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舞踏ハ武闘

「……ッ」

「あ、ごめん!また踏んじゃって」

「いい。当日お嬢さん方の足を踏まないように、存分に踏んでおけ」


 イリヤの華奢な手を取りながら、体を合わせ、くるりと回る。


 始終動きがぎこちなくなってしまうのは、ダンスに慣れていないだけじゃない。


 こんなにも近くに。彼女をずっと感じる状況が、そうさせていた。


 【舞踏ハ武闘】


 ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎


 修学旅行が終わると、次の行事に向けて、皆そわそわとし始めた。3、4日ざらに風呂に入らない者が、毎日入り始めたり、髭が自身のこだわりだと言っていた者が、剃り始めたり。皆見なりを整え出していた。


 12月の聖誕祭の日、2年生は桜丘高等女学校との交流会が予定されていた。


「そういえばヨル、君は踊れるのか?」

「踊る?……盆踊りなら多少?」

「……そう言うと思ったよ」


 図書室でイリヤと向かい合わせで勉強をしていると、不意に尋ねられた。


「交流会は顔を赤らめて、女学生と談笑するだけの会と思っていたら困る」

「……知ってるよ、舞踏会だって。父さんからも聞いたよ」


 ため息混じりに、答える。当然、僕はそんな所で踊った事なんかない。本当にできて盆踊りぐらいだ。

 一応週末に、父がダンスの先生を呼んでくれる事になった。母も燕尾服を仕立てないと、躍起になっていた。というのも、この舞踏会をきっかけに、縁談がまとまる場合があるらしい。最初に踊る相手は原則、同種族と決まっている。


「……そこの数式間違ってるぞ」

「え?えーっと……」

「ここはXを……」


 耳の後ろをかきながら数式を眺めると、イリヤが指を指して教えてくれようとした。思わず、ノートに覆い被さる。

 

「ありがとうイリヤ。でも自分で解くから」

「そうか?」


 僕の反応に、彼女は顔を傾けながらも、また教科書に視線を戻した。そのままこう提案された。

 

「放課後、僕が舞踏の稽古をつけるよ。一応君のお目付役だし」

「え?いいよそんな。イリヤの時間使っちゃうし」

「別に?会場で盆踊りなんかされたら、かなわないからな。君の恥は学園の恥でもある。寮長としてそれは見過ごせない」

 

 指を組んで、半目で見つめられた。

 それから彼女は横を向き、呟いた。


「それに……この間の借りもあるしな」

「それは。僕が望んだ事だし」


 借り、というのは、修学旅行の旅館でイリヤに吸血させた事だ。

 

「君が良くても、僕が良くないんだ。明日から始めるぞ」

 

 赤い目で睨まれると、僕は渋々頷くしかなかった。


 吸血された翌日、起き上がってすぐは記憶が曖昧で。その事でイリヤに枕を投げつけられはしたが、少し安心してもいるようだった。

 その後顔を洗ってる最中に、はっきり思い出した。

 

 あの時僕、イリヤを抱っこしながら、かいじゃってなかったか──。


 彼女の香りやら、体温やら、柔らかさやらを瞬間思い出して。水をばしゃばしゃと、襟が濡れるまで顔にかけてしまった。それと同時に、弱々しい声を発した彼女の姿が浮かんだ。


 ──お前は、いいな。ぼくにないもの、たくさん。持ってて。


 その心情を聞いて、僕は申し訳なくなった。きっと酔っていなかったら、ずっと言わずにいたんだろうと思う。彼女の優しさに、甘え過ぎていた。自分の全部をあげる、と言いながら。僕はイリヤから与えられっぱなしだ。

 “酔って言われた事を忘れた”と、イリヤには思われていた方がいい。なので彼女は吸血の借りを、まだ僕に返せてないと思っている。

 そして、言われて気になった事があった。

 イリヤのお母さんの事だ。

 

 ──私のお母さんはもういないのに。死んじゃったのに。


 背を向けていて、イリヤの顔は見えなかったけれど。その声と肩は、かわいそうなほど、震えていた。


 ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎


「イリヤの本当のお母さん?継母の方じゃなくてか。うーん、僕も知らないな」

「……そっか」


 夕食時、食堂でワタルに聞いてみた。イリヤとは入学前からの知り合いだと聞いたので、何か知っているかと思った。


「そもそも。僕がさ、イリヤと初めて会ったのって。彼のお兄さんが自殺して、半年ぐらい過ぎた頃で。それまで息子がもう1人いるって、父さんも兄さんも知らなかったらしいんだ」


 ワタルの父と、鬼堂伯爵は仕事で関わりが深く、兄もイリヤの兄の後輩である事から、一家とはそこそこ交流があったらしい。


「それまで僕は伯爵の屋敷に呼ばれる、なんてなかったんだけど。16の時だね。来年同じ高校に通う息子と、友人になってほしいって言われてね」

 

 ワタルはインゲンの胡麻和えの胡麻を、起用に箸で取り除きながら続けた。


「……失礼かもしれないけど。会ってすぐに、腹違いだって分かったよ。帝都であったお兄さんとは、似ていなかったから」


 ダンピールであることは、ある程度仲良くなった後に、本人から告げられたらしい。


「1度ね、僕も気になってしまって、本当のお母さんはどうしてるか聞いたんだ。そしたら逆に、僕の、母さんの事聞かれてさ」


 本人は全然覚えていないらしいが。彼の母は幼い頃に家を出て行ってしまったらしい。


「ごめんね。あの日のことは、なんか記憶が曖昧で。でも。イリヤが実家に帰りたくない理由は、よく分かるよ。継母が彼を見る目っていったら酷かったから」

「そんなに?」

「うん。伯爵も威圧が凄くて、厳しそうでね。家なのに窮屈な感じなんだろうな……」

「なーにしみったれてそうな話してんだよ」


 胡麻の完璧に取れたインゲンを咀嚼しながら、ワタルは頬杖を付いた。すると、フーレイが食事を持って僕の隣に座った。


「いいや?別に?ヨル、イリヤにダンスの練習付き合ってもらうらしいよ?」

「あぁ?寮長にか」


 フーレイは虎の耳を動かして、なんだか不服そうな顔をした。


「……まーな。俺が教えるよりかいいかもな。なんでも完璧な寮長様は、女役もできるみたいだから、適任じゃないのか」

「フーレイに……教わる?」

「なんだよその反応は」


 思わず顔を曇らせる。彼は今片脚を膝に上げつつ、お椀も持ち上げずに食事を取っている。ダンスで求められる優雅さは、かけらも見当たらない。


「ははは、分かる分かる。でもね、フーレイはうまいよ」

「……本当に?」

「なんだよ、その疑いの眼差しは」


 ワタルが反対側から端でフーレイを指した。こちらもなかなか行儀が悪い。


「週末、親父によく連れてかれるんだよ。商談目的でな。まぁ美味い飯食えるし、そこそこかわいい子と踊れっから構わねーけど」

「僕は何度か舞踏会でフーレイに会ったことあるけど。女の子相手だと、態度全然違うから。紳士って感じ」

「……言うなよ」


 フーレイは舌打ちをして、味噌汁を飲んだ。ちょっと照れているらしい。


「そっか。それを見るのは楽しみだな。とりあえず、自分がまともに踊れるようにならないと。……じゃぁ僕はお先に」


 食べ終わったお椀を重ね、盆を持って立ちあがる。

 

「うん、またね」

「おう」


 2人に手を振ると、やや重い足取りで食堂を後にした。


「……フーレイ。ちょっとヨルのこと羨ましいと思ったでしょ」

「あ、何がだよ」

「イリヤと踊れて」

「ぶッ!」

「あ、きったないなー」

「おめぇーが変なこと言うからだろうが!微塵も羨ましくなんてねーよ!」

「……素直じゃないなぁ。そんな真っ赤になっちゃってんのに」

「しばくぞッ」


 ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎


 翌日から、イリヤとの特訓が始まった。場所は学園の大広間を借りた。


「1、2、3、1、2、3、そう、その調子!背はもっと伸ばせ」

「う、うん」


 最初体を引き寄せる事に戸惑って、固まってしまっていたけれど。彼女の指導は容赦がなく。1曲終わるごとに緊張もあって汗だくだった。週末家でも稽古をし、舞踏会1週間前にはなんとか形になって、イリヤに合格をもらった。


「まぁ、まだぎこちないが。足を全く踏まなくなっただけ進歩だ」

「ありがとう、イリヤのおかげだよ」

「あぁ。よしまだ時間があるから、もう1曲踊ろう」


 イリヤがレコードに針を落とし、曲が始まった。

 深呼吸をして、静かに歩み寄ってくる彼女を迎え入れる。少し冷たい手を取り、脇の下に手を差し入れ背を支える。傾けられた首の細さと、褐色の肌にかかる赤い髪が目に眩しい。足取りと姿勢に意識を集中させながらも、夢見心地でいた。


 煌びやかなドレスを着ているわけでも、化粧をしているわけもないのに。


 なんて、美しいんだろう。


 どうして、舞踏会ではイリヤと踊れないんだろう。

 どうして、彼女は男でいなくちゃいけないんだろう。


 いろんな思いが押し寄せて、胸を締め付ける。顔を歪ませれば、声には出さずに「笑顔で」と言われ、柔らかく微笑まれた。きっと、お手本を見せてくれているのだろう。自然、顔が綻ぶ。

 

 微笑むなら、イリヤだけに、微笑んでいたい。


 曲が終わってしまうのが、心底嫌だった。


 ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎


 燕尾服に着替え、髪を後ろに撫で付ける。額がすーすーした。

 部屋を出て1階の広間に迎えば、すでに皆支度を終えていた。

 

「お、狼って感じだな」

「フーレイは虎って感じじゃないね」

「褒めてんのかそれっ!」

「わ!髪崩れるってば!」


 彼はいつもの三つ編みではなく、長い髪を1本に束ねて横に流している。いつものがさつな雰囲気とはかけ離れていて、からかうと両耳を引っ張られた。やっぱりガサツだ。


「きまってるね、ヨル」

「ワタル。わぁかっこいいね」

「そう?ありがとう」

「俺の時と態度ちげーじゃねーか」


 ワタルは僕と同じく髪を後ろに撫で付けており、襟足がやや跳ねていた。いつもやや眠そうな顔が、今日は精悍に見える。


「ほら、イリヤ。番犬が番犬らしく登場だよ」

「どういう意味、それ」


 学級委員長と話をしていたイリヤが振り返った。

 前髪が分けられ、形の良いおでこが出ている。燕尾服がよく似合う。かっこよくて、かわいい。尻尾が揺れる。


「かっこいいね、イリヤ」


 目を細めて見つめる。彼女は目を見開いて、こちらをじっと見ていた。


「イリヤ?」

「あ、いや……。君もよく、似合ってるな」


 呼びかけると、視線を外された。彼女に褒められるのが、1番嬉しかった。


 舞踏会は迎賓館を貸し切って、2階の大広間で行われた。壁際に設けられた壇上に学園長が、ゆっくりと登る。彼の燕尾服は、他の誰よりも格式高く、龍の鱗のような緑の刺繍が施されている。


「皆さん、今宵はお集まり頂き、ありがとうございます」


 学園長の張りのある声が広間全体に響き渡る。会場は緊張感と期待感が入り交じっていた。


「この聖誕祭の夜、蒼天高等学園と桜丘高等女学校の生徒諸君が集い、共に喜びを分かち合うことができることを、心から嬉しく思います。今日は異種族間の理解と友情を深め、互いの文化を尊重し合う特別な日となるでしょう……!」


 拍手と喝采が起こり、それが静まったところで。彼は微笑みを浮かべた。


「獣人にとっての舞踏とは、言葉では表現しきれない感情を伝える、演武です。これからその闘いに挑む生徒諸君は、武者震いが起きている事でしょう」


 その言葉に、会場からは笑いがもれた。


「そんな緊張を解すために。まずは我が学園の優秀な生徒による舞踏を、ご覧頂きましょう。鬼堂イリヤ、李虎雷は、前へ!」


 弾かれたように、両側にいた2人を交互に見る。2人とも呆気に取られた顔をしていた。

 完全に、聞かされてなかったらしい。いや、全然予定しておらず、学園長が今し方の思いつきで言った可能性もあった。

 僕とワタルを挟んで、イリヤとフーレイは睨み合うと、無言のまま2人同時に広間の中央に出た。皆何が起きるのかとざわついている。


「とーぜん。女役はお前だよな?イリヤちゃん」

「髪の長い子猫ちゃんの方が、お似合いだろ?」


 腕組みをして佇む2人が、額に青筋を浮かべて何か言い合っている。はらはらしながら見ていると、ワタルは呑気に「これは一興だ」と笑っていた。学園長が楽団に目配せすると、指揮者が指揮棒を振った。


「タンゴだ。なるほど、武闘だ」

「たんご?」

 

 流れてきたのは、テンポが速く激しい曲だった。

 イリヤとフーレイがお互いを睨みつけながら、円を描き歩く。そうしてゆっくりと互いの肩を掴んだかと思うと、物凄い速度で回転し始めた。その間2人は互いの足を踏もうとして、それを避けを繰り返していた。


「......すごい」

「ね?まさに戦いだ」


 途中片手が離れたかと思うと、イリヤの手を握りながら、フーレイが側転をした。歓声が上がる。今度は正面から抱きつかれ、イリヤは頭が地面につく直前まで背を逸らした。

 その官能的な表情に、息を呑む。途端、緋色の瞳の瞳孔がしぼまった。怒っている。再び手を取り今度は大きな足の動きで、どちらが主導を取るか競る。


「私、何かに、目覚めてしまい……うっ!」

「お気を確かに!まだ殿方と踊ってもおりませんのに!」


 近くの女学生からそんな声が聞こえてきた。僕は2人を、ただただ見つめるしかできなかった。握った拳に爪が食い込む。

 互いの体が離れると、フーレイが挑発するように手招きをした。その誘いに蠱惑的に微笑んでイリヤは駆け出した。高く挙げられた両手を掴み下げ、広げられた彼の股の下を滑るように潜ると、悲鳴にも似た黄色い声が響く。

 再び組み、回る。最後は互いの足を払って、地面に倒れたかと思うと、2人同時に立ち上がって額を勢いよく付けた。ほぼほぼ頭突きだ。そこで、曲が終わった。

 しばらく沈黙が続いた後、割れんばかりの拍手が起こる。

 その喧騒の中、イリヤとフーレイは、息を切らしながら、目を逸らさず互いに笑っていた。

 完全に、2人だけの世界だ。


「息、ぴったりだったね」

「……うん」


 唾を飲み込む。喉がからからだった。胃が重い。

 焦燥と、嫉妬と。そして焦がれるような彼女への想いがごちゃ混ぜになって津波のように、押し寄せて。

 深い海の底に、沈んでしまいそうだった。

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