エゴと想いの境界
翌朝、優斗は未だフレイの戻らない部屋で目を覚ました。
あれから日が沈むまで町中を探し回った後、灯りの確保と既に戻っていないかの確認の為に宿へ戻った優斗は、少し休憩を取っている間に眠ってしまった。
前日はシャオジーの件もあり、寝不足であったとは言え、自分の不覚に優斗は歯噛みする。
「戻ってないか」
荷物を確認し、まだ眠っているシャオジーの部屋にもその姿が無い事を確認すると、優斗は階段を下りて食堂へと向かい、朝食の準備をしている大将に声をかける。
「すいません。フレイは戻ってきませんでしたか?」
「どうした?」
「その、ちょっと」
「俺は見てないが、どうした。喧嘩でもしたのか?」
「そんなところです」
優斗は内心の焦りを極力表に出さない様に気を付けながら、同じ質問を通りかかった女将にもぶつけるが結果は同じ。
2人にお礼を告げ、背後からかけられる声を無視して優斗はまた街へと繰り出す。
数時間、当てもなく探し続けた優斗だが、結果は芳しくない。
この世界には写真と言うモノが存在しない為、聞き込みを行う事が格段に難しく、その上フレイの持つ金髪碧眼はありふれ過ぎている。美人等の目立つ容姿ならば別だが、ごく一般的か、それよりも少し良い程度の容姿を持つフレイの特徴と言えば、幼く見える容貌くらいだ。それも、実年齢を知らなければ判りえない。
優斗は既に何度か訪れている奴隷管理局へと向かい、別れてからの足取りを再度追い始める。
聞き込みにより、フレイはここから宿のある方面へと走って行った事が判っている。他にも、何度か利用している露店の店主や雑貨屋の店員から情報を得ているが、見た時間の情報が曖昧で、逃げ出す前の事なのか、後の事なのか判断が難しい。
優斗は全ての情報を整理し、フレイの行動順を予想しながら、捜索を続ける。
宿の方に向かったが、宿には戻っていない。宿までの道程には大通りを横切る場所もあり、クシャーナの式典関係で宝石の買付やドレスの注文をする為に普段よりも馬車が多いと聞いていたので、念の為事故がなかったかも確認したが、該当するモノは存在せず、ほっとしたと同時に、手がかりがなかった事にため息を吐く。
フレイが行きそうな場所に加え、いかないであろう場所も回っている優斗は、その足で最も行きそうにない場所の筆頭へと、足を向ける。
「すいません」
「はい、いらっしゃいませ、って、これはこれは」
「突然押しかけて、申し訳ないんですが」
「いえいえ。要件は大体把握しておりますので、こちらへどうぞ」
楽しそうな中年女性――アイタナに促され、優斗はキャリー商会の応接室へと通される。
アイタナは優斗を部屋に入れると「少々お待ちを」と告げて部屋出て行き、代わりにお茶を持ったマイアが現れる。
「こちらは、優斗様にお預けする予定の茶葉と同じものです」
「あぁ。どうも」
「お隣、よろしいでしょうか?」
「へ?」
前に見たおどおどとした印象から一変し、強引に隣に腰かけるマイアに、優斗は慌てる。
一先ずお茶を飲んで落ち着こうと杯に手を伸ばそうとする寸前、マイアは優斗に身を寄せ、その身体を押し当てる。
「あー、マイア?」
「なんでしょうか、優斗様」
「急ぎの用があるんだけど、アイタナさんは?」
「アイタナ様はすぐに戻られます。その間、どうぞ」
マイアが視線をお茶へと向け、優斗もそれに釣られて視線を動かす。
その隙を狙ったかの様に、マイアは優斗の左腕を絡め捕り、豊満な胸に埋める様に押し当てる。
その行為に優斗の心拍数が跳ね上がる。しかし、何時もよりかなり鈍った思考回路でその意図を察した優斗は、呆れ顔で天を仰ぐ。
「商魂逞しいと言うか」
ふぅとため息を吐く優斗の態度を気にした様子も無く、マイアは優斗にかける体重を増やして行く。
そして、どう引きはがそうかと考えている優斗の手首を取り、足の間へと誘導して挟み込んでしまう。
この行動に驚いた優斗が左腕を引くが、しっかりと絡みつき、しがみ付いているマイアを振りほどくには至らない。
「ちょ、マイア!」
「嫌、ですか?」
上目使いに、艶っぽい声で告げられたそれに、優斗は更なる焦りに襲われる。
そのタイミングを見計らっていたのか、静かに扉が開き、アイタナが姿を現す。
彼女はわざとらしく驚いた表情を浮かべ、次ににやけ顔で優斗に問いかける。
「あら、お楽しみでしたか。私は少し席を外しましょう」
「必要ありません。それより、どうにかして下さい」
「私に言わずとも、マイア本人に命ずれば良いではないですか」
そうしなかった理由は、明白だと言う態度のアイタナ。
マイアには優斗の命令を厳守する様に言いつけてある。そんなアイタナの言葉を思い出しながら、優斗は頭が急速に冷えていく事を自覚する。
同時に、先ほどまでマイアの感触をある意味で好ましく思い、振りほどきづらいと感じていた事も自覚し、そんな自分を嫌悪する。
優斗は、自分は何のためにここに来て、今はどういう状況なのかきちんと考えろ、と自らに命じ、続いて隣のマイアを睨むような目つきで見下ろす。
「マイア、離れろ」
「かしこまりました」
優斗の命令を受け、マイアはさっと離れ、いつの間にか優斗の正面に座っていたアイタナの後ろへと着く。
少し乱れた服を直す事なく立ち続けるマイアを視界から外した優斗は、何時もの営業スマイルを作る事なく、半ば睨むようにアイタナへと視線を向ける。
「奴隷に逃げられたそうですね」
「耳が早いですね。でも、話が早くて助かります」
優斗の態度に動じる事なく、アイタナはにこりと笑う。
聞くべき事を聞いたらすぐに出て行こうと考えた優斗の思考を読んだのか、アイタナが優斗に先んじて口を開く。
「いくつか質問させて頂いてもよろしいですか?」
「は?」
「我が商会でお買い上げ頂いた奴隷の事ですので」
「なるほど。しかし――」
「何かお手伝い出来る事があるかもしませんよ」
アイタナの言葉に、言いかけた言葉を遮られた優斗は、気を悪くする事なく、その提案を吟味する。
1人で探し始めて、既に丸1日近い時間が経過している。これ以上、歩き回っても見つかる可能性が高いとは言えず、アイタナの提案は渡りに船とも言えるものだ。しかも、目の前の2人はフレイの顔を知っている。
優斗はお茶を口に含むと、その味を確かめるようにゆっくりと嚥下すると、アイタナと視線を交わし、首肯する。
「ありがとうございます。では、まず確認ですが、奴隷を解放されたと言う事でよろしいですか?」
「はい」
「その時、お金はいか程持たせておりました?」
「お金、ですか?」
訝しげな表情を浮かべる優斗。
そんな優斗の反応に、アイタナは苦笑いを浮かべながら、ぺこりと頭を下げる。
「懐事情を探る様な質問で申し訳ありません」
「いえ。それよりも、それにどんな意味が?」
「十分な逃走資金を持っていたかの確認です」
逃走資金、と言う言葉の意味を、優斗はすぐに理解出来なかった。
優斗が唖然としている間にも、その反応から十分な資金を与えていた事を確認したアイタナの言葉は続く。
「優斗様がお買い上げになった奴隷。
恐らくですが、昨今の凶作が原因で売り出された娘でしょう?」
優斗が思わず首肯すると、アイタナは満足げに微笑む。
「そして優斗様は彼女の出身地を知らない」
「何故、それを?」
「出身地が判っているならば、恐らく逃げる事はなかったからです」
知らないが、調べる事は出来るはずだと反論しかけた優斗だが、それが難しい事に気付き、口を閉ざす。
優斗は一度、フレイの故郷に荷物を送っている。しかし、その記録を調べる為には現在身を隠している相手に会う必要があり、実行する為にクリアすべき問題が多すぎる。
「何故、ですか?」
「それにお答えするには、まず私どもが扱う奴隷について話す必要がありまして」
時間は大丈夫かと言う無言の問いに、優斗はまた首肯のみで答える。
アイタナは話の主導権を握った事に満足し、真面目な、しかし少し楽しそうな表情で語り始める。
「我が商会、特にこのカクス支店では帝国人奴隷を多数扱っております。
当然ながら仕入れは帝国から行っておりますが、そのほとんどが土地の痩せた寒村からなのです」
奴隷が売れなければ飢えて死ぬしかない土地もある。
優斗は誰かが言った、その言葉を思い出す。
「仮に、村から出た奴隷が脱走した場合、どうなると思います?」
「……村にも責任がある、と仕入れ値が下げられる、ですか?」
「惜しいです。優斗様は優し過ぎますね。
仕入れる村などいくらでもある、と買付を止めるのです」
アイタナの言葉に、優斗が思い浮べたのは、見せしめ、と言う言葉だった。
奴隷が売れなければ村は飢えて潰れる。しかし、本当の意味で全滅する前に、頼れる親類等が居る少数が他の村へ移り住む可能性は高いので、噂としてそれが実行される事は伝わるはずだ。そうなれば村人は売られる者に対し、売られた先でもきちんとした行動を取り、逃げ出さない様にきちんと言い含める事が予想出来る。更に逃げ出して戻って来た者をかくまう可能性も、激減する。
優斗はそれに対し、効率的だ、と思ってしまった。
上手くやれば、潰れた村の村人をほとんど資金なしに奴隷化できる可能性すらある。優良な奴隷にはそれなりの値を付け、出荷した村も優遇し、そうでない者はかなり厳しく査定を行うなどすれば、自主的に奴隷の質を上げて来る事も予想出来、良い事づくめに思える。
「自分の行動に故郷の命運がかかっていると知れば、軽々しく逃げ出す奴隷はいません。
実は、奴隷解放された時には商会に戻らなければ同じ様に買付を止めると言う取り決めもしているのですよ。
我が商会の買い付けた奴隷は、一生奴隷のままであり、平民になる事すらない。すなわち、余計な事をせず、ただ命令を聞く、本当の意味での奴隷だと言う事です」
自慢げに語るアイタナの言葉を聞きながら、優斗はフレイの事を考えていた。
仮に、フレイが逃げたのだとしたら。
資金は買付の為に大量に渡していたので、十分にある。
出身不明の為、逃げ出しても故郷に迷惑をかける可能性は低い。
逃げる意図があったのだとすれば、目撃証言が極端に少ない理由も頷ける。
そこまで考えて、優斗はある事を思い出し、口を開く。
「でも、フレイは一度奴隷解放を断っています」
「そうなのですか?」
「資金的な問題はあったと思いますけど、それはどうにでもなるはず、ですよね?」
「そうですね。特に若い女性であれば、どうにでもなりますね」
「でしょう?」
「そうですね。それ以外の理由ですと、市壁の有無はどうでしょうか?」
「あ」
「この街には市壁がありません。
ですが、市壁がある街であれば、こうやって探された場合、逃げ切るのが難しいでしょう」
街の外に出るには市壁を通る必要があると言う事は、現在位置が割りやすいと言う事であり、捜索範囲を絞れると言う事だ。資金を持たない状態であれば、その不利は大きい。
「彼女は頭が回る様でしたし、万全を期したかったのではないでしょうか」
「でも、まさか」
「彼女は優しくしてくれた? それとも、ずっと一緒に居てくれると約束した、でしょうか」
意地悪く笑うアイタナを、優斗が睨む。
しかしそれも、アイタナが次の言葉を告げる事で、絶望へと変わる。
「奴隷が主人の望む事をするのは、当然です」
愕然とした優斗は、何も言い返す事が出来ず俯き、フレイと共に過ごした日々を思い出す。
常に侍り、口は悪くとも優斗を助けてくれた。最初は主従と言う関係、態度に固執していたが、最近では1人の人間同士として接してくれる様になり始めていた、と優斗は感じていた。しかしそれら全ては優斗が望み、フレイは奴隷として主人の望むままに行動していたのだ、と言われれば、反論出来ない。むしろ、納得できる部分も多い。
アイタナは優斗が顔を上げるまで何も言う事なく待ち続け、意思の炎が消えかかった瞳が自分を捉えると同時に、手元に置かれた小さな鐘を鳴らす。すると、扉が開いて5人の女性が部屋へと入って来る。その首には全て、奴隷の証である首輪が付けられている。
「優斗様はまだお若く、経験も少ない。失敗する事もありましょう。
ですから今度は間違う事なく、きちんとやれば良いのです」
優斗はアイタナの言葉を否定する事も、肯定する事もなく目の前の情景をただ見つめる。
そんな優斗の態度を気にする事なく、アイタナは奴隷たちに挨拶をするよう、促す。
「初めまして、優斗様。どうか私をここから連れ出して下さい」
「優斗様の為なら何でもします。どうか私選んで下さい」
「私は、優斗様の命令ならなんでも聞く、っあ、違う。何でも喜んで聞きます」
「どうか、私を救って下さい」
「お願いします」
最初に挨拶をしたのは、フレイを意識したのだろう、最低限の礼儀作法が躾けられている風に見える金髪に碧眼を持つ女性だ。
帝国奴隷を主に扱っていると言うだけあって、続く2人の女性の肌は黒く、片方は細身で、もう片方は布を押し上げて主張する双丘が目立つ。
残る2人はまだ幼く、シャオジーと同じか少し下に見える帝国人と公国人で、後者は容貌と身長に似合わない程の発育が見て取れる。
「我が商会の取り扱う奴隷の中でも、最高峰の物を用意させて頂きました。
容姿はもちろん、能力も厳選しております。身の回りの世話をする者がいなくては不便でしょう?」
アイタナの言う通り、5人の奴隷は全員が全員、一定水準を超える容姿の持ち主だ。
一定水準と言うのはもちろんアイタナの主観であるが、それは優斗が以前所有していた奴隷、すなわちフレイが基準となっている。
顔を上げ、奴隷たちの姿を一瞥した優斗の感想は、馬鹿にしている、と言うモノだった。
優斗が欲しているのは、女と言う記号でも、身の回りの世話をしてくれる相手でもない。そして、まだ逃げたとも、死んだとも判らない間に他の女性を隣に置く程、節操なしでも無い。
「折角のご提案ですが」
「そうおっしゃらず。
見つかるまでの間、代わりが必要でしょう?」
強引に品物を売りつける様な態度に、優斗は多少の怒りを込めて反論を口にしようとした。しかし、アイタナの言葉が何を意味するのかに気づき、思考する。
アイタナはこう言っているのだ。捜索を手伝う代わりに奴隷を買って行け、と。
優斗が捜索を行う場合、個人では限界があり、かと言って人を雇えばそれなりの額が必要になる。しかし、商会を切り盛りするアイタナであれば、安く人手を確保したり、何かのついでに調査をして貰う事が可能であり、情報を集めるにも既に伝手が存在する。相手が元奴隷と言う条件も、奴隷商人であるキャリー商会の網にひっかかる可能性が高い。
様々な理由から、本気でフレイの捜索を行うのであれば、この話に乗るべきだと、優斗は結論する。
話に乗らずとも、協力を要請すれば引き受けてくれるだろう。しかし、その場合は料金をきっちりと取られ、総合的に損となる公算が大きい。
優斗が最も得をする方法は、奴隷を買って捜索に協力して貰った上で、フレイが見つかり次第、奴隷を売り払う事。
アイタナの狙いは、上質な奴隷を売り、その魅力で次の購入を促す事。優斗がそれなりのお金とコネを持つ大商人の縁者だと予想しているアイタナにとって、逃走資金を持たせたまま解放を行った優斗は、奴隷の色仕掛けに嵌った騙しやすい若者でしかない。
「私は今、奴隷を買うほどの手持ちがありません」
「ご謙遜を。ですが、そう言う事でしたら仕事の追加報酬と言う事でお安くさせて頂きますよ」
アイタナの提案を、優斗は深呼吸をしてから吟味する。
現在、優斗の手持ちは公国金貨が3枚と公国銀貨が180枚弱。現在の相場で公国金貨に換算すると、約8枚半と言ったところだ。現在の商売が上手く行っても、収入があるのは2か月先であり、今後の生活費も考えれば無駄遣いは出来ない。王国に長期滞在した場合に備えて帰りの船賃も確保する必要があり、捜索に使える資金を捻出できなくはないが、今後の商売には差し支える可能性がある。
「少し、考える時間を頂いても?」
「構いません。
ただし、捜索は時間が経てば発つほど難しくなる事をお忘れなく」
アイタナの言葉に、優斗はすぐに発ちあがり、この場を立ち去る事が出来なくなる。
体は今すぐにでもフレイを探すべきだと主張し、立ち上がろうとしているのだが、頭のどこか冷静な部分が、闇雲に探しても無駄だ、と告げている。
迷うだけ時間が無駄になって行く。
時間をかけてそれに気づいた優斗は、己の事など、そしてお金の事など二の次だと、今必要な事だけを見て、どうすべきかを考える。
現在、最も憂慮すべき点。それはフレイが何か事故や問題に巻き込まれている可能性があり、助けを必要としているかもしれないと言う事だ。
「アイタナさん、フレイの捜索をお願いしてもかまいませんか?」
「もちろんです。奴隷の方はどうされますか?」
「今は1秒でも早く探しに行きたい。
ですので、その話は後で構いませんか?」
優斗の提案に、アイタナは彼の評価を少しだけ上方修正する。
切羽詰まった状況で、良い提案とその対となる二択を示されて、それ以外の答えを出すと言うのは、アイタナにとって予想外の展開だった。ただ自己中心的で我儘なだけだと言えばそれまでだが、思考を誘導された先で、すぐさまそれが出来ると言う事だけでも十分に評価する程度には、優斗の評価が低かったとも言える。
「では、請求は後でさせて頂きますね」
「そうして頂けると助かります」
何の請求であるのか、額はどの程度なのかと言う事にお互い触れる事は無い。
奴隷の売買に関する事であったならば、その時に決まるので問題はない。
捜索の話であれば、捜索に普通にかかるであろう請求額でも、キャリー商会にとっては十分な利益となる。
それは、現在契約を交わしている相手に無茶な要求はしないと、お互いに判っているからこその曖昧な言葉による約束だった。
「何かあったら宿へ行けばよろしいですか?」
「はい。宿の人間に伝言をお願いします」
「判りました。すぐにでも手配させて頂きます」
「よろしくお願いします」
立ち上がり、頭を下げると優斗は退室し、商会の建物を飛び出す。
一日中フレイを探し続けた優斗は、灯りの灯されたキャリー商会の一角で報告を聞き終え、宿へと向かっていた。
結局、フレイが見つかる事はなく、手がかりもあまり見つからなかった。
アイタナ曰く、顔を隠していても徒歩で出たのならば目撃証言が見つかる可能性もあるが、乗合馬車で街を出た場合、御者が戻ってくるまで事実確認をする事が難しい上、彼らが以前の客を覚えている可能性はあまり高くないだろうと言う事だった。目立つ客ならば別だが、逃走中に目立つ事をするはずがない。
そして街中に潜伏しているのであれば協力者がいる可能性が高い。それは優斗から逃げ出す手引きをしていると言う事であり、フレイは優斗から本気で逃げ出したいと以前から、少なくともこの街に来てから計画していた事になる。
遠まわしに、これ以上探しても見つかる可能性が低い、と告げるアイタナの言葉の中で優斗にとって重要だった部分は、捕まえた場合の処置についてだった。
奴隷に戻したいのであれば、優斗のお金を持って出て行った事を言及し、罪に問われると脅した上で、あれは貸しただけであり、返せないのであればその身で、と奴隷身分に戻すのが良いと提案された。
それを聞き、逃げるフレイを追う理由が、自分にあるのだろうかと優斗は自問自答する。優斗はフレイが自由になる為に奴隷解放を行った。故に逃げ出すのも自由であり、自分の隣に侍る事を強制すると言う事は、間違っているのではないか。
ならば優斗がすべき事は、捜索などではなく、フレイの判断を受け入れる事なのではないか。
そう考えた結果、事故や事件に巻き込まれている可能性の方を重点的に調べ、強制的に呼び戻す必要はないのでもし見つかったのであれば、現在どこで何をしているのかだけを調べて欲しいと告げた優斗に、アイタナは憐れむような視線で宿で休むように告げ、今に至る。
「あ」
宿に戻り、部屋に入ると、そこにはシャオジーの姿があった。
そして優斗は、今日一日、自分が食事を摂っていない事に気付く。宿に戻っても女将に伝言が無いか聞いてすぐ飛び出していた為、部屋にも戻っておらず、当然ながらシャオジーに食事を届けてもいない。
『おかえりなさい』
『あー、ごめん』
『何が、ですか?』
それを本気で口にしているのか、気遣いから出た言葉なのか、優斗には判らない。
一日中歩き回り、疲れ切っていた優斗は、それを言葉通りに受け取ると、急いで階下で食事を受け取り、シャオジーと共に食べ始める。
『もう用事は良いんですか?』
『あー、うん。もうちょっとかな』
『そうですか。お仕事頑張ってください』
そう言って食事を続けるシャオジーを眺めながら、優斗は2つの事を考えていた。
1つは、王国へ行かなければならないと言う事。
シャオジーを送ると約束した件はもちろん、キャリー商会との契約を反故にすれば、商人としての再起が不可能になる。解約するにも、違約金として荷馬車を持っていかれてはやはり行商が続けられず、商会からの信用を失えば2か月後の取引の為の資金借りられる可能性も低くなり、高確率で路頭に迷う事になる。
もう1つは、奴隷の購入を勧められた事。
シャオジーの身体は順調に回復しており、元気になっているとは言え、まだ療養中の身だ。フレイが居ない今、優斗が不在の間に彼女の面倒を見る女手は、あるに越した事はない。結局奴隷を買う事になるのであれば、早く話を進めるべきかもしれない。
考え事をしながらも食事を平らげた優斗は、今さらながらある事に気付く。
『シャオジーはなんでこっちの部屋に?』
『優斗さんの帰りを待ってました』
その答えに、優斗は嬉しさと罪悪感がこみ上げる。
フレイに逃げられた優斗にとって、自分を必要としてくれる言葉は普段以上に甘く響く。それに彼女の事を忘れ、食事すら届けなかったと言う後ろめたさが相まって、目の前の少女に縋りたい衝動に駆られる。
『それで、その。優斗さん』
『何?』
『今日は一緒の部屋で寝てもいいですか?』
予想外の言葉に、優斗は返答に詰まる。
膝に置かれた手は、良く見れば小刻みに震えている。俯き、上目使いになった表情からは怯えの色も見える。
そんなシャオジーの仕草に、優斗は自分の行動が彼女を不安にさせたのだと、反省する。
捨てられるかもしれない。それはこの異国の地で優斗以外に頼る者がないシャオジーにとって、これ以上ない恐怖だ。
『それはダメ』
『そう、ですか』
しゅんとするシャオジーに、優斗の心がちくりと痛む。
フレイが居なくなり、落ち込んでいた優斗は、俺もそれどころじゃないんだけどなぁ、と苦笑しながら、シャオジーの頭を撫でる。
『ひぇ?』
『ちゃんと自分の部屋で寝て、出発に備えるように』
『あ……はい!』
安堵した、そして嬉しそうな表情のシャオジーに部屋に戻るように促すと、優斗は食器を片づけてベッドに横になる。
疲れからすぐに睡魔に襲われながらも、眠りにつくまでの短い間に、優斗はこれからの事を考えていた。
もし、王国への出発日までにフレイが見つからなかったら、どうすべきなのだろうか、と。
フレイさんが行方不明になる話でした。
優斗に拾われ、恩を受け、共に過ごしてきた彼女は今、どこで何を考えているのでしょうか。