03
皿の上には拳二つ分はある巨大なハンバーグ。漆黒のソースを纏い、湯気を上げている。付け合わせはバターでソテーした黄金色のポテトと鮮やかな人参のグラッセ。
「この黒い塊は」
「ナイフを入れてみてください」
雷帝王がナイフを入れる。抵抗なく刃が沈み、中心に到達した瞬間──ぷしゃあっ!
堤防が決壊したかのように透明な肉汁が溢れ出した。ソースの黒と混ざり合い、美しいマーブル模様を描く。
「なっ……」
雷帝王は言葉を失い、反射的に肉を口に運んだ。咀嚼した瞬間、目が見開かれた。肉の繊維がほどけ、濃厚な旨味が舌の上で暴れ回る。噛めば噛むほど湧き出る肉汁。コク深いデミグラスソースが優しく力強く包み込む。
「ぬ、ぬおおおおお……!」
雷帝王が唸った。
「なんだこれは! 肉か!? 本当にこれが肉なのか!? 飲み物のように喉を通っていくぞ!」
「ソースを絡めたポテトもご一緒にどうぞ」
勧めると素直に従った。カリッとした表面とホクホクの中身。そこに肉の旨味が溶けたソースが絡む。炭水化物と脂質の悪魔的合体。
「美味い! 貴国の文化は軟弱などではない! これは、これこそが力」
雷帝王の箸とナイフが止まらない。パンにソースを拭って食べ、最後は皿を舐めんばかりの勢いだ。完食。雷帝王は満足げに腹をさすり、イングス王子に向かって豪快に笑った。
「イングス殿! 和平条約、結ぼうではないか! ただし条件がある!」
「なんでしょう」
「この料理人を年に一度……いや、月に一度は我が国へ貸し出してくれ!」
交渉成立。イングス王子は私にウインクを送る。料理は国境すらも溶かしてしまった。
一方、その頃。元実家の公爵家は地獄のような食卓を迎えていた。
「ま、マズい! なんだこのスープは! お湯か!?あああ!!」
父がスプーンを投げつける。食卓に並んでいるのは最高級の食材を使った宮廷料理。今まで彼らが美食だと信じて疑わなかったもの。
あの日のラーメンの香りを嗅いでしまった彼らの脳は淡白な味付けを受け付けなくなってしまう。
「料理長を呼べ! もっと味を濃くしろ! あの時の……あの離れで嗅いだような脳髄を痺れさせるような味を出せ!」
父が怒鳴るが料理長は困惑するばかり。
「だ、旦那様、これ以上味を濃くしては素材が死んでしまいます。旨味なるものはバーベルア様にしか出せませんよ」
「ええい、役立たずめ!」
ララルーカもまたやつれていた。
聖女として崇められていた彼女だが、最近は社交界でも影が薄い。話題の中心は常に王宮料理聖女のバーベルアのことだから。
「なんでよ……なんでお姉様なのよ……料理番じゃない……下働きなのに」
ララルーカはフォークで高級な白身魚のソテーを突き刺す。味がしない。砂を噛んでいるようだ。あの時、一口でもいいからお姉様のスープを飲んでいれば。プライドを捨てて頭を下げていれば。
後悔が空腹と共に胃をキリキリと締め上げるとさらに悪い知らせが届く。公爵家の領地で謎の不作が続いているというのだ。
実は裏庭で育てていた異世界の野菜やハーブが周囲の土壌を豊かにし、微量な魔力を供給していたらしい。それが姉と共に去り、畑を潰して更地にしたことで恩恵が完全に消滅したのだ。
食の楽しみを失い、経済的にも追い詰められていく公爵家の彼らは毎晩夢を見る。黄金色に輝くスープと湯気を立てる肉料理の夢を。目覚めるたびに絶望的な空腹感に襲われるのだ。
味わってきた十年の冷遇よりも、遥かに残酷で終わりのない罰。
王宮の厨房では今日も巨大な寸胴鍋と格闘している。隣ではイングス王子が、つまみ食いをしようとして近衛兵に諌められている。
彼は最近、料理を食べるために公務を早回しで終わらせるようになったらしい。名君への道を歩んでいるのか、食いしん坊なのか。
「バーベルア、今日のメニューは?」
目を輝かせて聞いてくる王子。おたまを持ち上げて悪戯っぽく笑った。
「とろとろ卵のオムライス・デミグラスソースがけです。卵を割ると中から半熟の卵がとろりと溢れ出しますよ」
「と、とろり……!」
王子が喉を鳴らす。
グルメによる征服はまだ始まったばかりだ。
お皿を並べて最高に美味しい、リベンジフルコースを召し上がれ。
「平民上がりの料理女が王子の婚約者気取りとは笑止千万ですね」
王宮のサロンに冷ややかな声が響いた。声の主は療養から戻ったばかりの王太后エリザベート。現国王の母であり、社交界の裏ボス氷の女王の異名を持つ老婆だ。
前に出された紅茶に口もつけず扇子で口元を隠して私を睥睨している。
「イングスが夢中になっているラーメンだのハンバーグだの……話を聞くだけで胸焼けがします。あんな脂ぎった下品な餌、高貴な者の口に入れるものではありません」
隣でイングスが何か言おうと立ち上がるがそれを手で制した。これはチャンスだ。王宮内の最後の壁、お局様さえ陥落させれば地位は盤石になる。
「王太后様。貴方様のお口に合う世界で一番上品で、罪深いお菓子をご用意いたしましょう」
「ほう? もし舌を満足させられなければ?」
「その時は、大人しく実家の……いえ、どこか遠くの修道院へでも入ります」
「よろしい。その言葉を忘れぬように」
ニヤリと笑った。甘い。




