因果応報
「イリヤ様、おかえりなさいませ。お待ちしておりました」
屋敷に着くと執事に迎えられた。彼は人族で、古くからこの家に仕えている。
「あぁ。父の容態は」
「昨日お医者様がいらっしゃっいまして。おそらく今日が、山だと」
「……そうか」
コートを預ければ、彼は首を横に振った。
「お義母様は、一緒か?」
「はい」
心の中で舌打ちをした。まずはあの女を追い出さなければ。
「……加藤。お願いがある。部屋からお義母様が出たら、その場から離れさせてくれないか。父と大切な話がある」
「しかし……奥様がご納得されるかどうか」
「君はどちらの言う事を聞くんだ?先代の妻か?それともこの家の主人か?」
「……かしこまりました」
静かに伝えれば、頭を下げられた。息をついて、暗い階段を登る。父の寝室の前につくと戸を叩き、返事を待たずして扉を開けた。
「お父様、イリヤが戻りました……!」
「お前返事も待たずに、礼儀知らずな!」
「……いい。むす、こよ。よくもどった」
父の危篤と聞いて、居ても立っても居られず、馳せ参じた孝行息子を演じる。義母の金切り声は相変わらずだ。床に横たわる父は、吹けば消える細く白い蝋燭のようだった。跪き枯れ木のように細った手を取る。
「お父様、こんなにも痩せられて……」
哀れみを浮かべ、手の甲に額を付ける。すでに屍臭が漂っているようで吐き気がした。えずきそうになるのを我慢すると、涙が滲む。潤んだ目で義母を見上げる。
「お義母様、お父様と今後の事を話さなければなりません。しばしご退出頂けますか」
「私がいても話せる話でしょう!?」
「……いいや、でていけ。息子は、わたしと、はなしたいんだ」
「……っ!」
義母は無言でこちらを睨むと、足音を響かせ、部屋を出た。外で執事の声と、義母の尖った声が聞きえ、それが遠かったところで、椅子に腰掛けた。
父は、ひゅーひゅーと喉を鳴らしながら、これからの事を話し始めた。今をもって、家督を私に譲る事。しかし学園は必ず卒業する事。その後はすぐに婿をとり、子供を成せと言われた。
「この際、吸血鬼族なら、どんな身分の男でもいい……。私の、高貴な我々の血を、たやす、な」
反吐が出た。高貴な血が聞いて呆れる。
返事をする代わりに、薄く微笑んでやった。
「……聞いて、いるのか」
「えぇ、聞いておりますとも、お父様。……ところで」
最後の力を振り絞るように、語気を荒げた父の手を強く握る。
「夏に会った時のお約束、覚えていらっしゃいますか?」
「……約束?」
「最愛の息子との約束を、お忘れになってしまったんですか?思い出してください」
くすくす笑いながら、その肘にそっと触れる。夏に帰った時に付けた、小さな傷跡はもうなかった。
「……ね?」
瞳孔を縮め、同じ色をした瞳を見つめれば、次第に光を失っていった。
「……あぁ、そう、だったな」
「亡くなる時は、お義母様になんて仰るんでしたっけ」
「わたしが本当に、愛したのはオマエじゃない」
「そうですね。誰を愛してたんですか?お父様が1番に」
「私が、愛したのは……だけだ」
父から母の名を聞くと、嫌悪で虫唾が走った。
吸血した時、父は、母の名前など1つも覚えていなかった。
「……お義母を、呼んで参りますね。それではお父様、さようなら」
手を払いのけるように、冷たく放す。牙を剥き、口を吊り上げ告げる。
「あの女の前で、母の名を叫び、許しを請い、清く死ね」
「……あぁ、むすこよ。あぁ、わかった」
義母を寝室に呼び、自分には父の死は耐えられないからと、その場を立ち去った。
父の書斎の椅子に腰掛けていると、程なくして。義母の絶叫が聞こえた。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
「お前が……!お前が仕組んだんだろう!!」
扉が勢いよく開け放たれ、義母が怒りに満ちた顔で部屋に乗り込んできた。執事がその後に続く。
「奥様!落ち着きなさいませ……!」
「うるさい!人間如きが私に指図するな……!」
牙を剥き、執事を足蹴にした女を、冷ややかな目で見る。静かに立ち上がり、義母の横をすり抜け、彼に手を貸した。
「加藤、お義母様は、お父様が亡くなられて錯乱しているんだ。この部屋に誰も近づけさせるな。落ち着いた後に医者を呼ぶ」
「かしこまりました」
「またお前何を勝手に!半端者のダンピールの分際で!」
「お義母様」
執事を部屋から逃すように言い出した後、扉を閉める。背で見えぬように施錠をすると、声を張った。
「この家の、鬼堂家当主は、僕です」
「……お、汚れた女の分際でなにを!女が家督を継げるわけないでしょう!」
「ははは!お父様は卒業後は、女である事を明かせとおっしゃいましたよ?どんな身分の男でもいいから、婿を取れとね」
「う、嘘よ!」
一歩ずつ義母に近づき、顔を傾ければ女は後退った。
「そうですか?私の母を最後まで愛したお父様らしい言葉じゃないですか」
「嘘よ、嘘!あんなしみったれた浅黒い女のどこが……!私の方が白く美しいっていうのに...!」
「母と、会ったことがあるんですね」
声を低くし目を細ければ、義母は肩がびくりと跳ねた。震える手で指を指される。
「お前が、お前が全てやったんでしょう!?かわいいユウリだってお前が!」
「お義母様。非力なダンピールが、どうやって純血の兄を殺めるって言うんです。第一、同族には力が及ばない事をご存知でしょう?」
「そう……だけれど」
呆れたように、ため息をつく。義母は赤い目を泳がせその場にへたり込んだ。
「あぁ、あなた。じゃぁ本当に……?いや嘘よ!ユウリ!ユウリはどうしてお母様を置いて逝ってしまったの!」
「お義母様、しっかりなさってください」
頭を抱え振りながら泣き叫ぶ女の傍に、ため息をついてしゃがみ込む。
「鬼堂を名乗る吸血鬼は、今私と、お義母様だけなのですよ?」
微笑んでその顔を覗き込めば、女が唾を飲み込むのが分かった。
「……辛かったですよね。最愛の夫が、まさか他に女を。しかも人族との子供を作っていたなんて。そんな下賎な娘を、迎えいれなくてはならないなんて。あまつさえ、その娘に、実の息子が懸想をするだなんて。自殺してしまうだなんて」
「あ……あぁ」
みるみる女の顔は蒼白になったかと思うと、こちらを見つめる目に貪欲さが見えた。腕を強く掴まれた。
「そうよ、そう!辛かったのよ……!私は、ずっとつらかった」
「かわいそうなお義母様。ご安心ください。私が導いて、差し上げます」
醜い顔で泣き縋る義母を、抱きしめる。
「あぁ、イリヤ。いいえ、 、私の娘!」
実の名前を呼ばれると、途端演技しているのが馬鹿らしくなった。
長くため息をつき、腕の力を強める。
「何が娘だ、畜生が。地獄の釜で1兆年煮られた後は、豚にでも生まれ変わるんだな」
「……え?グっぅ!」
首に噛み付くと、どうしようもなく不味い血を吸い上げた。義母の体から徐々に力が抜け、その瞳孔が、広がっていった。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
海の波音を、かき乱す雑音がした。
その音を当主の椅子に座りながら、聞いていた。誰もいなくなったバルコニーと、灰色の空を見つめる。
──お母さん、ぼく。私、やったよ。
血の味が残る口の中で、呟く。
「あは。あははははは!ざまぁみろッ!」
笑ってやった。振り返り、机に突っ伏せば、手鏡が見えた。
口を血で染め、髪を乱し、目の窪んだ自分がいた。
まさに鬼だ。なんて、汚いんだろう。
──少しも汚くなんかない。
──イリヤ、君はとても綺麗だ。
不意に、そう言った時の陽だまりみたいな彼の笑顔を思い出した。
「く……うぅ……ヨル、よるっ」
もう会えない愛しい人の、名を呼ぶ。
大粒の涙が、頬を伝っては流れていった。