もふリ、もふレバ、もふルトキ
意を決して、半狼化したヨルの正面に座る。恐る恐る、頭を撫でる。その感触に思わず、口がもごもごしてしまった。思っていた通り、とても触り心地がいい。
「本当に、柔らかいな」
「そう?」
「あぁ。昔飼ってた子犬よりも柔らかいかもしれない」
「そうか、犬を飼ってたから、僕の尻尾とかが気になったんだね」
笑顔で言われて、思わず口を横に結んで上を見る。知られていた。それでもうずうずして、訪ねてしまった。
「し……、尻尾も撫でていいか?」
「尻尾?うん、いいよ」
狼の顔で顔を傾けると、私を囲むように彼は横たわった。瞬間、尻尾を頬に寄せられる。
「わ、くすっぐたい!ふふ、こっちもふわふわだ」
「……っ。う、うん」
尻尾の毛を流れに沿って撫でた後に、今度は逆立てるようにわしゃわしゃと触る。びっくりしたのか、肩が跳ねた。嬉しくて、お構いなしに今度は大きな手を握る。そして手の平の分厚い肉球に鼻を寄せた。
「い、イリヤ!?」
「うん、狼の肉球も穀物のいい香りがするんだな」
「こくもつ……?」
あの子もいい香りがしたな、と思い出しながら、彼の弾力のある肉球を指で押し、頬を寄せた。
「え、と。そうすると、癒される?」
「……うん、とっても」
「……そうか。あっ……」
「あぁ、こっちも、……いい香り」
「ふ……うっ」
耳の柔らかさを確かめつつ、その後ろを嗅ぐ。そうして首元を撫でる。あの子はそうされるのが好きだった。
「ん……!ご、ごめんイリヤ!」
目を閉じて思い出に浸っていると、突然肩を掴まれ引き剥がされた。驚いていると、ヨルは顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた。
「あ、あの……!僕、狼の姿で触られるの、初めて、で」
「そう、なのか?」
「うん。だからこういうの、慣れてなくって」
他の獣人も、それは稀なんじゃないか──。冷静な自分が、頭の中でそう呟く。
「それに……」
その一方で、こちらを見つめる彼の目に、釘付けになっていた。
──僕も、男だから。
紡がれた言葉の意味を理解するのに、しばらく時間がかかった。
青い瞳に、黄色い光が微かに差して。なんだかとても、艶っぽかった。
分かった瞬間、口から火を吹きそうだった。
そうだ。ヨルは子犬じゃない。
狼だ。しかも男の。
私は、なんて事をしてしまったのだろう。その後互いに気まずくなって、挨拶もそこそこに布団を被った。その中で声にならない声をあげているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
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翌日は、いつもより目覚めが良かった。母と、犬のポチの夢を見れたからかもしれない。ポチとは半年しか一緒にいられなかった。その後、私が連れ去られたから。
まだ日に出ないうちに、身支度を済ませて机に向かう。ヨルとは違い、朝勉強するのが習慣になっている。
彼はいつもは起きてくる時間になっても、起き上がって来なかった。
起こした方がいいんだろうか──。
昨日あんな事があった手前、やきもきしていると、「うーん」と小さな呻き声が聞こえた。心配になって、カーテンの隙間から彼を覗き込めば、別段うなされているわけではなくて。むしろ布団をかけにせずに、気持ち良さそうに眠っていた。まったく、起きる気配がない。ため息が出た。
「おい、ヨル。もう起きないと遅刻するぞ」
「んー……」
布を握りしめたまま、声をかける。
するとふにゃりと笑うばかりで、起きはしなかった。片耳がぴくぴくと動いている。正直、少しかわいい。昨日の感触が手によみがえる。
出来心以外の何者でもなかった。気づけば身を乗り出して手を伸ばしていた。
もう少しでふわりとした耳に触れる、というところで。
「のわっ!」
急に腕を引っ張られた。一瞬何が起きたか分からなかった。気づけば、逞しい男の身胸に抱かれていた。あまりの事で固まる。
「寒いの……みぃ」
耳元でくすぐったく笑われて、かっと頬が熱くなった。
こいつ、私を飼い猫と勘違いしてやがる──。いや、私も、似たような事したけれど。それはそれ。これはこれだ。
「おい、ヨル!いい加減起き……ッ」
胸を叩いて見上げれば、鼻先を付けられた。
「かわいい⋯⋯ね」
息が止まる。思考がごちゃついて、まつ毛も青灰色で長いんだな、とかそんな事しか思い浮かばなかった。
「みぃ鼻……今日冷たくな、い……え」
そこで、ヨルが目を覚ました。彼は現状を理解すると、文字通り飛び起きた。先程まで夢見心地で蕩けていた顔が、蒼白になっている。
「ぼく、ごめんイリヤまた僕……!」
「お、落ち着けヨル、これはえっと、事故だ!」
壁にぴったり背を預け、涙目で耳を震えさせる彼に向かって訴える。ちなみに尻尾もぷるぷるしてる。なんだかわいい──、じゃない。そもそも触れようとした私が悪い。
するとヨルは浴衣の襟元を勢いよく開いた。甘い顔に反して鍛えられたその体に、思わず短く声を上げ、顔を両手で覆ってしまった。
「な、何してるッ」
「イリヤ!カラカラになるまで僕を吸っていいから……!」
硬く目をつぶって真っ赤になっている彼に、眩暈がした。
「やめろよりややこしくするな……!」
ため息をつき窓を見れば、今日は梅雨の合間の晴れで。
登った朝日に、早く夏が、夏休みが訪れてほしいと、切に願った。