5 エルドラド
そこは、殺戮の場だった。
一匹の巨大なモンスターが爪を振り上げる。それだけで、重装鎧の戦士の身体がまっぷたつになった。
吹き飛ばされた戦士の亡骸が、鎧の割れ目から血と臓物をはみ出させながら、俺の傍らに落ちる。
そして、俺は――奴の視界に入らないように、アゼリアの腕を掴んで柱の影に隠る事しか出来なかった。
あれは、ドラゴンではない。
少なくとも、俺たちが通常「ドラゴン」と呼んでいたものではない。
俺たちが見たことがある――倒した事もある「ドラゴン」とは、正式名称「レッサードラゴン」というものだ。
邪悪な魔法使いが生み出した、魔法生物。知能を持った蜥蜴を更に巨大化させ、初歩的な魔法を使えるようにしたもの。この世界に生まれて間もない頃、俺が殺した「予言者サイフォーン」はその魔法使いの弟子で、彼が連れていたドラゴンもレッサードラゴンだ。
かつて、この世界に存在していた――神とも呼ばれた生き物を模して、人間の敵として生み出された生物。強い個体であっても、エネミーレベルとしては中の上か上の下ぐらいだろう。
だが、今俺たちの目の前にいて、何十人もの戦士に囲まれているものは、それとは違う。
俺たちは乗騎を降りて、徒歩になっていた。アゼリアのヒポグリフも俺の軍馬も、ダンジョンに入る手前から進むのを嫌がったからだ。
よほどの敵が待っているのだろうと、慎重に進む俺たちを、何人もの冒険者達が追い越して行った。
「これだけ頭数が居れば、少し安心できますね」とアゼリアは笑っていたのに。
ダンジョンの最深部で出くわした光景が、これだ。
「全員、突撃!」
ギリギリまで魔力を使って呼び出した召喚獣たちを、一斉にぶつけるのは、召喚士。離れた場所で「弱体化」の呪曲を奏でるバード。
魔法使いが魔力が続く限り「魔法抵抗」や「光の盾」「魔剣」などの支援魔法を送り、戦士は全員がSFMを放っている。
だが、どの攻撃も巨大なドラゴンには届かなかった。ドラゴンを覆った影のようなものが揺らぐだけで、ダメージを受けた様子はない。
そして、ドラゴンがうるさそうに口を開けると、炎が舌を出すのが見えた。
咄嗟に左手でアゼリアの手を掴み、駆け出す。
追ってくる、熱気と、すさまじい悲鳴。鉄が溶ける匂い。タンパク質が焼ける匂い。
振り返る勇気は、俺にはなかった。
ダンジョン入り口まで戻っても、鼻についた匂いはしばらく取れる事はなかった。
「古代龍」
腰が抜けたように、アゼリアがしゃがみこんだ。
当然、ダンジョンの中には雑魚モンスターもうようよ居る筈だ。だが、それらも主の登場に恐れ戦き、出てこようともしない。
「だと、思います。でも……」
「強すぎる。あれは、無茶だ」
壁を背に、奥へと続く通路を睨む。
俺たちを追い抜いて行った連中は、数でかかれば何とかなると思っていた筈だ。だが、彼らは俺の目の前で肉塊と化した。そして俺は、何も出来ずに逃げ出したのだ。
武器を握ったままの手が、震える。だがその震えは、恐怖の為だけではない筈だ。
人智を超える強さを持つ、モンスター。それだって、ファンタジー世界の醍醐味ではあるだろう。
だがそれを、イベント進行中に倒さなければならない相手として、出すべきだろうか? あの一瞬で、何人が死んだのだろう。たった一撃のブレス攻撃だけで。
俺たちはこの世界に生まれ、生きている。冒険者だから、危険な目に会うこともしょっちゅうだが、何とか生き残っている。万が一に死んでしまったら、「復活」だの「蘇生」だのという手段は――『COCOON』にはないのだから。
肉体が死ねば魂だけの存在になり、その世界から排除される。そしてたどり着いた別の世界で、また肉体を得て生まれ変わる事が出来るのだ。
その時に持って行けるのは、死んだ時に身につけていた装備品と、特別な祝福を受けたアイテムのみ。銀行に預けてある金も、家持ちならば家そのものも、持ち主を失い、やがて消える。
「死」をという手段を使っての世界の移動を、『COCOON』は推奨していない筈だし、俺もそれを認める気はさらさらない。
それが何故、イベント進行中に絶対に勝てないモンスターを出して来たのか。何故、『COCOON』の世界観をこんな所で壊すのか。別の世界の地図? 約束の地? ふざけるな。
「古代龍だとしても、攻撃が全く通じないのは変ですよね」
アゼリアの言葉がなければ、俺は二度とこの世界に戻って来る事は無かったかもしれない。
「SFMの中には、敵の防護点を無視してダメージを負わせるものもある筈なのに」
言われてみればその通りだ。どれだけ生命点が高いにしても、防護点無視の攻撃を受けてダメージが通らないのはおかしい。
「直接攻撃が通らないのか?」
「なのか。むしろ、影」
「影?」
思わず、詰め寄る。おびえたように引く、アゼリア。
「いえ、解らないんですけど」
と、一呼吸置いてから、続ける。
「私が召喚するエレメンタルって、輪郭がぼやけているでしょ? あれは別の――私たちが見ることが出来ない世界に居て、精神だけこちらに召喚するものなんですよ。あのドラゴンも輪郭がおかしかったので」
と、アゼリアが背負い袋の中から例の地図を取り出した。
「もしかしたら、なんですけど。こちらから送り込まれた影なのじゃないかと」
それは、俺が考えたのとは真逆の発想だった。
エデンで死んで、そちらの世界に行くことを強要するわけではなく、そちらの世界から送り込まれたドラゴンを倒す為に、世界を移動するのだという事になる。
だが、どうやって。
「相手のダメージが通るんだから、こちらにも絶対にその力を具現化するアイテムがあるはずなんですよ。それを探しましょう」
そう言ってアゼリアが取りだしたのは、黒縁の瓶底眼鏡だった。レンズの形は円で、しかも顔の半分が隠れるほどのでかさだ。
「マジックアイテム感知メガネさえあれば、どんなマジックアイテムも見逃しません」
意気揚々と装着する、アゼリア。
それを使うと、色んな意味で台無しになるからやめてくれと、何度お願いしてもこの女は聞いてくれない。
「マジックアイテムかそうじゃないかを見分けるのは、とても大切な事なんです」
と、言い切られて終わりだ。それは正しい。認める。
だが、見た目も酷いが、そのメガネは装着すると、マジックアイテムだけが見えるようになる。つまり、それ以外は闇の世界になるのだ。
宝箱を漁っている時でさえ、アゼリアは金属の破片でよく指を傷つけていた。剥き出しの剣があっても気づかないので、いつも手元に気を配らなければならなかった。それを装着して歩くともなれば――どんな被害が出るのか、想像するまでもない。と、思う側から転んでいる。
「ヴァン。ちょっと手を貸してもらえますか? 出来れば誘導していただけると、嬉しいのですけど」
仕方がないので手を貸しながら――どうでも良い気分になってしまった事を反省した。
転んで、肘に擦り傷を作っているアゼリアだって、ドラゴンに立ち向かって全滅した彼らと同じぐらい真剣なのだと解っていたから。
何時間、ダンジョン内を探索しただろうか。
一度、街に戻った方が良いかなと思った時に、アゼリアがそれを見つけた。
例の深層部近くの壁には、ランタンが埋め込まれて魔法の光を放っている。その中のひとつが、他のものとは明らかに違う輝きを放っているらしい。
壁から外してためつすがめつして見ると、光の中に何かの影が見えた。小さいが――確かにドラゴンの形をしている。
「どうする?」
俺が聞くと、アゼリアは考え込んでいる。
俺たちがダンジョン内を探索している間にも、何人もの冒険者がドラゴンに挑んで――俺の忠告は「臆病者」と誹りを受けただけだった――返り討ちにされていた。
奥の間でまた、悲鳴が響いた。
びくりと身体を振るわせたアゼリアが、覚悟を決めたようにそれを頭上に掲げる。
「何をする気だ」
慌てて、その手を掴む。
「壊せば、ドラゴンは消える。絶対に消える」
真剣な表情で、祈るように呟くアゼリア。その言葉は俺ではなく、自分に言い聞かせているようだった。
「その後で、考えます!」
俺の手を振り払い、アゼリアがランタンを地面に叩きつける。
マジックアイテムなので、そんなに簡単には壊れないのではないかとちらりと思った時には、ガラスの砕ける音がした。
青い光がしばらく明滅していたかと思ったら不意に消え、俺たちの足下に深淵が生じる。
まずいと思った時には、もう遅い。俺たちはその中に、落ちて行った。
真の闇の中を、落ちて行くのかそれとも空に浮かび上がっているのか。それすらもよく解らない。
ここには、何もない。
俺の手を握りしめているアゼリアの手のぬくもりだけが、生きている証のように思われた。俺もまた、アゼリアの手を硬く握る。
その時だ。
突如、光が俺たちを包み込んだ。途端に、身体に様々な感覚が蘇る。一番最初に来たのは、重力。大地に足をついて、身体を支えているという感覚だ。
「このタイミングで来るか!」
真横で誰かが悪態をついた。まだ、状況が解らない。
顔を上げると、金色に光る何かが視界いっぱいに広がった。と、同時に身体が動く。
黄金色に輝く鱗を持った巨大な生き物に向かって、フルチャージの銃口をつきつけ、撃つ。青い光の束がドラゴンを射抜いた。直撃だ。
「必殺の一撃」。全魔力を使って、一撃を放つ。当たれば相手の核を傷つけて死に至らしめる。注)生命点が三桁以上のエネミーや、特殊な敵に対しては、その生命点を八〇パーセント減らすに留まる。と、マニュアルに書いてあったその技を放つ。
SFMを放ったのはまだ二度目だが――前のように意識を失う事はなかった。竪琴の音が聞こえたので、アゼリアの呪曲のおかげだろうと推察する。だが、それでも立っているだけもきつい。
その俺の身体が、強く引かれた。アゼリアだ。勢いで数歩、後退する。
と、さっきまで俺が居た場所に大量の血と肉片が落ちて来た。血を吸った地面から、嫌な匂いの煙が上がる。
「危ない、です」
古代龍の血には、酸が含まれているらしい。だが、身体がまともに動かない状態では、避ける事も出来ない。奴は、怒りの目で俺を睨んでいるというのに……。
「こちらへ」
白銀の手甲が俺に肩を貸してくれた。見ると、それは全身に騎士鎧を纏い、首に聖印をかけた人物だった。
彼が触れたとたんに、少しだけ目眩がおさまる。
「やるなぁ」
へろへろな俺を振り返り、歯を見せて笑ったのは黒い鎧の男。どこかで見たことがあるような気がした。
「だが、まだ生きている」
俺に肩を貸してくれている白銀の騎士鎧が、言った。
「黒炎、止めを!」
「勿論だ!」
黒鎧の男の大剣が、ドラゴンに深々と突き刺さる。そこから、強大なエネルギーが溢れた。
ドラゴンは最後に咆哮を上げ――それだけで、地崩れがした。俺は再び誰かの手でいつの間にかアゼリアが召喚していたヒポグリフに乗せられる。
脳裏に何かが聞こえた。いつもの潮騒かと思ったが、少し違う。
「出たか?」
そう言ったのは、騎士鎧の男。
「いや。俺じゃないな。あんたか?」
黒い鎧の男が俺を見る。
「それより、早く離れなきゃ。主戦力がへろへろじゃん」
誰かがそう言って、
「でも、まだ宝が……」
控えめに告げたのは、アゼリアだろうか。
「そんな暇はない。イベントモンスターだから、すぐに湧くぞ」
その後の事は、よく覚えていない。
気がつくと、俺たちはダンジョンを脱出していた。繋いでおいた筈の軍馬がいないので、聞いてみる。
「何だ、気がついてなかったのか」
と、黒鎧の男が笑って言った。
「久し振りだな、ヴァンヘイル。――ようこそ、エル ド ラドへ」




