離れた手
ザイルが滞在していると言う館に到着すると、彼はすぐにどこかへ行ってしまった。
「で、トーラス。俺らはどうすりゃいいんだ?」
「ちょっと待って。すいませーん」
執事服を来た初老の男を見つけたトーラスが、そちらへ向かって走っていく。
執事と2、3言葉を交わすと、トーラスが戻ってくる。
「ちょっと応接室で待てって。こっち」
「了解」
クシャーナの手を引いた優斗が、トーラスに続いて歩き出す。3人で2分程歩くと、目的の場所へとたどり着く。
応接室、と言うだけあって、立派な内装と座り心地の良いソファーが置かれた室内を見回して誰もいない事を確認すると、優斗はずっと聞きたかった事を口にした。
「フレイは?」
「えーっと」
言葉を選んでいる様子のトーラスに、優斗は目を細める。
慌てながらも、トーラスはきちんと言葉を選んでから、早口でその問いの答えを返す。
「お嬢様が見つかるまで預かるって言われた」
「人質か。大丈夫なのか」
後半は独り言だったのだが、トーラスはそう受け取らず、更に慌てて言葉を継ぎ足す。
「お嬢様の不興を買わない様、無茶な扱いはしないでくれーって言ってあるから大丈夫!」
機転を利かせた事を褒めてもらいたいのだろう。お手をした子犬のように瞳を輝かせるトーラスに、優斗は苦笑する。
任務の褒美は主人から貰うべきだろう。そんな風に考えた訳ではないが、優斗は苦笑しながらクシャーナに目配せする。何であっても、する事がある方が良い、と言う優斗なりの配慮だ。
「任務、ご苦労様でした。少し予想と違いましたが、無事に逃げ切れたのは貴方のおかげです」
「いえ、当然の事をしたまでです」
騎士ごっこか、ままごとか。
子供たちのが交わす会話にそんな感想を抱きながら、優斗はソファーに腰かける。
「クーナ」
「はい、なんでしょうか優斗様」
クシャーナが優斗の隣に腰かける。
感情を押し殺した、堅い言葉。
それを少しでも解きほぐせれば、と優斗は彼女の頭に手を乗せる。
「トーラス、扉の前、見張っててくれ」
「あ、うん」
トーラスが素直に部屋を出ると、優斗はクシャーナの頭を引き寄せる。
本音を言えば、今すぐに部屋を飛び出してフレイの所在を確認したかった。
そうしなかったのは、優斗の中で、目の前の少女を放っておけば、そのまま壊れてしまうのではないか、と言う危惧が勝ったからだ。
クシャーナは何も言わず、優斗に全てを預ける様に身体の力を抜いた。そして、静かに泣き崩れる。大事な者を失った悲しみは、優斗にも少しだけ判る。だからただひたすら、空いた方の手でその髪を撫で続けた。
泣き止んだクシャーナが、恥ずかしそうに身なりを整え終えると、扉の前に居るトーラスを呼び戻す。
部屋へと入って来たトーラスが何か言おうと迷っていると、応接間の扉がノックされ、先ほどの執事が男を1人連れだって中へと入って来る。
「少しお時間よろしいでしょうか、クシャーナ様」
「はい、なんでしょうか」
「現在の貴方様の立場を話しておくよう、申しつけられました」
執事は1枚の紙を机の上に置いた。
置かれた紙は、契約書だった。
横目で契約書を覗き込んだ優斗は、馬車での会話を思い出す。すぐに効力を失う、意味のない契約内容。これは契約の権利を有するか確認する為の、契約書だ。
執事に促されたクシャーナが、もう1人の男のギフトで契約を交わす。
この契約書は1人契約と呼ばれるものだ。
他にも人数によって2人契約、3人契約と存在し、文面次第では1対2の契約等も可能だ。
クシャーナがまだ契約の権利を有していると証明されると、契約のギフトを行使し終えた男が退室する。
「これからのご予定を説明させて頂きます」
「よろしくお願いします」
執事がちらりと優斗の方を見て、すぐにクシャーナに視線を戻す。
クシャーナは薄く笑いながら、僅かに首を振った。
「かしこまりました。
貴方様は和平の使者としてハイルでの調印式に参加して頂きます。調印式は一か月後ですが、2、3日のうちにハイルへと発つ予定です。
また、それに先立って、ユーシア領主任命式を、略式ではありますが行わせて頂きます」
「ザイル様が、でしょうか?」
「いえ。和平調印の為にハイルへと来て頂く事になっております皇族のどなたかが行います」
和平の使者にもそれなりの地位が必要な訳か、と考えながら、優斗はクシャーナの様子を確認する。
その顔に浮かんでいるのは、自分が領主になると言う事への緊張、ではなく、本当に父と兄が死んだのだと言う事を実感し、しかしこの場で泣き叫ばないように耐えている。そんな表情だ。
強い子だ、と優斗は思った。踏みとどまれたのは、隣に自分がいるからだ、と言う事も知らず。
「ユーシアは、今?」
「現在、一時的に公の直轄地として管理しております。騎士団や工場等の所有物も、我がカートン家が一時的に預からせて頂く形を取っております」
「そうですか。お手数をおかけします」
会話を聞きながら、優斗は違和感を覚えた。
その違和感が何なのか考える間もなく、執事は次の話題を口にする。
「次に、そちらの少年についてですが」
「トーラスは我がユーシア騎士団の従騎士ですが、今は私の護衛です。保護して頂いている身で厚かましいとは思いますが。その」
「承知しました。では、貴方様の護衛として傍に置けるよう、ザイル様にも話を通しておきます」
ありがとうございます、と返すクシャーナに、どうやら保護されるつもりらしい、と優斗はほっとする。
もし、今すぐにユーシアへ帰る、もしくは家族を探しに行くと主張されれば、優斗に説得の依頼が来る可能性がある。それをやり遂げる自信は、ない。
「そちらのお方は商人だと聞いたのですが」
「はい。私を逃がしてくださった、恩人です」
「それはそれは。よろしければ本日はこちらへご滞在ください」
「よろしいのですか?」
「ザイル様が褒美を取らせたいとおっしゃっております。予定が空くまで時間がかかってしまいますので、それから街で宿を取るのは厳しいと思います」
貴族の館に逗留する事に少しばかり抵抗はあったが、逆らって不評を買うのも馬鹿らしいと、優斗は「ありがとうございます」と状況を受け入れる事にした。
「それでは、私はこれで。後で迎えを寄越しますので、もうしばらくここでお待ちください」
「あ、すいません。預けた、その、荷物はどこですか?」
「あぁ、そうでしたね」
トーラスの指摘に、執事は立ち上がったまま、返答を返す。
「ハイルまで移動して頂く際、邪魔になってしまいますので、全て処分致しました。
詳しい事は、ザイル様が直接話されると思います」
「……え?」
目を見開き、固まるトーラス。そんな彼を無視して、執事は「失礼しました」と退室する。
「どうした、トーラス」
「え、と。その。あ、あああああああ」
「落ち着け。どうした?」
膝をつき、狂ったように「あ」を繰り返すトーラス。
どうしよう、と優斗がクシャーナに目を向けると、彼女も放心状態で、茫然自失としていた。
「トーラス!」
「はいぃっ!
がちがちと歯を鳴らし、勢いよく立ち上がると、何故か直立不動でこちらを向いたトーラスに、喝を入れるだけのつもりだった優斗は、やり方を間違えたかな、と反省する。
「何がどうした。説明してくれ」
「すいません! もうしわけありません!」
「優斗様、少しお待ち頂けますか? トーラス、落ち着きなさい」
先に平静を取り戻したクシャーナが、優斗の返事を待たず、トーラスの肩を揺する。
「貴方はそこに座って。間違っていたら訂正してください」
「は、はい。わかりました」
少しだけ落ち着きを取り戻したトーラスに、優斗が声をかけようとすると、クシャーナがそれを視線で止める。
「商人である優斗様の荷物が勝手に売られたのです。お怒りはごもっともだと思います」
その言葉に、ようやくトーラスの言う、荷物、の意味を把握する。
優斗の荷馬車には、絹の布地と塩や香辛料などが積まれていた。一部は持ち出したが、さすがにあの状況では全ては持ち出せなかったので、荷馬車にはそれなりの量の荷物が残されていた。
「あー、なるほど。でもまぁ、一度は捨てる覚悟をした物だし。でも、代金はちゃんと請求した方がいいな」
荷物はいいけど、荷馬車は買い直すとなると厄介だ、と思いながら、優斗は代金の計算を始める。
そんな優斗の反応に、クシャーナとトーラスは顔を見合わせた。
「あの、良いのですか?」
「良いも悪いも。仕方ない」
クシャーナを前にして、横暴で自己中心的な貴族に遭ったのは、これが初めてではないし、とはさすがに言えなかった。
優斗の言葉に嘘が無い事が判ったクシャーナがあからさまに安堵し、その姿を見たトーラスが眉をひそめる。
荷物の代金を何パターンかに分けて試算していた優斗は、執事に大事な事を聞き忘れた事を思い出す。
「そういえば、フレイはどこに居るんだろ?」
その独り言に、場の空気が凍る。
トーラスは小さくうめき声を上げ、クシャーナは目の端に涙を浮かべながら、祈るように手を組んでいる。
「優斗様。どうか、どうかお許し下さい。彼も悪気があった訳ではないのです」
「えーっと。意味が判らないんだけど」
その言葉を真正面から受け取ったクシャーナは、判明した事実に驚愕する。
「わかり、ました。彼の失態は主である私の失態です」
「お嬢様!?」
「黙りなさい。トーラス」
年齢不相応の迫力と、強引さに押されてトーラスが引き下がる。
同じ様に気圧された優斗を見据えるクシャーナは、覚悟を決めた瞳を携え、大きく息を吸い、それを声と共に全て吐き出す。
「あの奴隷は売られました」
「……は?」
「優斗様が大事にしてらしたあの奴隷は、売られてしまったのだと申し上げたのです」
フレイが売られた。
たったそれだけの言葉を理解するのに、優斗は5分もの時間を要した。その間、部屋の中はひたすら沈黙が落ち続ける。
「なんで?」
優斗の間抜けな問に、クシャーナに押しのけられていたトーラスが前に出る。
「クシャーナ様の荷物を全部売られた、って執事の人が言ったよね」
「あぁ」
「俺、乱暴な扱いされないように、ユート兄ちゃんのも全部お嬢様のに――」
優斗は言葉が終わるのを待たず、部屋を飛び出した。
部屋を飛び出した優斗は、先ほどの執事を探して廊下を走り回る。
誰かに居場所を聞く、と言う行動を思いつかなかった優斗が、扉の中へ入ろうとしている彼の背中を見つけられたのは、かなり幸運な事だった。
「すいませんっ」
「はい、なんでしょうか」
突然かけられた声に、執事は慌てることなく反転し、そのまま返事を返す。
「その、荷馬車とか、荷物とか、あれ、俺ので」
「クシャーナ様の所有物だと聞いておりますが」
「いや、そうじゃなくて」
「現在、ユーシア家の財産はカートン家が管理しております。手違いがあったのだと言うのであれば、私でなくザイル様にそうお伝え下さい」
では、と去ろうとする執事の肩を、優斗は必死な形相で掴む。
執事はため息を吐きながら、優斗の手を丁寧にどけると、先ほど入ろうとしていた部屋のドアを開ける。
「フレイ、いえ、奴隷はどうなりましたか!?」
「売り払いました。詳細はザイル様よりお聞きください」
ドアが閉まり、執事がその中へ消える。
その音と共に、優斗の視界も黒く閉ざされた。
気が付くと、優斗は応接間に立っていた。
どうやってここに戻って来たのか、記憶にない。そんな優斗を、クシャーナは悲しそうに、トーラスは申し訳なさそうに見つめている。
フレイが売られた。
その事実を、頭が拒否している。考えがまとまらない。どうすべきか、わからない。
この世界に来てからずっと隣に居た。しかし今、彼女は自分の隣に居ない。優斗の頭に少しだけ芽生えていた夢想、彼女と歩むの未来。彼女と交わした、様々な会話と約束。
ぐちゃぐちゃになった思考が、彼女との思い出を噴出する。その言葉たちには、別れる直前の会話も含まれていた。
「そう、か。そうだよな」
彼女の言葉を、思い出す。
彼女は呆れた表情で、でも確信を持って、優斗であれば、現在の手札から最大の利益を出せるはずだと言った。商いで、貴族を出し抜く程豪胆である、とも。
優斗はこの世界に来てから、ずっと流されるままに生きてきた。目の前に現れた問題にただひたすら答えを出し続けるだけ。守るものが無いのであれば、それでも良い。しかし、優斗には守りたいモノが出来た。その為にはまず、大事な者を、自分の意志で引き寄せなければならない。
クシャーナが視界に入り、その姿があの日々を思い起こさせる。あんな思いは、もうごめんだ。今回はあの時とは違う。フレイにもう二度と会えないと、決まった訳ではない。今度こそ、離れてしまった手を、もう一度掴んで見せる。優斗はそう決意し、顔を上げる。
歯を食いしばり、拳を固く握る。そして浮かび上がってくる狂気にも似た本能を、理性に溶かし込む。
「クーナ! トーラス!」
突然かけられた声に、2人はびくりと肩を震わせる。
2人を見据えた優斗の心には、そもそもの原因は、とか、お前のせいで、とか、思う部分も存在する。子供に危ない橋を渡らせる事になるかもしれない事に対する罪悪感もある。それも全て飲み込んで、ただ1つの目的の為に頭を下げる。
「フレイを取り戻したい。手伝ってくれ」
「私に出来る事でしたらなんでも」
「もちろん!」
予想通りの即答。
フレイを取り戻すまでは、その感情すら利用する。そう決心し、脳を高速回転させる。
「とりあえず部屋に案内されてから計画を説明する」
その後、派遣されて来たメイドに案内され、割り振られた部屋に荷物を置いた2人がクシャーナの部屋に再び集まると、優斗は2人に計画を語った。
優斗くん、初めて明確な目的を持って行動を開始しました。
成否がどうであれ、彼にとって大事な糧となる事でしょう。
主人公らしく成長、出来るといいな。