思い出の欠片
準備が出来ていない、何よりも家の人間がほとんど不在、と言う事で夕食はクシャーナと2人で摂る事になった。
「礼儀作法とか判らないんだけど」
「2人だけなんですから、大丈夫ですよ」
貴族の会食と言うと、無駄に大きなテーブルの端と端で、というイメージを持っていた優斗は、こじんまりとした部屋でちょっとだけ豪華な食事を出され、少し戸惑った。
ちなみにフレイの分は直接部屋に届けられた。この屋敷で下働きをしている者と同じだと言うメニューは、行商の旅をしている優斗たちから見れば、十分に良い食事だった。
「おいしい」
「お口に合った様で何よりです」
のんびりとした食事は、しかし1時間とかからず終了した。
優斗とクシャーナの前には、お茶が準備されている。領主の娘、手ずから淹れた紅茶が。
「なんか、こう。領主の娘ってもっと何もしないものかと思ってた」
「普通はそうだと思いますよ。嗜む程度なら別ですが、率先してこんな事をするのは珍しいと思います」
変わり者なのかー、と言う優斗の思考は、口に出さずとも伝わってしまう。
「仕方ないです。我がユーシア家は貧乏領主ですので」
「あー、それで商人は大歓迎なんだ?」
「それもありますけど」
口ごもるクシャーナ。もしかして、と浮かんだ自意識過剰な思考を即廃棄しながら、続きを促す。
「同じモノを持つ相手に、初めて会ったので嬉しくって」
「同じモノ?」
「髪と肌の色です」
なるほど、と納得しながら、優斗は今まで見てきた公国民のそれを思い出していた。
髪はほとんどが金か茶、もしくはそのバリエーション。肌は、優斗の感覚で言うところの白人の色。
目の前の少女は、少しだけ色のついた肌に、カラスの濡れ羽色の髪。優斗は黄色人種である日本人特有の肌色と黒髪を持っている。
「お兄様は典型的な帝国寄りで、黒い髪と黒い肌をお持ちです。お兄様――失礼しました、ルータスお兄様は金髪碧眼と言う典型的な公国民の容姿をお持ちです。他の兄弟も、やはりどちらか寄りで、私のような中途半端な者はおりません」
言ってから失言に気づいたのか、あっ、と開いた口を手で隠す。
「優斗様が半端者だと言った訳ではありません。その、」
「気にしてない。と言うか、俺は自分の肌の色も髪の色も気に入ってる。それに」
少し躊躇したが、優斗は思い切ってクシャーナの髪に手を入れる。
さらさらで柔らかい感触に、この上ない心地よさを感じながら、優斗は一房掴み取る。
「クーナの髪も綺麗だと思う。クーナは自分の髪、嫌い?」
ぶんぶんと首を振るクシャーナに、優斗は掴んでいた髪を手放し、苦笑する。
「肌の色だって、同じ。クーナは可愛いんだから、ちょっとくらい皆と違っても、気にする事ないって。
むしろ、自分だけの魅力なんだから、自慢するぐらいでいいと思うよ。俺は」
帝国民、公国民と言う括りの中で、どちらにも属さない容姿を持つ少女は、これまでずっと悩んでいた。褒めてくれる人間はそれなりに居たが、そのほとんどが身内か、おべっかを使う商人や貴族だった。身内の贔屓目を除けば、彼女の事を本気で褒めてくれた人間は、数少ない。
「あの、優斗様」
「ん?」
頬が上気するのを自覚しながら、クシャーナは優斗を見つめる。
陳腐な励ましの言葉でも、少しくらい気休めになったかな、と考えている優斗は、クシャーナの少し朱が差した頬を見て、この部屋少し暑いかな、などと考えていた。
クシャーナがぎゅっと手を握り込み、目の前の彼の横へ移動しようと腰を浮かせた瞬間、勢いよく扉が開いた。
「クーナ、商人が来ていると言うのは本当か!」
「……本当ですわ、ルエインお兄様」
口をとがらせて不満げな妹に気づくことなく、ルエインお兄様と呼ばれた男は質問を続ける。
「どこに居る?」
「ここですわ」
「おぉ、君が食糧を運んで来てくれた商人か。助かるよ。
で、いくらで譲ってくれる?」
唐突に始まった商談に、優斗はばつの悪そうな表情を浮かべた。積荷は全て、ロード商会に持っていかなければならないのだから、当然だ。
「申し訳ありません。私は運搬を依頼されただけでして。蜂蜜とそれを使った甘味でしたらお譲り出来るのですが」
「軍用の備蓄食料が欲しいのだ。甘ったるい物に興味はない」
「そうですか。どうしましょうか」
売り込みに失敗した優斗は、提案だけはして置こうと、口を開く。
「では、私がロード商会に引き渡しに行く所に同行して頂くか、商会の担当をこちらへ呼び出して頂く、と言うのはどうでしょうか?」
「で、あそこから買え、と。高く売りつけられるのが目に見えてるな。
少しでも構わない。なんとか譲ってくれないか?」
届ける荷物の量は決まっているので、中抜きをしたら契約違反だ。それは優斗も困ってしまう。
契約内容を思い出していた優斗は、ふと、妙案を思いつく。
「ルエイン様、提案があるのですが」
「聞こう」
「聞きません」
突然割り込んできたのは、クシャーナの拗ねた様な声だった。
ついつい話を進めてしまったが、優斗がここに居る理由は、クシャーナの話し相手になる為だ。無視され、放置された彼女が拗ねるのも、無理はない。
「仕事の話だ。クシャーナ」
「私が交渉をしていた場にお兄様が割り込んで来たのです」
「なるほど。それは悪かったな」
にやりと笑うルエインは、クシャーナの座るソファーにどかりと腰かける。
黒い髪に黒い肌と言う、典型的な帝国民の容姿を持つルエイン。優斗はそんな彼の視線を真っ向から受けながら、黒人はこっちでも迫力があるな、と見当違いの事を考えていた。
「何故、お座りに?」
「妹の商談を見守ろうと思ってな。商人、構わないだろう?」
「クシャーナ様が了承されるのであれば、私が反対する理由はありません」
兄弟間で何か確執でもあるのだろうか。そう考えた優斗は、一先ず口調と呼び名を改めておく事にする。
「では、優斗様。申し訳ありませんが先ほどの続きをお願いします」
「はい、かしこまりました」
続きって言っても、実際は商談なんてしてないし、どうしようかな。
優斗のそんな思考を読み取ったのか、クシャーナは頻りにウィンクをして、こちらに何かを訴えかけている。
「では、僭越ながら説明させて頂きます。
私はロード商会と食糧を輸送する契約をしています。ですので、商品をお売りする事は出来ません。
ですが、契約書にはこう書かれています。商品にかかる税は現物で支払う事」
ルエインはそれだけで何かを察したようだが、クシャーナはよく判っていない。
(きっとクーナの言葉が嘘だと判っててやってるんだろうな)
自分の説明が追い打ちだった事に気づかない優斗は、今、自分がすべき事は、商談をまとめる事だ、と思考を切り替える。
クシャーナに恥をかかせず、ルエインに認められる、と言うレベルのフォローと説明が出来れば良いのだが、如何せん優斗はそんな才能を持ち合わせていない。ならばせめて、クシャーナの顔を潰さないくらいの商談をすべきだ。優斗はそう考え、気を引き締める。
「ですので、税として支払ったと言う形でお渡しし、その証明を頂ければ問題なく契約を果たせます」
「今んとこ食糧の持ち込みには税を課していないんだが、その辺りはどう思う?」
意地悪な質問だな、と思いながら、ハリスが税に関してあっさり譲った理由が判明して、優斗はこっそりショックを受けた。同時に、やはり彼はやり手の商人だったんだなと、納得もする。
そんな事よりも、と頭を全力で働かせ、なんとか思いついたのはとても陳腐な策だった。
「毒入りの食糧が運び込まれたので、一時検査を厳重にし、その費用として税率をあげた、と言うのはどうでしょうか?」
「毒、ってのはマズいが、他の適当な理由をでっち上げればいいな。よし、それで行こう」
結局ルエインと商談してしまったな、とクシャーナの顔色を伺うと、何故か申し訳なさそうな顔をしていた。
「では、クシャーナ様。私は明日、この街に来ると言う事でお願いします」
「え?」
「税率と代金。いえ、クシャーナ様から頂ける褒美につきましては、後日、お話をさせて頂くと言う事でよろしいでしょうか?」
「その、それで構いません」
「では、本日はこれにて失礼させて頂きます」
もっとフォローしてやりたいが、この辺りが引き際だろう。そう判断した優斗は、深々と礼をした後、へたくそなウィンクを残して部屋へと戻った。
部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。
ひさしぶりの1人部屋に、少しだけ感動しながら、ごろごろとだらける。
この世界に来て初めて見る黒髪。活発そうな丸い瞳を礼儀と言う猫で隠している、と言う印象の彼女は、トーラスとは違った意味で『むこう』の知り合いを髣髴させた。
「未練だねぇ」
思い出していたのは、元恋人にして幼馴染。名前は、思い出すと泣きそうなので、アイツとだけ呼ぶことにする。
瞳が青い事を除けば、クシャーナは昔のアイツに似ている。活発で、悪戯好き。少し甘えたがりだったが、人前に出るとお行儀よく、猫かぶりの達人だと言って怒らせた事もある。
アイツと過ごした時間は長いが、その中でもほぼ1日中一緒にいたのが、今のクシャーナと同じ、10歳の頃だ。
父の仕事が急に忙しくなり、それを手伝うために母はまだ小さい弟と共に海外へと渡った。その時、友達と別れるのが嫌だと我儘を言った優斗は、アイツの家に預かられる事になった、と言う訳だ。
寝食を共にし、風呂にも一緒に入った記憶がある。アイツと一緒に入るのは照れ臭かったし、抵抗を感じはしたが、アイツが気にしていないようなので何か負けた気がして、意地もあっておばさんの言うとおり、何度か一緒に入った。
思考に没頭していて気付かなかったが、いつの間にか部屋の中に人の気配があった。
入口の扉が開いた気配はなかった。ならば誰だ、と警戒を強めながら、体を起こして身構える。
「ご主人様、まだ起きてますか?」
「あー、フレイか」
「クシャーナ様だと思いましたか?」
「それはない」
いつも通りの軽口に、沈んでいた意識が浮上してくるのが判る。
意識が浮上しても心は沈んだままの優斗を、何か落ち込んでいると感じたフレイは、これはチャンスとばかりに静かに近づき、ベッドの端へ腰かける。
「ご主人様、ご一緒してもよろしいですか?」
「今日はまた直球だな」
「特殊な性癖をお持ちでないのなら、こちらの方が効果的かと思いまして」
(本気でマゾだと思っていたのか、それとも放っておいた事を根に持っているのか)
どちらにしても、いつも通り、優斗はフレイを抱く気はなかった。アイツを思い出した後ならば、なおさらだ。
「ところでご主人様。本当に普通に接した方が良いのですか?」
「何度もそう言ったと思うけど。なんでそんなに疑う?」
「最初の命令で、無礼を働いても問題ないとおっしゃいました。
基本的に主人の、してもいい、はこなすべき内容だと教わりましたので」
「マジで?」
「マジです」
そういえばそれ以降は極力命令しないようにしてたな、と思い出し、命令だと前置きして命令した事が数えるほどしか無い事に気づく。
もしかしなくても自業自得? むしろフレイは気を効かせてくれていた?
「てっきり、そんな事も知らないんですか、このグズ、と罵られたいのかと思ってました」
「だからそんな趣味はないって」
確かに子供でも知っているような常識的な事ばかり聞いたけどさ、と優斗はため息を吐いた。
やっぱり自分の予想は正しいのかもしれない。そう思い始めた優斗は、ならばきっちり命令で否定して置こうと決める。
「じゃあ、命令。
無暗に暴言を吐かない事」
「了解しました。無暗でない程度に吐く事にします」
「おい」
どこまで本気なんだか、と思いながら、優斗は脱力する。
ベッドにどさりと倒れ込むと、フレイもそれに続いてベッドに上り、優斗の方へと這い寄る。
「では、失礼して」
「失礼すんな」
「満足して頂けるよう、誠心誠意ご奉仕させて頂きますから」
「せんでよろしい」
「何でも言う通りに致しますよ?」
「……はぁ」
優斗が諦めたようにため息を吐き、反論を止めたのを承諾と取ったフレイは、自分の胸まで誘導しようと、彼の手を取る。
優斗は掴みに来た手を逆に掴み返し、自分の頬へ押し当てた。
「えっと、その。どうしました?」
「んー。ちょっとフレイの体温を確かめたくって」
手を離した優斗は、大の字に寝転ぶ。
この世界の奴隷と言うモノと、フレイの性格をある程度理解した優斗は、当初考えていたフレイに手を出さない理由が、既に意味のないモノだと判っていた。
この世界の奴隷は逃げ出せない。ならば、無理やり何かをしても問題ない。
フレイは自分に、方向性は不明だが、ある程度の好意を持っている。だから抱いても無理やりにはならない。
この世界のナビゲーター兼アドバイザーがいなくなるのが困るから、と言う理由も、奴隷だからと言う理由で無理やりするのが趣味じゃないから、と言う理由も、既に意味をなさない理屈だ。
「フレイは、好きな人とかいなかったの?」
「私はご主人様一筋です、と言う方が喜ばれる気がしますが、実はいました」
「その人とはどーなったの?」
「あっさり振られました。当時の私は、今以上に子供な外見でしたので」
そっかー、と答えながら目を瞑る。
残っている理由はもう少ない。他の女を抱くのに抵抗がある、と言うのと、この世界の人間は、自分と同じ人間なのか、と言う疑問。
後者は体を隅々まで確認したとしても判らない可能性のあるので、理由にすらならない気もするが、それでも一応、理由は理由。
この世界の人間はギフトと言う特殊な力を持っている。これは、人の別進化と言うよりも、別の生き物だと考える方が、しっくりくる。
そういえば、何度かちらりと見たフレイの身体は普通の人間っぽかったなー、と思い出す。全て事故で、決して故意であった事はない。
何故か円滑に、どうでもいい事に思考が流れた。体のつくり、ないし種族が違うのであれば、交配によって後世に遺伝子を残す行為は不可能ではないだろうか。
擬似行為、と言う単語が浮かんだ瞬間、それを見計らったかのようにフレイが声をかける。
「ご主人様、私の事を考えていますね?」
「何故わかる」
目を開けると、フレイに覆いかぶさられていた。顔が、文字通り目と鼻の先にあり、まつ毛の数まで数えられそうだ。
優斗は顔の横に置かれた腕に目が行き、そこを伝って真っ白な鎖骨に到達する。重力に逆らわず、胸元に大量の空間を作ったネグリジェは、白い膨らみを隠す事なく、危うい角度でその先端を隠すのみ。
「すこうしだけ、いやらしい目をしていました」
ゆっくりと、その身体が降ろされる。
全身にフレイの体温を感じながら、優斗は再び目を瞑った。フレイの方は、今日こそは引き離されまいと首に手を回してぎゅっと抱き着き、僅かに腰を動かす。
ふと、同じように抱き着いてきたアイツの事が頭に浮かぶ。
「あー、フレイ」
「今、他の女性の事を考えましたね?」
「だから何故わかる」
「女の勘です」
優斗は思った。女の勘は恐ろしい。きっとあれは、超能力の類だ。
やはり同じように女の勘だ、と似たような事を言ったアイツの事を思い出す。今日は本当にアイツの事ばかり思い出すな、と思いながら、自分がフレイを抱かない理由が、アイツに悪いからでなく、アイツを思い出すからなのかもしれない、と少しだけ思った。
「で、フレイさんや」
「なんですか?」
「この状態で他の女の事を考えてる男に、何か言う事ない?」
「代わりでもいいので、抱いてくれませんか?」
あっさり言うなぁ、と思いながら、いつも通りフレイを引き離し、ベッドの端へ転がす。
「もう、ご主人様のイケズ」
拗ねるフレイ。優斗はふわふわと不安定な精神をなんとか繋ぎとめながら、天井を見つめ続ける。
「なんでシテくれないのか、教えてくれませんか?」
ぼぅっとしていた優斗は、フレイが自分に質問していることに気づき、何か答えなければ、とそれがどういう意味を持つかも考えず、最初に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「ほら、性病とか怖いし」
「張り倒してもいいですか?」
そう言いつつもさらにいじけるフレイに、さすがに悪い事をしたな、と思った優斗は、誤魔化すように言葉を継ぎ足す。
「何でも言う事聞くって言ったのに、勝手に色々やるフレイが悪い」
「じゃあ、何か指示してください」
頬を膨らますフレイに苦笑しながら、優斗は何時もとは違う言葉を口にした。
「独り寝は寂しいから、添い寝して」
「やりました。私はついにここまで来ました」
何やら感動しているフレイに、優斗はしれっと追加の指示を出す。
「添い寝だけで、襲わないように」
「えー」
「後、今からある事は明日の朝には忘れる事」
そう言って優斗は、フレイを抱き寄せた。
目じりにまで上ってきた涙をフレイに見られないよう、彼女の胸元に顔を押し付ける。そして、静かに泣いた。
ひたすら泣き続ける優斗に、フレイは困った顔をしながらも、優しく頭を抱え、彼が眠るまでその背中を撫で続けた。
フレイさんががんばるお話でした。
むしろ前半のクーナの方が活躍している気がしますが、それはそれで。
後半も別の存在に食われかけていた気もしますが、それもそれ。