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異世界行商譚  作者: あさ
商品の行方
36/90

帰れる場所

 ユーシア騎士団の酒盛りから「明日は早いので」と言い訳し、早々に離脱した優斗は、その言葉通り、朝早くに宿を出た。


「どうしてこんな早くに?」

「連れてけって言われると、面倒だから」

 連れて行きたくない相手と言うのは、もちろんユーシア騎士団の面々だ。


 昨日は足止めをされた橋も、武具を外せば通過出来る。ならば、一刻も早くクシャーナに会いたいから連れていけ、と言う展開は、ありえそうな話だ。


「こんな時間に、会って貰えるんですか?」

「多分無理。

 だから朝食がてら、時間を潰してから行こう」

 早朝から開いている店を見つけ、朝食を調達する。


 優斗は、フレイがいつも通りに朝食を平らげている姿を見て、二日酔いではなさそうだ、と安心する。


 その後、街を散策して時間を潰すと、頃合いを見計らって目的地であるカートン家の別邸へと向かう。


 屋敷の前には、大きな門と、それを守るように2人の門兵が立っていた。


「すいません」

「あん? なんだお前ら」

「これを」

 優斗の差し出した封筒を訝しげな表情で受け取った門兵は、その装丁を見て驚き、取り落としそうになる。


 ザイルから受け取ったカートン家の家紋が入った封筒の効果に、優斗は苦笑しながら言葉を続ける。


「こちらに滞在中の、クシャーナ・ユーシア様と約束があるのですが」

「わかった。そこで待ってろ」

 そう告げると、門兵は、もう一方にこの場を任せ、屋敷へと向かう。


 しばらくして、侍女らしい人物を伴って戻ってくると、その侍女に促され、優斗達は屋敷の一室へ案内される。


「ここでしばらくお待ちください」

「ありがとうございます」

 優斗達は、豪華な部屋の、やはり豪華なソファーセットに腰かける。


 そして待つ事、約20分。

 高級すぎるソファーが落ち着かず、部屋の中で立っていた優斗は、ノックも無く飛び込んできた人影から体当たりを食らう事になる。


「おかえり、お兄ちゃん」

「ただいま、って?」

 優斗の胸に飛び込んで来たのは、見慣れぬ、しかし見覚えのある装束に身を包んだクシャーナだった。


 両腕を背中にまで回され、がっちりと捉えられてしまった優斗は、仕方ないな、と苦笑を浮かべながら、彼女の頭を撫でる。


「ところでクーナ」

「なに?」

「何故にお兄ちゃん?」

「説明しましょう」

 声のしたドア付近へ向けた優斗の視線の先に、金髪に茶色の瞳を携えた妙齢の女性が居た。


 どこか見覚えのある面差しに不敵な笑みを浮かべている女性は、後ろ手にドアを閉めると、部屋の中へと入って来る。


「女として成長するまでの間、とりあえず一緒に居られる関係を築いておくようにと私が助言したのよ。

 具体的には、妹になっちゃえ、と」

「あー、いや、なんていうか」

「後はどうにか既成事実を作れば完璧」

「どこが!?」

 思わず激しいつっこみを入れる優斗を、女性はにやにやと見つめる。


 更に背後からも冷たい視線を感じた優斗は、居心地の悪さを感じながらも、クシャーナの頭を撫でている手は止めない。


「ちなみに、私はその子の姉よ。お姉さまと呼びなさい」

「遠慮しておきます」

 簡素な服装から、クシャーナに付けられた侍女かと思っていた優斗は、勢いでつっこみを入れまくった事を思い出し、どきりとする。


 そんな優斗の反応に、クシャーナの姉はからからと笑う。


「クーナ、こっちおいで」

「もうちょっと」

「折角お洒落したんだから、ちゃんと見せびらかさないと、ね?」

「……判りました、お姉さま」

 しぶしぶと言った体で、クシャーナが優斗から離れる。


 そのまま姉の方に戻り、その場で一回転してから、袖を掴んでにこりと笑う。


「どうですか?」

「似合ってるよ」

 クシャーナの黒い髪によく映える、白を基調にした菫色の矢絣柄の着物に、同色の袴と言う、いわゆる大正の女学生スタイル。


 この世界に来て初めてみる和装に、やはりそう言う国もあるのか、と考えた優斗の思考は、そのままあちらの事を思い出し始める。


 父・母・弟・アイツ。そして数少ない友人たち。

 この子はあちらを思い出させる要素が多すぎる。優斗はそんな思考を振り切る為に、話題転換をはかる。


「ところで、お姉さんは何故ここに?」

「この子が領主になるって聞いて、私の出番かなって」

「お姉さまは駆け落ちして、行方不明だったんです」

 余計な事は言わないの、と姉に嗜められるクシャーナは、嬉しそうだ。


 そんな光景を前に、優斗はルエインの言葉を思い出していた。

 曰く、自分が仕事に着くまで領地経営を取り仕切っていたが、嫁いで行ってしまった姉。彼の執務室にある資料のほとんどは、彼女がまとめた物だとか。


「なるほど。

 噂はルエイン様から聞いています」

「うげ」

 妙齢の女性らしからぬ奇声を上げ、顔を歪ませるクシャーナの姉は、心底嫌そうな表情を浮かべる。


「絶対、碌な事を言って無かったでしょ?」

「いえ、そんな事は」

「私達を、親が平民出だからって、外へ追い出そうとしてくれたし。仕事も全部持ってかれたし。何より腹が立つのは」

 私達、といいながらクシャーナの肩を引き寄せた彼女は、まだぐちぐちと文句を言い続けている。


 優斗の視線を受けたクシャーナが、なんとか姉を宥めてソファーに腰かけさせると、その視線がフレイに向けられ、興味の対象が移る。


「ふーん。なるほどねぇ」

「そう言えば、自己紹介がまだでしたね」

 重ねられた優斗の言葉に、クシャーナの姉は視線をフレイに向けたまま、返事をする。


「クーナから聞いてるから大丈夫。で、私の名前はアロウズ。よろしくね」

「はい。よろしくお願いします」

「こちらこそ、アロウズさん」

 今まで黙り続けていたフレイに先を越されながらも挨拶を交わした優斗は、ちらりと隣の彼女を見る。


 ちょこんとソファーに座り、余計な口を挟む事なく座っているのは何時もの事。だが、今日は少しだけ雰囲気が違う、と感じたが、優斗はそれが何なのか判らないまま、会話を続ける。


「アロウズ様は、クーナ、いえ、クシャーナ様と一緒にユーシアに?」

「様いらない。私は家出娘だし。あと、クーナもクーナでいいから」

「わかりました」

 気安い人で助かる。


 そんな感想を抱きながら、優斗は作りかけていた商談用の表情も消し、元に戻す。


「で、この後の事だっけ?」

「はい」

「私が居た時は、旦那ともう1人の3人で回してたんだけど、そいつがもういなくってね。ルエインのせいで」

「は、はぁ」

 既に質問の答えは十分に得ているが、優斗はそれを指摘出来なかった。


 人妻だったのか、と別の事に気を取られている優斗を無視し、アロウズは、勢いのまましゃべり続ける。


「兄さんも父さんもいないし、そうなるとルエインがクーナをお飾りにして、好き勝手やりそうだし、これは年長者の私がどうにかするしかない、って。

 アイツは人を政略結婚に使おうとした前科があるし、この子にも似たような事をし兼ねないからね」


 マシンガンの様に言葉を発するアロウズ。

 圧倒された優斗がその光景から目をそらすと、彼女の隣でクシャーナがはにかんでいる姿が見えた。


「兄弟なんですから、仲よくしてください、姉さま」

「私の妹はクーナだけよ。唯一の同腹だしね」

「同腹、ですか?」

 言葉の意味が判らなかった優斗は、思わず聞き返してしまう。


 数秒間、3つの視線に晒された優斗が、居心地の悪さから苦し紛れに何か言おうとした寸前、それに先んじてアロウズが口を開く。


「貴族は何人も連れ合いが持てるのは知ってる?」

「知りませんでした」

 跡取りが必要なら普通か、と思いながら、優斗は正直に答える。


 よくよく考えて、優斗は自分が物語などを読んで知っている貴族のイメージでは、一夫多妻制であったり、後宮があったりする事が普通だと気づく。


「で、うちの父さんは違う種類の女性を3人口説き落としたんだけどね。

 1人は公国の騎士で、1人は帝国の貴族。そしてもう1人が平民から嫁いできたのが私達2人の母親で、ユウ母さんよ」

「私が生まれた時に亡くなったので、私は会った事がないんですけどね」

「クーナそっくりの黒髪で、私と同じ茶色の瞳をしてたわ」

 遠い目をしているアロウズに対し、クーナはどう反応して良いか判らず、曖昧に笑う。


 そう言う身分意識も、確執がある理由なんだろうな、と思いながら、優斗はクシャーナに視線を合わせ、お互いに苦笑する。


「話、戻すけど、今後は、主に私が外向きの仕事担当で、うちの旦那が内向きの仕事、騎士団は誰かに任せるとして、優斗君はクーナの補佐兼うちの旦那の手伝いで」

「いや、ちょっと待って下さい」

 自分が組み込まれている事に驚いた優斗が、慌てて言葉を遮る。


 そのまま否定の言葉を続けようとした優斗は、クシャーナの悲しそうな表情が目に入り、先を口に出せなくなる。


「おやおや、弟君は私の妹を泣かせる気かな?」

「いや、そういう訳では」

「うちにおいでよ。一回出てった私が言うのもなんだけど、それなりに居心地はいいと思うし」

 大分減っちゃったから、増えるのは嬉しいしね、と呟いた声は小さく、優斗には正確に聞き取れなかった。


 しかし、その声が届かずとも、一瞬だけ見せた陰のある表情に、優斗の心が少し揺れる。


「なんなら、いきなりクーナの旦那でもいいよ?」

「ですよ?」

「いやいや」


 姉妹揃っての攻勢に、優斗は隣に助けを求めるが、そっぽ向かれてしまう。


 まずは婚約者からかな、等と冗談めかすアロウズ。ここぞとばかりに、是非、と押してくるクシャーナ。


 嘘で取り繕うのは無駄である。それを良く知っている優斗は、これからの事と、すぐにユーシアに行けない本当の理由を、少しだけ話す事にした。


「この後は、西回りに公国を巡る予定なんです」

「一緒に居て、くれないんですか?」

 寂しそうな声色で返すクシャーナの表情は、俯き気味になっているせいで優斗が窺い知る事は出来ない。


「いや、そういう訳じゃなく」

 潤んだ瞳と上目使いをセットにした表情のクシャーナが、顔を上げる。


 その表情に再び言葉を止められた優斗の服が、引かれる。

 どうやら、フレイが裾を引っ張ったらしいと気づいた次の瞬間、横腹が抓られる。


「っっ!?」

 大きな反応こそしなかったが、優斗が口元をひきつらせた事に気付いたクシャーナが、不思議そうな表情になる。


 その隣では、相変わらずアロウズが楽しそうにニヤついている。


「自分に足りないモノが何か気づいたから、それを何とかしようと思って」

 痛みに耐えながら、それを誤魔化すように優斗は説明を続ける。


 痛みのおかげか、クシャーナのあの表情から解放されたからか、優斗は少しだけ余裕を取り戻していた。


 それが何なのか、と言う無言の問いかけを感じ、優斗は予定通り半分だけを口にする。


「経験と見識。だから、色々と見て回りたい」

 その言葉に、クシャーナがアロウズを見上げる。


 ずっと浮かべていた笑みを消したアロウズは、少しだけ表情を硬くし、優斗を見る。


「理由がそれだけなら、一先ずユーシアの復興を手伝ってくれない?」

「個人的な理由もあるので、出来れば遠慮したいです」

 個人的な理由がある、と言うのも真実だ。


 優斗が西、もしくは南西に移動しようと考えている理由の1つに、ロード商会の支店が無いからと言う理由がある。飛び杼に関する商売が収束するまで――キャリスの予想では半年以内――はユーシアを含む公国北部と帝国方面には近づきたくない。


 それを説明する訳にいかない優斗は、もう1つの理由を口にする。


「ルエイン様を騙す様な事をしたもので、ちょっと居づらいって言うのもありまして」

「アイツが邪魔なら追い出そう」

「お姉さま、ダメですよ」

「クーナ。別に好き嫌いで言ってる訳じゃないの。

 生死不明な人間を当てにするよりも、確実に使える人手を確保する必要がある。判るわね?」


 反論しかけたクシャーナは、葛藤の末、しぶしぶ頷く。


 一方優斗は、その言葉にある事を伝え忘れていた事に気付く。


「忘れてました。ルエイン様はご無事ですよ」

「へ?」

「はぁ?」

 アロウズとクシャーナが、姉妹らしくそっくりな顔で驚く。


 ようやく主導権が握れた、と少しズレた感想を抱きながら、優斗は言葉を続ける。


「実は先日、この街でユーシア騎士団に会いました」

「ほんと!?」

 ソファーから立ち上がったクシャーナが、身を乗り出して優斗に迫る。


「もちろん。

 で、彼らが護衛していた帝国に逃げた人達は全員無事だって」


 前線に赴いた者はほとんど亡くなったが、一部、捕虜交換で戻るかもしれない、とも聞いていたが、あえて口にしなかった。それでもアロウズは、優斗の表情を見てそれに気づいた様だった。


 クシャーナの方は、安心したのか、崩れ落ちる様にソファーに座りこむと、アロウズの腕にしがみつく。


「……お姉さま」

「うん。よかった」

 身を寄せ合う姉妹の姿に、優斗は目じりに浮き上がりそうな涙を堪えるのが精いっぱいだった。



 クシャーナが落ち着いた頃合いを見計らい、アロウズが呼んだ給仕の侍女が運んで来たお茶を4人で飲む。


 ユーシア騎士団の方は、念の為に確認を行うと、アロウズが、騎士団員と直接の面識があるトーラスに会いに行く様、指示を出していた。指示は侍女を通じて行われた為、優斗はまだ再会を果たしていない。


「絶対に、帰って来てくれるんですね?」

「約束通り、会いに行くって」

「でも、ユーシアで働く気はない、とか?」

「そうなんですか!?」

「ルエイン様の恨みを買ったから働くのは、って、これ何回目ですか?」

 優斗が説明し、クシャーナが納得しかけるとアロウズがひっくり返す。


 黙々とお茶を飲み続けるフレイを除いた3人は、既に何ループ目かの似たような会話を終え、全員同時にカップを手にする。


「フレイも何とか言って」

「私は、ご主人様のお傍に置いて頂けるのであれば、どちらでも構いません」

「どうする、クーナ。愛人付きだって」

「気に、なるけど、気にしないのでユーシアにちゃんと帰って来て下さい」

「むしろクーナが愛人かも?」

「えぇえぇぇぇ!?」

 話の展開が酷すぎる。


 優斗がこっそりため息を吐いた瞬間、部屋の扉を叩く音が鳴った。


 全員が目を見合わせた後、アロウズが「はい」と返答すると、静かに扉が開かれる。


「邪魔する」

 開かれた扉の向こうには、中年に差し掛かろうと言う年齢の男性が立っていた。


「ライグル様!?

 どうも、この度は様々な便宜を図って頂き、ありがとうございます」


 立ち上がったクシャーナが、ソファーから一歩横へ出ると、スカートの裾を持ち上げ、恭しく頭を下げる。


 きっと偉い人なのだろう。そう判断した優斗も、同じ様に立ち上がり、頭を下げる。


「クシャーナ嬢、アロウズ嬢。そちらの商人に用があるのだが、構わないか?」

「もちろんです」

 カートン家の当主様だろうか。


 優斗のそんな考えは、即座に否定される。


「ライグル・カートン。カートン家の次期当主で、君が契約したザイル・カートンの兄だ」

「はじめまして、優斗と申します」

「ちょっと相談があってな。座って話そう」

 その言葉に反応し、フレイとアロウズが移動を開始する。


 フレイは優斗の後ろに、空いた席にはクシャーナが移動。そしてアロウズはその後ろだ。そうする事で、2人掛けのソファーの片方が空き、そこにライグルが座る形となる。


「とりあえず、座れ」

「はい」

 クシャーナと一瞬だけ視線を合わせてから、優斗はその場に腰かける。


 何の用だろう、と警戒する優斗は、目の前のテーブルにあった茶器が無くなっている事に気付く。


「実は、君にお願いがあって来た」

「はい、なんでしょうか」

「ザイルと結んだ契約書。あれを持って管理局へ行って貰いたい」

 その言葉を、破棄しろ、と解釈した優斗は、目を見開いて驚く。


「いや、悪い。言い方が悪かった。

 うちの父親――現カートン家当主が、ザイルを勘当すると言いだしてな」


 その理由を、優斗は少しだけ予想する事が出来た。

 これから帝国との関係を築く上で重要な立場のクシャーナ。彼女の印象が悪い人間を、家に残しておくのは百害あって一利無しだ。


 優斗の表情からそれを読み取ったのか、ライグルはわざとらしいため息を吐く。


「まぁ、察しの通りだ。

 あんなでも弟なんでな。強制的に契約権を剥奪して、罰は与えたからと父を説得するつもりだ」


 今まで貴族として過ごして来た人間が、自力で生活すると言う事がどれ程大変な事なのか、優斗には想像がつかなかった。


 しかし、それが本心からの言葉なのか、それとも次期当主と言う自分の椅子を守る為の措置なのか。そこまで考えてから、優斗はそれを判断する術を持っている事を思い出す。


「確認しなくとも本当だ」

「申し訳ありません」

 即座に謝ると、ライグルは苦笑を浮かべる。


 だからと言って、あの契約をなかった事にされるのは困る。

 優斗がそう考えていると、ライグルは手元のベルを鳴らした。


「契約通りの額面を、私が個人的に支払おう。もちろん、相応の礼もする。何が良い?」

 ドアが開き、金貨を乗せた銀の盆を持った侍女がやって来る。


 それをテーブルに置くと、侍女はそのまま部屋を出ていく。


「荷馬車は手続きの後で引き渡そう」

 言葉から察するに、これはこの場で受け取っても良いらしい。


 大金を目の前に、少しだけ舞い上がっていた優斗が我に返ったのは、ライグルの表情が目に入ったからだ。


 その表情から、与し易い相手だと思われている事に気付いた優斗は、少しだけ腹立たしく感じる。軽々しくそう見られる行動を取った、自分自身に。


「ライグル様」

「なんだ?」

「礼、とおっしゃいましたが、何でも良いのでしょうか?」

「無茶な条件で無ければな」

 荷馬車と目の前の金貨があれば、優斗が行商を再開するには十分だ。


 ならば、と思い浮かんだ案は、優斗を少し不安にさせる。過去に足を引かれ過ぎている自分が、既に泥沼に嵌っているのではないか、と。


 そんな思考を、不利益を与える形になってしまったユーシア家への償いだ、と言い訳する事で抑え込みながら、優斗は隣の少女に視線を向ける。


「クシャーナ様」

「なんでしょう?」

「ユーシアで生産する絹の売り先を、私が決めても構いませんか?」

「はい」

 躊躇の無い即断即答に、あまり信頼されても困るんだけど、と思いながら、優斗はライグルに向き直る。


 そして、それに驚いたアロウズが口を挟む間も無く、優斗の交渉が始まる。


「では、ライグル様。ユーシア復興の為の資金を、貸して頂きたい。出来るだけ多く」

「貸す、でいいのか?」

「はい。その代り、支払いは一年後から開始の、絹で支払いとさせて下さい」

「なるほど。産業の復興と借金返済を同時にやろう、と言う訳か」

「さすがライグル様。ご名答です」

 よこせ、と言わなかったのは、なるべく大きな額を引き出す為だ。


 ライグルもそれには気づいた様で、それ以上は触れず、別の疑問を口にする。


「もしくは、絹が値下がる情報でも手に入れたか?」

「その通りです。ですので、絹の数は契約書に明記して頂きたい」

「我が家が損をするような取引は出来んぞ?」

 ライグルが想像以上に頭の回転が良い人物であった事に、優斗は手間が省けたと内心喜んだ。


 ユーシアの代理として話している以上、貴族との関係悪化は避けたい。それが借金をしている相手ならば、猶更だ。

 故に、今回、優斗が目指す着地点は、ユーシア家とカートン家が、お互いに得をする状況を作り出す事だ。


「突然、どこかに借金を頼むのは、難しいですよね?」

「そうだな。それがどうした?」

「ですが、ユーシア復興の資金を用立てたい、と言うのであれば、どうでしょうか?」

 優斗の言葉を受け、ライグルは少し俯く。


 そのまま数秒間黙り続けた後、優斗の目を覗き込んで来た。


「証拠は?」

「ありません」

 大嘘だ。


 飛び杼の存在を知られたくない優斗は、少し挑発的な笑みを浮かべ、言葉を継ぐ。


「ですが、絹が値上がっても、値下がっても、同じ契約をどこか別のところと交わして頂ければ、ライグル様に損はないはずです。

 私がお願いしたいのは、カートン家の持つ信頼を使って、今すぐにお金を集めて頂く事です」


 ライグルは頭の中で、全ての場合の状況を思い浮べていた。


 調査を行えば、値上がるか値下がるかの予想を立てる事が出来る。

 その結果を見てからどうするか判断すれば、高い確率で利益が見込める。


 基本的に領地を持たない貴族は、領主と違って国からの給金で生活している。それでも貯えとしては十分であるが、侯爵家としての箔を付ける為に、お金はあるに越した事はない。


「良いだろう。

 復興支援の名目で、無担保・無利子で貸し出そう。額面は後で連絡する」

「ありがとうございます」

「お前の部屋を準備させる。今日はここに居て貰うが、構わないな?」

「もちろんです」

「そちらの契約に関しては明日、うちの者と行って貰う。それまでに荷馬車の準備と、詳細の連絡をする。

 それで構わないな? クシャーナ嬢」

「はい」

 クシャーナの返事を最後に、ライグルは言葉を止め、退室する。


 優斗が、予想外にあっさりと交渉が成立した事に拍子抜けしていると、前の席にアロウズが戻り、フレイが茶器を並べ直し始める。


「ねぇ、クーナ」

「なんですか、お姉さま」

「ホントに絹は値下がるの?」

「それはお兄ちゃんに聞いてください」

「弟ー、説明ー」

 飛び杼の話をして良い物か、と優斗は一瞬だけ悩み、今さらか、と結論する。


 飛び杼の説明と、その技術がロード商会にも流れている事。

 最初は半信半疑だったアロウズも、クシャーナの証言を聞き、納得せざるを得なかった。


「当面の資金が確保出来たし、産業の復興と返済を同時にこなせる上に、上手くいけば将来の資金繰りまで解決、かな?

 やっぱルエイン追い出すから、うちに来ない?」

 アロウズの一言に、優斗は苦笑しながらも首を横に振る。


「でも、帰っては来てくれるんですよね?」

「約束は守る」

「じゃあ、それまでにルエインのヤツを黙らせるか、追い出しておくと言う事で」


 その言葉に、仲よくして下さい、とクシャーナが返すのを見ながら、優斗は冷めてしまったカップの中身を飲み干す。


 空になったカップにフレイがお代わりを注いでくれた事に礼を言ってから、優斗は再び姉妹の会話に視線を戻す。


 この世界の人間ですら無い優斗に対して、唯一『帰って』来て欲しいと言ってくれるクシャーナ。

 本来帰る場所を髣髴させる容貌も相まって、優斗は彼女の元へ『帰る』事を強く否定出来ない事を自覚していた。


 どうするにしても、ロード商会の件が落ち着いてからだ。

 そう考えた優斗は、一旦この件に関する結論を出す事を諦める事を決めた。

優斗くんがこちらの世界に馴染み始め、幾つかの大事なモノを得ました。

それが代償として失ったモノと釣り合うのかは、別にして。

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