吸血鬼ノ兄
「明日はお前の誕生日だったね。何か望むものは?犬でも、連れてこようか?以前、飼っていたそうじゃないか」
男は椅子に腰かけると、花瓶から百合の花を手に取った。
「いりません。……そう言って私に買い与えたカナリアを、あなたは殺したじゃありませんか」
沸いた怒りをどうにか抑え、冷たく言い放つ。
「あぁ。そうだったね」
口元から拭った血を、白い花びらに擦り付けると、つまらなそうにため息をついた。
「お前があの小鳥には屈託なく笑いかけるものだから。……僕には微笑みもしないくせにね」
「……ッ!」
襟元を合わせながら、睨みつける。与えられた肩の痛みに、奥歯を強く噛みしめる。
傷口はすぐ塞ぐ。けれど、この痛みは嫌悪感と共に、ずるずると続く。
「お前はまずいな」と言いながら、いつもこの男は私の血を吸う。
遊女に血を分けてもらった方が、態度も優しく甘いでしょう、と言い放った事がある。
すると「清らかなお前に比べたら、泥水のようだよ」と声を上げて笑われた。
やつは今、あの時と同じ顔をしている。
「またそんな顔をする。本当にお前はかわいげがないな。……まぁ、今はいいさ。ところでお父様には何をお願いするんだい?聞いているだろう。成人の時は当主に望みを伝えるのが、我が一族の慣わしだ」
「……えぇ」
明日で16になる。吸血鬼族では、成人として認められる歳。
半ば連れ去られるようにしてこの屋敷に来てから、すでに3年が経っていた。
「まだ思い浮かんでいないのか?まがいものなのに欲がないな。代わりに考えてやろうか?」
「いいえ、もう決まっています。……お母さんに、会わせてもらいます」
「はは、〝お母さん〟なら、毎日会ってるじゃないか」
「あんな女、母じゃありません」
吐き捨てるように言えば、おどけたように頭を振られた。
そうだ。
教育と称し、日々激昂叱咤する父も。
躾と称して、日々折檻を加える母も。
愛情と称し、日々私を吸血する兄も。
全てがマガイモノだ。
「私の本当の、お母さんにです。手紙を出すのさえ、1度だって許してもらえなかったから。せめてちゃんと生きていると、伝えたい」
目を伏せれば、胸がつかえた。
最近になって優しかった母の顔を、段々と思い出せなくなってきていた。
「ちゃんとね……。ふふ、ふははは、あはははは!」
「笑うなッ!何がおかしいッ!」
「はぁー。お前はそういうところは健気で、かわいいね」
頬杖をついて、うっとりとした笑顔で呟かれた。
”美麗”という言葉を擬人化したような男だ。他人がこんな顔を向けられたとしたら、無条件に陶酔してしまうのだろう。
だが私は、吐き気しかしなかった。
男の雪のように白く、整った顔が吐息がかかる距離まで近づく。顔を背けようとして、顎を取られた。
どこも似てない私たちの、唯一よく似た瞳で見つめられる。
──お前の優しいお母さんなら、死んだよ?
「……え?」
その声音は優しく、甘く。なによりも、残酷だった。
【吸血鬼ノ兄】
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「……そしてここが食堂だ。一応種族別に食事が決まっているが、事前に変更する事もできる」
吸血鬼族であり、鬼堂伯爵の息子である鬼堂イリヤ。同じ2年生であり、寮長である彼が、学園を案内してくれた。
「食べられないものは事前に伝えておくといい。ここの食事はなかなかにおいしいよ」
夕食の調理中であろういい香りが充満していて、尻尾が早く大きく揺れる。すると彼は片眉を上げ、肩をすくめた。
「まぁ、侯爵のご子息の舌に合うかは分からないが……」
「あ、いや、そんな。僕はずっと田舎で住んでいたので」
「……そうだったな。巷の噂になっているよ。侯爵殿が自ら君の事を迎えに行ったそうじゃないか。美しき親子愛だな」
小さな顎に手をやると、目を細めて笑う。
やや吊り上がった瞳は大きく、ウグイスカグラの実のように赤い。その瞳にかかるまつ毛は長かった。
彼と僕では頭1つ分ほど違いがある。そして、体はとても華奢だ。だけれど、その耳や爪や、時折覗く牙は彼らの祖である蝙蝠と同様で、鋭い。
僕は吸血鬼族に、これまで会ったことがない。そもそも他の種族に比べると、その存在自体が希少だと聞く。だから本で得た知識程度しかしらない。
本当に中性的で、見目が麗しい。彼の一挙手一擧足が、型にはまっていて、つい呆けた顔をしてしまう。
「僕も、青天の霹靂だったというか。あ!イリヤさんは食べ物は何か好きですか?僕は肉でも、魚でも、野菜でもなんでも好きです!」
いけない、失言をした。なんだか慌ててそんなくだらないことを聞いてしまった。
彼は吸血鬼なのに。そんなこと聞くなんて、馬鹿げてる。
イリヤはきょとんとした顔をした後、少し考えているようだった。
「そうだな……。期待に応えるとしたら血、なのだろうけれど。僕も割合何でも食べるよ。柘榴もね」
「ざくろ、ですか?」
「うん。吸血鬼族は原則食べないんだ。僕は好きだけれどね」
「そうなんですね」
種族によっては、食べられるものに多少差がある。その理由は身体的なことであったり、信仰的なことであったりと様々だ。初めて知ったけれど、吸血鬼にとっては柘榴は禁忌の食べ物らしい。
吸血鬼族は太古の昔、不死だったという。彼らは不死を奪う日の光を恐れ、他族の血を吸い、栄養を得ていた。また飲んだ相手を使役し、自らの眷属にしたと聞く。
けれど今の彼らは、他の種族同様、人族と変わらない食事で栄養を得ている。血はいわば酒のような嗜好品であるらしく。帝都では吸血鬼族用に、家畜の血が売られていると聞いていた。当然、日中で歩いても死んだりはしない。
ただ──。
「ヨル、敬語は使わなくていいよ。歳が違うとはいえ、我々は同級生だ。名前も呼び捨てでいい。他の同学年にもそうするように」
「はい!あ……うん、わかった。イリヤ」
「⋯⋯なんだか君といると、いい意味で調子を崩されるね。行こう、次は寮を案内する」
言われたそばから間違えて、顔が熱い。耳の血色まで良くなりそうで、その先端がひくひくと動く。そんな僕を見て、彼は息をつくように笑った。
食堂を後にし、長い廊下を行く。そこには歴代の優秀生徒の肖像画が飾られていた。それを眺めているふりをして、そっと彼を見る。
艶やかな紅紫色の髪はやや前下がりで、紺色の学ランによく映える。そしてその健康的な色の肌にも。
イリヤの髪と肌は、少しめずらしいのかもしれない。
図解に載っていた吸血鬼は皆どれも──。
「……あ」
考えを巡らせているところで、ある肖像画が目に飛び込む。
椅子に腰掛け、こちらに微笑む人物。
国を傾けても、おかしくないほどの美男子だ。
彼の肌は雪のように白く、その髪は銀色に輝いていた。長髪であるからか、その顔は女性的に見えて、男性的な芯の強さがあった。
耳が尖っている。
純白の長いまつ毛のかかった瞳は、イリヤと同様の色をしていた。
「本物の、吸血鬼みたいか?」
「……え?」
立ち止まってしまったところで、イリヤがせせら笑うように尋ねてきた。図星だったわけではないないけれど、言いようのない罪悪感に胸が痛んだ。
「正直に言ってくれていい。僕はこの髪にこの肌だ。よく吸血鬼らしくないと言われるから」
「そんな……」
「気にはしないよ。実際そうだからね」
顔を歪ませる僕とは対照的に、彼は平然としていた。肖像画を見上げるその目は、険しかった。
「これは私の兄だ」
「この人が、⋯⋯イリヤのお兄さん」
「そうだよ。腹違いの兄だ。我ら吸血鬼の理想たる存在さ。……濃い血ばかり掛け合わせてきた割にね」
褒めているようでその言葉には、刺々しさがあった。
「……え、えっと。ここに飾られるってことはすごいね。お兄さん、優秀なんだね!」
どう答えていいのか分からず、話題を逸らそうとした。
彼の顔はひどく冷たい。
「……いいや?今となっては勝手に自殺した一族の恥晒しだよ」
吐き捨てるように発せられた言葉に、凍りつく。
固まっている僕に「実に愚かだろ?」と微笑みかける。
「僕の目標は首席でこの学校を卒業する事だ。その暁にはこの絵を入れ替えてもらう。薄汚い半端者の〝ダンピール〟が一族の代表として飾られるだなんて、世も末だけれどね」
ダンピール──。初めて聞く西洋の言葉。
察するに彼も僕と同じ、人間と獣人との〝バイレイシャル〟なのだろう。そして彼の場合はそれを公言している。
冷静にそう考える一方で、普段柔らかい耳と尻尾の毛がぶわりと逆立ち、固くなる。
僕は無性に腹が立っていた。
無表情で〝兄〟を見上げるイリヤの腕を取り、小さな顔を覗き込む。
緋色の目で見つめられると、改めて思う。
あぁやっぱり、そうだ──。
「少しも汚くなんかない。
イリヤ、君はとても綺麗だ」
綺麗だ。
ずっと見ていたくなるほどに。
「……はぁ?」
イリヤは呆気に取られたようで、口をぽかんと開けた。
「お、おまえ、男に向かってきれいとは……」
「うん、イリヤは綺麗だよ。少なくとも僕が出会った中で、君は1番美しいと思う」
「……な」
両肩に手を置き、真剣な顔で言葉を続けた。
男か女か。人か獣かも、関係ない。
初めて見た時にそう思ったから、口にした。
イリヤは半目になって、口を真横に結んだかと思うと、長くため息をついた。
心なしか、尖った耳の先が赤い。
「……まさか、吸血鬼が口説かれるなんてな」
「……くどく?」
首を傾げる。自然と耳が動いた。言われた意味が分かると、慌てて肩から両手を離して手を振った。
「いいや、違うよ!君は男だし、口説くなんてそんな!本当に君が綺麗だからそう言っただけで!」
「何度も連呼するな!まったく恥ずかしいやつだな。……犬科の連中は比較的分かりやすいが、こうも馬鹿正直じゃないぞ」
「……ふふ」
髪を掻き上げながら、彼はまたため息をついた。
世間を少し冷めた目で見ているイリヤが、年相応にぶつくさ言う姿は、なんだか面白い。
「笑うな、何がおかしい」
牙を剥かれ、瞳孔が小さくなった目で睨まれたのにも関わらず。
僕の灰色の尻尾は、弾むように大きく揺れる。
「いいや?イリヤって綺麗なだけじゃなくて、かわいいなって」
「か、わ、……いい?」
〝馬鹿正直〟に笑って顔を傾ければ、つぶらな目をしばしばと瞬かれて。思わず目を細めてしまった。
「ほらやっぱり。イリヤは、かわいい」
「……きさま、よくも男の僕にかわいいなどとッ!」
「おうおう、我らが寮長じゃねーか!」
顔を真っ赤にした彼に怒られる、と肩をすくめたところで、背後から唐突に叫ばれた。
「なんだ、早速編入生口説いてんのか?かぁー、これだから吸血鬼はなぁ?」
その声に、イリヤが苦そうな顔をする。半目だ。
振り返ればそこには、黄色く柔らかな虎の耳と、尻尾を持った青年が、仁王立ちしていた。




