長期的商談
翌日、久しぶりのベッドで良く眠り、気持ちよく朝を迎えた優斗は、美味しい朝食を摂ってから物価と通貨の調査を行うべく、フレイと市場を歩いていた。
通貨の両替価格は誤差の範囲内で、以前の感覚で7泊分の宿代を支払ってしまった事に問題は生じなかったが、変動があった可能性を考えれば迂闊な行為だったと反省する事になる。特にカクスの様に交易が盛んな都市は、何か切っ掛けがあればすぐに価値が変動してしまう。
「で、こっちは変動ありか」
「値上り傾向、だそうです」
売り払う商品以外にも、服を作る前に布と糸の価格も重点的に調査して置こうと言いだしたのはフレイ。
その結果は、どちらも値上りしており、複数の店で問うたところ、少しずつ市場に出回る量が減り、徐々に値上りしている、との事だった。
今日の昼食を宿の食堂で摂る事に決めていた2人は、並んで歩きながらお互いに成果を報告を報告しあい、話し合っている。
「予想通り、かな」
「何故ですか?
あの件が原因なら、値下がるはずですよね?」
フレイの言う、あの件、とは、ロード商会及び、ユーシアでの機織り機改革による増産の事だ。
布の供給量が増えれば、値崩れが起こり、暴落する事を利用して稼ぐと言っていた事を、フレイはきちんと覚えていた。
「それはその通りなんだけど」
「では、何故?」
優斗は、街中で話して良い内容だろうか、と一瞬迷う。
しかし、初めて来た見知らぬ街で自分たちの話が聞かれていると思うのは自意識過剰であり、何より移動しながら会話をしているのだからと思い直す。それでも念の為、周りを見渡してから口を開いた。
「ロード商会が買い占め、とまではいかない程度に集めて、そう見せかけてるんだと思う」
「確かに値上りした方が、利益は出ますけど」
納得いかない、と言う表情のフレイ。
手元にある布を売り払う際の値上り分が買占めの為の資金よりも高くなるのならば、この手法で利益が増える事になる。フレイはそんな風に考えながら、優斗に視線を向け、説明の続きを要求する。
優斗はそれを受け、どこまで説明すべきか悩みながら口を開く。
「それもあるけど、値下がっているところに大量の売りがあったら、買取拒否もあり得るから」
「買取拒否ですか?」
「それが原因で更に値下がる可能性があるし、何より値下がっている品を買い取る事自体、損する危険性がある」
「なるほど」
「値上り傾向が続いてる時なら、ここが最高値だと判断して売りに入ったと思わせられるし。ある程度の買い占めも、値上りきってから売る為にやっていたと思われればバレにくいしね」
何がバレにくいのかはあえて確認することなく、優斗が説明を終える。
フレイはそれに満足したのか、もしくは宿が見えてきたからか、更なる説明を求める事無く、優斗の隣を歩く。
「午後は酒場巡りですよね?」
「うん。そんなに多くは回らない予定だけど。どうせ全部は無理だから」
「では、午後も別行動ですね」
「いや、説明もあるし一緒で。
って言うか、朝からやけに働くね?」
午前中の情報の大半を持って帰って来たのはフレイだ。
更に、朝も早くから馬や荷馬車の手入れをしていた事を、優斗は宿の女将さんに聞いて知っていた。
「ええっと、その」
「言い難いなら言わなくていいけど?」
「そう言う訳では」
そう言いつつも逡巡するフレイから、優斗は視線を外して前を向く。
同じくきちんと前を向いて歩き始めたフレイは、一瞬だけ横目で優斗を見て、前を向いている事を確認すると、おずおずと理由を口にする。
「実はあの宿、ほとんど冗談で提案したんです」
その言葉に、優斗は何時もよりもかなり多く支払った宿代を思い出す。
何時も利用する様な宿ならば、フレイを奴隷と申告すれば銀貨1枚で1日の食事代まで賄える。その事を思えば、ここでの滞在には普段の2倍以上も経費が掛かっている事になる。
それは宿がいつもよりも高級である事に加え、フレイが魚料理目当てで選んだ宿で、奴隷料金では料理に差が出る事を回避する為に優斗があえて正規料金を支払った事も原因の1つだ。
無論、優斗はフレイがそんな事を気にするのではと言う事を、欠片も考えていなかった。
「確かに高かったけど。別に気にしなくていいのに」
「そう言う訳にもいきません。
朝食の付く宿なんて、私、初めてみました」
基本的に1日2食なこの国の宿は、夕食付か素泊まりか、と言う2択がポピュラーだ。連泊なら昼食付きがある宿も存在するが、朝食まで付くのは、朝食を摂る習慣のあるお金持ち向けの、いわゆる高級な宿である証拠だ。
実際には、2人の止まる宿はそう言った層向けの高級宿ではなく、高級宿を模倣した、それっぽい、たまには贅沢して見ようかと言う小金持ちや観光客向けの宿だ。
「ですからせめて、少しでも働こうと」
「うーん」
フレイの真剣な表情に、優斗はそれを解消する方法を考え始める。
気にしない様に説得する、と言う方法を取らないのは、その方が手間が多い事を、今までの経験でなんとなく知っていたからだ。
しかし、適当な頼み事をするのが最善か、と考えていた優斗は、フレイの次の言葉でそれを考える気力を失う事になる。
「そうしないと気になって、蜂蜜飴を心置きなく食べられないじゃないですか」
「……そーかい」
優斗は脱力しながら、宿の扉を開ける。
そこそこに込んでいる食堂で昼食を摂った2人が、食休みの為に部屋に戻ってしばらくすると、部屋にノックの音が鳴り響いた。
「はい、なんでしょうか」
「ユート様にお客様です」
「お客、ですか?」
扉の向こうから聞こえる女将さんの声に、優斗はこの街で尋ねて来る可能性がある人物を思い浮べる。
優斗はカクスに来るのは初めてであり、宿泊場所を教えた相手もいない。故に、尋ねて来る相手には心当たりがないとまで考えると、フレイに目配せをする。
フレイが緩めていた首元のリボンを結び直し、首輪がきちんと隠れた事を確認すると、優斗は扉の前まで移動し「今開けます」と言ってから外向きの扉を開く。
「下ですか?」
「はい」
「ありがとうございます」
女将さんは微笑みを浮かべると、回れ右をして階下へ向かって歩き出す。
優斗もそれに続き、部屋の鍵を閉めたフレイが、少し遅れる形で後を追う。
「いやー、どうも。昨日はすいませんでした」
「貴方は確か」
「えぇ、そうです」
食堂に入ると、席に座っていた女性が1人、立ち上がる。
立ち上がった恰幅の良い中年女性の隣には、黒色の肌を持つ女性が1人、座っており、その首には優斗にとって見慣れた物が巻かれている。優斗がそちらに視線を向けると、中年女性はにこりと優斗に笑いかける。
「改めてご挨拶させて頂きます。私はキャリー商会のカクス支店長を任されております、アイタナと申します」
「はい。先日はどうも」
「本日はその件でお話がありまして。マイア!」
マイアと呼ばれた女性は、アイタナの声にびくりとしながら立ち上がると、優斗と目を合わせる事なく、唐突に頭を下げた。
何事か、と優斗が戸惑う隙に、マイアはそのままの姿勢で言葉を発する。
「申し訳ありませんでした」
「えっと、これは何事ですか」
「それは私が説明致します」
アイタナが申し訳なさそうな表情で、優斗に着席を促す。
優斗が戸惑いながらも着席すると、アイタナも同じく席に座るが、マイアは変わらず頭を下げたままだ。
「実は、この子には商会の仕事を手伝わせておりまして」
「はぁ」
「先日、ルナール方面から来た荷物の整理中、こちらを紛失していまして」
差し出された封の切られた手紙に、優斗は遠慮がちに手を伸ばす。
視界の端でフレイが隣のテーブルに着いた事を確認しながら、優斗はアイタナの許可を取ってから手紙に目を通す。
「なるほど。それで?」
「昨日のご無礼に対する謝罪と、改めてご挨拶をしたいと思いまして。不躾かと思いましたが、こうしてやって来た次第です」
にこりと笑うアイタナと、その隣でまだ頭を下げ続けているマイア。
その光景に頭を痛めながら、優斗は手紙に再度目を落とす。
そこに書かれている文章は簡潔で、ユートと言う行商人が来たら持て成せ。商会にとって大事なお客様だ、と言う内容にキャリスのサインが添えられているだけのものだ。
「判りました。ところでマイアさん、そろそろ顔を上げて下さい」
「当商会の奴隷に敬語は不要ですので、どうか優斗様もその様に。
マイア、顔を上げなさい」
はい、と小さく呟いたマイアが顔を上げる。
黒い肌、薄いブラウンの瞳にメリハリのある体。特に大き目の胸とくびれが出来そうな程に細い腰に、優斗の目が引き付けられる。
「気付けなかった私にも責任はあります。申し訳御座いませんでした」
「あー、はい」
「お詫びと言ってはなんですが、この街に居る間、私どもに出来る事があれば、何でも協力させて頂きます」
そこでようやく、優斗はわざわざ訪ねてきた相手の意図を知る。
そして同時に、ある疑惑も生まれる。
本当にマイアと言う奴隷の失態で、手紙が開封されていなかったのか。もしかすると、彼女は。
優斗の思考は的を射ていたが、最後までたどり着く事を妨害するかのように、アイタナが口を開く。
「慣れない街で、不便も多いでしょう?」
「それはお詫びをするからキャリスさんには黙っていて欲しい、と。そう言う事ですか?」
「いえいえ、そんな。私はただ、商会の代表として優斗様を持て成したいと、そう考えているだけです」
前日にあっさりと追い出された優斗としては、態度の豹変ぶりにただ呆れ、同時に関心する。
とは言え、折角優位を得たのだからと、優斗はここで何を引き出すべきか考える為、その候補を幾つか列挙して行く。
服飾職人への伝手。運んで来た荷物の売り先斡旋。同胞調査の協力等。
「今回の事で、優斗様は不当な扱いを受け、不愉快な思いをされたと思います」
「そうなるかな」
「優斗様は近い将来、人の上に立たれるお方。そうですよね」
「いや、そんな事は」
「ですが、優斗様はお若い。失礼ですが、人を扱う事に慣れていない様に見えます」
優斗の言葉を無視し、アイタナはしゃべり続ける。
そんな態度を訝しみながらも、優斗は口を挟むタイミングを見計らいながら、その言葉に耳を傾ける。
「ですからどうでしょう。この際、優斗様がご自分で罰を与えてみませんか?」
「はぁ。それはどういう?」
「失態を犯したマイアに、優斗様が罰を与えるのですよ。幸い、優斗様は奴隷を引き連れていらっしゃいますので、その扱いには慣れているはずですよね?」
アイタナはそう言って、隣のテーブルへ視線を向ける。
そこで冷えた果汁を啜っていたフレイは、素知らぬ顔で店員におかわりを頼んでいる。
「町娘に扮する技術1つとっても、素晴らしい調教具合が伺えます」
「調教、ねぇ」
「それを是非、マイアにも。優斗様が何をしても、当商会は一切関知致しません。何でしたら、一筆書いてもかまいません」
優斗はこの国の一般的な基準で言えば、10代の若造に見える外見をしている。それ故に侮られる事は、これまでもあった事だ。
アイタナも多聞に漏れず、女、もしくは金や栄誉で釣れると判断した。その為に準備されたのが、マイアと言う女性奴隷、と言う訳だ。
「優斗様の所有する奴隷は、些か幼いご様子」
「そんな事はないと思いますけどね」
「もちろん、優斗様のご趣味を否定する訳ではありません。ただ、こう言った女を知る事も、上に立つ者として重要だと思うのです」
アイタナの視線を受け、マイアが胸を強調する様に腕で自分を抱く。
その姿に、優斗の心臓がどきりと反応しなかった訳ではないが、冷静さを失う程ではない。主に、隣の席から手の中の果汁よりも冷えた視線を送って来る存在のおかげで。
「残念ながら、私は一介の行商人であり、人の上に立つ様な器ではありません」
「ご謙遜を」
「一介の行商人としては、むしろ商売の資金を貸して頂ける方が、嬉しく思うのですが」
優斗の提案に、アイタナは表情を変えず、内心でほくそ笑む。
最悪、お金を支払う事も視野に入れていた彼女にとって、貸して、と言う提案は想定の中でも良い部類に入る。
そんなアイタナの内心にある程度気づいている優斗は、あえてその想像に沿うような態度を取り、侮らせると言う手を取る事に決める。
「2~3か月後になると思いますが、もし、私がお金を貸してほしいとお願いしたら、どのくらい用立てて頂けますか?」
「そうですね。公国金貨で50~60枚でしたら、すぐにでも準備させて頂きます」
提案された額面を、優斗は高いのか安いのか判断出来なかった。
行商人と言う身分では、明日にでも旅路で死ぬ可能性すらある。そう言う意味では、金貨50枚を貸し出すリスクは、果てしなく高い。
逆に、商会の代表が身元を保証する相手に貸し付けるには、少し安い額であるとも感じられる。
優斗がざっくりと計算した彼の総資産額は公国金貨にして60枚前後だ。
内訳は、馬が各金貨10枚程度、ホロ付き荷馬車は10枚を超える。買付資金と荷台の品を合わせれば金貨20枚を超え、その他、保管用の宝石等がある。
これには生活必需品や衣服などの私物に相当する物は含まれておらず、蜂蜜飴などの嗜好品も計算されていない。
しかしながら、公国金貨60枚と言うのはあくまで買い集めるのにかかる、いわゆる市場価格での計算結果であり、実際に売るとなればかなり目減りする事になる。
「準備期間を頂けるとの事ですので、もう少し準備出来るかと思います」
「と、言うと?」
「私共も商売がありますので、ご期待に応えられる額になるかは判りませんが。
お手持ちの奴隷以外にも、担保となる高額な品があるのでしたら、どこかから引っ張って来る事も可能なのですが」
優斗はその言葉を聞いて、金を貸すなら奴隷、すなわちフレイを担保に入れる事が前提になっている事を知る。
それをする気のない優斗は、アイタナに納屋へ移動する事を提案し、奴隷でなく、荷馬車と馬を担保にした場合どのくらい貸付が可能かを問う。
「立派な荷馬車ですね」
「カートン家の次期当主様から譲って頂いた品です」
少しでも箔を付けようと、優斗が軽い気持ちで発した言葉に、アイタナは目を見開いて驚く。
カートン家は侯爵家。
それは公国内でかなり高い地位を持っていると言う事であり、そんな相手から物を譲られると言うのは、それなりのコネがあると言う事に他ならない。それが例え、商取引であっても。
「優斗様は侯爵家と懇意なのですね」
「あー、いや。どっちかと言うとユーシア家の方の」
「っっっ!?」
更に飛び出した貴族の家名に、アイタナは言葉を失う。
権力からすれば、領主であるユーシアは、同じ貴族とは言え侯爵家よりもかなり格下だ。
しかし、商人としては、商売の土壌である領地を持つ領主の方が、販路や利権等の関係上、有益な相手である。
思いがけず知った相手の素性に、アイタナが思い出したのは、自分の失態と優斗の態度。そして、貸付資金として提示した金貨の枚数。
実際のところ、キャリー商会程の規模で、カクスの様な交易の起点にある支店であれば、もっと多額の融資が可能だ。先ほど上げた額は、年若い行商人ならば破格、ベテランであってもそれなりに色を付けた額だったが、貴族と縁続きの大商人相手であれば、出せる桁が1つ変わる。
アイタナは、目の前の若い商人が、不当な扱いに実は内心で怒り狂って居るのではないかと恐る恐る表情を伺う。
しかし、その反応を、貴族と関係があると言う発言を疑われているのでは、と感じた優斗は、それを証明すべく、1枚の封筒を取り出す。
「ユーシアの家紋入りの封筒です」
「確かに」
優斗の行動は、アイタナにとって威圧以外の何物にも感じられなかった。
これ以上の失態を犯せないアイタナは、優斗が望むものが何か、必死に思考を巡らせる。
一方優斗は、権力を盾に融資の増額を迫っている形になっている事に気付いたが、特に問題は無いか、と楽観的な結論に達し、目の前の女性の言葉を待つ。
「額面が決まってからの準備期間を10日程頂けるのであれば、100枚まで準備致します」
「荷馬車と馬を担保に、と言う事でしょうか?」
「はい。更に奴隷も担保にし、貴族様に何らかの口利きを約束して頂けるのでしたら、200枚までならば出せるのではないかと思います」
「ほぉ。さすがキャリー商会ですね」
優斗が漏らした感嘆の言葉を、アイタナは先ほどの50枚に対する嫌味だと解釈し、首を竦める。
優斗が借金の算段を付けているのは、もちろん理由がある。
借りる必要が無ければ一番だが、取れる手段が増えれば、それだけ商談の幅も広がる。それにより、成功率も上がると言うモノだ。
「必要ないかもしれませんが、もしもの時はよろしくお願いします」
「もちろんでございます」
「これで用事は終わり、と言う事でよろしいですか?」
「そう、ですね」
「では、私はこれで失礼させて頂きますね」
「はい。……いえ、お待ちください」
「なんでしょう?」
納屋を出ようとしている優斗の背中にかけられた焦った様な声。
優斗が立ち止まり、振り返ると、アイタナがマイアの腕を掴みながらまくしたてる。
「優斗様はキャリー商会の大事なお客人です。不自由の無い様、この子をお付け致しますのでどうか使ってやってください」
「結構です」
即答した優斗だが、内心では少し惜しくも感じていた。
マイアは驚く程の美人ではないが、スタイルは良い。こういう交渉を仕掛けて来ると言う事から、慣れているだろう事も想像できる。それは全て、フレイにはないモノだ。
「この子がお気に召さないのであれば、他の子を用意致しますので、是非」
「今のところ、特に不自由していないですし」
「そうおっしゃらずに」
「宿住まいですから、人が増えると色々と迷惑がかかりますので」
優斗の上げた理由は、そのほとんどが嘘だ。
初めてくる街で不便は多いし、借りた奴隷をずっと宿の逗留させる必要はない。
とは言え、真実の理由を口にする事はない。何故ならば、そんな事をしたらフレイが怖いから、と言うのが彼の本音だからだ。
「では、こうしましょう。
必要な時にお願いに伺いますので、その時はご協力をお願いします」
「……判りました」
優斗の提案に、しぶしぶ、と言った体で同意したアイタナは、丁寧に挨拶をすると商会へと戻って行く。
意地でも自分の存在を売り込もうとするアイタナの態度に、優斗は安易に貴族との関係を仄めかすべきではないと学び、その件をフレイに注意されながら、午後の予定を消化する事になる。
カクス滞在3日目、優斗達はようやく荷物を売り払うべく、動き出した。
向かう商会の名はキカロ商会と言う商会だ。国中に支店を持つ大規模商会程ではないが、それなりの資本を持つ、大きな商会だ。
キカロ商会は海路を主とする商会で、ここに決めた理由は、キャリー商会からの紹介、もしくは後ろ盾の効果が大きい中で、最も大きな商会だからだ。
海沿いに建てられた商会に向かう道すがら、優斗はある事に気付く。
それは、首輪を付けた黒人の数が、他の街に比べて多い、と言う事だ。その理由を思い付かないまま、優斗の駆る荷馬車は、目的地であるキカロ商会へと到着する。
「いらっしゃいませ。買取をご希望ですか?」
「はい。ですが、少しだけ、特殊な買取を希望していまして」
出迎えた男にそう告げると、彼は奥に声をかける。
その声に応えて出て来たのは、この場所の責任者なのだろう、そこそこ身なりの良い商人だ。
「初めまして、私の名はシュタンとお申します。以後、お見知りおきを」
「行商人の優斗です。よろしくお願いします」
「立ち話もなんですので、こちらへ」
シュタンと名乗った男の先導で、優斗は応接間らしき場所へと案内される。
彼の後姿を見ながら、優斗は今朝、マイアが持って来た手紙の内容を思い出す。
差出人は、キャリー商会の主であるキャリス。内容は、ロード商会の動向について。
「すぐにお茶をお持ちいたしますので」
「おかまいなく」
「そう言う訳にもいきません。よろしければ、奴隷のお嬢さんもおかけください」
その言葉を受け、フレイは優斗に確認の視線を送り、頷くと、お礼の言葉を口にして、ソファーに腰かける。
そのやり取りを黙って見つめていたシュタンは、少し楽しそうにフレイに視線を向けて観察している。
「躾のしっかりとした奴隷ですね。羨ましい限りです」
「それはどうも」
「礼節も学ばせたのでしょう? 座る仕草1つとっても、品がありますね」
シュタンの言う通り、フレイの振る舞いは奴隷としてどころか、平民や商人と比べても遜色ない。
貴族と共に教育を受けていたのだから当然と言えば当然だが、教育を施すにもお金がかかるのも事実。そして、それを見抜けるシュタンと言う男が、同じくそれを学ぶ事が出来るほど裕福な家庭で育ったことが判る。
「うちの奴隷なんて、ほら。お茶を運ぶ事すらまともに出来ません」
シュタンの視線の先には、鑑札の付けられた首輪を持つ奴隷が1人。彼女もまた、黒い肌をした帝国人だ。
シュタンの指摘は、彼女がカップをテーブルに置く際、かちゃりと小さな音がした事を差している。完全に音を鳴らさずと言うのは、貴族に対する際の作法であり、この場で咎められるほどの不作法ではない。この事から、彼は暗にフレイが貴族教育を受けている事を見抜いているのだと示している。
「ところで、本日はどの様なご用件で?」
「実は、多量の絹を買って頂きたいのです」
「ほう」
シュタンの反応に、優斗はここにも例の話が来ている可能性が高い事を見抜く。
話、とは、ロード商会、もしくはその系列の商会からの絹の大量買取の打診だ。
今朝届いたキャリスの手紙には、ロード商会に縁のある商会から、絹の買取を打診され、知り合いの商会が幾つか、それに乗ったと言う内容が書かれていた。契約内容は、今から2か月後に、指定した数の絹を納品するので、この額面を支払う、と言うものだ。
「実は、ある商会から多量に買い取ったのですが、別件で資金が必要になりまして」
「ほう。それで?」
「資金が必要になるのが2か月後。それまでに絹を準備致しますので、買い取って頂きたいのです」
「それならば、2か月後に改めていらっしゃっては?」
シュタンのもっともな指摘に、優斗は困り顔を作る。
困り顔を伏せ、悩んでいる演技をしながら、優斗は内心苦笑する。いつの間にか、嘘を吐く事にも、演技をする事にも慣れてきた自分に。
「先ほど、買い取ったといいましたが、正確には買い取る契約をしたのです」
「そうでしたか」
「すぐに売れる様、そして必要な額面を準備出来る様、手配しておかなければなりません。どうか、お願い出来ませんか?」
「我が商会でお手伝い出来る事であれば」
「是非、お願いします」
頭を下げながら、優斗は昨夜計算した数字を頭に思い浮かべる。
下限はキャリー商会から融資可能額の金貨100枚を絹の価格で割った数字。上限はもちろん、金貨200枚の場合。理想としては、その半ば程だと目標を定め、商談を再開する。
「絹の量はこの程度なのですが、いか程になりますか?」
「どの程度の額が必要なのか、と聞くのは無粋と言うモノですね」
優斗の差し出した紙に目を落としながらも、シュタンは優斗の様子を伺い続ける。
望む額を与えつつ、出来るだけ安く買取たいと考えるシュタンは、値上り続けている絹の価格変動と、2か月後の予測値をはじき出す。値上がりによる売り浴びせで一時的に価格が下がる事も考えられるが、ユーシアに関するある出来事の影響もあり、絹を大量に在庫している商会は少ない。むしろ今以上に値上がる可能性が高いと踏んでいた。
ユーシアに関するある出来事の事は、もちろん優斗も把握している。
1つは戦争により、生産数が落ち込んでいる事。
もう1つ、これは今朝知った事だが、3か月後にクシャーナ・ユーシアの正式な領主任命の宴が開かれる為、ドレス等の注文で絹の需要が増えていると言う事だ。
「しかし、この商売を手放すと言う事は、よっぽどの緊急事態か、もっと良い儲け話があるのでしょうね」
「はは。それは秘密ですよ」
シュタンの言葉に、優斗はキカロ商会が予想通りの契約を結んでいるか、そうでなくとも話を持ちかけられている事を確信する。
優斗が提案している契約。それは今、ロード商会が公国と帝国の各地で行っているモノと同じだ。いつも通りに事が進めば、これは双方に利益をもたらす、良い話になるはずだ。もちろん、優斗はそうならない事を知っている。
宴に参加する貴族達が、一斉に3か月後の納品依頼をすれば、職人達は大忙しで、休む暇も無くなるだろう。そして市場の高級な宝石や絹等の布も、無くなっていく。暇も物も無ければ、安い物を探す手間を惜しんで高い値段のついた品であっても買わざるを得ない。買い手は貴族なので、金に糸目を付ける事もない。
そして権力者と言うモノは、気まぐれで、我儘で、メンツを大事にする意地っ張りの集団でもある。そんな彼らが、敵対する、もしくはよく思っていない相手が自分よりも良いモノを仕立てていたら、どうするか。きっと、それ以上のものを仕立てろと命ずるに違いない。
宴の1か月前。
ほぼその時期に再注文や追加注文がある事と、その時には市場に出ている品や職人がため込んだ物が尽きている事は、何時もの事であり、そうなる事は明白だ。あり得ない程大量の供給でもない限り。
「この件では大きく儲けられませんが、堅実に稼がせて貰えると、私は信じています」
「どことは申しませんが、さる大商会の様に、ですか?」
「えぇ」
優斗とシュタンは、笑いあいながらお互いの腹を探り合う。
大資本を持つ大商会は、堅実な稼ぎ方でも大きな利益を出す事が出来る。逆に言えば、よっぽど事が無ければ、堅実な手を使った方が良いと言う事でもある。
さらに言えば、今回の件で最大の利益を出す為には、絹を欲しがる職人、1人1人と交渉する必要があり、その手間は莫大だ。それが、首都付近でなく、北をメインに商売をしている商会ならば、猶更だ。故に、この件でかの紹介の行動を不信に思う商人は、多くない。
「買い取り額は、公国金貨で120枚程でどうですか?」
「120ですか?」
「現在の相場よりは安くなりますが、どうなってもうちは資金を用立てておく必要がありますので」
シュタンが回りくどく指摘した内容を、優斗は予想範囲内だと、考えていた対処法を思い浮べる。
彼の指摘は、もし絹が届かなかった場合、買取資金とそれに売る際に掛かる人手の準備が無駄になる事を差している。この世界では、事故や人災で荷物が届かないと言う事は、よくある事だ。そしてそれによる減額に対する対処法は。
「届かなかった場合は、違約金をお支払します」
「ほう」
「持ち込んだ荷物を引渡しますので、それを違約金代わりにすると言う事でどうでしょうか?」
「届いた場合は?」
「その場合は、支払いに上乗せと言う事で」
優斗の荷物の総額は、大分目減りしていて公国金貨にして13枚程度。
減った金貨7枚分は、買付資金として手元に存在する。小さな村で荷を売った為、そのほとんどが銀貨や銅貨となっており、そのせいで優斗は現在、公国銀貨を200枚以上保持しており、財布がとても重い。
「荷物の査定を確認しますので、少々お待ちを」
「どうぞ」
シュタンが、コンコン、とテーブルを叩くと、扉の前で待機していたらしい、先ほどお茶を配っていた女性が入って来る。
シュタンは彼女から紙を受け取ると、少し悩んでから持ち場に戻るように指示し、優斗に向き直る。
「絹の買取が125枚、荷物の査定が20枚の合計145枚で如何でしょうか?」
「うーん。悪くは無いのですが」
荷物の買取価格が異常に高い事に驚いた優斗だが、当然の様にそれを顔に出す事はない。
目標値にほぼ等しい数字まで持ってきた事に満足した優斗は、今までと違い、商談を追えたらさよならではなく、2か月先まで関係が続く事も考慮し、ここを妥協点と決める。
「そうですね。仮にこの額として、まず他の点を決めてしまいましょう」
「判りました」
「こちらの希望は、今日から60日後から70日後までの間に持ち込んだ絹を、指定の価格で買い取って頂く、と言う内容です。
そして違約金の先払い額を金貨20枚とし、取引が成立した場合は、支払いにそれを上乗せする形でお願いします。
これならば、不成立の場合でも、わざわざ管理局に出向いて頂く必要もありません。どうでしょうか?」
その他の細々とした条件やキカロ商会が資金を準備出来ていなかった場合の事を決めると、正式な契約書の作成に入る。
結局、取引額が金貨145枚のまま、契約が行われる事になった。
ひさしぶりの大きな商談話でした。
情報を握っているので強気ですが、失敗した場合は巨額の借金が舞い込む危険も孕んでいます。
その割に、優斗くんはのんきです。