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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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リンカーネイション 〜黒百合の花が咲く〜

作者: 乙希々
掲載日:2026/01/23

 ──時刻は、十七時を過ぎていた。


 黄昏時、あるいは逢魔が刻。


 学校帰り、このまま真っ直ぐ帰るべきか迷ったが、夕飯のことを考えると、僕は急ぎ足で最寄りのバス停に向かう。


 ちょうどタイミング良く到着した路線バスに飛び乗り、空いていた中央のシートに腰を下ろす。


 閉まるドア。夕日が差し込む車内で、ゆっくりと座席に背中を預ける。


 と。


「ぁ……」

「ん?」


 不意に、向かいの席、短いプリーツスカートの膝にスクールカバンを乗せた女子と目が合う。


 桐野音羽きりのおとは。今学年からのクラスメイト。


 襟元できっちり切り揃えられた黒髪ボブに、あえての、野暮ったい黒縁メガネ。


 だが、それがいい。


 フレームの奥をチラ見すれば、整った目鼻立ちの、天然素材の美少女──とまではいかないが、そう。花で例えるのなら、まるで白百合のように可憐で──


(って、純文学的に語ってる場合じゃねぇよ!? というか、気まずいし、どうする? 次で降りるか? つうか逆におかしいだろそれ──)


 必死に脳内会議を繰り広げる僕をよそに、流れる景色を背負って、彼女は笑顔をはにかんだ。


希木きき君、今帰り? 結構遅くまで学校に残ってたんだね。えーと……部活かな?」

「へ……? あ、そそ、そうそう部活っていえば、そうかな──」

「へぇー、そうなんだ。確かオカルト研究会だったよね?」

「え……? あ、そそ、そうそう、オカ研……あれ、あそこ同好会だったっけ? ま、そんな感じ……で」


 といっても、ただ暇を持て余したオタク同士で駄弁るだけの会だが。つうか、なんで僕がオカ研って知ってるの?


「へー、以外、希木君、オカルトが好きなんだ」

「あはは……」


 思わず、締まりのない愛想笑いが漏れた。まさに会話を繋ぐだけの社交辞令。実際、今どきオカ研って、一昔前のラノベかよ。


 ときに桐野さんは、それ以上踏み込んでくる様子もなく、耳元の髪をサイドに流し、イヤホンを両耳に押し込んだ。私はあなたとこれ以上おしゃべりするつもりはありません、という無言の意思表示。ちょっと悲しい。


「──それじゃまた学校で……」


 そんな気まずい空気の中、折りよくバスが止まった。僕はリュックを肩に席を立つ。一応、向かいに座る桐野さんに挨拶を添えると、彼女も視線を伏せたまま小さく応じた。とりあえず印象は悪くないはず。


 ──と、気を緩めたのがマズかった。


「あ〜、痛っ。ねえ、どこ見てんの?」

「あ、す、すみませんっ」


 降りようとした際、よりによって絶対関わってはいけない人種、陽のオーラを纏っている他校の男子生徒と肩がぶつかってしまった。ほんの少し、よろけた拍子に触れただけなのに最悪だ。


「……おい、なんだこいつ、マジウザくね?」


 って、仲間が現れた。


 彼らはスマホを弄りながら、冷めた目でこちらを品定めしている。


「あー、とりあえず、一旦降りようか、ね?」


 また一人増えた。まさに多勢に無勢とはよく言ったものだ。


 それこそ僕は、問答無用で理不尽な連中に囲まれながらの強制下車。


 当然、周囲の乗客は目を逸らし、運転手すら見て見ぬふり。


 そして、桐野さんは──


(えっ、な、なんで……?)


「ねー、どこ見てんの。話聞いてる?」


 後ろを振り返ろうとした頭を強引に戻されたが、僕はもうそれどころではなかった。とても嫌な予感がしてならない。


「じゃあ、ちょっくらこっちこいよ」

「わ、分かりました」


 連れて行かれたのは、絵に描いたような掃き溜めの路地裏。


 街灯はまばらで、周囲に店舗もない。弱者をいたぶるには絶好の狩り場である。


 僕を囲んでいるのは三人。もはや絶望的危険な状況だ。


 財布の中身だけで済めばラッキー。その上、完膚なきまでにボコられるのはバッドエンド。そんな悠長にこれからの不運を分析している場合ではなく、その時だった。


 「──誰? うちらに何か用?」「まさか、この陰キャのカノジョ? マジでウケるんだけど?」


 嫌な予感が的中。


 その最悪の展開に、鉄錆の匂いが滴る口元を気にせず、顔を上げた。


 すでに顔面に一発、腹に二発の深刻なダメージを被っているが、そんな物理的痛みは一瞬で吹き飛んだ。




 まるで、脳髄と脊髄を同時に冷たい指先でまさぐられたような感触。


(え……? 桐野、さん……いや、違う──)


 こんな単純な暴力とは、まるで恐怖の質が違う。


 動物本来の、野生の生存本能が、全身で「逃げろ」と悲鳴を上げている。


「もしかしてダンマリ?」「つうか、黙って見てるの普通にキモいんだけど」「ねえ、聞いてる? 女だからって容赦しないよ──」


(おい、やめろ……)


(刺激するな……)


(それより、さっさと逃げろ。にげ──)


 それは、一瞬の出来事だった。


 狭い路地。


 彼女──【彼女】が、ゆらりと一歩前に踏み込んだ、瞬間。


 時間が、周りの景色が、モノクロに凍りつく。


 だが、それは一瞬で、まるで糸の切れた操り人形が崩れるような不快な音が、機能を失った聴覚を刺激する。


 一体、今……、何が起きた?


 朧気な視覚が、冷静さを取り戻す。


 目の前には、見慣れた女子の制服姿の【彼女】が、真っ直ぐに僕を見つめていた。


 その華奢な右手に握られた鋭利な刃──抜き身の刀身が、ありふれた日常を非現実の世界に変える。


 こんな異質な状況下でも、冷静に物事を観察している自分が不思議だった。


「…………殺し、たの?」


 湧き出す胃酸の苦みを飲み込み、やっとの思いで言葉を絞り出した。口の中がカラカラに乾き、あとの言葉が繋がらない。


 すると──【彼女】は、眼鏡の奥底で感情鋭く冷酷な眼差しで「いいえ」と囁く。


 前を見据えたまま、目線だけを落とす。三人とも、身体の欠損ない。特に外傷と呼べるものは見当たらない。


 膨張していた肺から、一気に安堵の息が溢れた。


 ──その時。


「────」


【彼女】が、すうっと右手を掲げて。


「……、」


 誘われるまま、僕は、その小さな手のひらにを──


 自らの右手を重ねた。


 氷のように冷たい指先と、僕の汗ばんだ五本の指が静かに絡み合い。


 途端、全身の力が──






 







 ────真っ白な世界。


 そうか……。


 僕はまた、夢を見てるのか──


 不意に。


 ゴボッ、ゴボッ──


 激しい嘔吐が喉元を襲う。


 ……………………血?


 僕が……吐いた、のか? 


 そうか、僕は──。


『僕』は。


 このまま、死ぬのか。嫌だ。


 まだ、死にたくない。


 まだ、死ねない──。


 




「──このぉおおおお死にぞこない野郎ぉおおっ! とっととくたばりやがれぇえええっ!」


 獣のような咆哮。


 怒りに身を任せた男がふすまを蹴破り、殺気の切っ先を突きつけてくる。


「────っ!」


 キィイイイイイイイイイン──


 金属が絡み合う甲高い音が、鼓膜を震わす。両腕の骨が軋む。


 だが、止まらない。


「ぐぅわわわわわああ──」


 断末魔と共鳴。全身に降り注ぐ紅い霧吹きが、視界を無慈悲に塗りつぶす。


「はあ、はあ、はあ────」


 喉を焼く。鉄錆の味が肺の奥まで侵食する。


 水が欲しい。


 脂の乗った獲物──愛刀を泥沼のい草に突き立て、どうにか片膝をつく。


 ふと足元に見れば、転がる──鞠と目が合う。


「はは……」


 辺り一面の転がるむくろの山が、まるで芝居小屋の壊れた人形のようで、渇いた笑みがこぼれた。


 刹那──。


 背中に、柔らかな感触が絡みつく。


 上下する鼓動。


 やがて伝わる雪のような冷たさが、狂気と絶望に侵されかけた僕の呼吸を、かろうじて繋ぎ止めた。


「……早く、ここから逃げなきゃ、駄目じゃないか」

「嫌です」


 甘い髪の香りが、漂う死臭に溶け込んでいく。


「後生です……。どうかわたくしに、この手を離せと、仰らないでください」

「■■■……」




 天下泰平と呼ばれた世が崩れ、時代が騒めき始めた頃。幼き頃からサムライに憧れた僕は、誠の旗の下、日々剣術の修練に明け暮れ──ときに人の命さえも奪ってきた。


 されど、近藤さん──近藤局長、副長の土方、曰く、誠のための人斬りは必然であり、武士の誉れ。ゆえに悪と断じれば何人たりとも問答無用で成敗。重ねられた業の深さは、計り知れない。


 そんなさなか、隊員を従え夜回りと出向いていた僕は、要人の屋敷の塀を乗り越えんとする不届きな賊の影を捉えた。直に斬り捨てんと追ううち、いつしか仲間の声は遠のき、深い森の奥へと迷い込んでいた。


 出口を求めて歩き疲れた果て、河原の傍らで腰を下ろした、その時。じゃぶり、と水を掻く音が静寂を裂いた。柄に手をかけ周囲を凝視すると、川面に、女が一人。いや、女と呼ぶにはまだ幼い。


 しなやかな白い肌に、月の光を帯びた水の雫が滴り、腰まで伸びた艷やかな黒髪が螺旋らせん状に絡みつき──あろうことかその年端も行かぬ少女は、一糸纏わぬ裸身。僕は不覚にもその美しい姿に翻弄ほんろうされた。


 だが、少女がこちらに気づき、振り返る。呆然と見惚れていた僕は、慌てて視線を逸らしたが、時既に遅い。激昂した彼女に大量の水を浴びさせられ──それが、彼女──■■■だった。


 思い返せば、それまで女人というものに一切の興味を抱かず生きてきた。付き合いで足を運んだ祇園の席でも、待る女中を無下に扱い、それを見た隊士たちの間では、密かに男色の気があるのではないかと囁かれるほど無関心ぶり。


 それなのに、■■■と出会った瞬間、何故か無性に心が揺らぎ、胸の奥が痛みを覚えた──。

 


 その後、再会を願い、僕は幾度となくあの森へ足を運んだ。やがて見つけ出した彼女の住まいは、森の深奥にひっそりと佇む粗末な納屋。


 若い娘が一人で住むにはあまりに危うい。


 見回り──否、ただ純粋に■■■と会いたいがために、僕は暇を見つけては通い始めた。最初は不審な目を向けていた彼女も、いつしか自分を、微笑み、快く迎えてくれるようになった。


 僕が語る都の与太話にも興味津々で、いつも笑ってくれた。だが、ひとえに素性に触れようとすれば、その薄い唇は頑なに閉ざされた。


 意を決した──都で共に暮らさないか、と。


 彼女は惑いながらも、最後には静かに頷いてくれた。


 近藤局長に事の次第を報告すると、僕ら二人の馴れ初めに驚きつつも、豪快に笑って祝福してくれた。


 僕と■■■は夫婦めおととなった。


 新居は近藤さんが工面してくれた。身分不相応な立派な武家屋敷。それは僕らの新しい門出の始まりであった。たとえ京の都はどれほど不穏な空気に包まれていようとも、僕はこの命に代えても彼女を守り抜くと誓う。


 しかし、時代はあまりにも残酷だった。


 数ヶ月が過ぎた頃、反幕府勢力の猛りによって、永きにわたりこの国を統治した徳川幕府が万解した。


 後ろ盾を失った新撰組の勢いは、時代の激流に呑み込まれ、霧散した。


 そして、昨日までの忠義の士は、一転して、新しい御代に仇な逆賊と成り果てた──






 プスッ──


「──■■さん、」


 それは、唐突だった。


 ■■■の全身が痙攣けいれんした。


「……えっ?」


 見ると彼女の左胸に赤黒い刃の先端──やじりが覗いている。羽織る白百合模様が赤黒く──まるで黒百合くろゆりのように染め上がっていく。


「く、■■■──っ!」


 小さな肩を揺さぶる。


「────、」


 ■■■が伸ばすてのひらを両手で握りしめた。彼女は僕に向かって小さく微笑んだ。


「テメェええっ! 新撰組の時代はとっくに終わったんだぜぇえええっ!」

「…………黙れよ」

「はあ! 聞こえねえなあ?」



「黙れぇええええええええええええええっ!」



 サムライの群れに飛び込む。赤い鮮血が顔に降り注ぐ。


「おぉおおおおおおおおおお───っ!」


 斬る。


 斬る。斬る……。


 斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る─────


 鍔迫つばせり合う。背中に衝撃が走った。視界がぶれる。脇腹が熱い──構わない。目の前の首を飛ばした。


 ブスッ。


 ──ブスッ。ブスッ。ブスッ。


「ぐっ……」


 全身を襲う浮遊感。


「……く、」


 意識が。


「……ろ、ゆ──」


 感覚が遮断される。


「こ、この野郎、てこずらさせやがっ、」


 ボォオオオオッ──


 刹那、半ば閉じつつあるまぶたを覆う熱気。片膝を立て、顔を上げた。


「…………っ!」


 直後、両目が見開く。


 正面に立つサムライが刀を振りかざしたまま燃えていた。


 言葉の比喩ひゆではない。その大柄な体躯が青白く燃え盛る。


 刹那、炎の激しさが増した。男は声も上げず、今まさに業火と化した火柱の藻屑と消える。


 意識を振るう。


 左肩に刺さる数本の矢を無理やり引き抜き四方を見渡す。いつしか周辺は、激しく燃え、青い火柱が幾つも立ち昇る。


 刹那。


 揺らめく青い陽炎の中、ぼんやりと揺らぐ人影に気づく。


 「……■■■……なのか」


 姿形からは、狐の尻尾のように見えた。


 朧気に佇む少女、■■■の背に渦巻く無数の尾。それはまるで主を守るかのようにそのしなやかな肢体を取り囲む。


「────」


 ■■■は、微笑んでいた。


 僕を見据えて。


 安らかに、薄く。


 いつまでも、悠久に。


 見守るよう──、



 ピキッ。



 それが。



 パリッ、ピキッ──



 ひび割れていく……壊れていく。


「……あ、あ。あぁああああああっ」


 全身があえぐ。火の粉が次々と降り注ぎ、火柱と黒煙が視界を埋め尽くす。それでも、握る刀を畳に突き立て、四肢を引きずり、■■■の元へ向う。



「僕は君を失いたくない僕は永遠に君と離れない僕は君といつまでも僕は君とい、」



 ──はい。わたくしは、永遠とわに貴方の、おそばにいます。



 パリンッ──



 次の瞬間。

 

 ■■■は、真っ赤な炎で、全身を焼き尽くされた──









 ──一瞬だけ、焼き付く炭火と、錆びた血の香りが鼻腔をかすめ、夕闇の彼方へと消えていく。


 膝の下には、冷たいアスファルトの感触。


 ぼんやりとした視界のまま、目線を上げると、黒のローファー、ハイソックスが映った。


 桐野、音羽。


 彼女──【彼女】は、生暖かい風に、艷やかなショートボブの黒髪をなびかせ、無機質な眼鏡越しに、僕をじっと見下ろしている。


 そして。


 その、白百合のような指先が、今ゆっくりと眼鏡に触れて。


 瞳の奥。


 見開かれた瞳孔が。


 じわじわと、侵食するように。


 黒く、暗闇に。


 そう。


 まるで、黒百合の花が咲く──



「……やっと、見つけた──」


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