04. 引きこもり少年の受難
神楽坂翔琉の手には、黒いスマホが握られていた。
液晶画面の反対側には鳥のマークが印されている。
カケルはスマホに表示されている富田長晴のデータを見ている。
在在セン、正式名称" 日本国在住者及び在留邦人の個人情報センター "に記録されているデータだ。
やたら長ったらしい名前を持つこのセンターは国籍問わず、日本国に居住している者及び海外に居住している日本人の個人情報が集積されている。
戸籍情報はもとより、その者が在学した学校、就職先、個人資産や毎年の所得など…
そしてこれは非公式だが、在在センに登録されている全ての人間の通話記録ならびにネットの閲覧履歴も記録されている。
誰がいつ、どこから電話を誰にかけたのか
ネットで、どのサイトを閲覧しているか
ポルノサイトを閲覧している事も、どの動画を何回視聴したか…その動画の、シークバーの動きさえ記録している。
通販サイトで、なにをいつ買ったか
なんなら、そのサイトで打ち込んだクレジットカードの番号さえも記録されている。
日本国民全員の全てが、そこに記録されている…言うなればそれは、日本国の心臓であり、脳である。
当然ながら、その" 心臓 "にアクセスできる人間は限られている。
政治家ならば内閣総理大臣、しかし首相であっても閲覧には手続きがいる。
個人の勝手でアクセスする事はできない。
警察関係者が捜査の為に利用するにしても、裁判所の許可を待たなければならない。
しかし……
神奈川県の一軒家に親と同居して暮らす引きこもりの少年は、スマホに一声かけるだけで日本国の全てをそのスマホに表示させる事ができる。
なぜなのか……。
それを語る為には時間を数か月、戻す必要がある。
20×5年9月25日木曜日
高校生、神楽坂翔琉が引きこもって約4か月。
引きこもりとは様々な理由で6か月以上続けて自宅に居続ける状態を指すので、この時期のカケルはまだ正式な引きこもりではなかったが、自分と同じ境遇の仲間を求め、匿名掲示板マルバナのヒキコモリ板にいた。
カケルがヒキコモリ板の雑談スレッドに書き込む。
20X5/09/25 14:52 ID9762
お前ら聞いてくれ
家の前で、お爺さんが倒れてる
どうしたらいい?
夕方の、" ゆ "の字が出始めた頃、カケルが何気にカーテンの隙間から外を見ると自宅前の道路に、初老の男性が倒れこんでいた
[助けにいきゃいいだろ]
[ほっとけ、どうせ誰かが助けるだろ]
20X5/09/25 15:00 ID9762
そだね
とりあえず、おやつのプリン食べてくる
[なにがおやつのプリンだよw
お子様か!]
[わろた かわいいなw]
20X5/09/25 15:20 ID9762
プリン食べて来た
じいさん、まだいる
道路に座り込んでる状態
なんか足くじいてるみたい?
どうしよ
[どうしよ、じゃねえ
外に出て、助けたれよ]
20X5/09/25 15:25 ID9762
ヒキコモリに外でろとか、鬼ですか
[ほかに通行人とか、いねえのかよ]
20X5/09/25 15:33 ID9762
さっき軽の車が通ってたけど、徐行しただけで
そのまま去って行った
[冷たい世の中だな]
[つうか、軽自動車以外、誰も通らねえって
どんな田舎だよw]
[なんか面白そうだな
コテつけて実況してくれ]
20X5/09/25 15:42 ID9762
すいません、コテってなんですか?
半田ごて?
[固定ハンドルネーム、略してコテハン
ようするに名前だよ
もちろん本名じゃなくていいぞ]
[半田ごて、わろたw
マルバナ初心者かよ]
20X5/09/25 15:51 ×
まだヒキ歴4ヶ月なんです…
よろしくご指導お願いします、先輩!
とりあえず、コテハンつけてみますた
[ヒキ名乗っていいのは、6か月以上の奴だぞ
まあ、いいけど
それよりなんだよ、バツって]
20X5/09/25 15:55 ×
あ、バツじゃなくてカケルです
プラスマイナス、カケルの×
自分の名前がカケルなんで、×にしました
[本名じゃなくていいって言ったのに、なんでわざわざ本名晒すんだよw]
[わろたww 自分から個人情報晒すスタイル]
20X5/09/25 16:00 ×
すいません
あまり考えずに決めてしまいました
[気にすんな
こっちもお前の個人情報なんて気にしないから
んなことより、自慰さんどうなった?]
「自慰さんwww
お前が普段、どんな書き込みしてんのか、分かったわw]
[うるせえwww]
20X5/09/25 16:12 ×
じいさん、まだいます
自分も自慰はします
毎日、暇なんで…
[誤変換を気遣う、エックスの優しさw]
「エックスじゃないぞ カケルだってさ
+-とかの×]
……10分後
20X5/09/25 16:22 ×
悲報 雨が降り始めました
おじいさん、まだ倒れてる
[悲報じゃねえよww
なに呑気に実況してんだ!w
とっととジジイ助けに池!]
20X5/09/25 16:26 ×
ヒキコモリなんで、外でれません!!
[出ろ!! ジジイが死ぬだろが!]
[電話かければ? 警察とかにさ
バツさん、スマホ持ってる?]
[ヒッキーに電話かけろとか、お前には人に対する優しさってもんがないのか]
20X5/09/25 16:35 ×
スマホは持ってますが、母親としか話したことないです…
あと、自分の呼び名はバツじゃなくてカケルです
[この際だ、親以外の奴にかけてみろ
脱ヒキの練習だと思ってやってみろ]
[つうか、また間違えやすいコテにしやがったな
記号じゃなくて、文字でカケルって書けよ
あ、本名だったか
もうバツにしろよ バツってコテにしとけ]
カケルが掲示板でやり取りしてる間にも、雨脚は強くなっていく。
聞こえなかった雨音が、今でははっきりと聞こえるようになった。
外では老人が足を押さえて座り込んでいる。
雨は容赦なく、その老人の体に降り注ぐ…。
カケルの脳裏に、少年時代の出来事が蘇ってくる……。
冷たい雨が降る中、カケルは家に入れてもらえず、ただ玄関の前で泣いていた。
「お父さん、ごめんなさい…ごめんなさい!」
鼻水を垂らし、家の前で泣きじゃくっていた、あの日…。
目の前にある玄関の扉は、無情にも閉められたままだった。
泣いても叫んでも助けはこず…少年カケルは、ただ冷たい雨に打たれていた。




