奴隷の少女
音の原因は崖崩れだった。
大きな物音にどうすべきか悩んだ優斗は、数分後、荷物をまとめてここまでやって来た。
一か所だけ不自然に抉れた道。崖から半分落ちかけているホロ付きの荷車。荷車に馬が1頭繋がれているので、荷馬車なのだろう。優斗が恐る恐る崖の端へ近づくと、崖下に何かが見えた。
「あれは……馬と、人か?」
転落事故だろうと判断し、目を逸らす。優斗は事故の顛末をこう予想した。雨で視界の悪い崖沿いの道。運悪く脆くなっていた部分を馬が踏み抜き、岩ごと崖下へ滑り落ちる。その振動で御者も御者台から振り落とされた。
崖を下るのは不可能ではないが、難しいように見える。真っ赤に染まった身体から、たとえ生きていたとしても助からないだろうと判断した優斗は、静かに目を閉じると助からないであろう、崖下の人影に手を合わせてから荷馬車へ向かった。
(死んだ人の物に手をつけるのは、気がひけるけど)
背に腹はかえらない。そう考えた優斗は、まず馬へと向かった。街へ向かうにしても乗り物が必要だと判断し、地面に落ちている手綱を手に取った。逃げられない様に手近な木にくくりつけると、御者台によじ登って中を覗く。
奥には梱包された荷物と麻袋。その手前に草で編まれた靴があった。御者台の付近には何かの束や枯れ草等が置かれている。暗くてよく見えないが、それ以外にも商品らしい物が幾つかあった。
かさ、と小さな物音が聞こえた。
目を凝らすと、荷物の間に人影が見える。
「あー、すいません」
「……ぁっ」
か細い声。多分、女の子なのだろう。突然現れた見知らぬ男に警戒し、荷物の間に隠れてやり過ごそうとしたのかもしれない。そう考えた優斗は、少しでも警戒を解く為に笑顔を作って話しかけた。
「危害を加える気はないです。事故ったみたいなので、見に来ました」
大丈夫ですか、と続けようとした優斗は、はたと気づく。日本語、通じるのだろうか、と。
「盗賊、じゃないんですか?」
「盗賊とか出るのかよ。って、はい。違います違います」
言葉が通じた事に喜ぶ暇もなく、治安の悪さに頭を抱える。優斗は盗賊に襲われたとしても、勝つ自信も、逃げ切る自信もなかった。
「その、商人さんは……?」
「あー、いや、その」
崖から落ちました、とも言いづらく、優斗は言葉に詰まる。
迷いに迷ってから、どうせ話さなければならないのだから、と言い自分聞かせて口を開いた。
「馬と一緒に、崖から落ちた見たいで……」
「えっ!?」
人影が荷物の間から飛び出し、優斗を押しのけて荷馬車を飛び降りた。
人影は、優斗が予想通りした通り女の子だった。崖の下を確認した少女は、膝から崩れ落ちた。
「そんな……どうすれば」
顔を伏せ、両手で覆った姿を見て、優斗は泣いているのだと判断し、声をかけるのを躊躇した。
「そう!」
少女が唐突に立ち上がり、優斗に振り返った。少女は泣いていなかった。少なくとも、涙は流していなかった。
驚いた優斗が「うおえ!」と叫ぶの気にせず、少女が詰め寄る。
「お願いします」
「な、何を?」
少女に圧倒された優斗が一歩下がる。
「商人さんの代わりに、私を売ってください!」
売るって、どう言う意味でだよ!?
そう心の中で叫んだ優斗は、頭を抱えた。
荷馬車から水の入った袋を取り出し、飲める事を確認してから少女に手渡す。
私を売ってください、お願いします、助けてください。
主にこの3つの言葉を訴え続ける彼女をどうにか宥めた優斗は、何故か自分が落ち着いている理由について頭を巡らせていた。優斗は件の『声』の説明を根拠なしに確信している。信じさせる為の細工が影響しているのではないか、と言う結論に達しかけるが、単に目の前にもっと混乱している相手がいるせいだと言う可能性もあるな、と思いつく。もしくはもっと魔法的な何かの影響か。
一見して冷静に見える優斗だが、実際のところ彼は十分に混乱していた。それが表に出ず、思考の暴走と言う形で表れているだけで、目の前の少女と同じくらい、もしかするとそれ以上に混乱している。
「とりあえずこれ飲んで落ち着いて」
「すいません。ありがとうございます」
少女は袋に口を付け、二口ほど飲むと優斗に返す。元々彼女たちの持ち物なのだから返す必要はないのに、と思った優斗だが、なんとなく受け取った。
「お願いしたい事があります。えっと」
「優斗と言います」
彼はわざと苗字を名乗らなかった。
この世界で苗字、即ち家名を名乗る事がどんな意味を持つのか判らなかったからだ。一部の人間、例えば貴族等しか家名を持たない、と言うのはよくある設定であり、歴史的な事実でもある。
「私はフレイと言います」
フレイと名乗った少女。所謂金髪碧眼で、優斗の主観では容姿も整っているように見える。絶世の美女、ないし美少女と言う訳ではないが憂いのある雰囲気と決意を秘めた瞳が魅力的だ。
優斗は、私を売ってください、と言う彼女の言葉を思い出しながら、首に巻かれた物を見つめる。
「それで、その。お願いがあるんです」
「とりあえず内容を聞いてから決めてもいい?」
首肯するフレイ。
兎に角情報が欲しい。そう考えた優斗は、お願いを聞きつつ彼女に質問をして情報を得る、と言う方針に決めて説明を促す。
「この辺りで不作が続いているのはご存じですよね?」
「いや。俺はこの森から出た事がないんで、外の事は詳しくない」
キョトンした表情のフレイを見て、優斗はまずったかな、と内心狼狽する。
完全な嘘はボロが出やすい。かと言って本当の事は話せない。故に優斗は、自分の境遇と現状を加味して、森で自給自足で生活している人間と言う設定を考えていた。外の事はまったく知らない、常識も欠けているが、本で知識だけはそこそこある変わり者。これならば彼女を売る為に常識的な事も学ぶ必要がある、と言う建前で色々聞けるだろうと考えた結果だ。
「もしかして、森の隠者様でしたか」
「似たようなモノかな」
フレイは何かを考えるように一拍だけ間を置いてから口を開いた。
「少し長くなってしまうのですが」
そう前置きするフレイに、優斗は無言で続きを促す。
「最近、この辺り一帯の集落で不作が続いています。不作の村がまずやる事は口減らしです。まずお年寄りが捨てられ、子供が売られます。
私の村でも同じ事をする事になりました。でも、大きな街まで売りに行くのは危険も多いです。そこで、一番高く売れそうな1人を村に出入りしている商人さんに売って来て貰う事になりました。それが私です」
フレイが言葉を止め、優斗に視線を送った。彼女の言葉を口の中で反芻していた彼は、少し遅れてその視線に気づき、続きを促す。
「私は多少ですけど読み書きが出来ますし、一応、良い年の女です。売値は高いだろうと言われました。一応程度ですけど、礼儀作法も習った事がありますし」
言葉づかいも、容姿も良く、読み書きが出来る女性。優斗はこの世界の識字を知らないが、人身売買が横行する世界のそれは低いはずだろう、と小説等の知識から判断した。
フレイの言葉が理にかなっている事を、優斗は理解出来た。
盗賊に襲われるリスク。大人数で移動が遅くなり、時間と食料を消費するリスク。それ以外にも様々な問題がある事は容易に察する事が出来る。仲介手数料を払い、旅慣れた行商人に預ける方が可能性は上がるし、より多くのお金を手に入れる為により価値の高い人間を送りだすのは当然の事だ。
優斗は日本で育った善良な大学生であり、それなりの倫理観を持っている。それは体制側に異を唱えて奴隷解放を謳うほどではないが、自分に出来る範囲で目の前の少女を助けてあげたいと思くらいには、人道的な思考の持ち主だった。
「このまま逃げれば?」
「それはダメですっ」
身を乗り出すフレイに、優斗がまた一歩下がった。
「私を売ったお金が無ければ、村は飢えて死ぬしかありません。なんとしてでも、村にお金を届けなくてはいけないんです」
「じゃあ、これ売れば?」
優斗が指差したのは荷馬車だ。持ち主は既にいない。
「……本当に何も知らないんですね」
そう言ってフレイが顎を上げると、そこに付けられている赤い首輪を指差した。
「私は奴隷です。商売どころか、私財を持つ権利すらありません」
ならば奴隷の身分を捨てればいい。そう思った優斗だが、それをそのまま口にする程、愚かではなかった。
「じゃあ、俺が売って君と山分けする、と言うのは?」
「鑑札を持たない奴隷が1人で歩いていたら、脱走奴隷として殺されてしまいます」
フレイが首輪の前方に付いている小さな輪っかを指差す。鑑札とは表に国印と所有者の名前、裏に所有者の身分が書きこまれた物の事だ、とフレイは補足する。
「首輪、外せないの?」
「私のギフトでは外せません。村にも外せる人はいません」
さらりと出てきた未知の言葉に、優斗はそれを確認すべきか悩んだ。悩んだ結果、思い浮かんだのはある諺だった。
聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥
「ギフト、とはなんでしょう?」
「……」
帰って来た気まずい沈黙に、優斗は愛想笑いを返す事しか出来なかった。