第九幕:世論の感情論
やあ、君。よせばいいのに事件に飛び込んで、めちゃくちゃに踏み荒らした後、あとは自分の仕事じゃないからと投げ出す人がいる。
その人を優秀に思える人は、自分がそんな事された事が無い人なのさ。
第八幕では、
アーサーが公安から、一切情報をもらえないことに気づいた。
アーサーがやるべき事は警察の無能さを晒しあげ、ロンドン市民の世論を味方にする物語を作り出す事だった。
ジョージ・エルダジが完全完璧に無罪だという主張だ。
後日、アーサーはジョージ・エルダジに直接会えることになった。
そしてジョージの視力の悪さを発見した。ジョージの視力は昼間は眼鏡で矯正はできるが、夜間内での彼に行動は不可能だった。
なぜならジョージは重度の近視と乱視だったからだ。
しかも事件現場で、光があったという目撃情報は一切なかった事で、犯行は暗闇の中で行われた事は確実だった。
この状況の中で、ジョージ・エダルジには実行犯として家畜を襲撃するのはムリな話だった。
アーサーは、この事実をロンドン市民や村の住民に強調した。
公安は無能であり、筆跡鑑定やジョージ・エダルジへの捜査方法と、本来隠しておくべきの必要があった警察関係者の仕組みを、世間にぶちまけたのだ。
これに賛同した人たちは、こぞってジョージ・エダルジの無罪となる情報を集め出した。特に観光もない村のヒマ人たちだ。公安から情報をもらえなかったアーサーは、これらの情報に飛びつくしかなかった。真犯人となる容疑者たちの話などね。
さて、アーサーの主張に対して、
もちろん頭の良い人たちは、
一部反発した。
彼らはジョージ・エダルジの視力の件に関しては、こう主張した。
「たしかにジョージ・エダルジは実行犯では無いだろうけど、人に指示させた可能性はあるのでは?だって彼は村に恨みを持っていた。閉鎖された村の中では、人種差別は暗黙の了解だ。村の住民による嫌がらせは日常茶飯事で、ジョージ・エダルジには動機があったーー他にはーー」
しかし周囲の感情的な判断しかできない人々は、彼らの声を黙らせた。
「人として、温かみがない。
牧師の父親は無能な警察により、息子を奪われた被害者だ!きっと証拠も捏造だ!全て捏造だ!」とね。
『警察は信用ができない。』
これは国の信頼をなくすものだった。
つまりーーどんな犯罪も冤罪があるから、捜査方法を一般に開示し、問題がないか判定されなきゃ、警察の判断を国民は認めないーーこれが常識となった。
捜査関係者よりも頭がいい第三者の判断に、捜査を任せろというーーまさに悪魔の論理が完成した瞬間だった。
素人探偵みたいな奴らに、事件の判断を任せなきゃ、国民は納得しなくなった。
警察は事件を解決するよりも、国民の気まぐれの為に、より金のかかる捜査方法をしなきゃいけなかった。
論理的な部分を国民に納得するための動作をムリヤリしなきゃならない。
この事により複雑な事件は迷宮入りした。だって捜査するために使えるお金、無限にないんだもの。
この件は残念ながら、世間に理解されなかった。
国民たちーー彼らには公安の目がなかった。
探偵の目しかなかったんだ。
そしてアーサーは、
まさに世間から英雄扱いされた。
ーー承認されたんだ。
ーー世間に。
アーサーは、この事件だけでなく、
更に事件現場へと飛び込んでいった。
ーーホームズを連れてね。
(こうして、第九幕は世論によって幕を閉じる。)




