伝統ノ女装体育祭
「よし、全員くじは引いたな。では紙を開いてくれ」
鹿族の学級委員長の号令と共に、折られた紙を開けばそこには白丸が書かれていた。
「あ、ヨルも白組?僕と同じだね」
隣の席のワタルが紙を覗き込んできた。
「うん、ワタルと一緒だと頼もしいよ」
「そう?こちらこそ。フーレイ、どっちだったー?」
「赤ー!」
前の席に座っていたフーレイは、ワタルに声をかけられ声をあげた。
「イリヤは?」
後ろの席を振り返れば、不機嫌そうに紙を見せてきた。
「あ、赤」
それに気づいたフーレイがイリヤに舌を出す。イリヤも負けじと彼を睨みつける。
彼女は今日、ずっと機嫌が悪かった。理由ははっきりしている。
「さて、組も決まったところで。諸君、次の議題だ。意見のある者は、挙手を頼む」
委員長が黒板のチョークを走らせる。そこに書かれた文字。
“鬼堂イリヤの女装案について“
「はい、そこ」
「はい、僕は女給さんで」
「いや、メイド服だろ」
「洋服ならセーラー服で……!」
教室内での意見が白熱する中、当の本人であるイリヤは呆れた顔で頬杖をついていた。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
暑かった夏が過ぎ去り、季節は秋になった。
1学期の途中、雨漏りが原因で同室となった狼族の僕と、ダンピールで実は女の子のイリヤ。部屋の修繕は夏休み中に完了し、今は“吸血鬼は原則1人部屋”という規則にしたがって、元の状態に戻っている。
彼女との同室はハラハラする事が多く、正直、同室が解消されて安心したけれども。同時に彼女のいろんな表情を間近で見る機会が減ってしまう事を、残念に思っていた。
僕は夏休み中、父の邸宅で過ごしていた。後半退院した母を、父と一緒に故郷まで迎えに行った。帝都で、家族3人で過ごす時間が幸せで。非現実的にも感じられて、慣れぬうちは足がそわそわした。
一方、イリヤは実家には帰らなかった。遠方に実家にある生徒が学園に残ることは珍しくないそうで。けれど、イリヤの家族と交流のあるワタルに聞くと、彼女の実家は百葉の海沿いにあり、そこまで遠くはないらしい。
図書室の本を借りるのに学園に行くと、門の前で荷物を持ったイリヤに会った。聞けば、彼女は実家に一泊して帰ってきたところだった。
その顔は疲れていて、なんだか暗かった。実家の様子を何気なく尋ねると「父の容態があまりよくない」とだけ答えられた。だからかと、それは心配だね、と声をかける。すると「そうだな」と言いながら、イリヤは苦い顔をして。何故だか失笑した。
2学期が始まり、ある話題が学園内で持ちきりになっていた。それは2年毎に行われる、体育祭についてだ。
この体育祭が、普通の行事ではなかった。
「え……女装するの?体育祭で。なんで?」
聞いた時思わず、素っ頓狂な声をあげてしまった。
「うん?えーと、確か女性の大変さを体験するためと、獣人だから、本気出させないようにするためとか、そんなんじゃなかった?」
「あぁ?ただ初代学園長の思いつきで始まったって聞いたぜ?コレだから龍族は、って感じだよな」
「2人は、嫌じゃないの?」
正直、僕は女性の格好をするのに抵抗があった。ワタルとフーレイに問えば、2人して腕を組み宙を見上げた。
「どちらかといえば。いやはいやだけど、ね」
「まぁめんどくせぇは面倒くせぇが、な」
それから机で静かに本を読むイリヤを見るや、僕の両側から耳打ちしてきた。
「コレも変な伝統だがな、選べんだとよ」
「選べるって自分たちの服装を?」
「いいや、それはくじ引きだよ。唯一みんなで選べるのは、吸血鬼族の衣装だけ」
という事は。イリヤの女装は何がいいか、皆で決めるらしい。どういう伝統だ。
「理由は吸血鬼族が原則1人部屋なのと、同じようなことで。みんなで支障ない女装かジャッチメントするんだ」
「ってのは建前で。みんな好みの服装勝手に言ってくだけって聞いたけどな」
「イリヤのお兄さんの時は花魁で。なんか、例年よりも生傷絶えない体育祭だったらしいよ」
「……おいらん」
廊下の肖像画を思い出す。さぞかし似合っていたのだろう。次に艶やかな着物で微笑むイリヤが浮かんで、思わず頭を振った。惚けてる場合か。彼女にとっては、これは良くない事態なんじゃないか──。思わず授業終わった後、彼女の部屋を訪ねた。
「あぁ、あのくだらない体育祭の事か」
彼女は机に頬杖をつきながら答えた。
「支障ない。例えスカートでも、僕は1位を取る!」
「そうじゃなくて!」
僕が拳を握りながら目で訴える。耳と尻尾が垂れ下がる。するとイリヤは目を細め、口を真横に結んだ。
「なんて顔してるんだ。分かってるよ、女の姿なんかしたら、バレるかもしれないって」
「……うん」
「心配しすぎだ。化粧するわけでもあるまいし、たかだが服装だけで」
「それでも、かわいすぎちゃうよ」
「ん?……あぁ?」
そうだ、イリヤの女の子の姿なんて想像しただけでもかわいい。思わず綻びそうになる口を手で隠して呟けば、調子がずれた声を出された。声が小さかったか、と顔を傾けた後に、今度は前のめりで言ってみた。
「かわいすぎちゃうと思う!」
「聞こえたよ!2度も言うな!」
彼女はぶっきらぼうに叫ぶと、「やっぱりお前といると調子が狂う」と眉間を揉んでいた。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
そして迎えた体育祭当日。雲一つない、晴天だった。
「……これどうしてもつけなきゃだめ?」
部屋で着替えを終えて、重い足取りで廊下へ出る。僕の衣装は菫色の花柄の振袖に、フリフリの白いエプロンで。カフェの給仕さんの格好だった。着物なだけまだましかなと思ったけれど。全然マシじゃない。手渡された着物と同じ色のリボンを持って、大きくため息をつく。
「つけなきゃだめだよ。僕たち肉食はさらにリボンを頭につけるのがルールだ」
ワタルはメイド服を着ていた。やはり白いエプロンはフリフリで、さらに頭には同じような帽子をかぶっていた。そこそこ似合っている、と思いきや、スカートから出ている生足が逞しい。
「僕はホワイトブリムを蝶々結びで止めてるから。これが代わりってわけ。貸して?耳の近くがいいかな」
「いいよ、どこでも」
渋々リボンを手渡しつけてもらっていると、ワタル達の部屋のドアが勢いよく開いた。
「お!なんだかわいーじゃんか、ヨル!」
褒められたのに、全然嬉しくない。現れたのは、フーレイで。彼は故郷の伝統衣装である、赤い龍華ドレスを着ていた。三つ編みの部分に同じ色のリボンをつけ、がっつりとした太ももを出していた。仁王立ちする姿は、ある意味圧巻だった。
「全くもって似合ってないけど。似合ってるのがすごいねフーレイは」
「お、そうだろぉ?」
「褒められてないよね?おとしめられてるよね?」
「あー、ところで。りょ、寮長は、まだか?」
フーレイは髪を掻き上げながら、ぎこちなくそう言った。なんて、分かりやすい。普段あんなに犬猿の仲なのに。
「フーレイ、分かりやす」
「な、何がだよ!」
心の中で呟いた事を、ワタルは声にして本人に言っていた。
そうだ、モタモタしてる場合じゃない。突き当たりのイリヤの部屋の前は、すでに人盛りができていて。体格勇ましい獣人たちが、皆女装でそわそわしてるので、なんだか混沌とした状況だった。
「3年生もいるじゃねーか」
「1年坊や達も階段で待機してるね」
皆、女の子の格好をしたイリヤが目当てだ。
そう思うと、なんだか腹が立った。
「はぁー、どんだけだよ。お、おい!ヨル」
人混みを掻き分けて部屋の1番前に出た。途中文句を言われたけれど「同室だったんで」と強気に返す。
そうだ。1番最初に彼女を見るのは、僕だ。
「珍しいな。あいつちょっと怒ってないか?」
「イリヤの事となると盲目だからね、ヨルは」
「瞳孔小さくなってやんの」
周りの喧騒に唸り声を上げそうになったところで、扉が開いた。振り返れば、イリヤは少しだけ顔を出しており。
「あ、イリヤ、着替え終わった?」
僕が尻尾を軽く振りながらも、心配そうに尋ねると、渋い顔された。それからおずおずと、部屋から出てきた。
彼女の姿を見た瞬間、息を呑んでしまった。
「おぉ〜……」
途端歓声と感嘆の声が上がる。藍色の上着に、前で結ばれた白のスカーフ。膝丈のスカートから伸びる華奢な足には、黒いタイツを履いていた。
イリヤの衣装として選ばれたのは、女子学生のセーラー服だった。前下がりの横髪を後ろで止める白いリボンが愛らしい。そうして気まずそうに僕を見上げる、大きな緋色の瞳が煌めいていた。
やっぱり、だめだ。これは、かわいすぎる──。
思わず顔を手で覆う。途端イリヤは呆れた顔をした。
「……なんだその反応は」
「おい、ヨル!そこどけ!」
「お前でかいんだから見えねーだろーが!狼!」
後ろから飛ばされるヤジに、真っ赤になった顔を隠しながらも、尻尾をぶんぶんと大きく振ってやった。
そこで僕は決意を新たにする。
彼女には、指一本も触れさせない──。
どうしても、負けられない戦いがあった。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
借り物競争ならぬ、借り者競争。
この種目は体育祭の、1番最後に行われる。その名の通り、走者は紙のお題にあった獣人を連れて疾走する、ただそれだけの競技。棒倒しなんかと比べると、危険性など皆無に思える競技だけれど。吸血鬼族が参加する年は、様子が違うらしい。
「兄さんが言ってたけど。イリヤのお兄さんの時は彼を借りようとした走者の間で、流血沙汰の乱闘が起こったんだって。やっぱり当の本人は愉快そうにしてたらしいけど」
「また血塗れ」
「また物騒かよ」
「またそうならないように、僕たちは気をつけたいけどね。でもまぁ最初の組にならなければ、関係ないけどっと」
まさにその借り者競争の疾走順のくじ引きを2組と合同で引きながら、そんな話をしていた。ワタルが先に箱に手を入れて紙を掴み、僕たちもそれに続いた。
3人同時に紙を開くと、1の文字が。
「……ちゃんと混ざってんのかさっきの」
「うーん。ちょっと複雑な気分だな」
「ワタル、さっき最初の組みにならなければ、っていうのは?」
「一度借りられた借り者は、もう借りれないんだ。だから必然的に、流血沙汰が起きるのは最初の組ってこと」
紙をヒラヒラさせながら、ワタルはくじ引きを引いているイリヤを見ていた。いつもの少し眠そうな目が、真剣だったのが気になった。ちなみにイリヤは最後の組だったらしい。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
「なんでお前裸足なんだよ」
「うん。その方が走りやすいんだ」
紅組と白組は接戦のまま、最終種目の借り者競争を迎えた。
端から順に、僕、フーレイ、ワタルと続き、熊族と、兎族、鹿族という並びだった。皆どことなく殺気立っている。その視線の先には、イリヤが。彼女は不機嫌そうに腕組みをし、応援席で立っていた。
「ヨル」
不意にワタルに声をかけられた。
「僕達のどちらかが1位になれば良いわけだから。僕も本気で行くよ」
ワタルは皆と同じように、イリヤを見ていた。鋭い鷲の目。少し驚きつつも、強気な笑顔で返す。
「……僕も負けるつもりはないから」
「お前達それ言うなら俺もだかんな」
フーレイが頭の後ろに手を置きながら、首を鳴らした。
なんとも勇ましい感じだけれど。その格好というのは、端から給仕さん、龍華ドレス、メイド服、女子学生、看護婦、女車掌と、なんともな感じだった。
「位置について。よーい、……どん!」
掛け声と共に疾走する。
「の、わっ!」
「わ、何しやがるワタル!」
駆ける時に目の端で、ワタルが自身の背の翼を大きく広げるのが見えた。それが両側にいた獣人達にぶつかったのだ。
「……あれ。そういえば僕高い所からでしか飛べないんだった」
「ばかやろー!」
フーレイの叫び声は聞きながら、鹿族と競る。校庭を1周回ってからでないと紙は取れない。少し追い抜かされたところで、脚に意識を集中させた。
「狼のやつ……足先獣化してないか?」
「どれ。うーんよく見えねぇけど、そうか?」
地面を前足で蹴って、腕を振る。目の前の彼を追い抜き、置かれた箱から紙を掴む。走りながら開く。どんなお代であれ、イリヤを連れ去るつもりだった。けれどそこに書かれた文字に、思わず笑ってしまった。
息を切らし、彼女の目の前につく。
「君を借りていくね」
目を丸くするイリヤに、紙を広げて見せる。
“カワイイモノ”
文字を認識した瞬間に、彼女は半目になって口をへの字に曲げた。でも、分かる。これは彼女が照れている時の反応だ。ちなみに観客席の他の皆は深く頷いていた。
「よいっしょ!」
「お、おいヨル!」
「イリヤ!しっかり首に捕まって!」
横抱きにして走る。前も思ったけれど、イリヤは軽い。もう少し、食べてほしいと思いつつ。久しぶりに彼女の花のような良い香りを感じられて、幸せだった。抱き抱えられながら、始終イリヤは納得のいかないような顔をしていたけれど。
晴れやかな気分のまま僕は、彼女と共に1着を勝ち取る事ができた。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
「位置について……」
全くもって。今日の体育祭はヨルのいいようにやられた。
例え女学生の制服を着ていようと、活躍しようと躍起だっていたが。事あるごとに、ヨルに危ないからと邪魔され。極めつけは借り者競争だ。
やつは「他の獣人に借りられると女とばれる危険が!」とか言い、足を獣化させてまで私を借りにきた。私が女とバレなくたって、お前が混血だってバレるだろうが。
1着で着くと、汗だくで微笑むヨルが眩しくて。目を細めていると、周りから「お似合いすぎる」「これは薔薇か?百合なのか?」「なんか俺目覚めそう」とか聞こえて。さっさと降ろせ、と怒鳴ってしまった。
競技が始まる前は、赤組の方が勝っていたのに、逆転された。だが、まだ望みがある。最終走者として負けるわけにはいかない。
「よーい……」
そっと手に握り込んでいた、錠剤を飲み込んだ。それは豚の血を凝縮し固めたもので。正直まずいので飲み込むのに難儀する。
これは吸血鬼族がいざ、という時使う代物だ。
「どんッ!」
瞳孔が狭まったかと思うと、全身に力がみなぎる。風を切る音が耳に響く。
「……イリヤ、すごい」
「はえーな。豹族追い抜かしたぞ」
「さて、誰が借りられるんだろうね、彼に」
箱の紙を手にし、疾走しながら広げる。
そこに書かれた“ナマイキナモノ”という文字。
真っ先に思い浮かんだのは、フーレイで。彼の元へ向かった。
「お、なんか寮長、お、俺見てねーか?」
「……え」
「ろくでもないこと、紙に書かれてたんじゃない?」
息をついて、フーレイの目の前に立つ。「な、なんだよ」と悪態をつかれたが、なんでだか虎の尻尾が横に激しく揺れていた。紙を見せようとしたところで、目の端にヨルが映る。
狼の耳と尻尾、そして眉を下げ。切なげにこちらを見つめていた。子犬か。お前狼だろ。
壮大に、ため息をつきたくなった。
そんな顔で、私を見るな。全くお前は──。
踵を返し、広げた紙をヨルの目の前に突きつける。
「狼条ヨル、君を借りるぞ」
「……なまいき?え、わ!イリヤ……!?」
返事を待たずに、その胴体を持ち上げ抱き抱える。俗にいう俵担ぎのようにして、走る。やはりそれなりに重い。腰にくる。だけれど、“か弱い”と思っている存在に担がれ、顔を赤くしてるだろう彼を想像すると、清々しい気分だった。そのまま1着で紐を切った。赤組の逆転勝利だ。
ヨルを降ろすと、案の定、真っ赤にさせた顔を両手で覆っていた。今更ながら、耳のリボンがかわいいな、とか思う。
「どうだ。僕は必ず1位を取る、って言っただろう?」
挑発的に微笑んで見上げる。すると予想に反して、ヨルは嬉しそうに笑った。
「やっぱりイリヤには敵わないや」
狼の柔らかな尻尾を、横に振りながら。
「君は凄く。かっこいい」
まったく、ナマイキなやつだ。
思わず笑ってしまった。
そう言われて。素直に、嬉しかった。