表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/10

第5話 壊すな(視点:榊原 航)

体育館の床は、選手より正直だ。


踏み込みが甘ければ、音が濁る。

迷いがあれば、必ず一拍遅れる。

誰が何を考えているか、床を見ればだいたい分かる。


私は、朝霧柚葉の足音を聞いていた。


——まだ、壊れてはいない。

だが、壊れに近い。


「集合」


手を叩く。

ホイッスルはいらない。

音を増やすと、選手は余計なことを考える。


明日は地区予選前の確認試合。

勝敗は二の次だが、逃げ癖は今日で切る。


「今日は、無理をしない」


そう言うと、選手は必ず勘違いする。

だから、私は続ける。


「無理を“隠す”な」


空気が一瞬、止まる。


結城真帆が息を吸う。

黒瀬澪は表情を変えない。

朝霧柚葉は、膝の位置を無意識に確かめる。


——隠すな、だ。


私は選手を甘やかさない。

理由は簡単だ。

甘やかすと、壊れるからだ。


「黒瀬。朝霧。1on1」


二人が前に出る。

距離が、少しだけ近い。


黒瀬は、正しい。

技術も判断も、今のチームでは頭一つ抜けている。

だが、正しさは、時々、人を切る。


朝霧は、未完成だ。

才能はある。

だが、恐怖を知ってしまった。


——恐怖を知った才能は、扱いが難しい。


開始。


黒瀬が仕掛ける。

迷いがない。

朝霧が守る。

一拍、遅れる。


シュート。

決まる。


「次」


黒瀬の声は短い。

勝つ人間の声だ。


次。

朝霧が仕掛ける。


私は、彼女の膝を見る。

踏み込む前の、ほんの一瞬。

迷いが消えかけている。


——今だ。


だが、彼女は自分で行かない。

パス。


結城真帆へ。


シュート。

決まる。


床の音が、変わった。


勝利の音じゃない。

連結の音だ。


私は、思わず口を開いた。


「……なるほど」


選手たちが、こちらを見る。


私は短く言う。


「勝ち方は、一つじゃない」


それだけでいい。


説明はしない。

説明は、選手の想像力を奪う。


休憩。


朝霧がベンチに座る。

息は荒い。

だが、顔は逃げていない。


私は近づく。


「朝霧」


彼女が顔を上げる。


「逃げるなら、コートを降りろ」


昨日と同じ言葉。

だが、今日は続ける。


「逃げないなら、壊すな」


彼女の目が、揺れる。


「……どうすれば」


答えを求める目。

だが、私は答えを与えない。


「選べ」


短く言う。


選手は、選択で育つ。

正解ではなく、選択で。


私は立ち上がり、全体に声をかける。


「明日は、勝ちに行く」


ざわ、と空気が動く。


「だが——」


間を置く。


「壊して勝つな」


結城真帆が、強く頷く。

黒瀬澪が、ほんの少し視線を落とす。

朝霧柚葉が、膝に手を置いたまま、前を見る。


それでいい。


練習が終わる。


私は体育館に一人残る。

床の中央に立つ。


この場所で、何人も見てきた。

壊れる才能。

逃げる努力。

遅すぎた後悔。


——同じことは、させない。


出口の方で、足音。


振り向くと、篠宮蒼が立っている。

男子バスケ部。

無口な少年。


「……先生」


「用か」


「柚葉のこと」


その一言で、十分だ。


私は言う。


「守るな」


蒼が、目を見開く。


「並べ」


短く、断定する。


「守ると、選べなくなる」


蒼は黙る。

黙ったまま、拳を握る。


——いい。


言葉が少ない人間ほど、覚悟は深い。


蒼が去る。

私は天井を見上げる。


体育館の灯りは、少し眩しい。

だが、選手が見るのは、もっと眩しい未来だ。


明日。

勝負。

怪我。

選択。


その全部を引き受けるのが、コーチの仕事だ。


私はホイッスルを握りしめ、静かに呟いた。


「壊すな。だが、逃げるな」


床は、何も言わない。

だが、すべてを覚えている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
榊原先生の言葉は厳しいのに、どこまでも誠実でした。「壊すな。だが、逃げるな」という一文が、この作品全体の核だと思います。選手を甘やかさず、答えも与えない。その姿勢が、読者にも問いを投げかけてきます。才…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ