ご褒美と逢引
二度寝の誘惑に打ち勝った優斗は、最高の抱き心地を誇る抱き枕を、未練ごと消し飛ばす勢いでベッドから転がり落とした。
「い、ったーい」
「あー、ごめん。つい」
「ついじゃありません!」
布団ごと放り投げたので大丈夫だろうとは思ったが、念のため優斗は抱き枕が壊れていないか確認する為、ベッドから降りる。
「失礼な事を思われている気がします」
「気のせい気のせい」
どうやら大丈夫そうだ、と判断した優斗は、抱き枕ことフレイの手を取り、立ち上がらせる。
ふわり、と寝癖の付いた髪が舞い、同時にネグリジェも空気を孕んで膨らむが、その隙間から見えたのがドロワーズだったので優斗はこっそりとがっかりした。
「その服、どうしたの?」
「そこに入っていたので失敬しました」
指さした先にはクローゼットが1つ。きっと気を効かせてくれたんだろうな、と思いながら顔も知らない使用人の心遣いに感謝した。
そしてその心遣いをドロワーズを履くと言う暴挙で無にした目の前の女性に、心の中で、残念な娘、と言う称号を与えておく。
「男を誘いに来た割りに、色気のない恰好だねぇ」
優斗の言葉に、フレイは膝をついて崩れ落ちた。
優斗がどうしたのかと顔を覗き込むと、きっ、と睨まれた。
「何時か絶対に、私を抱きたいと言わせて見せますからね!」
「また唐突な決意表明だなぁ」
「これならいけると思ったのに! 相談に乗ってくれたお姉さんのお墨付きだったんですよ!」
「んなもん相談すな」
胸元が見えるくらいネグリジェをひっぱって主張するフレイに、だったら何故中にズボンを履いているのか、と言う疑問を浮かべながら優斗は目をそらす。
この世界では、ドロワーズは下着だ。もちろん、普段フレイが着ているスリップも。しかし、優斗の感覚としては、ドロワーズはハーフパンツと見分けがつかないし、スリップはキャミソールとの区別が出来ていない。この感覚の違いは、2人の認識に大きな溝を生み出している。
フレイからすれば、それ以外脱ぐものがない、上も下も1枚きりと言うギリギリかつかなり恥ずかしい恰好で迫っているのに、優斗はそれに対してあまり反応してくれないので、子ども扱いされていると思っている。
一方優斗は、ドロワーズ=この世界の生地で作られたハーフパンツと認識しており、当然その下には下着を付けている物だと思っている。スリップに関しては、パジャマ替わりのキャミソールだと勘違いしており、フレイは眠るときは下着、優斗の感覚で言えばブラに相当する物は付けずに寝る人なんだな、と言う認識しかない。
ずっと一緒にいても、洗濯はフレイの仕事なので、優斗がわざわざ彼女の下着を漁るような機会はないし、中に何を着ているかなんて言うのも、着替えをまじまじと観察している訳ではないので、知る由もない。
下着姿で迫っているつもりのフレイに対して、優斗はわざわざ部屋着のズボンに着替えてから迫ってくる妙な子だと思っていた、と言う訳だ。恰好に色気がないと指摘する優斗と、自分に色気がないと言われていると思い込んでいるフレイの思惑が重なる事は、当然ない。
「何がダメなのか、教えてくださいよ」
「何って、全部?」
あまりに酷い暴言に、膝をついていたフレイが、更に床に両手を付いて落ち込み始める。服装全般にダメ出しをしたつもりの優斗に対し、フレイは女としての魅力、全てを否定されたと取ったのだから、これくらいの落ち込み方で済んでいるのは、軽い方だ。
その姿に、さすがに言い過ぎたかな、と思った優斗は、少しだけフォローしておく事にする。
「昨日はまぁ、何時もよりましだったんじゃない?」
「やっぱりお姉さんの見立ては間違っていなかったんですね!」
そろそろそのお姉さんと言う人がどんな人物なのか気になり始めた優斗は、一先ず身なりを整えようと荷物を漁り始める。
寝癖を直し、汲み置きされていた水で顔を洗うと、フレイに着替える様に指示し、彼女に割り振られた部屋へと追いやった。ちなみに従者の部屋との間には、直通の扉がある。どうやら昨晩は、これを使ってこちらに来たらしい。
「よろしいでしょうか」
「あ、はい。どうぞ」
ノックに続いてかけられた言葉に、そう返答すると扉が開かれた。
入って来たのは女性だった。この屋敷の侍女なのだろう、簡素なワンピースにエプロンをつけている。
「昨夜はお楽しみでしたか?」
「犯人はお前か」
フレイにアドバイスしたと思われる人物は、お姉さんと言う呼称通り、20代半ば程の女性だった。
「お嬢様から気さくな方だと聞いていましたけど、想像以上ですね」
「なんじゃそりゃ。じゃない。何かご用でしょうか?」
「適当で構いませんよ? 私も公式の場以外は適当ですし」
「それでいいのか」
「仕事さえちゃんとすれば、意外と平気だったりします」
お客様を丁重に、かつ敬意を払って迎えるのは仕事のうちじゃないのか。そう思ってから、貴族の侍従と商人はどちらが偉いのだろうと言う疑問に辿り着く。
主人と同じ貴族を迎えるならばまだしも、こちらは一介の商人でしかない。ならばそんなものなのだろうと納得した優斗は、気にしない、と言う結論に達した。
「ちなみに、さっきまで同じベッドに居た」
「おー、ではお楽しみだったんですね?」
「全力で拒否されたので、本当に添い寝だけでした」
「あら、意気地のない子」
不当にフレイを貶めた優斗は、朝食は昨日と同じ場所に準備したと伝えられ、最低限の持ち物を引き寄せた。フレイの食事に関しては任せてもいいそうなので、そのまま部屋を出る。
ゆっくりと歩き、目的地のドアを叩くと、中からくぐもった返事が聞こえ、扉を開く。
「おはよう、クーナ」
「おはようございます、優斗様」
これじゃどっちが貴族か分かったモノじゃないな。優斗のそんな心境を無視して、クシャーナは自分の隣に腰かけるよう、手招きした。
「ソファーどうしたの?」
「ちょっと汚してしまいまして」
申し訳なさそうにするクシャーナ。
昨日、この部屋に来た際にはテーブル2つに椅子2脚、テーブルを挟んで対面になったソファーがあった。それがある意図によって、1つだけ持ち出された、と言う訳だ。
「朝食はソファーで?」
「小さなパンですし、大丈夫ですよね?」
既に並べられた食事を、わざわざ椅子のあるテーブルへ移動させるのも面倒だと思った優斗は「そうだね」と返してクシャーナの隣に腰かける。
優斗が腰かけると同時に、クシャーナは手ずから淹れた紅茶を彼の前に移動させながら、さりげなく体を寄せる。
「ありがと。じゃあ、食べようか」
「はい」
のんびりとした朝食を終え、お茶のお代わりを注いで貰った優斗は、ふと昨日の事を思い出していた。
「そういえばクーナ」
「なんでしょうか?」
「昨日の話、結局どうなったの?」
ああ、そうでした、とクシャーナは立ち上がり、食事をしていない方のテーブルの上に置いてある、長方形の浅い箱の蓋を開ける。そして中から1枚の紙を取り出すと、優斗に手渡した。
「読んでも?」
「はい。どうぞ」
そう言われ、優斗はそれに目を通す。
紙は税の納付を証明する用紙だった。これに書かれた分量だけ、荷馬車から降ろしておかなければならない。
「じゃあ、後で降ろしとくから」
「すいません、ルエイン兄様が既に降ろすよう、指示を……」
納付証明に関しては仕事が早いくて良い事だが、勝手に荷物を降ろされたのにはさすがの優斗も眉をひそめる。
「申し訳ありません。本来ならばきちんとお支払を済ませてから、と言うのが筋なのですが。
お兄様が、税を受け取るだけなのだから問題ない、と強引に」
建前上、その対応は間違ってもいない。だが、商売と言うのは信用あってのモノだ。
ルエインは商人ではない。自分の都合を優先するその行動に、優斗は自分のイメージする貴族像と似たモノを感じていた。
「それで、その。
えっと、怒ってらっしゃいますか?」
「あー、いや。ちゃんと報酬、じゃなくて褒美か。
うん。クーナからちゃんとご褒美が貰えるなら問題ないよ」
「ご褒美、ですか」
ご褒美を上げる、と口の中で呟いてから、クシャーナは嬉しそうに顔を上げた。
「では、そのご褒美についてですけども」
「うん」
ご褒美と言う言葉が気に入ったらしいクシャーナは、先ほどまでの申し訳なさそうな顔から一転、笑顔で話し始める。
「我がユーシア領では公国貨幣が不足しています。同じように、王国貨幣も」
それはお金がないって事では、と思ってから、少しだけ持っている偽王国銀貨の事を思い出す。
「帝国貨幣なら多少の備蓄があるのですが、公国内ではあまり流通していないので、優斗様にご不便をかけてしまうのでは、と懸念しております」
初めて聞く名前のお金に、優斗は、帝国があるならそこのお金もあるよな、とそれに気づかなかった自分に呆れた。
帝国貨幣は、帝国全般と公国の中でも帝国との交流がある幾つかの領内でのみ流通している。種類は金貨、銀貨、銅貨以外にも青銅貨が存在する。
「ですので、我が家の所有する品から、幾つか進呈する事で、その、ご褒美とさせて頂こうと思っています。どうでしょうか?」
「いいと思う」
「では、優斗様。本日のご予定は大丈夫でしょうか?」
「今日?」
優斗の予定は、ロード商会に荷物を届ける事くらいだ。幸い、税の納付証明も手に入ったので、出来るだけ早く届けて置きたい。
「もしお暇がおありでしたら、実際にお渡しする品物を見て頂こうと思いまして」
「なるほどね。じゃあ、見てから出かけようかな」
午前中に終わらせ、ついでにお昼を調達しよう。そう考えた優斗は、さっそくとばかりにソファーから立ち上がる。
「では、馬車を手配しますので」
「馬車って、この家にはないの?」
「はい」
外へ出かけ、戻ってくるとなるとそれなりに時間がかかる。
ならば先に商会へ行き、向こうで合流すれば、効率が良い。そう考えた優斗は、クシャーナに行先を訪ねた。
「南外輪の壁際にある工場なのですが、あの辺りは似たような建物も多く、見つけるのは容易ではないですよ?」
「そういえば土地勘どころか地図すらないのに、無謀か」
「馬車でお連れしますよ?」
「ついでに積荷を置いて来ようかと」
優斗の言葉を聞いたクシャーナが、口元に手を当て、何かを考える素振りを見せた。
「では、こうしましょう。
私が道案内として荷馬車に同乗致します」
「んー。その方が助かるかな」
「では、準備が終わりましたら玄関へお越しください。荷馬車を回しておくよう、手配しておきます」
「自分で取りに行くからいいのに」
「ふふ。では、私も準備をしてきますので、失礼します」
さっと部屋を退出するクシャーナは、とても嬉しそうだった。
急いで準備を終えた優斗が玄関に到着すると、そこには既に荷馬車が置かれていた。
フレイも連れてくるつもりだったのだが、部屋に居なかった為、仕方なくメモだけ残して来た。フレンドリーとはいえ、さすがに、貴族様を待たせる勇気はなかった。
貴族を、と思った時に、だったら荷馬車で連れ出すのは失礼にあたらないのかと言う疑問も浮かんだが、本人が了承しているので大丈夫だろうと考え、それでも次回からは気を付けようと反省はしておく。
「お待たせしました」
「じゃあ、行こうか」
フレイよりも早くクシャーナが到着してしまい、仕方なく彼女は置いていく事にした。
先ほどとは違う恰好のクシャーナは、ベージュの簡素な服と、昨日と同じベールを被っていた。
「では、乗せてください」
「かしこまりました、お嬢様」
優斗がおふざけ半分、見送りの目が気になったのが半分で発した言葉に、クシャーナは恭しく、片手を伸ばす。
昨日は両手だったのにな、と思いながら手を取り、体を引き寄せると、右手を首の後ろから回して肩を支え、左手は膝の裏へ通して、持ち上げる。こっちに来てから少し力がついたかな、と思いながら御者台に乗せ、優斗は逆側に回り込んで飛び乗る。
「では、お嬢様。お気をつけて」
優斗は見送ってくれる中年の女性に頭を下げ、荷馬車を進める。
クシャーナの案内で街を進むと、すぐにロード商会の建物が見えた。
「そういえば、お付きの人とか一緒でなくてよかったの?」
「街から出ない、優斗様と離れないと言う条件で、お兄様の許可を頂きましたので」
どっちのお兄様に許可を取ったんだろうか、と思いながら、ロード商会の裏へと回り込む為、細めの路地へと入っていく。
「商会に用事があるのですよね。入らないのですか?」
「大体、荷揚げ場は裏にあるんだよ」
まさか自分が教える立場になるとは。そんな風に思いながら、優斗は荷揚げ場の前で暇そうにしている男に声をかけた。
「すいません、アロエナからの荷物を持ってきました」
「ん? あぁ、運搬か。ちょっと待ってくれ、今、呼んでくる」
誰を呼んでくるんだろうな、と思いながら待っていると、すぐに大柄な男が扉の中から現れた。
「どうもどうも。この度は遠いところからようこそおいでくださいました。
ハリスから連絡を受けておりますので、どうかこちらへ」
「わかりました。クーナはどうする?」
「ついて行ってもいいんですか?」
「邪魔しなければね」
嬉しそうに、では、お願いします、と告げるクシャーナと共に、大柄な男に先導されて部屋へと向かう。
商談用スペースらしい部屋にはソファーが2つあり、片方に大柄な男、もう片方に優斗とクシャーナが肩を寄せ合って腰かける。
「申し遅れましたが、私はプラートといいます。この度は我が商会の依頼を受けて頂き、本当にありがとうございます、優斗様」
「いえ、こちらこそ」
良い言葉が見つからなかった優斗は、誤魔化すようにそう返す。
フレイの時は気にならなかったのだが、横で商談を見られていると言うのは、緊張するな、と優斗は思った。それは、見られている事を気に出来る程度には商談に慣れてきたと言う事でもある。
「将来有望な、可愛らしい女性をお連れだと聞き及んでおりましたが、確かに綺麗な顔立ちをしていらっしゃいますな」
「あー、どうも」
それ、違う人です、とも言えず、優斗は流されるように相槌を打つ。
会話の指針や方向性が掴めず、戸惑っていた優斗は、こっそりと深呼吸する事で心を落ちつける。ここまで形振り構わずやって来た優斗だが、慕ってくれる子供の前で格好悪いところを見せたくない、と思う気持ちくらいはあった。
「これ、契約書と税の納付書です」
「税の納付書、ですか?」
プラートの目つきが、商人のそれに代わる。
まず、納付書を確認したプラートは、ざっと契約書にも目を通した。そして重要だと思われる部分、税の支払いは現物で、の部分だけを三度読み返す。
「税の変動があったと言う話は、聞いていないのですが」
「そうなのですか? しかし、現に私はここへ入る際、その額の税を支払いましたよ」
プラートが手元のベルを鳴らすと、すぐに現れた男にお茶の準備を指示する。その際、何かを耳打ちしている様だった。
「ところで優斗様、蜂蜜を持ち込まれた様ですが、お引き取り希望ですか?」
「あれはこちらの貴族様に売り込もうと思っておりまして」
もちろん、値段次第ではお売りしますが、と言う言葉を優斗は口にしなかった。
高く売れるのならば売っておくに越した事はないのだが、目の前の商人は時間を稼ぎたがっている。ならば、今、蜂蜜の商談をしても、無駄に交渉を長引かせられるだけで、何の得もない。
「荷下ろしが終わり次第、お暇させて頂きますので」
「そう言わず、お茶くらい飲んで行ってください」
こちらに聞こえる様、あからさまに大きな声でお茶を頼んだのはその為かと気づいた優斗は、念の為もうひと押しして置こうと、隣に応援を求める為、視線を送る。
「どうされましたか、優斗様」
「あー。そうだった」
隣のクシャーナが不思議そうな顔でこちらを見ている。
今さらフレイを置いて来た事を思い出し、どうしようかな、と思いながら、優斗は一人、方策を練る。
「申し訳御座いません。この後、用がありまして」
「そうですか。実はまだ荷を下ろし始めておりませんので、お急ぎでしたら、後程改めて来て頂いてもかまいませんが」
「まだ時間がかかる、と?」
「荷物の確認も必要ですので。優斗様を信用していない訳ではありませんが、そう言う契約ですのでご容赦ください」
主導権を握り損ねた、と感じた優斗だが、一先ず蜂蜜の話題から遠ざかったので良いか、と思いながら隣を向く。
「クーナ、悪いけど少し時間がかかりそうだ」
「私が着いてくると言ったのですから、かまいません」
少しくらいは牽制にならないかな、と思ったのだが、効果はなさそうだ。
状況は有利ではないが、不利でもない。ならば交渉するのに何の問題もないはずだ、と自分に言い聞かせた優斗は、交渉のカードを場に出す事にした。
「ところでプラートさん、お願いがあるのですが」
「なんでしょうか。私どもに協力出来る事でしたら、なんなりとおっしゃってください」
儲かる事なら、と言うのが大前提なんだろうな、と思いながら優斗は鞄から小さな袋を取り出す。
「これの売り込みをお願いしたいのです」
袋の口を開け、テーブルに置く。
「これは?」
「ここに来るまでに立ち寄った村で売り出す予定の新作菓子です」
「ほう。1つ頂いても?」
「どうぞ」
プラートの反応は、ほぼクシャーナと同じだった。ただし、最後は幸せそうな顔ではなく、儲け話を見つけた商人特有の笑みだった。
「これはすばらしい。貴族や、お金持ち相手にそれなりに売れると思いますよ」
「ありがとうございます」
「売り込みを希望と言う事ですが、我が商会が直接買い取らせて頂く形でどうでしょうか。
どんなに良い物でも、知られていなければ買い手が付きません。その点、我々の商会は独自の流通経路を持っていますので」
「実は、既に店を開いて売り出す準備がしてありまして。そこで売っていくつもりです」
「そうですか。それですと、我が商会がお力になれる事は少ないかもしれませんね」
宣伝して欲しければ分け前を寄越せ、と言う事か。それも予想済みだった優斗は、更にもう一枚、紙を取り出す。
「実は既にハリスさんにこういう文章を届けていまして」
「ほう。拝見します」
ハリスに出した手紙の写しを手渡す。
この手紙通りに話が進んでいるといいな、と思っていると、扉が開いた。どうやら、お茶が届いたらしい。
お茶を1口啜りながら待っていると、手紙を読み終わったプラートが、顔を上げる。
「お伺いしたいのですが、何故貴族に売る事を条件としたのですか?」
「より正確に言えば、行商人や市井の人には売らないで欲しいのです。
村の方では、そちらをターゲットに店を構える予定ですので」
ハリスへの手紙に書いたのは、後ろ盾となって貰う代わりに、ロード商会にだけ格安で蜂蜜菓子を卸すと言う物だ。
優斗としては、成行きで出してしまった、レシピと言う大きすぎる商品を取り扱う上で、どうしても後ろ盾は必要だ。店としてもゆくゆくは他の物も出したいと言う希望もあり、その時には仕入れの必要もある。
プラートの疑問への答えは、実はもう1つある。商会へのレシピの公開も視野に入れている優斗は、市場を独占される事を恐れた。その対策として、ある程度の知名度を得てしまえば、商会が契約違反をした場合に様々な相手が介入してくれるに違いない、と言う思惑がある。レシピの公開をチラつかせれば、別の商会も動かせる可能性がある。
矛盾するようだが、同時に優斗は、しょせん蜂蜜菓子1つの事なので、そこまで大きな問題にはならないだろうとも思っていた。これは他の、もっと重要で、大きな技術や情報を売る際の予行練習でもある。故に、なるべく大げさに、最悪な状況を想定している。
「ハリスさんにはアロエナ側から、プラートさんにはこちら、ユーシア側から、この村へ寄るよう、誘導して欲しいのです」
「ふむ。なるほど、新街道の開通によって寂れた村ですか」
優斗が提示した白地図を見て、瞬時にそう答えたプラートに感心しながら、村のある場所を指差し続ける。
「他にもここを通る行商路を持つ方に連絡を取って欲しいのです」
「そのくらい、お安い御用です」
どうやら金になると判断されたらしい、と思いながら優斗は袋の口を縛る。
「これは差し上げますので、お使いください」
「良いのですか?」
「実物があればやれる事も多いと思いますので。その代り、しっかりとお願いしますね」
「それはもちろん」
その後、こちら側にも納品して欲しいと依頼されるが、同じロード商会とはいえ、ハリスに無断では約束出来ないと断ると、タイミングを見計らったかのように荷下ろしが終わったと連絡が入る。実際、見計らっていた可能性は高い。
当然だが、納付証明は本物であり、優斗は税を支払って来たと言う事が確認されたようだ。
「では、またの起こしをお待ちしております」
「はい。よろしくお願いします」
ほっとしながら商会を出た優斗は、事前に教えられていた南外輪へと馬を進める。
空を見上げると太陽がかなり高い位置にあった。だいぶ待たせてしまったお詫びにと、優斗は鞄から先ほどと同じ袋を取り出した。
「1つ食べていいよ。待たせたお詫び」
「ありがとうございます」
遠慮せず、ぱくりと1つ口に放り込む姿を横目に道を進んでいく。
飴を口に、ご機嫌なクシャーナの案内で到着したのは、織物工場だった。
「こちらが我が家の所有する倉庫と機織り工場です」
「これまた立派だね。本当に貧乏領主なの?」
「騎士団の維持費、聞いたらきっと驚きますよ」
楽しげに微笑むクシャーナと共に荷馬車を下り、入口で預けると中へと入っていく。
まずは倉庫へ行きましょうと言われ、後に着いて行くと、大量の荷物の詰め込まれた場所へと到着する。
「我が領土特産の絹糸です。隣の工場で布地を作っている、その材料ですね」
「糸で売らずに布地にするんだ?」
「布地に出来る数にも限界がありますので、ほとんどは糸のまま売っています」
「へぇ」
「確かに高く売れますが、その分費用が掛かるのであまり成功したとは言えませんが。
何より、最初にお金をかけすぎました」
初期投資は仕方ないな、と思いながら絹糸を確認していく。
この世界でも蚕が居るのだろうか、と思いながら眺めていると、クシャーナが不安げにこちらを見つめていた。
「どうしたの?」
「あ、その。先ほどの様に、商売の話を始めないのかな、と」
「あー、そういえば交渉しに来たんだっけ」
直前の事で、優斗はかなり精神を消耗していた。何せ、契約に違反していないとは言え、相手を騙したのだ。身分詐称の身でこんな事を言うのはおこがましいが、ああいう事には慣れていないのだ。
「その前に、布地の方も見たいな」
「そうですね。では、こちらへ」
倉庫から出た優斗は、クシャーナに先導され、工場内へと入っていく。
工場内には数十台の機織り機が並べられていた。作業しているのは、ほとんどが女性。何故か1人だけ黒髪の男が混ざっている。
「クーナ」
「私は見ていません」
「こっちに向かってくるけど?」
「逃げましょう、優斗様」
「そう邪険にするな、妹よ」
1人機織りに参加していた男は、クシャーナの兄のルエインだった。
「お兄様、どうしてここに?」
「お前が兄貴のところに外出許可を取りに行ったと聞いてな。ここで待ち伏せしていた」
「どうしてここが?」
「現金を使わず交渉しろ、と言ったのは俺だからな」
口をへの字に曲げるクシャーナと、不敵に笑うルエインがにらみ合う。
優斗の方は、こちらに来て初めて見る機械に目を奪われている。じっと見ていると、何故か違和感を覚えた。
「優斗様、どうされましたか?」
「いや、なんでもない」
そう口にしながら、優斗はようやく違和感の原因に気づき、後で調べてみようと心の中に留めておく。
「……そうですか」
クシャーナの反応に、ルエインが「ん?」と声を漏らす。そして彼女の耳元で何かささやき、首肯するのを見て嬉しそうに口元を歪める。
「我が家の機織り機に、何か思う所がおありかな?」
「いえ、そんな事はありません」
優斗を見つめているクシャーナが、ルエインの袖を掴み、引く。彼はそれを無視して、優斗に向けて口を開く。
「他の国では、もっと効率の良い方法があるらしいな。商人殿はそれをご存じなのだろう?」
「残念ながら」
無視されたクシャーナがまた袖を引く。それでもルエインは無視し続ける。
「その技術、教えて頂けないか?」
「あの、会話がかみ合ってないと思うのですが」
「だが、お前は知っているのだろう? 生産性を上げる、何かを」
「知らない、と答えたつもりなのですが」
更に袖をひっぱって自己主張するクシャーナが可愛そうに思え、優斗は話を中断しようと口を開きかける。
「仕方がない。商人、最後に1つ答えろ」
「なんですか?」
「クーナの事は嫌いか? それとも好きか?」
「まぁ、好きですけど」
その言葉に、クシャーナは真っ赤になった。
初心な子だな、と思いながら微笑ましく眺める優斗。その姿を見て、クックッ、と不敵な笑みを浮かべるルエイン。
多大な誤解を招くこの光景は、3人を見守る機織りの女性たちによって、様々な人の耳に入る事になる。
お使いも終わり、ユーシア編、本格始動です。
落としどころをどこに持ってくるべきか、悩ましいです。