狼ノ僕ノ同室ハ
「お前の優しいお母さんなら、死んだよ?」
「……え」
兄から告げられた言葉に、目の前が真っ暗になった。
吸血されている最中よりも、みるみる血の気が失せていく。手足が冷たくなる。
「お前がここに来た直後に。自殺だそうだ。確か海に飛び込んでだったかな?」
「そ、うそ。そんなッ!……お母さんは自殺なんかする人じゃないッ!」
「そんなの分からないじゃないか、こんなにかわいいお前を失った後だもの」
打ち寄せる波の音がする。今日の海は荒れている。
俯き叫べば、心底哀れな表情で顔を覗き込まれた。病的に白い手が、髪をすくう。
「まぁ、水死というのはよく考えたものだね。検死もしないだろうさ」
「……まさか。まさか、お前がッ!」
お母さんは殺されたんだ。私の、母だったばかりに。
絶望と怒りで、目の奥に火花が散る。牙を剥き出し睨みつければ、吹き出すように笑われた。
「ふはは、いい顔だ!お前の蔑む顔よりも、怒った顔の方が好きだよ!残念ながら、僕ではないよ。誰だかも知らないさ。憶測だけでね」
「じゃぁ、じゃぁあの女かッ!……うぅ……くっ!」
会った時から、私を”卑しいまぎれもの”と、蔑み続け、時に物差しを振り上げる義母。きっとあいつが、ちっぽけな嫉妬に駆られてやったに違いなかった。泣きそうになるのを、歯を食いしばって耐える。
「ころ、して……あんな女、殺してやる!……うッ!」
「口を慎め。半端者のお前が、高貴なる純血をどうやって殺すっていうんだい?」
声を荒げると顎を強く掴まれ、強引に上を向かされた。ひどく冷たい声で諭される。
「ぐぅ……、ふーッ!」
威嚇すれば、優しく微笑まれた。だが分かる。こういう顔をする時のこいつは、本当にろくなことしか言わない。
「……健気だねお前は。それだけ望みに生きていたなんて。いつ話そうかうずうずしていたよ。父様に告げさせるのも惜しいからね」
「この……ゲスがッ!」
「まったくお兄様に対して、なんて口の利き方だ。躾が必要かな。……まぁいいさ、今はまだ」
拗ねたようにため息をつかれた。それからおずおずと、上目遣いで見つめられる。近づけられた顔が、かすかに赤かった。
「ねぇ。お前はあの鳥をかまっていた時みたいに、優しく微笑んでくれる?……僕が旦那様になったら」
「え」
こいつ、今なんて言った。
私が微笑みかけるからと、殺したカナリヤを引き合いに出して、なんて言った。
だんなさまだと。
青ざめ声を出せないでいると、額をつけられる。熱を帯びた緋色の瞳は、うっとりとして。他人であれば卒倒しそうなほどの魔性を秘めていたが、恐怖しかなかった。
兄の婚約者は、半年前に事故で死んだ。運転手が運転を誤って、崖から落ちたらしい。「歳の近い令嬢は彼女しかいなかったのに」と喚く義母の傍らで、この男は平然としていた。
最悪の憶測と、予想が頭を過ぎる。
そんな私を見て、兄はくすぐったく笑った。
「お前だって歳の離れた同族に嫁ぐなんて、嫌だろう?なら僕の方がマシじゃないか」
「何を、言っている。私たちは血の繋がった兄妹なんだぞ!そんなことを繰り返したから、吸血鬼族は短命になったんだろうッ!」
正当な血筋を重んじるばかりに、かつてそうした婚礼を繰り返した結果。吸血鬼族は衰退の一途を辿っている。そも兄妹での結婚は、腹違いであれ法で認められていない。
「血、ね……」
そう叫べば、額が離された。細い指先を見つめる瞳に、白く長いまつ毛がかかる。背後に開かれたバルコニーに通じる扉から、湿った潮風が吹き付ける。
だからかだろうか。男の目も、濡れているように見えた。
「……血が繋がっていなかったら。お前は僕を好きになってくれた?」
瞳孔が開く。たとえ今登る月が地に落ちたとしても、ない可能性を思い、虫唾が走る。
こいつから「好きだよ」と言われたことは、これまで何度もある。嫌がらせだと思っていた。だけれど今はっきりと分かった。
兄は私を妹ではなく。女として好きな事を。
「……なるわけないだろッ」
顔を歪ませ、吐き捨てるように言う。
するとやつは無表情になった。凄まじい威圧だ。
逃げようとしたところで手首を掴まれ、壁に追いやられた。
「や、めろ!はなせ!」
細い腕からは想像もできないほど、強い力で両手首を壁に押さえつけられる。
吐息がかかる距離まで顔を近づけられ、笑われた。
「もう最愛のお母さんとは会えないんだ。明日お父様にお願いすればいいじゃないか?お兄様のお嫁さんになりたいって」
「そんな狂ったこと誰が認め、る」
「そうかな?今とそう変わらない生活を、お前は送るだけだよ。ただずっと隠された存在としてこの屋敷で暮らせるんだ、僕とね!これ以上の幸福はないよ」
「うっ……」
さらに腕に力が込められ、呻きを上げる。涙が滲んできた。ずっと、この屋敷に来てからは、負けまいと泣くのを我慢していたのに。
一生、ここから出てないなんて。いやだ。
「そうだ、でももう花嫁修行はしなくていいね。お前は好きな本だけ読んでいればいいよ?それで、僕が帰ってきたら“おかえりなさいませ、旦那様”って笑顔で出迎えてくれればいい」
いやだ、こいつを慕うなんていやだ。
「要は子を残せばいいんだろう?なに、一度下賎な血が入ってるんだ。普通の子よりも丈夫だろうよ。ダメならまた、次の子産めばいい」
「ひッ!」
短い息しか吐けなかった。腰を抱きしめられ、腹に頬を寄せられた。やつの全てが冷たかった。
「僕たちの子か。肌は……まぁ何色でもいいよ。きっと、可愛らしいだろうから」
嫌だ。いやだいやだいやだ。
目の前が真っ赤になったかと思えば、その白い頸に牙を突き立てていた。
「ぐ……あッ!」
背中に立てられた爪が肉に食い込む。喉に流れ込む血はどうしようもなく苦くて不味くて。裂かれた背は痛烈に痛くて。涙が溢れたけれど、決して口を離さないように吸ってやった。
兄は急に、抵抗しなくなった。
突き飛ばすように、口を離す。荒く息をして見れば、やつはぼうっとするばかりで。
その目には光がなかった。まさか──。
わずかな望みをかけて、赤い瞳を覗き込む。ガラス玉みたいだと思う。微笑んでやった。涙でいびつな顔で、こいつが望む通り。
「海に飛び込め。2度と私の前に姿を現すな」
震える手で扉を指差せば、ふらふらと立ち上がりバルコニーへと出た。そして、手すりに足を掛ける。
心臓の音が、うるさい。だけれど、口角が震えながら上がる。
そして落ちる瞬間。兄はこちらを見て、私の名前を呼んだ。
最初に出会った時の、優しい笑顔で。
──愛しているよ。
その目は生き生きとして。
水面を割る音は、すぐに荒波に飲み込まれ。海の唸り声と混ざり合っていった。
手も足も、体も、頭も。何もかもが冷め切っていた。
「……あっ」
不意に地面が割れた。地の底に落ちていく。
きっと行き先は地獄だ。
縋るように伸ばした手を、不意に誰かが握った。
大きくて力強い。温かな手。
「……リヤ、イリヤッ!」
「……ッ」
“男”の名前を呼ばれて、目が覚めた。見れば目の前にヨルがいた。狼の耳はうなだれているのに、ふわふわした尻尾は横に振れていて。微笑んでいるのに、涙目だった。
「イリヤ!大丈夫⁉︎先生イリヤ起きました!」
「叫ぶな!見たらわかる」
「はい!」
心底安心したように息をつく彼が、眩しかった。
あぁ純粋なんだ。私と違って。
「あ、手……ご、ごめん」
握られていた手を離れるのが、ほんの少しだけ惜しかった。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
「……なに泣いてる」
「……え?」
「泣きたいのは、僕の方だ」
「本当に……本当にごめん!イリヤッ」
「な、土下座なんかするな!立て!」
「いいや!女の子にあんなことしてしまって!」
「女の子ってお前……もういい、忘れろ」
狼条ヨルに、女だとバレた。
自殺した兄の代わり、家督を継ぐようことになった、ということ。
この学園を卒業することがその条件のため、男装して在籍している、ということ。
その事は学園側も知っている、ということ。
私が寝ている間に、全部多田先生から聞いたらしい。「バラしたりしたらその時は」と牙を向けば、全力で首を振られた。
「そんな事絶対しないよ!……僕も混血、いや。バイレイシャルであることは、秘密にしてほしいんだ」
ヨルは私と同じ、獣人と人族の間に生まれた子だった。だから長年姿をくらませていたのかと思うと、自分と境遇が似ていて、失笑してしまう。
純血は決して認めないが、実は混血の方が能力が強い場合がある。
ヨルに関しては、吸血鬼の使役の力が効かなかった。
私の場合は、通常吸血鬼同士では効かないはずの、使役の力が効く。
今回彼に女だと知られてしまった事は、多田先生から学園側に伝えてもらうことになった。
「どうするイリヤ、ここでもう少し休んでおくか?」
「いや……ここは消毒の匂いが強いので」
「ん?あぁここの匂いは人族も嫌いだな。ヨル、しっかり送ってけよ」
「はい!」
「……別にいいですって」
外に出れば土砂降りの雨で。傘は1本しかなく背の高いヨルが持った。いいって言ってるのに、私側に傾けてくるので奴の袖はすっかり濡れてしまった。
「食堂閉まっちゃったね。イリヤはお腹空いてない?大丈夫?」
「僕は……」
さっき吸血したので、空腹ではなかった。
見上げれば少し困った笑顔で顔を傾けられた。着物で隠れているが、吸血されたところをガーゼで覆っているはずだ。胸がじくりと痛んだ。
「いいや大丈夫だ。……君の方こそ空腹だろう」
「僕は多田先生におにぎりもらったから大丈夫だよ」
なんで、そんな優しい顔をするんだろう。最初に酷い事をしたのは、私の方なのに。
寮に入る前に、立ち止まる。
「その……すまなかった。咄嗟とはいえ、吸血して」
「え?いいや、全然!全部悪いのは僕だよ。あの状況なら僕でも間違いなく、吸血していたし」
「はっ、君は蝙蝠じゃなくて狼じゃないか」
「えっと、僕がもし吸血鬼だったら、の話」
慌てて身振り手振りで伝えるヨルがおかしかった。本当に、彼といると調子が狂う。
幸い寮の廊下は自分たち以外いなかった。就寝前だ。皆自室にいるのだろう。静かに階段を登り、部屋の前につく。
「おやすみなさい、イリヤ。また明日」
「あぁ、おやすみ。……ヨル」
あんな事があったのに。微笑んでいられる自分が不思議だった。疲れから、息が漏れる。
扉を開けたところで部屋の異変に気づく。
恐る恐る天井を見上げ、今度は声が漏れた。
「……嘘だろ」
雨漏りだ。畳も、寝床も、壮大に濡れていた。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
さっきも箒で畳を掃いたはずなのに、また気になって掃いてしまう。
机も埃がないはずなのに、また拭いてしまう。
赤い月が出たあの日、イリヤの部屋が雨漏りで使えなくなった。
その日は仕方なく診療所で寝た彼だったが、あまり寝心地は良くなかったようで。朝心配になって迎えに行けば、げっそりした顔をしていた。
多田先生が「他の部屋は今空いていないからここ以外はなぁ」とぼやくので、代わりに僕が診療所で寝泊まりすれば、と提案した。けれど、「それじゃ君が眠れなくなるだろ」とイリヤに怒られた。
「うーん。じゃぁしばらくの間、ヨルの部屋に行くのはどうだ」
「「……え」」
多田先生の提案に、2人して声を上げる。「もうばれてるしな。灯台下暗しだ」と彼は訳のわからない事を言った。
そう彼は、イリヤは女の子だ。
それを知ったのはサガの日で、吸血されたのをきっかけに僕は自我を失ってしまった。正直自分が何をしたのか、あまり覚えていなくて。ただ彼女の濡れた瞳を見た瞬間に正気に戻って、青ざめたことはよく覚えている。。
失神してしまった彼女を見守っている時は、始終不安で。先生から食事をとるよう言われたけれど、食べれなかった。
その間、イリヤは家督を継ぐ目的で、この学園に男装して在籍していると聞いた。自分が想像する以上の苦労を、彼女が負っていることを知った。
僕が何かできることはないのか、いやそんな事を思う事自体おこがましいのか──。そんな事を考えていると、イリヤがうめきながら手を伸ばした。
咄嗟に握った手は華奢で。冷たかった。
寄せられた眉間のしわが薄くなったように思うと、彼女が目を開けた。その瞬間、嬉しくて、心底安心して。目が潤んでしまった。少し困ったように微笑むその顔が、綺麗だった。
おこがましくてもいい。僕は彼女に苦しい顔をしてほしくない──。心底、そう思った。
このままこの場所でイリヤが苦しむならと、小さく深呼吸して声を発する。
「イリヤさえ良ければ、ですが。僕は畳の端で寝るので大丈夫です」
「......な。お前な」
「よし!無論だが手は絶対出すなよヨル」
「はい、そんな最悪の事は2度としません。イリヤ、君が綺麗過ぎて万が一そうなりそうな時は、僕の首を掻き切って!」
「またきれいとか......ちょっと何勝手に決めてる!逆に君が僕に吸血されて、カラカラになるかもしれないんだぞ!」
「うん、それで僕の罪が償えるなら、いくらでも......!」
思わず襟元を緩めて力強く拳を握れば、頭を抱えられた。
扉が叩かれる。肩が跳ねる。だめだと思っていても尻尾を大きく揺らしてしまう。耳が弾む様に動く。深呼吸して、扉を勢いよく開ける。
「いらっしゃい、イリヤ」
「あぁ。世話になる……ヨル」
笑顔で出迎えれば、イリヤは決まりが悪そうな顔をしていた。なんだか、少し照れているのかもしれない。
彼、いいや、彼女が入った後、扉を静かに閉めた。
【狼の僕の同室は、吸血鬼の女の子です】




