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異世界行商譚  作者: あさ
商品の行方
29/90

妥協点

 ザイルは執務室に呼び出した相手をソファーに座らせると、その横へ視線を動かした。


「で、何故クシャーナ嬢が同席を?」

「クシャーナ様にも関係する事柄ですので」

 ザイルと優斗が会話する中、優斗の隣に座るクシャーナは、こっそりとその袖を掴む。


「そうか。先にこちらの要件を済ませるが、構わんな?」

「もちろんです、ザイル様」

 ふん、とザイルが目配せすると、後ろに控えていた若い従者が、袋を1つ、テーブルへ置いた。


 かちゃ、と言う音がし、中に金属が入っている事が伺える。


「商人、お前の褒美だ。受け取れ」

「ありがとうございます。

 不躾な質問で恐縮なのですが、これはザイル様個人からの褒美だと解釈してよろしいでしょうか?」

 優斗の問いに、ザイルが眉をひそめる。


「何故、そんな事を気にする?」

「商人の戯言ですが、構いませんか?」

「構わん」

「お金の出どころと言うのは、商売に繋がるものなのです。

 支払われた金額だけ、私がそこに貢献した、と言う事ですので」


 その言葉に、ザイルは興味なさ気に、後ろに控える従者はぴくりと眉を動かした。


「俺からだ。感謝しろ」

 クシャーナの手が正面に座るザイルから見えない位置で動く。


 優斗の袖口が握りしめられ、それが真実であると判明する。それによって、ザイルが家の命令でなく、個人的に動いている可能性が高いと言う事を、優斗は把握する事が出来た。


「そうでしたか。

 ザイル様。この度は本当にありがとうございます」

「あぁ」

 では、と優斗は袋に手を伸ばし、そのままクシャーナの膝へと移動させる。


 優斗の行動に、2人の視線がクシャーナに集まる。


「ところでザイル様。実はお話がありまして」

「荷物の事だな。お前の物だった、と聞いている」

「そうですね。私の物、でした」

 強調された3文字に、従者がまたぴくりと反応する。


 そしてザイルの耳に何かを囁くと、彼はまた同じ位置へと戻る。


「お前の荷物であると言う証拠がない以上、俺はあの従騎士の言葉通り、あれをクシャーナ嬢の物として扱わせて貰う。

 仮にだが、違うと言う証拠があれば話を聞こう。ただし、あの従騎士に対し、嘘の報告を行った事に対する厳罰を与えた後でな」


 ザイルが口の端を釣り上げ、笑う。


 ザイルの言葉は、脅しであると共に、真実でもある。荷馬車も商品も、優斗の所有物であると言う証拠はないし、フレイにもその証明は付けられていない。証拠以前に、荷物、特に荷馬車は元々彼の物ですらない。


「いえ、厳罰は必要ありません」

「なら、話は終わりだな」

「申し訳ありませんが、もう少しだけお時間を頂きたい」

 そう言った優斗が、1枚の紙をテーブルに置く。


 優斗はこの紙を出さずに終わらせられればと思っていた。荷物の所有権を認められ、最低限フレイの買戻しとそれ以外の品の対価が得られれば、それ以上何かを求めるつもりはなかった。


 そんな希望は、一歩目から躓いてしまった。荷物の所有権自体を認められず、トーラスまで引き合いに出されて脅しをかけられる。これに対して、優斗は怒りを感じていた。


 相手が手段を選ばないのであれば、こちらも選ぶ必要はない。そう判断した優斗は、表面上はにこやかに、しかしその裏でひたすら状況のシミュレートを行う。


「荷物は確かにクシャーナ様、ひいてはユーシア家の物です。

 正確に申し上げますと、私の荷物だったものが、クシャーナ様を逃がす為の偽装として、騎士団に徴発されました」


 非常事態に軍が民間人から徴発を行う。


 この世界にそんな風習があるのか、実のところ、優斗は知らない。だが、それを契約書に仕立て上げれば、それは商人の分野だ。


「荷馬車とその荷物一式を徴発。公国の然るべき相手へクシャーナ様を無事に届けたら返却と共に、褒美として奴隷を与える、と書かれています」

 ザイルの従者が、彼が一瞥だけして手渡した紙の内容を、要約して読み上げていく。


「天の神の欠片を持つ、金髪碧眼の女奴隷、フレイ。彼女を契約時の価値を保った状態で引き渡す。

 ザイル様、私から質問をしても構いませんか?」

「あぁ。お前に任せる」

 ザイルの従者が優斗を見据える。


 彼は契約書の文面を優斗に向け、1つ1つ指をさしながら質問していく。


「通常、契約には解約条件や時間制限を設ける物ですが、何故これにはないのですか?」

「急ぎ作ったものですので、詳細を詰める時間がありませんでした。そして、これは私の予想になるのですが」

「なんですか?」

「期限を設けると、切れた時にクシャーナ様が捨てられる可能性があるからではないでしょうか」


「なるほど。では、次に、徴発された積荷の詳細が無い点についてはどうされるおつもりですか?」

「クシャーナ様が保障して下さると、信じております」

「では、クシャーナ様が、荷物などなかった、とおっしゃれば?」

「その時は仕方ありません。大人しく荷馬車の返却と奴隷の譲渡を受け、去る事にします」


 従者は一旦質問を止め、ザイルの耳元で「時間がなかったと言うのが本当であれば、荷物を諦め、高価な褒美への記述に徹したのかもしれません」と囁く。


「こほん。では、何故、褒美に関する記述だけ詳細に書かれているのですか?」

「彼女のギフトが必要だったからです」

「他の条件は?」

「ごく個人的な理由です。私も男ですので。察して頂けませんか?」

 従者はそれに反論する事なく、契約書を自分の方へと向ける。


 文面を読み返してから再び優斗に向けられると、キファは今まで以上に真剣な表情で、口を開く。


「この契約書は、誰と交わしましたか?」

「私とクシャーナ様。そしてクシャーナ様に縁のあるお方の3人です」

「クシャーナ様、間違いありませんか?」

「はい、その通りです」

「その方は今、どちらに?」

「わかりません」

 優斗の言葉に、従者が目を細める。


 耳打ちにすべきか少し迷ってから、結局ザイルの従者は声を落とさずに、言葉を放つ。


「ザイル様。マズい事になりました」

「どうした?」

「クシャーナ様の身柄と交換で荷馬車と奴隷を引き渡さなければ、クシャーナ様は契約が出来なくなります」

 その言葉に、今まで胸を張り、堂々と座っていたザイルの表情が一変する。


 今までの話を聞き流していたザイルは、何がどうなっているのか判らず、思いつくままに言葉を発していく。


「何故だ?」

「クシャーナ様が隣にいる商人との契約に違反する事になっていまいます」

「どうにかしろ」

「契約書に解約などの特記事項がありませんので、完遂するか、解約して頂くしかありません」」

「ならば商人、今すぐ解約しろ」

「申し訳ありませんが、出来ません」

「何故だ!」

「これが3人契約だからです」

 優斗の言葉を理解出来なかったザイルは、己の従者に目を向ける。


「解約を行うには契約者が全員必要です」

「じゃあ、そいつを連れてくればいい」

「クシャーナ様の縁者は、散り散りになっておりますので」

 すぐには連れてこれません、とは口にしなかった。


 どうすべきか、と思考を巡らせる従者。彼が口を開く前に、ザイルが言葉を発する。


「ならばソイツが破棄すれば良い。

 おい、商人。褒美を増やしてやるから、今すぐこの契約を破棄しろ」


 その言葉に驚いたのは、彼の従者だけだった。この反応が幾つか考えていた予想に存在していた優斗は、慌てる事なく準備していた言葉を口にする。


「大変心苦しいのですが、申し訳ありません。契約を破棄してしまうと、商売を続けられませんので」

「逆らう気か!」

「ザイル様、落ち着いてください」


 従者が、ザイルを宥めながら状況を説明していく。


 これは3人で行う契約、通称3人契約と呼ばれるものであり、解約は先ほど説明した通り難しく、破棄させるのも難しい。


 契約の破棄を行う場合、結ぶ場合と違って公国では国営の契約機関で行わなければならない。この機関は契約・解約の他に、相手の契約違反の訴えなども行っており、公の直属機関なので基本的に貴族であろうとも例外なく執行される。この為、契約の破棄や違反に関するギフトを持つ者が、機関に所属せずそれを行使すると、厳罰が課される。


 仮に今、優斗を脅して破棄させようとした場合、機関へ連れて行く必要があり、無理やり連れて行けば、そこで契約違反を訴えられる可能性がある。


「なら、キファ。どうすればいい?」

 キファと呼ばれた従者は、主人の言葉を受け、目を瞑り考え始める。


 彼に十分な信頼を置いているザイルは、落ちついた様子でソファーに座り直す。そして正面に座る優斗を睨みつける。


 キファと呼ばれた従者は、何とか状況を打破する為に、頭の中で話を整理する。


 ユーシアから逃げ出す際に交わされた契約は、クシャーナを保護先へ届け、その代わりに褒美を与えると言う物だ。クシャーナを預けた誰か――多分、戦場に出ていない兄弟の誰かだろう――は優斗がクシャーナを見捨て無い様、幾つか手を打った。3人契約にする事で解約を防ぎ、期限を設けない事で時間切れを防ぐ。身の安全が、無事に、としか記述されていないのは、逃亡中の怪我等で違反とされない様、交渉した結果だろう。


 そして現在、その誰かが打った方策により、キファとその主人は窮地に立たされている。


「優斗殿」

「はい、なんでしょうか」


 一方、優斗は焦りを感じていた。そして、ここまで押しているにも関わらず、買い戻すと言うフレーズが1度も出てこない理由を幾つか思い浮べる。


「貴方は自分の荷馬車を、正確に記憶していますか?」

 一瞬、言葉の意味を理解出来なかった優斗だが、すぐにそれが想定内の内容であると把握すると、返すべき言葉を探す。


「記憶していません。ただ、大きさ等は大体覚えています」

「ホロがついた二頭引きの荷馬車でしたよね?」

「そうですね」

 にやり、と笑みを交わす優斗とキファ。


 優斗の好感触な反応に、キファは更に言葉を続ける。


「奴隷の方も、同じではないですか?」

「いえ。彼女のギフトを使って新しい商売を興す予定でしたので、色々と教える為に話もしましたし、よく覚えています」

 優斗の返答に、キファが顔をしかめる。


 この契約は、優斗が自分の荷馬車と商品、そして褒美の奴隷を得れば完遂される。しかしそれはあくまで建前で、実際にそれが別の物と入れ替わっていても、違反だと訴えられなければ問題ない。後で違う物だったと訴えられない様、機関の立会いの下で引き渡しを行い、契約が完遂された事の証明を得る事が出来れば、クシャーナが契約の権利を失う心配はなくなる。


「同じギフトを持っていれば良い訳ですね?」

「彼女でなくては困ります」

「どうしてですか?」

「すぐに商売が始められるよう、その内容を色々と説明しました。それを口外されてしまうと、商売になりません」


 商家の生まれであるキファは、その説明で彼が意見を曲げる事はないと確信した。しかし、貴族であるザイルが納得するかは別の話だ。自分の手抜きを疑われない為にも、無意味な問答を続ける。


「買い手が貴族や娼館であれば、その心配はないのではないですか?」

「そのどちらかに売ったのですか?」

 質問を返しながら、優斗の心臓が1拍だけ大きく鳴る。


 優斗は、そんな理由で買い戻すと言う意思を曲げるつもりはなかった。だが、そうであって欲しくない、と言うのも、偽らざる本音だ。


「そうです」

 表情を変える事なく断言するキファ。


 優斗の恐れていた返答。しかし、彼は安堵していた。


「貴族様にはお抱えの商人がおります。娼館にだって、出入りする商人は多いでしょう。確実に安全とは言い切れません」

「そこまで画期的な商売である、と?」

「はい」

 優斗の返答に、キファは2つの可能性を思いついていた。


 1つ目は本当に画期的なアイディアがある、もしくはそう思い込んでいる。

 もう1つは、今までの会話から買い戻しが出来ないのだろうと判断し、保証金目的で話を膨らませている。


 どちらであったとしても、侯爵家自体ではないとは言え、その縁者相手にここまでするからにはそれなりの後ろ盾があるのだろうと、キファは不要な嘘を吐いてしまった事を少しだけ反省しながら、今まで以上に言葉を慎重に探す。


「キファ様。事情をお話し頂ければ、私もご協力出来るかもしれません」

「譲歩して頂ける、と?」

「もちろんです。可能な範囲で、ですが」

 先手を打たれてしまったキファが、許可を求める様にザイルに視線を送る。


 悩む事もなく「お前の判断に任せる」と言った事から、彼がどれだけの信用を勝ち得ているのか、想像に難くない。


「ご存じのとおり、我々はクシャーナ様を帝国との和平の使者に据えたいと考えております」

「それは決定事項なのでしょうか?」

「見つかれば最優先でそうすると聞かされています」

 ザイルは手柄を立てる為に、クシャーナを探していた。カートン家の次期当主でなく、息子と答えた事から、優斗もそれを予想していた。


 ザイルはクシャーナを探し出す事で手柄を立て、その功績によってエスコート役として調印式に同行する事で自分の価値を高め、何かしらの地位を得る腹積もりだ。あわよくば彼女を妻とし、ユーシア領主の座を得られれば、とも考えていた。


 ザイルの年齢は26。特別見目麗しい訳でもないので、一般的な感覚で言えばまだ10歳のクシャーナが彼を選ぶ可能性は低い。だが、現在ユーシアは実質彼の家の支配下にあり、彼女の兄弟が戻るまでは、カートン侯爵が後見人となる可能性が高い。侯爵も、自分の意思を反映し易い領地が増えるならば、彼に協力するだろう。


 そんな事情を知る由もない優斗は、次期当主の座を狙っているのだろうと誤解している。


「調印式は1か月後に迫っています。一刻も早くハイルに向かい、準備を整えなければなりません」

 キファの言う準備とは、領主任命から服の仕立てまで様々だ。


 調印式に出る人間が、まったく地位のないと言うのは問題だ。帝国との正式な場であるので、服もそれなりの物を準備する必要がある。格式から言えば、既存の物に手を加えるのではなく、1から縫う必要があり、それなりの時間を要する。


 また、クシャーナは最有力候補であるが、唯一の候補ではないので、何か問題があれば次点に譲る事になる。その為、全てを憂いなく、迅速に行う必要がある。


「何時契約が出来なくなるかもしれない人間を、使者には選べない、ですか?」

「その通りです、優斗殿」

 時間がない事が判れば、その分無茶を言う。


 商人とはそう言う人種であり、キファもそうやって過ごして来た。だからこそ、これを伝えたならばもう1つ伝えなければならない事がある。


「我々はクシャーナ様の目撃情報を聞き、急ぎ駆け付けました。

 その為、資金の準備をする時間を十分に取れませんでした」


 要するに、時間はないが金もない、と言う事だ。必要ならば、キファは己の主人が侯爵家の三男であり、ほとんど実権が無い事も口にするつもりだ。


 口にすればザイルが嫌な顔をする事は確実だ。だが、目の前の商人から譲歩を引き出すには、必要な事であると判断した。


「では、どの程度時間が必要ですか?」

「そうですね。半年程あれば」

「そんなにですか?」

 実際にはその3分の2の時間があれば十分だが、それでも優斗には長すぎる時間だ。


 買戻しをすると言う話が出ない理由が、金銭的な問題である事に、優斗は少し驚いていた。可能性として考えてはいたが、侯爵と言えば貴族の中でもかなり高い地位だ。次期当主でなくとも、それなりに自由になるお金があるものだと、思い込んでいた。


「後払いの契約を交わして買い戻して頂くと言うのは?」

「ザイル様はクシャーナ様と共にハイルへ向かうご予定です。そんな時間はありません」

「では、代理を立てて」

「奴隷と言う高価な品を、肩書のない人間の契約で買い取るのは難しいでしょう」

 キファの言葉を最後に、少しだけ長い沈黙が場を支配する。


 沈黙の中、キファはクシャーナの腕が、袋を壁にして、不自然でない程度に隠れている事に気づく。そして、捜索の際に見せられた彼女の個人情報からギフトの内容を思い出し、自分の嘘が全て筒抜けであった事を理解した。


 その点を責めるべきか考え、その場合、ザイルが怒り狂う可能性があると思い浮かぶ。その弾みで目の前の商人を殺してしまえば、もう1人の契約者が見つかり、解約を行うまでの間、クシャーナの身柄を確保出来なくなってしまう。彼女の部下の姿が見えない事から、彼に何かあった場合、あの従騎士が何か行動を起こすであろう事は安易に想像出来る。


 指摘を断念したキファは、現実的な方策として、自分とザイルの全所持品の総額をざっと計算し始める。


「提案があります」

 沈黙を破ったのは優斗だった。


 優斗の目的が金、もしくは金になる物だと考えているキファは、計算を続けながらその言葉を待つ。


「荷馬車と商品は、ザイル様の準備が整うまで支払を待たせて頂きます。

 奴隷は自分で買戻しますので、買戻しまでの支援と、出来る限りの資金提供をお願いします」


 優斗の提案に、キファは主人に目配せする。


「それでクシャーナ嬢の契約が守られるのか?」

「契約機関へ赴き、完遂の証明を行えば」

「商人、それを行う気はあるか?」

「その代りに、ザイル様と契約させて頂けるのであれば」

「ふん。キファ、内容を詰めろ。お前が問題ないと思う内容で構わない。俺は最終決定だけ聞かせて貰う」

「畏まりました」


 キファの言葉と同時に、クシャーナが立ち上がる。


 今まで静かに座っていた彼女の突然の行動に、3人の視線が集まる。


「では、ここから先、嘘を吐いた方は私が指摘させて頂きます」

「商人の味方をしようと言う訳か」

 大げさにため息を吐くザイルに、クシャーナはにこりと笑って見せる。


「いいえ。

 私はユーシアの領主になると決めました。家族が帰って来る場所を守る為に。その為には、契約の権利を失う訳にはいきません」


 そう言って、クシャーナは優斗とザイルの真ん中まで移動する。


「どうぞ、始めてください」

 突然、場の主導権をクシャーナに奪われた事に茫然としていた2人は、すぐに反応出来なかった。


「では、まず私から提案させて頂いてよろしいですか?」

「は? は、はい。そうですね」

 クシャーナの幼い迫力に飲み込まれていたキファが、優斗の言葉で我に返り、焦りからその言葉を肯定してしまう。


 同時に我に返ったザイルは、キファとは対照的に、笑みを浮かべてクシャーナを見つめている。


「契約を完遂する前に、ザイル様との契約を交わさせて下さい」

「了承出来ません、と言いたいところですが、ここは譲歩致しましょう」

 譲歩した分、他の譲歩を引き出す。それは商売での常套手段だ。


 譲歩したと言う形をとり、小さな恩を売る。契約書自体に完遂を行う事を盛り込む事が可能なので、キファに損はない。


「ふふ」

「あ」

 了承できない、と言う嘘を吐いてしまった事に気づき、キファは焦る。


 しかし、それを指摘する声は、何時まで経ってもやってこなかった。


「契約内容ですが、奴隷の買戻しまでの支援、具体的には販売経路を辿って現在の居場所を突き止めて頂きたい」

「なるほど」

 自由に動かせるお金はないが、人材は居る。


 ザイルは大きな実権を持たないが、生活に不便しないだけの支援を実家から受けている。それは侯爵家が雇っている使用人をつけると言う形で行われており、今も何名か同行している。


 これは、彼が次期当主の座を狙って悪意ある行動を取らない様に見張ると言う意味があり、キファはザイルに直接雇われたが、賃金の支払いは侯爵家から行われている。彼に恩のあるキファは、有事には侯爵家よりも主人を優先すると決めているが、その場合、職を失う事になる。


「そして買戻しの資金を、出来る限りで構いませんので、調達して頂きたい」

「出来る限り、ですか」

「はい。幾らまでなら捻出可能ですか?」

 先ほどしていた計算から、その8割を口にしようとして、視線に気づく。


 どうすれば、とキファは悩む。嘘は通じない。今回も見逃して貰えるかもしれないが、そうでなかった場合、それに対して誠意を見せる羽目に陥る可能性がある。


「金貨10枚は確実にありますが、それ以上は調べなければ不明です」

「少ないですね?」

「我々はほとんど資金を持たずにここへ来ました。そしてその全てを、捜索で使い切りました」

 その穴埋めとして、クシャーナの物だと言う荷物を売り払い、捜索資金に足した。


 そこまで言う必要はないだろうと判断し、キファは別の言葉を紡ぐ。


「それを全てお渡しすると、ハイルへの移動もままならなくなります」

「嘘です、よね?」

「あ」


 移動用の馬車も、食糧その他も、きちんと伝えれば侯爵家から派遣されている執事によって準備される。ザイルは普段から、必要な物と執事が問題ないと判断した物を、きちんと買い与えられている。これはお金と言う力をザイルに与え過ぎない為の家の方針なのだが、自分で買い物をする機会の少ないザイルは、今までさほど気にしていなかった。


「では、公国金貨15枚とする、と言う事でどうでしょうか?」

「う。く。判りました」

 準備出来ません、と言えば嘘になる事をキファは認識している。


 資金を準備出来ずとも、いくらか物品は持っている。貴族の持ち物はそれなりに高価なので、それを売り払えば届く数字だ。


「不足分は後で請求する形でよろしいですか?」

「女奴隷の平均価格からすれば、十分であると思いますが?」

「平均は平均です。実際にいくらで売られているのか、判りません」

「返金不要。奴隷の価格自体がそれ以上であった場合のみ請求、でどうでしょうか?」

「それで構いません」

 安く済ませれば優斗の得。高くついた場合は諸経費分損。


 これならば安く買う努力をするだろう、と言うキファの思惑通り、優斗も同じように思考する。


 これには商品価値がある理由で落ちていた場合の補償を含む事をどちらも認識していたが、口には出さなかった。


「次に荷馬車と商品の価格ですが」

「ちょっとお待ちください」

 キファが口を閉ざし、少し俯く。


 20秒ほどの沈黙の後、彼は顔を上げ、口を開く。


「荷馬車はこちらで手配し、現物をお渡しする方向でどうでしょうか」

「荷馬車のサイズや、ホロに大きな傷がないなどの条件を加えて頂けるのでしたら」

「大きな傷、と言う条件は、主観による幅が大きいので、承諾出来ません」

「傷の大きさを指定すればどうですか?」

「使用に問題のない、表面のみの傷が含まれてしまいます」


 実物を見る事が出来ない場合、現物支給は落とし穴が多い。少しでも危険性を減らしたい優斗と、支払いを現実的な範囲に収めたいと考えているキファの問答は、ひたすら平行線を辿った。


 ザイルは実質、個人資産を持っていない。細々とした所有物を売ればそれなりの金額になるが、まとまったお金を作ればカートン家にいらぬ嫌疑をかけられる。


 主人を守る為にも引けないキファの鬼気迫る表情に、これ以上は無駄だと判断した優斗は、別の角度から提案を行う事にした。


「察するに、侯爵家の所有する荷馬車で手を打たないか、と言う事なのですね?」

「そうとって頂いても構いません」

「条件付きですが、それでも構いません」

 キファは疑いつつも、優斗に続きを促す。


「実は、荷馬車の中に商取引許可証を入れたままでして」

 その言葉を聞いたキファは、歯を食いしばる。


 ここに来て、さらに補償内容を増やそうと言う目の前の商人を、静かな怒りを携えながら睨みつける。


「ですが、先ほど指摘されました通り、それが荷馬車にあった事が証明出来ないのです」

「嘘です」


 クシャーナの言葉に、優斗は笑顔を返す。キファの方は、意味が判らない、と混乱していた。


「ですので、商取引許可証を頂ける様、取り計らって欲しいのです。ザイル様の口利きがあれば、可能ですよね?」

 クシャーナの指摘を無視して話を進める優斗に、キファの混乱は深まっていく。


 混迷を極める思考で、キファは考える。優斗は商取引許可証が荷馬車にあった事を証明可能だと、クシャーナが判断した。にも関わらず、証明出来ないからそれの再取得を条件に譲歩すると言っているのは何故か。


「まぁ、確かに可能だな」

 キファの混乱を察したのか、ザイルが口をはさむ。


 主人の声が聞こえ、キファは、こんな事でどうする、と己を奮い立たせる。譲歩は別の譲歩を引き出す為の武器だ。逆に言えば、他の譲歩を引き出させなければ、それは意味をなさない。これを受け入れ、次を譲歩せず、叩き潰せば問題ない。


「ハイルへ移動後に手続きとなりますので、それなりにお時間を頂く事になりますが、構いませんか?」

「もちろんです」

「では、侯爵家の所有する荷馬車で、一頭引き、ホロ付、あの荷馬車よりも1回り小さい物を準備します」

 荷馬車の詳細を紙に書き、そこに幾つかの文言を足してから、優斗はそれを承諾する。


 古さからではなく、あるいわくから処分される予定だった荷馬車で片が付いた事に、キファはほっとする。これならば懐が痛まない上に、それなりに美品なので上手くやれば恩も売れるかも知れない。


 他にも引き渡し可能な荷馬車は存在するが、侯爵家に交渉する際の手間と根回しにかかる費用を考えればベストな選択肢を押し付ける事が出来たと、キファは少しだけ自信を取り戻す。


「受け取り場所はどうしましょうか?」

「ザイル様は調印式までハイルに滞在する予定です。そこでどうでしょうか?」

「良いと思います」

「奴隷を売った相手もあそこを目指しているはずですしね」

「え?」

 突然出た話題に、優斗は驚きを隠せない。


 販売経路を辿る、と契約に盛り込む予定ではあったが、運が良ければ売った商会に、悪くとも更にそこが売った先にいるものだと思っていたので、優斗は今日明日中に買い戻せるだろうと、勝手に思っていた。


「式典に便乗した、ちょっとしたお祭り状態になる予定ですので、そこで売る商品を集めているようでした」

「奴隷商に売った、と言う事ですか?」

「えぇ。キャリー商会と言う女奴隷専門の商会ですが、貴族相手に奴隷を売る事も多く、それなりの規模を誇ります」

「貴族御用達ですか。信用出来る商会なのですね」

「信用と言うか、まぁ、ちょっとした特色のある商会ではありますね」

 予想外の展開に動揺した心を落ち着けながら、優斗は質問を続ける。


「買付の後、どちらへ向かわれたのですか?」

「ハイルまでにある支店を巡って、商品を集めて来るつもりのようでしたね。お祭りで売れ残りを処分しようとか、考えているのかもしれません」


 その商品が人間である事を考えない様にしながら、優斗は1枚の紙を取り出す。


 紙に今まで決めた内容を書き出し、他のまだ詳細を詰めていない内容も無理のない範囲で書き連ねていく。その間、文字を書く彼の手には3人分の視線が注がれ続けた。


「これでよろしければ、契約に向かいましょう」


 30分後、数点の修正を加えた紙を手に、4人は契約機関のある場所へ向かった。

久しぶりの交渉シーンでした。

そして久しぶりの優斗くん活躍回でもあったかもしれません。

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