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月明カリノ告白

 ──僕は君を、どんなイリヤも理解したい。

 だって君は僕の──。


 彼は子供じみた嫉妬をぶつけても。ヨルは怒ることなく私を抱きしめ、優しく言葉をかけてくれた。

 旅館での一件以来、気づけば彼を視線で追う事が増えた。ふわふわの尻尾や、耳だけじゃない。優しげでありながら凛々しい横顔を、つい見てしまっていた。今まで通り、普通に話している時も、胸がちくちくと傷んだ。


「放課後、僕が舞踏の稽古をつけるよ。一応君のお目付役だし」


 ダンスの練習役を買って出たのも、“ただ見過ごせないから”とか、“この間の借りがちゃんと返せていないから”とか。色々理由を並べ立てていたけれど。本心はただ。

 ただ、彼と一緒に居たかった。


「……まぁ、まだぎこちないが。足を全く踏まなくなっただけ進歩だ」

「ありがとう、イリヤのおかげだよ」

「あぁ。よしまだ時間があるから、もう1曲踊ろう」


 彼との時間が、終わってしまう。それが心底嫌だった。伏せ目がちな青い瞳にかかる長いまつ毛を見つめて、筋張った温かな手を握り、踊るこの時間だけは。何もかも、忘れて、微笑む事ができたから。

 曲が終わると、現実がやってきて。手足が冷たくなる。ただただ、虚しかった。

 

 彼に対するこの想いに、名前をつける事はしなかった。

 つけては、いけない。

 決して叶う事は、ないのだから。


 ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎


「……なにも頭突きするこたぁねーだろ、石頭め」

「それはこっちの台詞だ。髪が乱れたじゃないか」

 

 学園長の突然の思いつきで、フーレイとタンゴを踊る羽目になった。終わった後は互いに汗をかいており。よりにもよって、学園長がその直後に開催を宣言したから、すぐ一緒に踊る相手の元に行かなくてはならず、怒りが湧いた。フーレイと互いに悪態をつき、肘で小突き合いながら移動する。

 すると、すでに女学生と腕を組んだヨルが見えた。一瞬、彼は私の方を見ると、耳を動かして小さく微笑んだ。微笑んでいるのに、形の良い眉が下がっているのが気になった。

 それでもつい、口元を綻ばしてしまう。けれども、パートナーの女学生に話しかけられて、彼は私から視線を外した。彼女は彼と同じ狼族で。煌びやかな緑色のドレスを着ており、鼻筋のすっと通った綺麗な顔をしていた。白い頬に朱の色が差している。完全に、彼に見惚れているようだ。無理もない。今日の彼は格段に、かっこいい。

 普段柔らかな青灰色の髪を撫で付け、燕尾服を着た彼の姿は、西洋の御伽噺に出てくる王子のようで。私も初めて見た時は、固まってしまった。


 彼女にぎこちなくも笑顔で話すヨルの姿に、下を向く。心が重くなっていく。

 

 いけない、何を考えてる。しっかりしろ──。


 小さく頭を振って、パートナーのところへ急ぐ。


「……申し訳ありません、お待たせしてしまって」

「い、いえ、そんな!イリヤ様のダンス、素晴らしかったですわ!」


 最初の相手は同種族と決まっているが、吸血鬼族の女子学生はおらず。代わりに同じく男子学生のいない、龍族の女の子がパートナーになった。首の鱗は紫で、同色のつぶらな瞳が愛らしい。拳を握ってそう告げられると、息付くように笑う。

 

「ありがとう。……さぁお手を」

「……えぇ」


 緊張で震える彼女の手を、優しく取りホールの中央へと向かった。

 楽隊が奏でる優雅な曲が流れると、ダンスが始まった。相手と踊りながらも、ヨルがちゃんと踊れているか気になった。目の端で探し、見つけると、そちら側に相手を誘導するように動く。

 彼はやや固かったが練習通り、踊れていた。相手の女学生の導き方が、うまいからだ。表情の固かった彼が、彼女に笑顔で話しかけられ、耳を動かしていた。

 何を言われたんだろう。照れてるみたいだ。彼女も狼の耳を動かしながら笑っていた。

 

 お似合い、だった。これ以上ないぐらい。

 燃え上がるような嫉妬心に、胃が痛くなる。

 この間までは彼自身に嫉妬していたのに。今度は彼が笑いかける者皆に嫉妬するなんて、最低だ。

 なのに、止められなかった。

 

 どうして、ヨルと踊れないんだろう。

 どうして、私は。男でいなくちゃ、いけないんだろう。

 どうして こんなに、彼が。

 ヨルが好きなのに──。

 

 気づけば、立ち止まっていた。


「……イリヤ様?いかがされましたか?」


 心配そうに、顔を覗き込まれて正気に戻る。失笑が漏れた。

 名前なんてつけないって、思ってたじゃないか。


「申し訳ありません……。これ以上は、僕は踊れません」

「え……」


 蒼白になった彼女の頬に、そっと触れ、耳元に囁く。


「これ以上、貴女の愛らしい顔や、水晶に似た鱗を見つめていると。……許されざる恋に、落ちてしまいそうで」

「あ……あぁ」

「おっと。大丈夫ですか?」


 顔を真っ赤にさせて、腰を抜かした彼女の背を支える。


「えぇ、いや、あの。私立ち上がれなくて……」

「では、あちらの椅子へお連れ致します。失礼」

「あっ」


 彼女を横抱きにして、壁面に設けられた椅子へと向かう。目を白黒させる彼女を、ゆっくり椅子へ降ろすと、手を取って屈む。


「何か飲み物を持ってこさせますので、ここでご休憩ください」

「い、イリヤ様は?」

「僕は……。熱った頬を、外で冷ましてこなくてはならないので。失礼致します」

「……あ、は、はい」


 手の甲に軽く口付けを落とせば、彼女は龍の尻尾を立てて、そのままの格好で固まってしまった。微笑みを浮かべながらその場を後にする。


「君、彼女に飲み物を」

「かしこまりました」


 途中、給仕に声をかけると、扉を開けてバルコニーへと出た。


 ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎


 今日は半月だ。曲はまだ、続いている。

 手すりに腕を組んでつくと、そこに顔を埋めた。心底、冷たい。逆にそれが、今の自分にとっては心地よかった。


「……風邪、ひいちゃうよ」

「……え」

 

 背後から急に声をかけられ、振り返れば。

 彼がいた。


「ヨル……。お前どうして」

「うん?イリヤが途中で踊るの辞めたの見えたから。大丈夫かなって」

「……パートナーはどうした」

「えーっと、お腹痛くなっちゃったって言って、出てきた」

「……お前な」


 最悪な抜け出し方で頭を抱える。それと同時に、顔が緩んでしまいそうで、下を向いた。でもすぐに、歪む。

 彼の相手は、私じゃないない。

 

「今すぐ戻れ。僕のことなんか、どうでもいいだろう」


 顔を上げて、厳しく声を上げる。言っていて、空々しくなった。

 

「君の将来の伴侶になるかもしれない、相手だっていうのに」


 次に、おどけて言えば、俯かれた。彼の拳が硬く握られ、震えている。


「……どうでも、よくなんかない」

「え?」

「イリヤがどうでもいいと思った事ないか、ない」


 静かに叫ばれて、言葉を失う。彼は、怒っていた。深い海のような瞳が、濡れている。


「僕が、踊りたいのも、笑ってほしいのも。一緒に生きてほしいのも、イリヤだけだ」


 心臓の音が、うるさい。彼の言ったことが信じられなかった。


「君以外は、本当、どうでもいいんだ。それどころかフーレイにも、さっき君と踊ってた女の子にだって。君が笑いかける者、全部に嫉妬してる」

「ヨル……」


 戸惑っていると、ヨルは膝をついて私の手を取った。


「ずっと……。君に、伝えちゃいけないって思ってた。でも、今日イリヤとフーレイが踊っているのを見たら。もう、自分の気持ちに嘘なんか、つけないんだ」


 彼の声は、切実で、そして真剣だった。こちらを見上げる濡れた深い青の瞳に、金色の光が差していた。まるで星が瞬いたかのようで、目が離せずにいた。

 手を握りしめる大きな手の強さと温もりに、心が揺さぶられる。いつものように、優しく目を細められた。


「僕は、君を愛してる」


 夜風が髪をなびかせる。時が止まったようだった。

 唇の端が、震える。込み上げた涙が熱い。

 心に温かい光が宿って広がりかけたところで。

 聞こえるはずもない、波の音が耳に響いた。


 ──愛しているよ。


 あいつの、声だ。背筋が凍る。

 背中の傷が、途端傷んだ。振り返っちゃいけない。あいつが、兄がそこにいる。


「……イリヤ?」


 心配そうに、男の名で呼びかけられる。

 

 そうだ、私はイリヤだ。

 

 流れそうになる涙を、唇を噛んで我慢する。唾を飲み込むと、喉の奥が痛んだ。声を絞り出す。


「僕は、女じゃない。純粋な君が、愛していいような、女じゃ、ないんだ」

「そんな……、そんなことは!」

「……離して、くれ」


 手を振り払う。目を硬くつぶって、歩き始める。彼の顔は見れなかった。もう何も、考えたくはなかった。全てが、悲しかった。


「待って、イリヤ!」


 背後から呼びかける声に応じる事なく、扉に手をかけようとしたところで、勝手に開いた。


「おっと、こんなところにいたか、イリヤ。探したぞ!」

「……多田先生?」


 先生はいつもの白衣に薄汚れたコートという、この場には似つかわしくない格好をしていた。息が切れている。学園から急いできたらしい。


「先生、どうしてここに?」

「お、なんだヨルもいたか。なんかあったかお前ら。いやそれどころじゃない、イリヤ」


 先生は早口で言った後に、口を重くした。

 

「伯爵が、お父上が危篤だ」

 

 心臓が、跳ねる。血を巡る音がする。瞳孔が、広がっていく。

 ついに、この時がきた。

 

「すぐ家に戻ってほしいと、さっき連絡があった。車を手配させてる。こっちだ」

「……わかりました」


 体が小刻みに震える。文字通りの武者震いだ。


「イリヤ」


 部屋に入った先生に続こうとしたところで、ヨルに呼びかけられ立ち止まる。

 これが、最後かもしれない──。そう思いがよぎって、彼を見た。


「……気をつけて」

「……あぁ」


 月の光を背に佇む彼は、儚げで、悲しそうで。

 それでも、とても優しい顔をしていた。

 堪えたっていうのに。涙がまた滲んでしまいそうだ。

 

 さよなら──。

 

 その姿を、瞳の奥に焼き付けて。踵を返す。


 私は、女じゃない。

 男でもない。

 鬼だ。



 

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