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COCOON  作者: 桂まゆ
3/10

2 アゼリア

「どうです? そろそろ消えそうですか?」

 女の言葉に、俺は首を横に振った。

「困りましたねぇ……」

 おっとりとした口調は、どうやら癖のようだ。出会ってから半日以上になるが、この女が早口でしゃべっていたのは本当に窮地に陥っている時だけだったから。

 それよりも、問題なのは俺の手の甲に刻みつけられている痣。

 赤黒い十字の形をした傷跡のようなもの。その印は、「あえて誰かと言われたら、むしろ本人に自覚させる為に」刻まれるらしい。

 だからその痣自体に害があるわけではない。問題なのは、その痣が刻まれているという事実だ。

 それは、あるフラグが立った人間に刻まれるのだという。そのフラグとは、「犯罪者フラグ」。つまり俺は、犯罪者の烙印を押されたということだ。

 考えれば、当たり前の事だ。「罪もない」NPCを殺害したのだから。例えそのNPCがクエストの最後に、より凶悪な犯罪者となってプレイヤーキャラクターに牙を剥く予定だったとしても、俺が出会った時はただの「上から目線の嫌なじじい」というだけの存在だった。腹が立ったからといって殺してしまったのは、自分でもやりすぎだと思う。

 だが。

 これを言い出すのは、甘ったれた事だと言うことぐらいは解っている。それでも。

 初心者相手に、それぐらいのことは教えてくれておいても、罰は当たらなかったのではないかと。

 逆恨みとは知りながらも。

 切なそうに溜息をつく女と目が合う度に、思いたくなるのだ。

 このフラグが刻みつけられた直後に出会った二人のベテランに対して、どうしてもそんな苦情が言いたくなる。全くの八つ当たりだとは解っていたが。



 女は、アゼリアと名乗った。

 年の頃は、二十代前半。細かいウエーブのあるブルネットの髪と白い肌の持ち主。――これがまた、俺の広いストライクゾーンの中でもかなり真ん中ストレートな女だったのだ。

 決して美人過ぎない、それでも人好きのするおもて。ふっくらとした胸元は革鎧に覆われているが、その首筋の白さが、否が応でも鎧の下に想像をかき立てる。

 たまに口元を尖らせる。そんな幼い仕草が魅力的な女。

 彼女と出会ったのは、リンコたちと別れて間もなく。言われたままに街道に沿って――多少、回り道をしながらも――歩いていた時だった。

 深い森の中で、街道から外れすぎないように気をつけながら、注意深く歩いていた。街道沿いとはいえ、危険がないとは限らない。時折耳を打つ獣の鳴き声に、嫌が応にも警戒心が高まる。

 不意に、女の悲鳴が耳を打った。やや、間をあけてからもう一度。

 俺は、無意識に駆けだしていた。武器を手に、その悲鳴が聞こえた方に向かって。

 街道を逸れて東に入って行ったあたりで、先ず目に入ったのは、二階建ての廃屋。悲鳴の主を捜して辺りを見回す俺の前に立ちはだかったのは、一体のスケルトンだった。

 アンデッドの中でも、雑魚中の雑魚。

 どこのどいつだ、こんなもん相手に悲鳴を上げた奴は。苛立ちながら、その一体を屠る。

 悪夢を見たのは、その直後だった。

 俺を取り巻く土塊の中から、一体、また一体とスケルトンやゾンビが起きあがって来たのだ。

 昔のムービーで見た事があるシーンのようだ、などと考えている場合ではない。

 やはり、身体の方が先に反応した。だが、その反応のままに連射をするのはまずい事も、「俺」には解っていた。

 俺の武器は、「銃」だ。初期マスター技能に「戦闘技能:ガンマン」を選んでいるのだから、必然的にそうなる。

 初心者には敬遠されると噂に聞く、その技能を何故わざわざ選んだのかと言えば――戦術的に非常に有効なものだったからだ。

 この世界の銃は、火薬を使わない。

 銃を撃つのに必要なのは、「精神力」と「魔力」だ。直接ダメージに影響するのが、「精神力」。そして、銃を打ち出す時に使われるエネルギーが、「魔力マナ」なのだ。

 銃の連射は一気にマナ不足に繋がる危険性がある。故に、初心者には敬遠されがちだが、最初から銃の特性を理解していれば、問題はない。

 ダメージを大きくして、乱射しないようにすれば良いのだ。簡単な話だ。狙いを外さず、一撃で屠ればマナ不足にはならない。――大多数の敵に囲まれるような羽目に陥れば、話は別だが。

 五匹ほど屠ったところで、奴らは徐々に数を増やしながら、間合いを詰めて来る。

 更に、五匹。至近距離に迫った奴らを屠る。軽く目眩を感じた。

 さすがに、まずいと自覚する。

 と。

「ああああ、ごめんなさい。ごめんなさい」

 斜め後ろのあたりから、甲高い声が響いた。少し、力が抜ける。

「すぐに、片づけます。本当にごめんなさい」

 グリフォンによく似た生き物――馬の身体に鷲の顔と翼を持つ生き物は、後で聞いたらヒポグリフという幻獣だった――に跨った、若い女。軽やかにその幻獣から下りると、

「ぐりちゃん、行ける? がんばって」

 その背を軽く叩かれ、ヒポグリフは女を守るようにアンデッド向かって威嚇する。

「すみません、力を貸してください」

 俺の了承を取る事もせずに、女は詠唱に入る。背後は完全にがら空きだ。

 仕方ないので、しばらくつき合う事にした。

 幸い、敵のターゲットはほとんど女に集中している上に、奴らは特殊攻撃は使って来ない。動きも鈍いので、引きつけてから撃つ戦術が一番有効だった。

 女の詠唱が完了した。

「我が求めに応じ、出でよ!」

 女の腕に巻かれたクリスタルのひとつが激しく輝き、そこから炎が巻き起こった。

 炎は女を包み込み、巨大なひとつの影を作り出すと四方に散る。

 炎の精霊か。では、この女は魔法使いではなく召喚士なのだろう。

「ありがとうございました。後は何とか……」

 大きく息をついた女の背後に迫ったスケルトンを、反射的に撃ち抜いた。その時になってやっと、自分が狙われていた事に気づいた女が悲鳴を上げる。……あぶなっかしくて、仕方ない。

「す、すみません。うまく召喚出来たから、ついつい調子にのっちゃって。いつもは、もう少し気をつけてるんですけど……」

 必死に謝る女を可愛いと思うのが、半分。げんなりとしているのが、半分。

「おい、あんた」

「はい?」

「気が散るから、少し黙ってろ」

 女が黙ったので、俺はしばらくそこにいる敵を殲滅することに集中する。やがて、不思議な事に気づいた。銃を撃つたびにマナが消費される。それは、疲労となって蓄積されていくのだが――少し前から、その疲労を全く感じていない。

 女の歌声にようやっと気づいたのも、その時だった。

 呪曲か。この女は召喚士であり、バードでもあるらしい。決して先頭に立たず、周りをフォローする。そういう役割が居る事は、俺のような戦士にとって、とても有り難い。

 やがて、湧いていたアンデッドたちが沈黙する。

 目的を失った炎の精霊が消滅し、女もやっと口をつぐんだ。

「声が涸れた……」

 小さく咳き込んだ後で、女は俺を見上げた。あらためて、頭を下げてくる。

「巻き込んでしまって、すみませんでした。実は、あの館から出る時に楽器を落として踏みつぶしてしまって……」

 この女、思った以上の粗忽者らしい。

「呆れますよね。私、本当に駆け出しで……」

「敬語はいいよ。俺は多分、あんた以上の駆け出しだ」

 そう、俺の方こそ生まれて一刻も経っていない。戦闘に慣れているように見えるのは、「すぐにでも前に立って戦える」ように作られた「純戦士」だからだ。

 多分、俺がソロプレイ中に今のような集団に囲まれてしまったら、殲滅は不可能だっただろう。生きて逃げ切れたかどうかも解らない。

「えええ! そうなんですか? だって、ぐりちゃんより硬いのに」

 きりと唇を噛む、女。若輩者に助けられた事より、俺の防御力の高さがペットに優った事の方が悔しそうだ。

「それは、俺が純戦士だからだろ? それより、敬語はやめてくれ」

「あ、これは癖ですから気にしないで下さい。それで、ですね。とても言いにくいのですけど……」

 地の底から響き渡るようなうめき声が大地を揺るがしたのは、その時だった。

「まずうぅい!」

 女が血相を変える。

「また、下僕を召喚されてしまいます。早く倒さないと」

「何を?」

 俺が言う間に、女は廃屋の扉を睨みながら、新たな詠唱に入っている。

 その間に、扉はきしみ、ゆがみ――壊される!

「待って、早い!」

 女が言う前に、蝶番ごと扉が吹き飛んだ。

 額に王冠を抱いた巨大なスケルトンが、「ボス登場」さながらに、姿を現す。

 その瞬間。銃のエネルギーチャージが一気に上がった。SFM――スペシャル・フィニッシュ・ムーヴと呼ばれる、解りやすく言えば「必殺技」ということになるか――を撃つタイミングに入ったのだ。

 無論、そのエネルギーは自然に湧くものではない。俺のマナからチャージされるのだ。撃てば、その消費量は半端ではない筈だ。

 だが。敵を見て武器が「撃て」と言った。

 あるいは、「撃ったら、もしかしたら生き残れるかも知れない」と言ったのかも知れない。

 どちらにしても、俺は引き金を引いた。青い閃光が、スケルトンロードに向かって伸びる。が、それに気づいたスケルトンロードは直撃をかわした!

 俺の持つ銃のSFMは「必殺の一撃」。全マナを使って一撃を放ち、敵の核を撃ち抜くというものだが――その攻撃を外してしまえば、結果は目も当てられない。

 万事休す。

 そう思った時だ。奴の身体がぼろぼろと崩れ始めたのは。俺の放った「必殺の一撃」が奴の核の一部をかすめていたのだろう。

 そう思う間もなく、俺の目の前は真っ暗になった。



 唇に温かい感触を覚えて、俺は目を開けた。

 召喚士の女の顔が間近に映る。なんだよ、やる気まんまんか。

 俺は彼女を抱き寄せてその唇に舌を割り入れた。と、後頭部を思いっきりはたかれる。

「何をする!」

「そっちこそ、いきなり何をするんですか!」

「先に仕掛けたのは、そっちだろ?」

 女の目が、いきなり冷たくなった。居心地の悪さを感じて、頭を掻く。さっきはたかれた場所が、じんじんしていた。

「結構、力があるんだな」

「こっちの手も、痛かったですよ。……いけないいけない。先に言うべきことは言っておかないと。助かりました。本当に、ありがとうございました」

 かなり、投げやりに女が言う。おかしいな、こんな筈では無かったのだが。

 憤慨しながら女がポーションボトルを片づけたので、先刻のキスの意味にやっと気がつく。マナ回復の効能があるポーションを、口移しで飲ませてくれたらしい。

「いや、こっちこそ勝手にぶっ倒れてしまって面目ない」

 俺に言われ、女は大きく首を振る。

「いえ。勝手に巻き込むわ、マナを限界まで使わせるわ……しかも、私の方が先輩なんですよね? どうしよう、本当に恥ずかしい」

 改めて頭を下げて、そしてやっと笑ってくれた。照れたような笑顔が、魅力的だと思った。

「私は召喚士で、アゼリアって言います。で、この子がヒポグリフのぐりちゃん」

 またか。

「ヴァンヘイルだ。ところで、自己紹介をする時に、ペットの名前まで紹介するのがこの世界の流儀なのか?」

「さあ? でも、お気に入りの子ですから」

 当たり前のように言われると、何となく納得してしまうから不思議だ。

 いわゆる「犬の散歩中に、自己紹介より先に犬紹介が始まる」ようなものなのだろう。

「で、あんたはここで何をしていて、あんな事になったんだ?」

 アゼリアの話では、この「ロンダールの館」は駆け出しの冒険者には格好の狩り場なのだそうだ。1F部分は基本的に雑魚しか湧かないが、地形による通行障害を上手く利用しながらの立ち回りを覚えることも出来る。それに、戻ろうと思えばすぐに街に戻れる距離なのだと。

 ひとつだけ気をつけなければならないがの、入ってすぐの部屋に設置されている召喚クリスタル。この館に置いてあるそれは、ランダムにエネミーを呼び出す。それでも、一日に一度の運試しで、ここを訪れる度にクリスタルを起動していたのだという。

「それで、現れたのがあいつか」

「スケルトンロード。生きている限り――って、最初から死んでるんですけど、下級のアンデッドを無限に召喚します。まさか、あんな大物が出るとは思わなかったので、焦って飛び出したんですよ。その時に楽器を落としてしまって。しかも、踏んで壊してしまって。……その時は、お花畑が見えました」

 てへっと笑う、女。笑い事じゃないだろう!

「あんたがひとりで冒険をすること自体が、無茶なような気がしてきた」

 軽く額を抑える俺を、彼女は睨み付ける。

「楽器さえ壊れなければ、そこそこぐらい行けてるつもりなんですけど」

 その大切なアイテムを落っことして、しかも踏んで壊す奴がそう言うのか。とは思ったが、明日は我が身かもしれないので、取りあえず黙っておく。

「それより、街に行きませんか? お礼に何かご馳走しますよ。アルトっていう街なんですけどね、いつも賑やかで、いっぱい屋台とかあって面白いですよ」

「そういえば、この先の街でイベントが起こっているって言われたな」

 リンコたちと別れてから、数時間ほどか。なんだかひどく昔のような気がする。

「イベントですか? だから、狩り場に人が居ないのかな。でも、誰がそんなことを?」

「リンコっていうガキだ。肩にインコを乗せた変な奴だった」

 言われて、アゼリアが少し考える。

「メッセンジャーバードを連れているんだったら、多分情報屋ですね。基本、街の中から動かないものだと思っていましたけど。とりあえず、街に行きましょうか。安心したら、お腹が空いて来ました」



 アゼリアが言った通り、街はかなり近くにあった。距離的には。時間がかからなかったかと聞かれると、首を思いっきり横に振るが。

 街の手前でアゼリアはヒポグリフから下りて、徒歩になる。小さな言葉を唱えると彼女の右手首に巻かれたクリスタルの数珠が輝き、ヒポグリフが吸い込まれるように消えた。

「街には、召喚獣を連れて入っちゃいけないんですよ。普通の馬はOKなのに。差別ですよね」

 腹立たしげに告げる、アゼリア。普通の馬とヒポグリフを比べた時点で無理があるとは思ったが、とりあえず頷いておく。彼女が自分の召喚獣の中でも、ヒポグリフを溺愛している事は嫌と言うほどに解っていた。

 奴と契約した時の武勇伝を延々と身振り手振りの上に擬音をまじえて、しかも立ち止まって聞かされたせいで、街に着くまでにかなり時間を費やしたのだから。

 そして、ようやっとたどり着いた街で。

「立ち去れ、犯罪者め」

 俺をまっさきに迎えたのは、その一言だ。

 その場に居合わせた全員が、俺を見た。その目は何故か嬉々としているように見えた。

「犯罪者?」

「犯罪者が、こんな所に?」

 驚いたように振り返ったアゼリアの姿が、人波の中に消える。

 何人かが、武器を抜いた。俺の足が自然、後じさる。ここにいると、危険な事ぐらいは解った。

 と。

 その人波の向こうで突如、悲鳴が上がった。

「乗って!」

 差し出された細い手を、俺は迷いもなく取る。

「町中で、召喚して良かったのか?」

 ヒポグリフに騎乗したアゼリアの細い腰に捕まりながら、俺が言う。

 ヒポグリフは街を離れ――やがて、街道を大きく外れて森の中に向かっていた。アゼリアは、全く手綱を取っていない。慣れない道を、あえてヒポグリフに任せることで、追っ手を振りきるつもりらしい。

「全然、良くないですよ。ギャラリーを傷つけていたら、私だって犯罪者になってしまいます。て言うか、一体何をしたんですか!」

 アゼリアに、生まれてからの経緯を説明する。巻き込んでしまったのだから、説明するのがせめてもの誠意だと思ったからだ。

「それで、初心者に『犯罪者フラグ』ですか。解っていたら、街に連れていったりしなかったのに」

 街や村、城には必ず「衛兵」や「自警団」が居て、犯罪者はそれらのNPCに暴かれる。俺がそうであったように、街に入る事を拒まれるのだ。

 「犯罪者」を捕らえた者には多額の賞金が支払われるし、何より「徳」が上がる。それに、万が一戦闘になっても、「犯罪者」相手なら罪を問われない。

 「凶悪な犯罪者」というプレイスタイルをあえて楽しみたいのでなければ、「犯罪者」フラグが消えるまで大人しくしておくのが一番だし、俺だって自分にフラグが立っていると解っていたら、大人しくしていた筈だ。

 だから。

 そのフラグが立った直後に出会い、特にそのあたりの忠告をしてくれなかったベテラン二人に、恨み言を言いたくなる。それが、ただの八つ当たりだという事は解っていたが。

「おまえ、さ」

 今、そこに居ない二人に心の中でどんな恨み言を言っても、事態が好転するわけではない。だから、おれはあえて口を開いた。

「お前って言わないで下さい」

 ぴしゃりと、言い返される。ああ、もう。何て言うのだ、この感情は……うっとおしい、か? それとも……おもはゆい? 解らないので、とりあえず苛々する。

 その苛々を何とか治めるべくゆっくりと息を吸い込み、改めて彼女に語りかける。

「アゼリア」

「はい」

「何で、泣いてるんだ?」

 返事はなかった。

 答える気がないのか、それとも泣いている事を俺に気づかれて、プライドが傷ついたのかもしれない。

 だから、別の質問をした。

「何で、俺の逃亡に手を貸した?」

 ヒポグリフを止め、女が振り返る。その瞳はもう、濡れていなかった。

「魔がさした。それだけです」

 琥珀色の瞳が、俺を睨む。だが、それはすぐに哀しげな色に変わった。

「私、アルトから離れたことないんですよ。今回も、ちょっと冒険してみたけどすぐに戻るつもりだったから……」

「だったら、俺の事なんかかまわずに戻ったら良いじゃないか。追っ手はもう居ないぞ?」

「出来ないから、途方にくれてるんです」

「何故?」

「道に迷ったからです!」

 今度こそ、アゼリアは涙を隠さなかった。

 いや、この状況で泣きたいのは、どちらかと言えば俺の方だと思うのだが。

「アルトに帰りたい……」

 くすんと鼻をすする、アゼリア。さっきからもやもやしているこの感情の正体が、やっと解った。この期に及んで全然肝が据わっていない女への、苛立ちに違いない。

「そんなに人が恋しいのか?」

 俺の声には、嘲りが含まれていただろう。

「恋しいのは、人じゃないです!」

「じゃあ、何だよ」

 ぐっと、女は言葉に詰まる。だが、俺の視線から目をそらすことなくぽつりと呟いた。

「お腹が減ったんです」

「ああ?」

「お腹が減ると、すごく切なくなるものなんです」

 言い切られて、俺もついに認めざるを得なくなった。

 さっきからの苛立ちの一部が、実は空腹から来ていることを。

「冒険者が、空腹ぐらいで弱音を吐くなよ」

 俺の反論は弱い。

「なんていう事を! 腹が減っては戦はできないんですよ」

 それは、正論だった。だから、沈黙するしかない。

 そうこうしている間に日が傾いて来た。旅慣れない俺たちが、夜の森を行くのは、さすがに危険だろう。

「野営でもするか?」

「野営道具、持っていません」

 これこそ、けんもほろろ、だ。

 だが、アイテムを持っていないから何も出来ないと思いこむのは間違いだと思う。少なくとも、この世界は、そんな風に作られていない筈だと思いたい。

「少しは、前向きに考えろよ」

「考えていますよ。この土地の事を知らない、そして夜が迫っている。だから――安全な場所でぐりちゃんが立ち止まるのを待ってるんです」

「そいつに任せていたら、絶対に街には行かないぞ?」

「今、探しているのは野営をするために安全な場所です。道具一式を持っていない上に素人なんですよ、私たち」

 今度という今度は、ぐうの音も出ないほどにうち負かされてしまった。

 野営に備えて目が見えるうちに枯れ枝を拾ってみたが、何もない所から火を熾す自信は全くない。アゼリアの事は、笑えない。この期に及んで、真剣に考えていなかったのは、実は俺の方だった。

 もっとも、アゼリアが思うような場所には一晩歩き続けても、出会える気もしなかったが……。

 俺がそんな事を考えている時だった。ヒポグリフが足を止めたのは。

 アゼリアの肩越しに周りを見回し、俺は愕然とする。

 そこにあったのは、人造の建物。

 夜の闇に浮かび上がる、窓のあかり。そして煙突からは煙が出ており、美味そうな匂いがあたりに立ちこめている。

「家? いや、村か?」

 よく見れば、家は一軒だけではない。

 現在、明かりがついているのはその一番大きな一軒だけだったが、その奥には何軒かの建物が見えた。

 手袋を外し、手の甲を見る。痣は消えたのかどうかを確認するためだが、暗くてよく見えない。

 周りを見たところ、NPC自警団の姿はない。

 俺は、すぐに決心した。

 腹が減っているのも、アゼリアが切なそうにしているのも、事実だ。だがもっと切迫した現実が俺の前にある。

 少し前に、かすかに感じた耳鳴り。それは、今、俺の耳元でがんがんと鳴っている。

 この耳鳴りが最高潮に達する前に。せめてこのお人好しの粗忽者だけは、安全な場所に連れて行ってやりたい。いや、俺はそうするべきなのだ。

 唯一明かりがついた建物では、数多くの人の気配がした。

 ひとり、ヒポグリフから降りてその店の前に立つ。扉が開いたのはその時だ。

 その奥から、調子っぱずれの歌声や楽しげな笑い声があふれ出した。そして、何よりも美味そうな――煮焚き物の匂い。

「あれ、お客さん? お疲れさま。ゆっくり休んで行って」

 出てきた少年に促され、俺たちは迷いもなくその店に足を踏み入れた。



 俺たちに休息を与えてくれたのは、「憩いの酒場」というベタな名前の酒場だった。看板にそう書いてあったらしいが、生憎俺には文字は読めない。

 ここが何なのかという俺の質問には、店でバーテンダーを勤めるひげ面の男が答えてくれた。

「冒険者の、冒険者による、冒険者の為の村。ま、別の言い方をすれば『プレイヤーキャラクターによる違法占拠地』だわな」

 そう言ってがははと大声で笑うと、俺の背中を叩く。もう少しで、囓っていた肉を口から飛ばす所だった。

「で、あんたらはここに来るのは初めてだったか」

「ええ。私たち、駆け出しで」

 上品な手つきでシチューを口に運びながら、アゼリアが答える。

「駆け出しが二人して、腹を減らして歩いているとは可哀想に。でも、その駆け出しがアルトからも街道からも外れて何処に?」

「このあたりを探索中だったんですよ」

 事も無げにアゼリアは答えるが、それはかなり苦しいぞと、ひそかに思っていた。

 探索の旅に出るのに辺りの地図もテントや寝袋などの荷物も、食料はもちろん水筒だって――俺に至っては初期装備以外――持っていない。駆け出しとはいえ、冒険者は普通はそんな無茶はしない。言い換えれば、そんな無茶な冒険者は『COCOON』では生き残れない。

 だが、アゼリアは「うっかり者の初心者」を演じ通すつもりらしい。

 食事中にも、俺は手袋は外さなかった。明るい場所で改めて確認すると、まだ痣が消えていなかったからだ。

 俺たちの様子を代わる代わる見ていたバーテンダーが、やがてにやりと笑った。

「そういえば、昼前に来たリンコたちが言っていたね。犯罪者フラグをつけた初心者が来るかも知れないから、温かく迎えてあげてって。ヴァンヘイルって、あんたの事だろ?」

 ぶっと、俺は酒を吹き出した。

 右手が腰を探るが、そこに武器はない。店に入る時に預けてあるからだ。

「はいはい。怖い顔しないの」

 そう言って、俺のグラスに酒を注いだのは給仕の女。俺のストライクゾーンからはかなり離れた、人の良さそうな中年女だ。

「ここは、どんな冒険者でも受け入れる村よ。もっとも、あんららがここの住人たちと問題を起こさなければ、だけど」

「それは、勿論」

 慌てて、アゼリアが答える。俺も無言で頷いた。

 それにしてもあのガキ、やっぱり解っていて黙ってやがった。今度会うことがあれば、絶対に文句のひとつも言ってやる。

「とりあえず、今日はゆっくりお休み。朝になれば市場が開くから、必要な物資はそこで買いそろえたら良いよ。この村には銀行がないから、手形払いになるけどね」

「銀行? 手形? そんなシステムがあるのか」

「現代人らしい発想でしょ? でも、それが『COCOON』なんだよね」

 よくあるファンタジー系RPGのように、モンスターが金を持っているわけではない。だが、そのモンスターに賞金が懸かっていれば、銀行に賞金が入金される。また、プレイヤーキャラクターは本人にしか使えない「手形」を持っており、その手形を使って買い物をすれば銀行から勝手に引き出されるという仕組みになっている。

 自動振り込み、カード払い。なるほど、確かに現代人の発想だ。

「市場って、楽器も取り扱っています?」

「勿論だよ。綺麗な召喚士のお嬢さん。朝までに、お嬢さんに合うものを取りそろえておこう」

 アゼリアの質問に、背後から別の声が答える。

 だが、俺の耳鳴りはとてもひどく、もう顔を上げていられなかった。

「もう、そんな時間?」

 俺の様子に気づいたらしいアゼリアが、耳元で囁く。そんな時間って、どんな時間だ?

「実りのある一日だったようだね、お疲れ」

 給仕の中年女の言葉に被るように。

「お疲れさま、ヴァン。良い夢を」

 柔らかな指の感触が俺の頬を滑った。

「おやおや、いきなり酒場でログアウトかい。なかなか見上げた初心者だな」

 それが、その日『COCOON』で聞いた最後の言葉となった。出来れば、その前の台詞で終わって欲しかったと思いながら――俺の意識は、深い眠りへと落ちて行った。

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