想いのベクトル
翌朝、目を覚ましてからもずっと悩み続けていた優斗は、シャオジーに食事を届けると言う名目でようやく動き出した。
昨晩の内に、布団に潜り込んで出て来ない、と言う報告をフレイから受けていた優斗は、寝る前での間も自分の何が悪かったのか、どうすれば出て来てくれるのかと考え続けていた。
可能性としてまず考えたのが、手紙の内容に関する事。
優斗は解読出来た単語から、それを委任状の様な物だと推測している。
理解不能、もしくは解読不能な部分を無視し、『国』『代理』『権利』『取引』と言う言葉の位置や流れから全体を予想した結果、シャオジーに交易、ないしそれに関する条約を締結する権利を委任すると言う内容であると予測し、優斗はそれを身分証明に使えるだろうと考えた。
以上の考察から、優斗はシャオジーが怯えた表情を見せた理由を推測する。
『シャオジー、朝食を持ってきた。入って良い?』
『……どうぞ』
部屋の中からくぐもった声で許可を貰った優斗は、ゆっくりと扉を開ける。
そのまま足を踏み入れる事に躊躇した優斗は、視線だけを動かして部屋を覗き込むと、予想通り布団に包まった姿のシャオジーが見えた。
フレイの報告とは違い、座り込んだ姿勢のシャオジーは、頭から目までが布団からはみ出ており、優斗を観察している。
『いや、なんというか。ごめん』
『……ひぇ?』
『手紙、封が開いててぼろぼろじゃ、使い物にならないよね。きっと』
優斗の言葉に、シャオジーはまともな返答が出来ない程驚いている。
優斗が今、口にした事が一晩考えた末に彼がたどり着いたシャオジーが取り乱した可能性の1つだ。
他にも、優斗を見て更に青ざめた事から異性関係のトラウマが再発した言う可能性も考えたが、その場合は男である優斗がその話題に触れる事はむしろ逆効果であり、ひたすら謝り倒す事で自分に敵意も害意も無い事を印象付ける方が得策だと判断した。
『ホントごめん。王国で身分を証明する方法、なんとか考えるから』
『っ!?』
呆けていたシャオジーの表情が歪む。
その反応に、やはり原因は手紙に関する事であると確信した優斗は、申し訳なさそうな表情を作りながら部屋に入ると、サイドテーブルに朝食を置いてから背筋を伸ばし、頭を下げる。
『どうか、許して欲しい』
『あの、その。私を、王国に、連れて行ってくれるん、ですか?』
『そう言う約束でしょ?』
当然だと言う優斗の反応に、シャオジーがはっとする。
同時に、優斗は委任状の内容に彼を害するであろう内容が含まれている可能性に思い至る。
優斗が瞬時に思い付いたのは、戦争だ。王国への援助、もしくは逆に連邦の軍が公国等を攻める為の補給の確約等。
『読まなかったんですか?』
『読めなかったんだよ』
さも面目ないと言った態度で、優斗は頭をかき、視線を逸らす。
それを聞いたシャオジーの表情が、少しだけほっとしている様に見えた優斗は、自分の判断が間違っていなかった事を確信すると共に、出来れば手紙の内容を確認すべきだとも考える。
『あの、優斗さん』
『何?』
『昨日は取り乱してしまって、申し訳ありませんでした』
『こっちこそ、ごめんなさい。それより、冷める前にどうぞ』
何か言いたげな、そして少し罪悪感を覚えている様子のシャオジーの表情に気付かない振りをして、優斗は朝食を勧める。
優斗の性格と賢さをある程度知っているシャオジーは、彼が自分の手紙を勝手に開ける事は無いと確信していた。
きちんと封印されている手紙と言うモノの価値は、開封した時点で激減する。中身が入れ替えられる可能性はもちろん、内容によっては機密性が損なわれる事で損失を受ける可能性がある。
今回で言えば、身元不明の相手の手紙を開けるよりも、まず身元を確認して中身を推測するべきであり、シャオジーが名乗った内容から考えれば、開封するなど愚の骨頂だ。
それに気づきながら、しかしシャオジーはそれについて言及する事なく、優斗の好意に甘えて食事に手を伸ばす。
『今日はどうするんですか?』
『買い出しと、ちょっとした用事に出かける予定』
『ついて行ってもいいですか?』
『いいけど、一緒に来ても面白くない用事もあるよ?』
シャオジーがそんな理由で引く事は無く、優斗は食事を終えたら一緒に出掛ける事を約束する事になる。
食事を終えたら着替えて来る様に告げた優斗は、縋る様な瞳のシャオジーを残し、部屋を出る。
シャオジーは捨てられる事に怯えている。その瞳からそういった雰囲気感じとった優斗は、彼女をそこまで追い詰めた手紙の内容を推測しながらフレイの待つ部屋へと戻る。
「どうでしたか?」
「なんとか大丈夫だった。この後、一緒に買い物に行く予定」
「謝っていたようですけど、やっぱり、ご主人様が何かしたせいだったんですか?」
「やっぱりってなんだ、やっぱりって」
ため息を吐きながら、優斗はフレイに飴を1つ手渡す。
受け取ったフレイがそれを口に入れる姿を横目で確認しながら、優斗は彼女にどこまで説明しておくべきか、考える。
現在、フレイに伝えてある事はシャオジーの名前と、王国に向かう船が難破して、流れ着いたらしいと言う事のみで、身分等の情報は伝えていない。理由としては、勝手に話しても良いか判断し兼ねた事と、そんな余裕がなかった事だ。
そしてこの機会にと考えた結果、優斗はシャオジーに関してフレイには最低限以外の情報を与えない事を決め、本題に入る。
「買い出し頼んでもいい?」
「もちろんです」
「10日分の食糧と水、って言うか飲み物。あと、あの子の生活用品に消耗品」
「そんなに持ちきれません」
「キャリー商会に荷馬車が預けてあるから、そっちに送って貰って」
「わかりました」
「ついでに、安くて良い毛布があったらそれも。お金、多めに渡しとくから」
「他にも何か良い物があったら買っていい、ですか?」
「そうそう」
単独行動が可能になって以来、フレイが1人で買い物に行く事は珍しくない。
だが、それはあくまで少量の消耗品や彼女の為の品であり、大量に買い出しを行う場合は、値切り交渉等の為に優斗が同行する。
今回、優斗がそれをしない事には2つの意図があり、その1つがフレイに経験を積ませると言うモノだ。
正式に優斗の物になってからのフレイは、これまで口にしなかった、疑問を口にする、と言う行動をする様になり、商売についても好奇心からか色々な事を聞き、覚え、それを実践する事で優斗の手伝いをしてきた。
オセロと将棋を作るまでは、フレイ相手に優斗が教師の真似事をして暇を潰していた事も多く、掛け算や割り算から商売に関する事まで、色々と教えている。今の優斗は、生徒に課題を与える教師の様な心境、と言う訳だ。
「はい、これ」
「多すぎませんか?」
「そう? じゃあ少しだけ減らすけど、基本的には残ったら返して貰うって事で」
そう言ってフレイに財布を渡し直した優斗に、シャオジーも自分の物は自分で選びたいのではないだろうか、と言う疑問が浮かぶ。
ならばと優斗はフレイに、午前中に消耗品や個人の嗜好とあまり関係しない品の購入をし、一緒に昼食を摂ってからシャオジーの日用品を購入するよう、提案する。
「良いと思います」
「じゃあ、そうしようか」
合流後に食糧と水の買い出しに行くのであれば、同行して後ろで見守ろうと優斗が考えていると、部屋の扉を叩かれる。
扉を叩いたのはシャオジーだった。急いで準備したのだろう、髪が少し跳ねている姿に、優斗はフレイと顔を見合わせて苦笑する。
『ここ座って』
『はい』
優斗の指示に素直に従い、シャオジーが椅子に腰かける。
じゃあ後はよろしく、とフレイに任せようとした優斗が彼女を振り返ると、そこには櫛とリボンが差し出されており、反射的にそれを受け取ってしまう。
「これは?」
「前から思っていたんですが、ご主人様って女の子の髪を触るの上手ですよね」
触る、と言う言葉と、上手、と言う言葉の並びに、優斗が眉を潜める。
それが、整える、的な意味である事に優斗が気付いた時には目の前にフレイの笑顔があり、その勘違いにばつの悪そうな表情を浮かべると、誤魔化す為に体ごとフレイから視線をそらすと、椅子に座るシャオジーに向き直り、髪に櫛を通して行く。
「他に必要な物はありますか?」
『あの、優斗さん?』
同時に別の言語で話しかけられ、優斗はどちらに返答すべきか困る。
困りながらも考えた結果、突然髪を触られた形になるシャオジーを無視すると、また悲鳴を上げられかねないと、遅くなったが許可を求める為に声をかける。
『髪、整えていい?』
『え?』
『嫌ならそこの女の子に頼むけど』
『大丈夫です。私の髪でよければ、どうぞ』
何かニュアンスがおかしいと感じた優斗だが、正確に訂正できるほど語彙に自信が無い事もあり、断念する。
後ろからの視線を気にしながら、優斗はシャオジーの長い髪を梳いていく。
一瞬、右と左に分けて大きな三つ編みを1つずつ作りたい衝動に駆られるが、フレイに怒られそうだと判断した優斗は、高い位置に髪を集め、いわゆるポニーテールを形作る。それだけでは寂しいのでで、フレイから飾り付きのピン借りて前髪に留めると、完成とばかりにシャオジーの頭をぽんと叩く。
本人は無自覚だが、優斗は髪に触れる事を好む傾向がある。
それは、頭を、そして髪を撫でられるのが好きで、転じて彼に髪を梳られるのが大好きだった幼馴染が原因であり、優斗が簡単な髪結いの技術を持っている事も、そこに起因する。
『完成』
『はい』
「フレイ、鏡」
「はい、どうぞ」
差し出された鏡を受け取ったシャオジーの顔に笑みが浮かぶ。
頻りに感謝された優斗は、隣で何か言いたげなフレイの視線に気づかない振りをしながら出発を告げると、フレイもしぶしぶながら出発の準備を整え、同時に部屋を出る。
フレイと宿の前で別れた優斗は、そのまま中心街の方へと向かい、アクセサリーが売っている店を巡る。
優斗は女の子らしく、綺麗なアクセサリーに目を輝かせるシャオジーを微笑ましく眺めながら目的の物を買うと、食べ物の露店が並ぶ場所へと移動する。
優斗はここでもまた、様々な料理に目移りしているシャオジーを微笑ましく見守りつつ、折角だからと幾つか食べ物と飲み物を購入し、2人で分け合う。
未だ彼女が取り乱した原因が判らない優斗が、再発防止策として出来るだけ打ち解けてられる様にと計画した食べ歩きを、シャオジーは自国の料理と比較したりしながら楽しそう堪能した。
次に優斗達が向かったのは、キャリー商会だ。
昨夜、荷主が王国内で付き合いのある商会の名前と詳細、尋ねる場合の紹介状等が各荷主から回収し終えたと連絡があり、それらをまとめて綴じた資料を店先に居たマイアから受け取った。優斗にとって、今回の依頼主はキャリー商会だが、船便の性質上、実際の荷主は複数存在する。
船には多量の荷物を積む事が出来る。しかし、沈没等の事故や持ち逃げ等の理由で全てが失われる危険性が高い為、個人ないし単一商会で船倉の全てを埋めてしまうと、もしもの場合の損失が大きくなり、小さな商会はそれが原因で潰れてしまう事もある。だからこそ、大商会が相手でもなければリスク分散の為に荷主が多数いる事が普通であり、今回も多分に漏れない。
資料を受け取った優斗は、お昼に間に合わせる為に急ぎ次の目的地である奴隷管理局へと向かう。
目的は、フレイが破り捨ててしまった奴隷解放の書類を再度発行して貰う為だ。
『シャオジー、悪いけど少し待ってて』
『はい、判りました』
聞き分け良く付いて来るシャオジーに、優斗は飲み物を買い与えてから、管理局へと入っていく。
管理局の内部はどこも似たような構造であり、優斗は前回来た時と同じ様に入口付近にある窓口へと向かい、職員に声をかける。
「すいません、奴隷解放の手続き用紙が欲しいんですけど」
「っは! は、はいただいますぐにお任せください」
「お願いします」
居眠りをしていたらしい職員の対応に一抹の不安を覚えながら、優斗は備え付けの椅子に腰かける。
慌ただしく動いている職員から目を離すと、優斗は先ほど受け取った資料に目を通そうと考え、綴じられた紙束を1枚めくる。
最初のページには、荷主の名前一覧。続いて、王国にある商会、数か所の情報がかかれた頁が続く。
書類を何度か捲り、次項に移るタイミングで優斗は伏せていた視線を上げる。
上げた先では、管理局の職員がカウンターに書類を乗せているのが見えた。優斗はここで自分の記載する部分だけでも記入して行こうと席を立ち、そちらに近づいていく。
「ここに名前を書けばいいんですよね?」
「はい、そうです」
優斗は、まだ完全には慣れていない文字で自分の名前を書いていく。
書き終えると、空になった杯を手に持ち、雛鳥のごとく後ろについてきているシャオジーへと振り返り、その光景に頬が緩む。
後はフレイの署名があれば、と考えながら改めて書類を見た優斗は、違和感を覚える。
「では、そちらのお嬢さんの署名をこちらに。字が書けなければ拇印だけでも結構ですよ」
「待て。いや、待ってください」
一度見た事のある書類の、書いた事のある欄に無造作に名前を書いた優斗。
しかし、それは奴隷の解放手続きの書類ではなく、契約の書類だった。優斗はどちらも過去に一度きり書いたのみで、詳しい書式などをきちんと記憶していなかった。
「俺が頼んだのは、奴隷の解放手続きなんですけど」
「あれ? でも、その子、奴隷じゃないですよね?」
「この子は単なる付添い。って、こら、シャオジー」
『え、書くんじゃないんですか?』
優斗は書類にサインしようとしているシャオジーの手を掴んで、ペンを取り上げる。
その強引な行動に、怒られると感じたシャオジーが身を竦めるのを見て、優斗も失敗した、と表情をひきつらせる。
「とにかく、解放手続きの書類をお願いします」
「わかりました。それで、こちらの書類は?」
「処分しておいてください」
優斗の言葉に、職員は少し不満そうにしながら、新たな紙を取り出して行く。
優斗がシャオジーに怒っていない事を説明している間に準備は終わり、まずきちんと書類を確認してからサインしなければ危ないと反省した優斗が、シャオジーに『時間がかかるから』と説明すると、彼女は少し外に行ってくると告げて管理局を出ていく。
優斗はそれに対して、手洗いだろうか、と考え、それは半分正解だった。
書類に目を通し終え、必要な部分の記入を終えた優斗が、用紙を受け取り、手数料を払おうとした時、彼女は現れた。
「これは奴隷契約書、ですよね?」
「……なんでフレイがここに」
ジト目で睨まれた優斗は、焦りを表情に出さない様に務めながら、視線を横にずらす。
そこにシャオジーの姿がある事を確認し、どうやら彼女を見つけ、合流したらしいと理解した優斗は、隠す事は無駄だと悟る。
「シャオジーさんも奴隷にするつもりだったんですか?」
「それは誤解だ」
職員の怠慢により、カウンターの上には、まだ奴隷契約の書類が残されている。
手数料の支払いを待っている職員に横目で恨みがましい視線を送りながら、優斗は先ほど受け取り、仕舞い込んだ書類を取り出し、カウンターへと置く。
「それは間違い。こっちが本当の目的」
「本当ですか? じゃあなんでこちらにまで署名を?」
「違う書類だと気づかなかっただけ」
「こちらの欄もですか?」
「そう」
フレイが指差したのは、シャオジーが書きかけた奴隷契約者の署名欄だ。
目を細め、険しい表情をしている反面、フレイは優斗の弁解に対してそれ以上の追及をして来ない。
優斗はそれを、時間稼ぎに追及していただけなのだと考え、続くであろう本当に言いたい言及の言葉に備え、心を落ち着ける。
「では、こちらの書類は?」
「奴隷の解放を認める書類だけど?」
「それは見ればわかります」
フレイが署名と拇印があれば完成する書類を、彼女は険しい表情のまま睨みつける。
優斗がこのタイミングでフレイを奴隷身分から解放しようとした理由は、幾つか存在する。
王国では、公国よりも奴隷の扱いが厳しいと聞いた事。黒髪の優斗は劣等とされ、様々な不便が予想されるので奴隷でなくなったフレイが居る事で行動し易くなる事。そして奴隷と言う、一方的に言う事を聞かせる事の出来る身分にフレイが居る事で、優斗が困ると言う事。
しかしそのどれもが、一番の理由を後押しする為のものでしかない。
「新しい奴隷が手に入ったから、私は捨てられるんですね」
「いやいや、違う違う」
「でも、私がそれを何度も拒否しているのを、覚えてますよね?」
「それは、まぁ」
「むぅ」
子供っぽく頬を膨らませると言う、珍しい表情を見せたフレイが可愛く見え、優斗は頬をゆるめる。
そんな優斗の態度が気に入らなかったフレイが、憮然とした表情を見せた事に、優斗は慌てて弁解する。
「フレイに断りも入れずに来た事は謝るから」
「そう言う事じゃないんです」
2人のやりとりに、管理局の職員は迷惑そうに顔を顰め、シャオジーはおろおろとしている。
ひとまずこの場をなんとかしなければと考えた優斗は、フレイに向き直ると、場所を変える為に次の行動を提案する。
「フレイ、先にお昼を――」
「私の事よりお昼ご飯が大事なんですか?」
「あー、いや。詳しい話は落ち着いてしたいな、と。だから、とりあえず移動しない?」
「では、そう命令して下さい」
それは、極力命令はしない様に心がけている優斗に対する、フレイのささやかな仕返しだった。
少しだけ困った顔をしてくれたら、大人しく引き下がろうと考えていたフレイの予定は、しかしながらシャオジーによって阻まれる。
『喧嘩はダメです』
『大丈夫。ちょっと意見が違っただけ』
『じゃあ、仲直りして下さい』
そう言ってシャオジーは、優斗の手を握る。
それは、仲直りの握手をする様、優斗の手をフレイの方へと誘導する為の行為。しかし、自分に秘密で奴隷解放を進めていた優斗に対して、まだささくれた感情を持て余していたフレイにとっては、自分を無視したあげく、仲よく手をついないで居ると言う光景にしか見えない。しかも、言葉が通じない為、密談めいてさえ見える。
「この件については後で埋め合わせするから、とりあえず今はお願い」
「判りました」
フレイは意識して無表情を作ると、備え付けのペンを手に取る。
丁寧な文字で奴隷解放の書類に署名し、拇印を押したフレイは、それを職員へと突き出す。
その光景を唖然としながら見つめていた優斗は、我に返るとそれを止めるべきか一瞬だけ迷ったが、誤解は後で解けば良いと考え、あえて動く事はなく、ポケットに忍ばせた品の感触を確かめながらその光景を見守る。
「では、解放手続きと首輪の開錠を行いますので、こちらへどうぞ」
職員に導かれ、優斗とフレイは管理局の奥にある部屋へと通される。
まず、優斗の名前が入った鑑札があっさりと取られ、続いて首輪が外される。
久方ぶりに首に巻くものが無くなったフレイは、頻りに首筋に触れ、そこに首輪が無い事を確認している。
それを見つめる優斗は、首輪の下から現れた真っ白な首筋にどきりとし、魅入っている。
「これで終わりです」
「あ、っと。いくらでしょう」
我に返った優斗は、慌てて視線を逸らすと、用紙代、手続き代等をまとめて職員に支払う。
その隙にフレイが部屋を出てしまい、それに気づいた優斗が慌てて追い掛け、ロビーへ到着した時、フレイは入口を出ようとしているところだった。
「フレイ!」
優斗が声をかけても、フレイは振り返らなかったが、その場に立ちどまる。
続く言葉が、おめでとうで良いのか、と優斗が悩んでいる隙に、フレイの言葉が先んじる。
「少し1人にさせて下さい」
フレイはそれだけ告げると、優斗の返事を待たず、管理局を走り去る。
すぐさま追いかけようとした優斗だが、同行者であるシャオジーの存在を思い出し、この場に放置する訳にはいかないとそれを断念する。
解放手続きにはそれなりに時間がかかった為、少し退屈そうに椅子に腰かけていたシャオジーは、叫び声に驚き、それを発した優斗の方を見つめている。
「……一度宿へ帰ろうか」
『へ?』
『ごめん。一度宿へ帰ろう』
優斗は、シャオジーには申し訳ないが、宿にフレイが居なかったら置いて探しに行こう、と考えながら、共に管理局を出る。
シャオジーと並んで歩きながら、優斗はポケットの中の感触を確かめ、この後の事について考えを巡らせる。
奴隷解放後に手渡すつもりで購入した、フレイへの贈り物であるアクセサリ。予定は多少狂ったとは言え、結果として望んだ状況を手に入れた優斗は、どうすればフレイを見つけ出し、可能であれば雰囲気の良い場所で2人きりになり、贈り物と共に大切な言葉を伝える事が出来るのか、必死に思考する。
優斗が奴隷解放を望んだ一番の理由。
それは、フレイに自分と共に歩んで欲しいと告げる為。優斗はそれを、プロポーズと言うよりはお付き合いの申し込みをするのだと考えていた。
その為にはまず、フレイを優斗の言葉に逆らう事の出来ない奴隷と言う身分から脱却させ、対等な関係になる事が必要不可欠であり、本人の意思を無視して良い返事をさせない為にも、それまでは口にすべきではないと考えた。そして、受け入れられた時には、本当の意味で、ポケットの中のアクセサリ――指輪――を受け取って貰いたいとも思っていた。
一方、フレイはその言葉のみによって、奴隷から解放される事を望んでいた。
ずっと一緒に居るだけなら、奴隷のままでも出来る。だからこそ、自分が欲しいのだと、言葉にして欲しいと望んだ。そして、それ以外の自分を奴隷身分から解放する理由は全て言い訳だと感じ、口にされる事を拒んだ。
こうして決して噛み合う事の無いすれ違いを残したまま、優斗とフレイの関係は急激な変化を迎える事となった。
フレイさんが奴隷でなくなる話でした。
それにより、2人は繋がりの名前と理由を1つ失いました。