新たな道連れ
練習と言う名目で大量のハチミツきなこ飴を作らせ、自分用に確保した優斗は、予定よりも長い滞在を終えて出発の朝を迎えた。
ちなみにこちらの飴の作り方は優斗とフレイ、そしてミルドしか知らない。村との契約は、ハチミツきなこミルク餅の方を教えると言う内容だったので、契約違反ではない。
ミルドには頻りにお礼を言われたが、利用したと言う部分が大きかったので、少し困った。
配達が終わったらここに戻ってきて暮らすか、それとも権利をどこかの商会に売ってしまうかはまだ悩んでいるが、前者であれば長い付き合いになるので、好印象である方が都合はいいと考え、困りながらも無碍には出来なかった。
「ゆうとさん!」
「あん? 改まってどうした、トーラス」
「俺も連れてってください!」
朝食を取りに来た優斗は、その言葉を受けてカウンターへと視線を向ける。
にこりと笑う彼の母親の意図が判らなかった優斗は、とりあえず断る事にした。
「跡取り息子が家出てどーする」
「俺は元々継ぐ気ない。おとーとかいもーとが継ぐだろーし」
「粉ひきの方はどうするんだよ」
「あれはギフトないからムリ。つーか継ぐやつ決まってるし」
どうにかしてー、と助けを求めて視線を向けると、カウンターでは彼の両親がそろってにやにやと笑っていた。
「息子さん、こんなこと言ってますけど」
「うちは放任主義なんでね。本人が行きたいってんなら行かせるつもりだよ」
トーラス母の発言に頭が痛くなる。
「あのな、トーラス。俺の行先、ユーシアなんだぞ?」
「知ってる」
ちらりとトーラス母を見るが、動じていない。最近戦争があった地域に息子が行くと言うのに、心配する気配すらない。
「報酬。くれるって言ったじゃん」
「言ったな」
「じんとーぜーだっけ? あれは自分で出すから、連れてってくれるだけでいいからさー」
「もっと安全なとこにしとけ」
「えー。あそこの騎士団、かっけーじゃん」
話がかみ合わない、と優斗は頭を抱える。
「どうしました?」
「あ、フレイ。ヘルプヘルプ。トーラスが着いてくるって言い出した」
「いいですね」
笑顔と共に返ってきた予想外の言葉に、優斗は唖然とする。
どうやら優斗以外の説得は既に終わっていたようで、結局、周り全てが敵となった優斗は、断りきれず条件付きで承諾する事となった。
出発の時間が近づくと、宿にはミルドとその娘、ミレネが姿を現した。
蜂蜜菓子店の開業は、店の改装をしているので半月ほど後になる予定だ。現在は練習も兼ねて半年ほど日持ちするらしいきなこ飴の在庫生産を行っている。シールズがアロエナで見本を売り込み、ここまで買付、もしくは行商人が話を聞いてこちらの道に来るようになるまでの時間を考えれば、今は店を開けるよりもそちらの方が重要だ。
調理の腕はそれなりで、正式なレシピと失敗した幾つかの原因――冷やす必要がある事等――を教えると、あっさり優斗が作った物よりも美味しいミルク飴を作り上げた。更に上を目指して研究している様なので、優斗も楽しみにしている。余談だが、手伝いをしている娘のミレネと、冷やす係のトーラス弟の仲が急接近しているらしい。
「誠心誠意、働きます。どうかお気をつけて」
「私もがんばります!」
母娘の言葉にやはり困り顔の優斗は、よろしくお願いします、とだけ告げて荷馬車へ向かう。
勢いで店員として雇う事になってしまった娘のミレネは、12歳くらいのソバカスがあるチャーミングな少女だった。トーラスとも仲が良いらしい彼女は、優斗たちと言うよりは彼の見送りに来たようだ。
「じゃな、ミレネ。こっち来たら会いに来いよ。で、またあそぼうぜ」
「うんうん。情けなく帰ってきても、ちゃーんと優しく迎え入れてあげるからね」
「んだと!」
「はいはい。ほら、うちのオーナーさんが待ってるから、早く行きなって」
「くっ。絶対来いよ! 立派になって見返してやるからな!」
「ふっふ。楽しみにしてるよん」
じゃれあう子供たちを温かい目で見守った後、荷物の確認をして出発となった。
御者が出来ると言うトーラスに手綱を譲った優斗は、荷台の上で苦しんでいた。
「ぎぼぢばぶい」
「軟弱なご主人様ですねぇ」
結局、数時間と経たず御者台に戻った優斗は、風に当たりながらぐったりと背もたれに体を預けた。
「ユート兄ちゃん、かっこわりーぞ」
「トーラスくんもそう思いますか?」
「もちろんですよ、フレイ姉さん」
笑いあう2人を見て、優斗は自分の心配が杞憂に終わった事に安堵していた。
旅に同行する事になったトーラスに、フレイが奴隷である事を隠すのは、不可能ではないが難しい。それを知れば大なり小なり態度が変わると思っていたのだが、むしろ親しくなっている様に見える。
実のところ、優斗に対して自然に辛辣な言葉を吐いているところを見て、この人は只者ではないと感じ取り、取り入るならフレイだと判断しただけだ。奴隷が主人に暴言を吐くなどありえない事なので、何かあると勘違いしたと言うのもある。
「少し早いですけど、お昼にしましょうか?」
気遣わしげなフレイの言葉を、しかし優斗は素直にその言葉を受け取らなかった。
一見、地面に下りられるこの提案は優斗にとって救いである。だが、今から食事をして再度荷馬車に揺られたら、大変な結果になるのは目に見えている。ついでに後で「昼食が早かったのでお腹が空きました」と責められそうな気がする。
「トーラス、お前、腹減ったか?」
「ぜーんぜん」
「疲れは?」
「へーき。兄ちゃんみたいに軟弱じゃないし」
一言多いヤツめ、と思いながら、さすがは宿の息子だと感心もしていた。専ら裏方だったそうなので、客の荷馬車を移動させる他に、力仕事もしていたのだろう。
優斗がそんな風に感心していると、荷台からくすくすと笑う声が聞こえた。
もうどうにでもしてくれ、と自棄になった優斗は、御者台で膝を抱え、いじける事にした。
*
火の中に枝を放り込むと、ぱちんと言う音がした。
フレイと不寝番を変わった優斗は、毛布にくるまってただ火を見つめ続けていた。
トーラスに御者を任せられる事が判った時からこうするつもりだったのだが、夜に1人、火に向かい続けるのは想像以上に辛い事だった。
数日間、この役目を、文句は言っていたが、きちんとやってくれていたフレイを思い、やはり頼りすぎているな、と反省する。
当のフレイは、遠慮するでもなく、むしろ「昼間足手まといだったんですから当然ですね」と言って、トーラスと共に荷馬車で眠っている。この荷馬車には2人分しか毛布がないので、同じ毛布に包まっているはずだ。
羨ましいヤツめ、と心の中でトーラスに嫉妬しながら、優斗は昼間聞かされた彼の夢を思い出していた。
民の味方、国を守る正義の騎士団と評判のユーシア騎士団のある街でギフトを生かした仕事を初め、ゆくゆくは従軍契約者として騎士団の役に立ちたい。昔は騎士団に入りたかったが、従騎士として仕えるよりも、ギフトを生かして貢献する方が役に立つはずだから。
ししょーの受け売りだけどね、と照れ臭そうに語る彼を見て、優斗は別の人物を思い出していた。
優斗の弟で、名前は賢治。父の営む輸入代行業を継ぎたいと、優斗を巻き込んで一生懸命勉強していた。続いて、「じゃあ、おばさんの店は私達で継ぐ?」なんてふざけて提案してくる幼馴染を、さびれた商店街の一角で輸入雑貨店を切り盛りしている母を思い出し、目じりに涙が貯まっている事に気づく。
父の買付エピソードを誇らしげに語る弟。無理やり誘われ、やる気のない優斗にも関税や為替について丁寧に教えてくれた父。自分の家なんだから手伝わなきゃダメ、と無理やり、でも一緒に店番をしてくれた幼馴染。どう見ても嫌々な俺を追い払う事なく、仕事を教えてくれた母。
元来理系の優斗が、商人なんて立場で生き延びていられるのは、間違いなく彼らのおかげだ。当時は迷惑で、うっとおしかったのだが、今は只々感謝するしかない。直接お礼を言う事は、出来ないが。
夜に1人だと、湿っぽくなってダメだな。そう思いながら、『むこう』の事を考えないよう、優斗はこちらに来てからの生活を思い出し始める。
フレイに出会ってからアロエナにつくまでは、昼間は慣れない御者をして、夜はその疲れで眠るだけだった。
アロエナ滞在中は、慣れない事ばかりで四苦八苦していたし、考えなければならない事も多かった。初めての商談は、父の様に上手くはいかなかったが、及第点だったのではないだろうか。
街を発った後も、やはり慣れない荷馬車生活で、考え事をする暇もなく疲れて眠る日々。昼食を摂る為に無防備に眠るフレイを起こす羽目になった時は、かなり緊張した。
村では買付に頭を悩まされた。最初は通過するだけのつもりだったのだが、段々滞在予定時間が長くなり、結局、一週間も滞在してしまった。滞在後半にフレイが体を洗っている事を知らず、部屋に入ってしまうと言う事件もあった。それ以来、女の子と同じ部屋で眠っている事を改めて意識してしまい、色々な意味で困った。そういう意味では、トーラスが同行しているのは良い事と言える。おかげで、押し倒してしまう可能性が、ぐっと減った。
この世界に来て約半月。優斗にとって人生で最も波乱万丈な日々は、もう戻れない『むこう』の事を考える暇すら与えてくれなかったし、余裕が出来てからも、他に考える事が山ほどあった。
辛い事があった時は、何も考えられないくらい忙しいのが丁度いいって本当だったんだな。そう思い、でもそれは誰か死んだ時の話だっけ、と優斗の思考はどんどん逸れていった。
こういうシチュエーションならフレイが「眠れなくって」と言って毛布に潜り込んでくる展開が普通ではないか、というリビドー溢れる妄想まで思考が到達した優斗は、ありえても後が怖いと言う結論に達し、今は亡き過去のフレイ像に思いを馳せる。
「これからどうするかねぇ」
届け物が終わってから村に戻れば、生活基盤は問題ない。しかし、身分詐称している優斗としては、最低限クロース領内から出ておきたいと思っていた。どこに居ても身分詐称をしている事実は同じなのだから、村で生活するリスクはリコスの知り合いと会ってしまう事くらいなので、選択肢としてはありなのだが。
甘い物が恋しくてあんな交渉をしてしまったが、そういう意味ではあれは失敗だった。そんな風に思いながら、優斗は大いに反省した。
落ち込んだ思考がまた『むこう』の事を吐き出し始める。
帰れない。もう会えない。約束も破ってしまった。
そんな鬱々とした思考は、日が昇ってフレイが起き出すまで続いた。
過去回想回です。
ようやく優斗の事が少しだけ語られました。
今まで語られなかったのは、間違いなく私の未熟と怠慢です。スイマセン。