分の悪い賭け
宿に戻った優斗達は、相変わらずの位置関係で座っていた。
「売ってくれ、って言われてもなぁ」
「破格の値段でしたよ?」
フレイの言う通り、最終的にサイルスが提示した値段は、相場の倍近い数字だった。
どれだけ気に入ったんだ、と思いながら、優斗は「諦めませんから」と去り際に告げられた言葉を思い出し、ため息を吐く。
「フレイ的に、ああ言う男はどうなの?」
「好みじゃありません」
ばっさりだー、と言う気楽な感想を持てたのは、優斗がその答えに心底安堵したからだ。
もしここで、あの人の方がいいです、等と言われたら、優斗は落ち込んだだろう。そして、最寄りの街で奴隷解放手続きを行ったに違いない。
「あんな大金を積んでるのに?」
「お金の問題でしたら、私を値切って買おうとしたご主人様の評価は最低ですね」
「いやぁ、あの時はああするしかなかったと言うか」
藪蛇か、と思いながら優斗は誤魔化すように乾いた笑みを浮かべる。
嫌われてはいない、だけどどういう意味でどのくらい好かれているかは判らない。優斗はフレイの態度を、そんな風に解釈していた。
「でも、どうするかなぁ」
「どう、とは?」
「どうすれば諦めるのかな、と」
優斗は売る気が無く、サイルスは諦める気がない。
次の街には4日ほどで到着する予定であり、そこで商隊とは別れるつもりなので、それまで辛抱すれば問題無い、と言えば問題ないのだが。
「強硬手段に出られたら、面倒だ」
「ではいっそ、売ってしまいますか?」
その発言に、優斗は驚き、目を見開く。
視線の先に居るフレイは、軽く放たれた言葉とは裏腹に、真剣な表情だ。
自分が危険に晒されてでも、私を売る気はないのですか。
その表情をそう読み解いた優斗は、大きなため息を吐く。
「バカ」
「バカ、ですか?」
「うん。バカ」
フレイの表情が崩れ、嬉しそうな、でもどこか泣きそうなものに変化して行く。
ここは優しい言葉でもかけるべきだろうか。
そう考えた優斗が、かけるべき言葉をチョイスしている内に、フレイが、にやり、と唇の端を釣り上げる。
「では、売られるかもしれないからと、びくびくする必要はない訳ですね」
「もちろん。って言うか、心配なら奴隷かいほ――」
「じゃあこれからは、いつも通りのフレイで行きますので、よろしくお願いしますね」
にっこりと笑うフレイに見惚れた優斗が、一拍遅れて「こちらこそ」と告げる。
その反応に満足したフレイは、さっそくとばかりに口を開く。
「ご主人様に買って頂きたい物があるんです」
「お、何?」
嗜好品か装飾品だといいな、と思いながら、優斗は嬉しそうにそう答える。
フレイが食べ物と生活必需品以外で、あれが良い、これが欲しいと言う機会は滅多にない。食べ物であっても、飴を除けばどんな食事が良いかと言う希望であり、優斗が何かを強請られた事は、あまり無い。
「エプロンドレスです」
「エプロンドレス、って。気に入ったの?」
確かにしょっちゅう着てたけど、と思いながら、優斗はその姿を思い出す。
メイド服でご主人様と呼ばれる、なんて言う経験をする気は一生無いつもりだった優斗にとって、あれは中々に衝撃的な出来事だった。そしてそれが段々と気にならなくなっていた事実に思い当たり、はっとする。
「お好きでしょう?」
「いや、待て。だからそれは誤解だと」
「じゃあ、どんな服がいいんですか?」
あっさりと話題が流れた事に、優斗は危険な雰囲気を感じた。
下手な事を言えば、今度は別の妙な性癖の持ち主だと決めつけられ兼ねない。そう考えた優斗は、答えを慎重に吟味し、口を開く。
「特定の衣服を着ている事を好む趣味はない」
「えぇぇ!?」
似合っていればなんでも良い。
優斗のそんな言葉は、フレイのわざとらしい悲鳴に遮られる。
「服を着ている事を好まない、なんて。
私に、この首輪だけを付けて外を歩けと言うのですか!?」
「いや、待て」
待てと言って待つ訳もなく、フレイは次々に言葉を続けていく。
「まさか、ご主人様にそんなご趣味がおありとは」
「ないない」
「でしたら、ここで全てを」
「脱がんで良い」
立ち上がった優斗が、べしっ、とフレイにデコピンを決める。
あたった瞬間、ぺろりと舌を出したフレイは、そのままベッドへと倒れ込む。その勢いでスカートが空気を孕み、ちらりと中が見えた。
「見えました?」
「残念ながらズボンしか、って、狙って見せるな、はしたない」
優斗が語調を強くしても、フレイは気にする事なく、くすくすと笑う。
そんな反応に、優斗はまたため息を吐きながら、ベッドに寝転がるフレイを見下ろす。
「最近、思ってたんですけど」
「ん?」
「私は何をすればいいのか、って」
外から見れば、奴隷であるフレイは、優斗の命令を聞く事が絶対にして唯一の仕事だ。
しかし、優斗は彼女を奴隷扱いしない。そして、何かを無理やりさせる事も少ない。
優斗からすれば、彼女の持つこの世界の常識や、野宿をする際の手際は重要であるが、それは一般的なスキルであり、替えが利く。
「もう私がいなくとも、ご主人様は困らないでしょう?」
「そんな事は」
実際、優斗がユーシアで学んだ知識に、ある程度の経験が足されれば、1人での行商は不可能ではない。
実用と言う一点に置いて、フレイの存在価値は少しずつ小さくなり始めている。
「私の役割は何なのかと考えた結果、思い出しました」
「?」
「そう言えばご主人様は、被虐主義者だったんだ、と」
「何する気だっ」
その誤解は解けただろう、と続けて訴えると、フレイはまたニヤリと笑う。
「そう言えばそうでしたね。今は幼女趣味なご主人様なんでした」
「それも違うっ。ってか、このやり取り何回目だ」
「クシャーナ様の事、お嫌いですか?」
「だから、クーナはそう言う対象じゃないって」
「子供はそう言う対象ではない、と言う事ですか?」
「そうそう」
「じゃあ、貧相で子供な私にも、手を出したりしないはずですよね?」
ベッドから起き上がり、にっこりと笑うフレイ。
あの事、実は怒っていたりするんだろうか。そんな風に考えた優斗に、冷や汗が流れる。
「いや、その。フレイの嫌がる事はしないつもりではあると言うか」
「私は奴隷ですから、何をしてもいいんですよ?」
「奴隷だからこそ、逆らえないのを良い事に、なんて言うのは趣味じゃない」
あれは誘われたんだから無理やりじゃないはず、と心の中で言い訳しながら、優斗はフレイを見つめ返す。
「やっぱりご主人様は変わってますね」
「否定はしない」
「では、私が奴隷である内は、ナニもする気はない、と思っていいですか?」
「そうなる、かな」
「クシャーナ様と同じく、妹みたいに可愛がって下さいますか?」
「あー、うん。判った」
「私も、クシャーナ様みたいに甘えますから」
何の対抗意識だ、と呆れる優斗は、1つ失念していた。
クシャーナは優斗の主観では本当に子供だが、フレイはそうではない、と言う事を。
「今夜はいっぱい、甘えさせて下さいね」
「……鬼か」
フレイに聞こえない程度の声でそう呟くと、優斗は肩を落とした。
楽しそうな笑みを浮かべるフレイを見て、最初からこの言質を取る事が目的だったと優斗が気づいた時には、後の祭りだった。
その日の夜、ひさしぶりにフレイによる夜這いが行われ、優斗は悶々とした夜を過ごす事になる。
次の日、早朝に出発した商隊が、すっかり野営の準備を終え、商人達が火の回りに集まりだした頃、それは起こった。
「俺の名はサイルス。商人・ユートに決闘を申し込む」
今日も誰かから話を聞こうと、フレイを伴なって火の傍までやって来た優斗は、いきなり浴びせられた言葉に唖然とする。
既に集まっていた商人達は、退屈な時間に良い見世物が現れた、とその様子を遠巻きにしている。
「俺が勝ったら、フレイさんから手を引け。わかったか!」
「ヤダ」
優斗が隣に立つフレイに視線を送る。
昨日に引き続き、今日も一日、御者台でフレイにからかわれ、遊ばれていた優斗は、少しだけ不機嫌だった。
「それでも男か!」
「勝ち目がありそうだからって、暴力に訴えるのは男らしいと?」
サイルスの手元に視線を落としながら、優斗は挑発的にそう告げる。
手に握らている2本の棒。これで立会えば、十中八九、優斗は負けるだろう。体格もサイルスの方が良いうえに、仕掛けてくると言う事から、それなりに自信がある事が伺える。対して優斗は、運動神経こそそれなりだが、武道どころか喧嘩の経験すらほとんど無い。
「なら、別の方法で」
「じゃあ、フレイに決めて貰おう。どっちについて行きたい?」
「もちろん、ご主人様です」
はいおしまい、とばかりに、優斗は周りに「お騒がせしました」と頭を下げる。
もちろん、それでサイルスが納得するはずがない。
「ちょっと待て!」
「ん、何か用?」
「だから、フレイさんを俺によこせ!」
もう少し考えて発言すべきじゃないかな、と思いながら、優斗は辺りを見渡す。
視界の中に目的の相手がいない事を確認した優斗は、ストレス発散とばかりに少しだけからかうような口調で返答し続ける。
「誰か、護衛の人を呼んで貰えませんか?」
「話を聞け!」
「人のモノを盗ろうした場合は、身柄を取り押さえられる、と決めた事すら忘れたんですか?」
「何が言いたい!?」
「私のモノを、突然よこせと言いましたよね?」
「ふざけるな! 俺は正々堂々と決闘を挑んだだけだ」
「それはお断りしました」
「俺はそれを認めていないっ」
真っ赤になって怒り叫ぶサイルス。
優斗の方は、この世界で商人が決闘を申し込まれたら、普通は受けるべきなのか、と言う疑問について答えの無い自問自答をしていた。
「決闘が嫌なら、大人しくフレイさんを解放しろ!」
「それは俺もして欲しいなぁ」
「なんだと!?」
「2回も断られてるんだよ、奴隷解放。なぁ、フレイ」
「はい」
「嘘だ!」
サイルスが、優斗の胸倉に掴みかかりそうな勢いで迫ってくる。
視界の端にライガットが歩いて来るのが見えた優斗は、少しだけ悩んだが、まだ大丈夫、と彼を視線で制する。
「お前が命令して、言わせているだけで、フレイさんだって解放を望んでいるはずだ!」
「元奴隷は色々と面倒だと言う事らしいけど?」
「俺が貰うから関係ない!」
貰う、とは嫁に貰う、と言う事だろう。
その発言に、優斗はあえて考えないようにしていた事を思い出す。
フレイに対し、奴隷解放を提案するのであれば、まず最初に彼女の不安を取り除く言葉をかけるべきではなかったのか、と。
「本人が望んでいない」
「嘘だ。
違うと言うなら、その鑑札を外して質問してみろ」
鑑札が無ければ、服従の強制力は弱まる。
商品奴隷の持ち主は、奴隷自身がそう認識した相手であり、優斗がフレイを手に入れる事が出来たのは、そのおかげだ。
「鑑札さえなければ、無理やりにでも奪える、とか考えてそう」
「さっきから、人を盗人扱いして、喧嘩売ってるのか?」
「高値で買ってくれるのなら」
「ふん。やっぱりフレイさんには俺の方がふさわしい」
その自信はどこから来るのやら。
でも、そろそろ潮時かな、と思いながら、優斗は今まで以上に視線をきつくし、サイルスを睨みつける。
「どちらにしても、お前にフレイを渡す気はない」
言い終えると同時に振り替えると、フレイがどこか嬉しそうな表情で立っていた。
そのまま歩き去ろうとすると、後ろから肩を掴まれる。確認するまでもなくその相手が判ったが、優斗がそれを振り払う前に、その手が外れる。
「ライガットさん、待って!」
「暴力行為の鎮圧も、仕事の内だ」
「いや、俺の方もちょっと調子に乗って言い過ぎたかなーって」
ストレス発散にはなったが、それが原因で商隊に不和が発生するのはよろしくない。
そんな当たり前の事にようやく気付いた優斗は、自分がサイルスに負けず劣らず熱くなっていた事に気付き、大いに反省する。
「あー、サイルスさん。言い過ぎました。すいません」
「ならば、商人らしい決闘で決めると言うのはどうだ?」
突然割り込んで来たのは、商隊リーダーのミグルだ。
ミグルは、地面に引き倒されたサイルスが起き上がるのを確認してから、言葉の続きを発する。
「決闘内容は、次の街での商い勝負だ」
「いや、それは」
サイルスが言いよどんだ事に疑問を持った優斗は、その理由を考える。
「いいですよ」
「え?」
優斗の答えに、周りのざわめきが大きくなる。
もとより、何らの方法でこの状況を改善すべきだと考えていた優斗にって、今の状況はむしろありがたい。
「私が負けたら、フレイを奴隷身分から解放しましょう」
「だ、そうだが、サイルスくん」
「え、っと。でも、それは」
「フレイに不利な契約は押し付けない事と、荷物の半分を譲る、と言うのも付けましょうか?」
おぉぉ、と周りから歓声が上がる。
自信満々にそう言い放った優斗は、あえて今まで以上に挑発的に、サイルスに語りかける。
「もちろん、そちらがそれ相応のモノを賭けてくれるなら、ですが」
「っ~~~」
わなわなと震えるサイルス。
衆人環視の中、逆に挑まれる様な形になったサイルスは、怒りと焦燥で頭が一杯だ。
「挑まれた決闘を受けないなんて、男ならしませんよね?」
「……わかった。俺は、荷馬車と荷物、全てを賭ける」
何かを思いついたのか、サイルスは妙に落ち着いた風体でそう答える。
それに対し、周りから何度目かの歓声が沸きあがる。
「では、勝負は3日後、街に到着してからだ。
私が準備した物で、より多く稼いだ方の勝ち、と言う事でいいかな?」
「私に異論はありません」
「俺に不利な勝負だと思うのですが。どうでしょう、ユートさん」
自分が有利な勝負を仕掛けようとした癖に、逆になったら文句があるようだ。
ちゃっかりしているな、と思いながら、優斗は何も言わず、営業スマイルを浮かべる。
「ふむ。経験の差があるのは確かだな」
「ミグルさんもそう思いますよね?」
「だがね、サイルスくん。無理に決闘を挑んだからには、多少の不利は受け入れるべきではないかな?」
「ぐっ」
その後、サイルスはどうにか条件を変更、もしくは自分有利な展開に持っていこうとし続けたが、最終的には決闘自体を無い事にするよりはと、ほぼ平等な条件での勝負が行われる事が決まった。
騒ぎが収まった後、火の回りに集まっていた商人達に謝罪の言葉と共に葡萄酒を一杯ずつ届けた優斗は、その足で自分の荷馬車へと戻っていた。
退屈な行商路で起こった愉快なハプニングに、ほとんどの者が好意的で、応援の言葉を何度か貰う程だった。
もちろん、商隊に不和を起こした事による悪影響を心配し、苦言を呈する者もいたが、優斗が真摯に謝ると、カップを出してくれた。
「よう、災難だったな」
「あ、ライガットさん。見張りはいいんですか?」
「今晩はこの辺の担当でな」
今日まで、野宿を行った回数は3回。巡回に来たのは、いずれも別の若者だった。
護衛場所は持ち回りなのか、と納得しながら、自分たちの荷馬車を見上げる。
商隊は基本的に決められた配置で列を組み、移動している。野営の際には、野営地の大きさにもよるが、ほぼそのままの配置で停車する。
「先ほどはお騒がせして、申し訳ありませんでした」
「若いんだから、あんなもんだろ」
「はは。あ、そうだ。一杯どうですか?」
「お、嬉しいね。是非貰おう」
優斗が自分のカップを手渡すと、フレイが「どうぞ」と瓶を傾ける。
ライガットはそれを一気に飲み干し、満足そうに唇を嘗める。
「うむ、美味い」
「それはよかった」
「ところで、若いの」
「何でしょう?」
「勝算はあるのか?」
初めてかけられた種類の問いに、優斗は少しだけ考える間を空ける。
優斗がこの世界で商売を始めてから、約2か月。周りの評価とは裏腹に、優斗にとってこの勝負は不利であると言える。
優斗が適正価格を把握しているのは、現在まで取り扱った商品と、せいぜい消耗品くらいだ。この世界でずっと生活して来たであろう、サイルスよりも、準備された品について知識がない可能性が、とても高い。
それ以外にも、優斗が品物を直接売買する事にあまり慣れていない、と言う事がある。
何を売りにして良いか判らない商品を、適正価格が判らないまま売るのは愚の骨頂であり、まずそこから調べなければいけない優斗は不利である、と言う訳だ。
「なるようにしかなりませんよ」
「自信がありそうに振舞ってたが、内心はそうじゃなかっただろう?」
「判りますか?」
「伊達に歳は食ってねぇからな」
ライガットからカップを受け取った優斗は、それをフレイに手渡す。
優斗が視線で荷馬車を示すと、彼女はその意思に従い、荷物を片付ける為に荷台に登る。
「正直、勝ち負けはどうでもいいもので」
「ほう。商人の癖に、商品がどうでもいいたぁ、景気がいいな」
「奴隷で無くなっても、付いて来てくれると確信しているだけですよ」
居なくなったらそれはそれで、と思いながら優斗は視線を荷馬車に向ける。
ライガットもそれに釣られて視線を移すと、フレイが荷台の中へ入っていく姿が見えた。
「言うねぇ」
「でも、そうなったら、別の名目を準備すべき、なんでしょうねぇ」
優斗は、それがそんな状況に陥れた自分の責任であり、果たすべき義務だから、と考えた。
それがフレイの嫌った行為であると知らずに。
「それはまぁ、お前次第だな。ところで、俺は何でここに来たんだったか?」
「いや、それを俺に聞かれても……」
「おぉ、そうだ。
あの小僧が何か仕掛けてくるやもしれん。しばらくはここを重点的に見張る事にするから、よろしく頼む」
「それはありがたいですけど、大丈夫だと思いますよ?」
サイルスは、優斗の挑発で熱くなりはしたが、最終的にはかなり落ち着いて勝負の詳細を聞いていた。
その一部始終を見ていた優斗は、彼に何か策があるのだと確信していた。
自暴自棄で無く、何かによって裏打ちされた自信があるからこそ、全財産を賭けると言う言葉を曲げなかったのだろう。
仮に鑑札の付いた奴隷を無理やり奪っても、解放どころか街でまともに生活する事すら難しい。それでも良いと奪うにしても、今すぐに行えば捕まる可能性が高い。
「来ないに越した事はないがな。俺は俺で仕事をするだけだ」
「そうですね。よろしくお願いします」
優斗はもう眠る事を伝えると、フレイの居る荷台へと移動する。
そして荷台で待ち構えていたフレイにより、2人は1つの毛布に包まって寝る事になる。
何事もなく夜が明け、また1日が過ぎる。
サイルスに「正々堂々と戦いましょう。負けませんからね」と言う宣戦布告を受けた以外、その日は概ね平和に過ぎ去った。
いつも通り野営地で話を聞こうとして、逆に昨日の件で質問攻めにあった優斗は、早々に輪を抜け出し、眠る準備をしていた。
「おやすみ」
「おやすみなさい、ご主人様」
腕を枕にし、抱き着いてくるフレイに少しだけどぎまぎしながらも、優斗は目を閉じる。
今まで野宿の最中に絡んで来る事はなかったのだが、昨夜からこの調子だ。商隊に参加しているので、火の番として夜中起きている必要がない事も、理由の1つだろうと優斗は考えていた。
さすがに、布一枚向こうに人が居るかも知れない状況で、それ以上のお誘いをかけて来る事がない事だけが、優斗にとって救いだった。
大きな音で目が覚めた優斗は、外が妙に明るい事に気付いた。
次いで、物音の正体が人の声である事に気付き、その内容を把握し、一気に眠気が吹っ飛んだ。
「燃えてるぞ!」
「盗賊の襲撃だ! 逃げろ!」
「火の手が移る前に移動しろ!」
優斗は慌てて荷馬車から飛び降り、辺りを見渡す。
各々の寝場所から飛び出し、火の手があがっている方向へ視線を向けた商人達は、一瞬だけ呆けた表情をするが、すぐに御者台と向かう。
「ユートさんも早く!」
「サイルスさん?」
「火を付けたヤツはきっと盗賊の仲間です!」
内部から手引きした人間がいる。
ならばここに居る全ての商人が疑う対象であり、この場に残ると言うのは、下策だ。
少しだけ冷静さが戻った優斗は、一先ずここを離れるべきだと判断し、街道をどちらに抜けるべきかを考え始める。
「わかった。君はどうする?」
「自分の荷馬車へ向かいます」
そう言ってサイルスは、火の上がっている方角へ視線を向ける。
それは無謀だ。
そう思っても彼を止める権利はない。そう考えた優斗は、御者台へ登ろうと、振り返る。
「決闘はちゃんと受けて貰いますからね」
「あぁ。お互い、生き延びられたらな」
「ではのちほ、どわっ」
不自然に途切れた言葉に、優斗は再度振り返る。
するとそこには、地面に倒れたサイルスと、武器を構えたライガットの姿があった。
「犯人はコイツだ! 全員、慌てず火を消せ!」
血の付いた手斧を持ち、ライガットが叫ぶ。
サイルスは、叫ぶ為に出来た隙を利用して、ライガットから離れる様に立ち上がる。
「ライガットさん、突然何を」
「火が付いてんのはソイツの荷物だ。自分で――」
「手引きしたのは護衛だ! 全員、早く逃げろ!」
サイルスの叫びに呼応し、商人達が我先に逃げ出す。
そんな中、優斗はどうすべきか、混乱する頭で考えていた。
サイルスが犯人であれば、その言葉に従うのは危険だ。
ライガットが犯人であれば、逃げ出そうとした瞬間、背後から切りかかられる可能性がある。
「ユートさん、逃げてください!」
「行くな、罠だ!」
どちらが真実で、どちらが嘘なのか。
判断を誤れば、フレイにまで危険が及ぶ。
そんな恐怖に晒された優斗は、じりじりと焦りを募らせながら、無為に時間を消費する事しか出来なかった。
どちらが正解なのか、もしくはどちらも不正解なのか。
例え正解を引いたとしても、確実に逃げられる訳でもない状況は恐ろしいですね。