、姫じゃなくて皇女だったか、と思いながら彼女を見下ろす。
優斗の視線の先では、何か決意を固めた様な表情のシャオジーが拳を握っていた。そして優斗の視線に気づくと、一瞬だけ泣きそうな表情を浮かべた後、一転して堂々とした態度で立ち上がる。
『シーイ、久しぶり』
『は? 何故貴方がここに!?』
『それはどうでも良い事でしょう。それよりも、今、どうなっているのか教えて』
シーイと呼ばれた中年商人が、シャオジーの言葉に動揺する。
その姿を見て優斗は、悪代官と言う言葉を連想した。
偉い人間がいなくなり、好き勝手やっていた人間が真打登場で手打ちとなる、と言うのはよくある筋書だ。
そんなシーイはすぐに表情を取り繕うと、強気な笑みを浮かべ、シャオジーへと言葉を返す。
『すいません、お嬢様。部外者に機密を漏らす訳にはいかないのですよ』
『私が部外者、ですか?』
『私は商会に仕えているのであって、貴方に仕えている訳ではありません。商会の主であるヂィも公私混同はしないはず』
うっ、とシャオジーが小さく呻く声が聞こえ、優斗は援護射撃すべきか頭を働かせる。
結果、事情が分からない人間が口を出すのは、かえって迷惑がかかる可能性が高いと考え、故に優斗はどんな要件ならこちらに話を振って来るか、と言う予想をし、その対処法についても考えて置く事を決める。
『お連れの男に見覚えは無いので、我が商会の者ではありませんね?』
『この方は私を助けてくれた、隣国の商人です』
『そうでしたか。ところで、お嬢様だけしかいない理由をお聞きしても?』
シャオジーが歯を食いしばり、首を横に振る。
それは拒否ではなく、既に他の人間は全て亡くなったと言う意思表示だ。シーイはそれを受け、残念そうな表情を浮かべながら、歪む口元を隠すべく、手で覆う。
『それは残念な事に。お嬢様だけでも無事でよかった』
『だからと言って商会を乗っ取れると思ったら大間違いです』
今までに見た事の無い凛々しさと力強さを見せるシャオジーに、優斗は無言で感嘆する。
同時に、判明している事柄から現在の構図を確認する為に情報の整理も行う。
シャオジーの船に乗っていたヂィと言う名の商会主。彼が行方不明である事を良い事に、シーイと言う中年商人が商会の乗っ取りを目論んでいる。そしてシャオジーはそれを好ましく思っておらず、なんとか阻止しようとしている。優斗は大雑把にそう理解した。
それは大筋において正しく、しかし致命的な間違いを孕んでいた。
『お父さんの商会は私が継ぎます!』
『なりません。商会の利益を考えれば、商会主の娘だからと言って安易に継がせる訳にはいきません。きっと貴方のお父様も同じ事を言うはずです』
優斗はシャオジーの叫んだ言葉の意味を、瞬時には理解出来なかった。
シャオジーは皇女であり、父親は皇帝その人だと優斗は聞かされていた。しかし今、シャオジーの口から漏れ出た言葉が真実ならば、彼女は商会主の娘だと言う事になる。
『皇帝からの委任を受けたのは貴方のお父様ではなく、我が商会なのです。無様な結果を出せば存続にも関わりましょう』
『それはっ!?』
言葉に詰まったシャオジーが、無意識に優斗の方に視線を向ける。
シャオジーが声にして助けを求める事はせず、しかし縋る様な、それでいて申し訳なさそうな表情を浮かべた事で、優斗は確信した。
彼女は嘘を吐いていたのだ、と。
少女が異国の地で吐いた嘘が露呈する話でした。
そして傷心の優斗くんが色々な人に翻弄される話でもあります。