小さな商売
優斗が目を覚ますと、目の前にフレイの顔があった。
それに対してあまり驚かなくなった自分に、少し勿体ないな、と思いながら、ベッドを抜け出そうと体を動かす。
「って」
腕に感じる痺れと重み。
このベッドに枕は1つ。そしてそれは、優斗の頭の下にあった。
だから腕枕か、と納得しかけた優斗は、すぐさま、いやないない、と否定する。
「んー。起こすべきか」
悪戯すると言う選択肢もあるな、と思いつき、優斗はフレイの頬を突く。
昨夜の彼女と同じ行動は、その結果に置いて違う物となる。
「うおっ」
「おはようございます」
突然、目が開いた事に驚いた優斗は、その勢いで後ろへ下がる。
その結果、当然ながら腕枕を抜かれたフレイの頭が、ベッドに落ちる。
「女の子にはもうちょっと優しくして下さい」
「あー、ごめん」
反射的に謝罪の言葉が出たのは、むしろ悪戯しようと考えていた事が原因だ。
それを鋭く察知したフレイは、目を細める。
「私の身体に、何かをしようとしていましたね?」
「してないしてない。あ、ほっぺた突くくらいはしたか」
「起きなかったら、もっと色々なところを突くつもりだったんですね?」
「ないない」
それを実行しても許される立場であるにも関わらず、優斗は必死に否定する。
否定しながらも、自分が掛布団を弾き飛ばしてしまったせいで、半ばまで露出している太ももや、完全に肌蹴る一歩手前の胸元に目がいってしまう。
その視線に気づいたフレイは、妙に慌ててスカートの裾を押さえる。
「えっち」
「いやいやいやいや」
慌てて否定する優斗の態度に、フレイは少しだけ安堵した様な表情を浮かべる。
「ところでご主人様、お願いがあるのですが」
「何?」
突然の話題転換に、現状を脱したいと思っていた優斗は、一も二もなく乗っかった。
「服、買って下さい」
「……そう言えば。だから、寝る時も同じ服だったのか」
「えぇ」
フレイの服装は、パッと見では別れた時と大差ない。
服は売られた時のままで、半袖のブラウスにノースリーブのワンピース姿。頭と首元のリボンは買取の際に受け取った物を既にまき直し済み。下の方は、ブーツとオーバーニーソックスが無くなっているので、白い足が露出している。そしてスカートの中は。
「あー、そっか」
「じろじろと見ないでください」
手で押さえられているスカートに向けた視線を、優斗は慌てて外す。
購入の際に、確認がし易い様にと配慮された結果を、優斗は『確認』によって知っている。
そして、それを思い出しながら向けられている優斗の視線を察知し、むず痒さを感じたフレイの顔は、ほんのり赤く染まっている。
「お金はそこそこあるし、今日は買い物と言う事で」
「賛成です」
優斗ははっきり、お金がないとフレイに告げていた。だから、遠慮していたのかもしれない。
頭の半分でそう考え、申し訳なく感じながら、もう半分では昨日は1日中その恰好だったのか、と想像して、表情が崩れた優斗の顔面に枕が直撃した後、2人は出かける準備を始めた。
服屋で目的の物を手に入れたフレイが、スペースを間借りして着替えをしている間に、優斗は支払を済ませる事にした。
この店はアロエナの店の様に試着をする事が出来ない。その為、試着スペースが存在せず、フレイは布で仕切られただけの場所で着替えている。
「支払はこれで」
「銀貨、ですか」
店員が露骨に嫌そうな反応をする。
優斗は、どうしたんだろう、と銀貨を見るが、代わった様子はない。
「他の品はいかがですか?」
「いや、今日は彼女の物を買いに来ただけなんで」
「そうですか。ところでお客様、銅貨をお持ちではないですか?」
何故そんな事を、と思いながら、優斗は財布の中身を確認する。
「銅貨でお支払頂けるのでしたら、こちらをサービスさせて頂きます」
こちら、と言うのは、小さな髪留めだった。
花飾りのついた髪留めは、フレイに良く似合いそうなデザインをしている。
「あー、残念ながら、そこまでの手持ちはないですね」
「そうですか。では、少々お待ちください」
店の奥へと消えていく店員の姿を見ながら、優斗は今の言葉の意味を考え始める。
単純に考えれば、お釣り用の銅貨が切れかけているのだろう。まだ午前中で、店が終わるまで持たない量しかなければ、多少サービスしてでも小銭は欲しい。店番が1人しかいないのであれば、猶更だ。
「お待たせしました」
そう言って銅貨を持ってきた店員の後ろに、もう1人の店員らしき姿が見える。
優斗は今までに、大きなお金で買い物をして、嫌な顔をされた経験が何度かある。しかし、あそこまで露骨な反応は初めてだ。
お釣りを受け取り、フレイと合流してから向かった靴屋で、彼女が選んだ編み上げブーツを購入する際にも銀貨で支払ってみたところ、似た様な反応が返ってきた。
「次はどうしますか?」
「お昼の前に、ちょっと行きたいところがあるんだけど、いい?」
「どこですか?」
「両替商」
ほとんど元通りの恰好となったフレイは、んー、と考えてから、街の方へ視線を向ける。
その視線が雑貨屋の並びへと向かった後、勢いよく優斗の方へと戻ってくる。
「私、あそこで待っていてもいいですか?」
「いいけど」
そう言えば、フレイが別行動をしたいと言ったのは初めてではないだろうか。
その事に気づいた優斗は、次いでその理由に思い至り、過去の自分の間抜けさにため息が出る。
フレイは、鑑札の無い奴隷が1人で歩いていたら殺されてしまうと言った。それは大げさだとしても、拉致されて売られる可能性は十分にある。そんな状態で1人歩きなど、出来るはずがない。
今、初めてフレイが別行動をしたいと申し出たのは、鑑札があるからだ。隠している首輪が見つかっても、主人を待っている、もしくはお使いを頼まれたと言い訳すれば、街の警備に捕まる心配もない。
「じゃあ、これお小遣い」
「……いいんですか?」
「貧乏だから少ないけどね」
優斗の無知と思慮の無さが原因で失ったものは多い。
それを少しでも取り返して行こう。
そんな風に考えながら、優斗はフレイと別れ、両替商へと向かった。
行列に並び、それなりの時間を費やして銀貨を銅貨に両替する事を依頼した優斗は、換金レートが安い、とそれを断った。交渉があっさりと決裂した後、フレイと合流する為に雑貨屋に向かう。
両替商に尋ねたところ、全ての金貨・銀貨間の交換レートに大きな変動はなかった。ただ、手数料は全体的に高めなのだ、と前に並んでいた商人が言っていた。これは、両替と言う仕事の需要と供給の問題だろうと、優斗は考える。
しかし、優斗が依頼した銀貨と銅貨の交換レートは、公国・王国・帝国の3種類共に、異常な数字だった。その数字から判る事は、銅貨がユーシアやアロエナに比べて、異常に高いと言う事だ。
また、両替と言えばゲームセンターくらいしか思い浮かばない優斗は、両替手数料がかなりかかる事にも驚いた。
「お釣り不足とか、そう言うレベルの話じゃあない?」
ぶつぶつと悩んでいるうちに、フレイの待つ雑貨屋へと到着する。
そこで、小さな櫛を見ているフレイの姿を発見し、そう言った物も必要だよな、と、自分の気の回らなさを再実感する。
「あ。
って、ご主人様」
手の中の櫛を横取りされたフレイが、吃驚した顔で優斗を見上げる。
「買ってこう」
「大丈夫なんですか?」
「生活必需品を買うお金くらいはある」
真面目に稼がないとなー、と思いながら、優斗は代金を支払う。予想通り、フレイに渡したお小遣いでは足りない額だった。
受け取った櫛を大事そうに抱える姿を見て、買ってよかった、と優斗はフレイの頭を撫でる。
「また子ども扱いですか?」
「いや、そういう訳じゃないけど、なんとなく」
くすぐったそうに微笑むフレイの表情から、最初の頃はずっと気を張っていたんだな、と言う事が優斗にも理解出来た。
自分がほんの少しであっても、気を許せる相手になったと言う事を実感した優斗は、それを嬉しく思う反面、申し訳なくも感じていた。
「じゃあ、お昼食べようか」
「そうですね」
昼食を屋台で済ませ、街中を散策する。
元から街にある、店舗を構えている店の他に、集まって来た行商人たちが開くフリーマーケットの様な露店もあり、2人はそれらを見て回った。
そんな風景の中に、優斗はある違和感を感じていた。
「どうしたんですか?」
「ちょっと気になる事が」
その違和感は、この街のものではない商人たちから発せられていると言う事に気づいた優斗は、歩きながら彼らを観察していく。
しばらく歩いて、ようやく違和感の正体に気づく。
負けとくよ、と言う言葉が多く聞こえてくる。お祭り状態なので、それ自体は普通なのだが、負ける時のパターンがどの店でも同じなのだ。
価格設定が、銀貨と銅貨が何枚か、と言う商品を売る際、銀貨だけで支払う客に対し、銅貨分を負けると言うパターンが多い。
最初は、銀貨何枚と言う切のいい数字で売る事で、お得感と共に会計速度を上げているのかと思っていた。だが、銅貨の不足と高騰と言う情報を合わせれば、別の答えが浮かんでくる。
「なぁ、フレイ」
「なんですか?」
「お金の流れって、どうなってるか判る?」
首をかしげるフレイに、聞く相手を間違えたかな、と優斗は苦笑する。
「どう言う意味での、流れ、ですか?」
「例えば、さっきの屋台で支払った銅貨は、どこに行くと思う?」
「他の人のお釣りか、仕入れ先ですね」
あっさりと答えが返ってきた事に、どうやら優斗は質問の仕方が悪かったようだと気づく。
好奇心もそれなりにあり、知識もそこそこ多い彼女に商売について知って貰えば、良き相談相手になるだろう。
そう考えた優斗は、自分の考えをまとめる為の思考を、あえて言葉にし、質問として吐き出していく。
「じゃあ、仕入れ先は具体的にどこだろう?」
「肉屋・パン屋・酒屋、あたりでしょうか」
「大きな商会から直接買ってる可能性は?」
「それもありそうですね」
「じゃあ、その後は?」
「卸売り業者か、やはりお釣りですね」
「なるほど。で、次は?」
「ご主人様です」
予想外の言葉に、優斗は驚いてフレイの方へと顔を向ける。
「生産者、もしくはそこから購入した行商人が持ち込んだ物を街へ売る、と言うのが卸売りの仕事だと、テルモウで聞きました」
同じ言葉を、優斗も聞いていた。
その流れからすれば、行商人が商品を売って得た銅貨で仕入れや食事をして行く事で、街の中では銅貨が循環しているのだと言う事が判る。
「今度の商売は銅貨ですか?」
「まだ、出来ればいいな、くらい」
市場で銅貨が不足している理由に、優斗は更に思考を巡らせる。
銅貨が値上がってるいるのであれば、行商人は喜んで手放すはずだ。状況から考えて、銅貨の高騰はこの街限定であり、持ち出す意味はない。
「銅貨を外で仕入れるんですか?」
「いや、それはちょっと」
人頭税を考えれば、利益を出す為にはかなり量を運ばなければならない。
しかも、一定量が賄えれば価値がどんどん下がるので、どの程度準備するのが最良か判断するのが難しい。そして、何より金属は重い。
「そうですよね。荷馬車、凄い列でしたし」
「あー、そっか」
徒歩ではあっさり入れたが、荷馬車の受け入れは市壁の限界を超えている。
故に、仕入れの荷馬車も入れない。その為、卸売り業者は在庫が減り続けている状態で、荷馬車が来たら、同業者に先んじて買い取る必要がある。
すなわち、卸業者が買付資金として銅貨を貯め込んでいる可能性が高い、と予想出来る。
「買付資金を貯め込むついでに、更に儲けが出れば、ってとこか」
「?」
「今は銅貨が値上がっている最中だから、卸業者はまだ持ち続けてるって事」
不足すればする程、値上がりを続ける銅貨。
それを出来るだけ高値で売りたいと思うのは、商人ならば当たり前の思考だ。
「なるほど。両替には手数料もかかりますし、する理由がないですね」
「それもそうか」
銀貨に両替する方が嵩張らず、保管には便利だが、それで買付資金が目減りするのでは本末転倒だ。
商品がはけ、保管するスペースが増えている状態ならば、銅貨で持ち続けている不利益は少ない。
「でしたら、卸業者の人に何か売ればいいんじゃないですか?」
「その通りだけど。って、そうか」
調印式まで、まだそれなりに時間がある。
それにも関わらず、既に在庫の仕入れが滞っていると言う事は、品物が不足する可能性が高い予想出来る。
自分なら、何日も待たされる市壁を通過してまで街に入るなら、もっと利益の見込める、高価な品を持ち込む。もしくは、税のかからない外の市でそこそこの値段で売り払い、別の商品を仕入れて他の街へ移動する。
「生活必需品か食糧の買付が出来れば、儲けが見込める訳か」
徒歩で出て、外の市で仕入れると言う手段が思いつくが、それで利益が出るならば他に誰かやっているはず。
ならば、もっとほかの方法を、と優斗は頭を働かせる。
「いっそ、銀貨と銅貨を交換して貰えばどうですか?」
「それは両替商の仕事だから、って、あ」
銅貨が値上がっているのであれば、それを利用した儲けが見込める。
妙に高い交換レートは、まさにそれだ。
そう考えれば、銅貨は既に両替商が買い占めた後である、と言う予想が立つ。
もしその予想が正しければ、優斗の出る幕はない。
「そういえば、やたら並んでたな。両替商」
「忙しいのは良い事ですよ」
「確かに。でも、忙しすぎると仕入れも出来ない」
両替商が仕入れる品とは、不足している貨幣の事だ。
現在、この街には高価な品を持ち込んでいる商人が多い、と優斗は予想している。
回った露店でも、銅貨単位でなく、銀貨単位の品がそれなりにあった。そして、両替手数料は貨幣の価値が大きければ大きいほど、多くなる。
「利益の薄い銅貨取引は、敬遠されている?」
「敬遠?」
「儲けが少ない仕事より、多い仕事をするって事」
この街には、普段以上の商人が居る。
両替商も、市壁と同じように能力限界に達していても、おかしくない。その結果、銅貨の流通に支障をきたしている。
こちらの予想が正しければ、それを利用して利益が出せるかもしれない、と優斗は考える。
「人頭税と、仕入れ価格。銅貨取引での利益と買取価格。これが釣り合うだけの量を仕入れられれば、利益が見込める訳だ」
「儲けが出そうですか?」
「調査してみないとなんとも」
まずは手持ちを売って資金を作らなければと考え、優斗はフレイに声をかけ、宿へと進路を変える
何件か回るべき場所と相手を頭の中でリストアップしながら。
調査に半日を費やし、翌日の昼前に訪れた卸業者は、優斗の予想通り、大量の銅貨を貯め込んでいた。
「簡単に言えば、仕入れの代行を行うと言う事です」
「それはありがたいけど、引き取る値段は上げられないよ?」
「価格に関しましては、このような方式でどうでしょうか」
優斗は、卸業者に1枚の紙を差し出す。
書かれているのは、重量や嵩に対して値段を付ける、運送業と同じ手法の価格設定表だ。優斗が手一杯まで持てば、人頭税が賄える計算になる。
これを商品1つ1つに対応させ、買取価格に上乗せする、と言うのが優斗の提案だ。
「優先順位が高い物を指定して頂ければ、それも考慮します」
「うーん。じゃあ、ちょっと試しに」
卸業者は紙を参考に、商品を鞄に詰め込んでいく。
どう見ても限界で、もう持ちきれないと言うところまで優斗が荷物を持った時でも、運送費は少しだけ人頭税に届かない。
そんな良心的な価格設定が功を奏したのか、交渉の結果、どうしても必要な数種類の品を代理で仕入れると言う事で、決着した。
さらに次の日、朝早くから市壁の外へ出ると、優斗達はやって来る荷馬車にひたすら声をかけ続けた。荷馬車が来るまでの空き時間は、一緒に来たフレイと、兄弟の話等の雑談をして過ごした。
「やっぱり下の子は我儘だ」
「上が横暴なだけです」
そんな風に一日を費やし、夕方になる前に目的の物を買い付ける事に成功する。
「じゃあ、戻ろうか」
「はい」
2人で大荷物を抱え、市壁を通過する。
通過の際、背中と両肩の鞄に加え、2人で担架の様に運んでいた荷物を確認した担当は、苦笑いを浮かべていた。
市壁に入ると、手配して置いた手押し車に荷物を載せ替え、卸業者の元へ向かう。
「これ、お願いします」
「2人組だったのか。正直、ほとんど在庫がないから、量が多いのは助かるよ」
営業スマイルの優斗は、感謝の言葉と、予定よりも少しだけ多めの代金を受け取る。
まだ行くべきところがある優斗達は、卸業者から早々に立ち去る事にし、挨拶をして手押し車を引いて移動する。
「これでどのくらいの儲けなんですか?」
「んー。銀貨1枚くらい?」
「思ったよりも稼げましたね」
仕入れ代行は、安い運賃と仕入れ原価分の代金しか請求出来ないので、基本的に赤字覚悟の商売だ。黒字になった理由は、優斗が安く仕入れを行った事と、卸業者が色を付けてくれた事。そして何より、フレイの存在が大きい。
小柄な女性であるフレイが持てる荷物の重さは、成人男性に比べればかなり小さい。だが、嵩張るが軽い物ならばそれなりの量を持つ事が可能だし、2人で持つと言う事も出来る様になるので、運搬方法の幅が広がる。更に、奴隷税は、人頭税よりも安い。
「後は銅貨を売るだけですね」
今回の商売は、仕入れ代行だけではない。
むしろ、銅貨の高騰こそがそもそもの発端であり、メインの商売だ。
「お金を売るって言うのも、なんか違和感あるな」
そんな会話を交わしながら、手押し車に乗せられている、卸業者で受け取った銅貨と葡萄酒と共に、目星をつけていた店がある方へと向かう。
「葡萄酒は如何ですか?」
「間に合ってる」
フレイが声をかけるも、適当な言葉が返って来るだけで、一顧だにされない。
店も終わり掛けの時間に女の子が話しかければ、話くらいは聞いてくれるのでは、と言う読みを外した優斗は、慌ててフレイの前に出る。
「そう言わず、一杯いかがですか?」
「シツコイぞ」
「お釣り、たくさん準備してますよ?」
銅貨の詰まった袋を見せると、店主の目が、ようやく優斗に向けられる。
何故こんな回りくどい事をやっているのかと言うと、基本的にお金の売買は禁止されているからだ。正確に言えば、両替商だけが、特別に許可を得て、それを行う事が出来る。
「そういえば喉が渇いていたんだった。いくらだ?」
上手く食いついたな、と優斗は内心ほくそ笑みながら、値札を提示する。
「コップはお持ちですか? お持ちでしたら、値引きしますよ」
「おう、ちょっと待て」
行商人は、基本的に自前のコップを持っている。
水は皮袋から直接飲めても、お湯を沸かした時には、どうしても必要になるからだ。
商人が差し出すコップに、フレイが葡萄酒を注ぐ。この役目は、さすがに優斗よりもフレイの方が適任だろう、と優斗は横へ移動し、場所を譲った。
「じゃあ、銀貨で払おう」
「お釣りはこちらです」
既に取り分けてあった袋を手渡すと、商人は中身を確認し、別の袋に仕舞うと袋を優斗に差し出す。
「こっちも一杯頼む」
「その次はこっちな」
「俺も。銅貨で払ってもいい?」
「もちろんです」
単に出張お酌を楽しんでいる人も含め、何人かの客を捌くと、銅貨はすぐに無くなってしまう。
しかし、その後も行商人たちが悪乗りしたせいで、優斗のぼったくり価格な酒売りは、多少の値引きをしながらも、葡萄酒の入った瓶が尽きるまで続いた。主に、フレイのお酌目当てで。
最終的に、公国銀貨が21枚と銅貨が28枚残り、大体ここの税と滞在費を稼げた計算になる。
無事、商売を終えた達成感を胸に、手押し車を返却した優斗達は、宿へ戻る為に橋を目指していた。
「じゃあ、帰るか」
「そーですね」
俺の奢りだから、と何度か返杯されていたフレイは、酔いが回っているのか、少しふわふわとしている。
「酔ってる?」
「すこうし」
意識して大きく動かされた唇に、優斗の目が釘付けになる。
とろんとした瞳。濡れた唇から覗く赤い舌。
普段よりも少しだけ増した色気に魅入られながら、優斗は先ほどまでの光景を思い出す。
返杯を受けたフレイは、勢いよくそれを飲み干していた。その呑みっぷりから、優斗はなんとなく、飲みなれているのだと思っていた。だが、よくよく考えれば、彼女はまだ16歳の少女なのだ。
「支えなくて大丈夫?」
「腕、組むんですか?」
油断していた優斗は、あっさりと腕を取られ、抱えられてしまう。
支えを得た事で歩みが定まったフレイを見て、優斗は手を振りほどかない事を決める。決して、腕から伝わる好ましい感触が原因ではない、と優斗は誰にともなく言い訳してしまう。
「明日、行くんですよね?」
「その予定」
今日、外の市で公国の和平の使者が到着した、と言う噂を耳にした。
フレイの言う通り、優斗は明日にでも、待ち合わせ場所であるカートン家の別邸に向かう予定だ。
クシャーナに会い、ザイルから荷馬車と仕入れ資金を手に入れた後の事に思いを馳せていると、橋の帝国側で何か揉めているのが見えた。
「どうしても通せないと?」
「武装したままで通せるわけないじゃないですか!」
どうやら、帝国側から公国側へ向かおうとしている集団が、足止めされているらしい。
よく市壁を通れたな、と思いながら、優斗は橋の上で立ち止まって、その集団を見つめる。
基本的に、この街を南北に分断している川を渡るには、橋を渡るしかない。そしてその橋は1本しかなく、自由に通り抜けられるが、一応は見張りがいる。
優斗は宿に戻る為に、橋を渡り切りたい。だからと言って、武装した5人組の中を突っ切ると言う選択肢は、ありえない。
「って、あれって」
「どーしました?」
やはり少しだけ呂律の怪しいフレイを無視し、優斗は橋を進んでいく。
見覚えのある色のマント。そして、そこに染め抜かれている紋章にも、優斗は見覚えがあった。
「あのー、すいません」
「申し訳ありませんが、取り込み中ですの、もうしばらくお待ちください」
「いえ、そうではなく。あ、やっぱり」
「おぉ、優斗殿」
近づいてみると、集団の中に知っている顔が1人居るのが見えた。
研究の途中経過を見分する為と主張するクシャーナを伴って、街中に工房を持つ職人を訪れる時に護衛をしてくれた騎士。優斗は彼の名前を知らないが、顔は覚えていた。
「ユーシア騎士団が何故ここに?」
「そりゃあ、お嬢、いや、我が主であるユーシア領主をお守りする為に決まっている」
なるほどなー、と思いながら、優斗はもう1つ、疑問が浮かぶ。
「何故、帝国側から?」
「我々は、帝国内に避難した領主様のご兄弟の護衛を任ぜられていた」
理由は判ったが、武装集団が他国で自由に移動出来るものなのだろうか。
優斗のそんな疑問を読み取ったのか、彼の後ろから声がかけられる。
「匿ってくれた帝国貴族様の許可を得ています。
ご兄弟の皆様は、ユーシアから来た迎えの騎士に任せました」
説明を聞きながら、優斗は場の全ての視線が自分に集まっている事に気づき、居心地の悪さに身を竦める。
「ところで優斗殿」
「はい?」
「クシャーナ様はお元気なのですか?」
ユーシア家で働いていた人間がここに居れば、彼女と一緒だと勘違いするのは仕方がない。
優斗は、腕にしがみ付いているフレイに視線を落とし、その状態を確認してから、再度ユーシア騎士団へと向き直る。
「別行動でここまで来たんですが、明日にでも会いに行く予定です。
10日ほど前に別れた時は、それなりに元気そうでしたよ。少なくとも、怪我や病気はしてなかったと思います」
おぉぉぉ、と騎士団から歓声が上がる。
ここに居ては邪魔になる。何より、フレイを早く部屋で休ませてあげたい。
そう考えた優斗は、騎士団を引き連れて宿へと向かう事に決め、行動を開始した。
交渉をメインとしない商売の話でした。
また、優斗にとっては今までと違う部分の多い商売でもあります。