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終ワリナキ悪夢

 やつが変わり果てた姿で波打ち際に戻ってきたのは、あれから数日後のことだった。

 

 兄は自殺と判断された。

 

 使役の力を使え、かつ同族同士ではその力が及ばない吸血鬼を、誰が殺せようか。まして、ダンピールである自分に、疑いが及ぶことは無かった。


 父と義母は激しく落ち込んでいた。義母は兄の行方が分からなくなった時から、「全部お前のせいだ」と一層激しく、私を物差しで叩いた。父は青白い顔で、見て見ぬふりをするだけだった。


 ただ、黙って耐えていた。


 そうだ。お前たちの溺愛の息子が居なくなったのは、私のせいだ。顔を伏せて、折檻を受けつつも、笑っていた。

 実際は、怖かった。あいつが戻ってくるんじゃないかって。だから、死体が見つかった時は、ばれるのではないか、という心配よりも。あぁ死んだんだ、という安心の方が強かった。


 浴室で、みみず腫れになった肩をなぞる。傷は人族に比べれば格段に早く塞がる。

 けれど──。兄につけられた背の傷跡は、消えることがなかった。今日は月のない夜だ。暗闇の中で鏡を見ていた。そこに浮かぶ怒りに満ちた赤い瞳。戸棚からはさみを取り出し、束ねた長い髪を一気に断ち切る。

 むしろ、傷が残ってよかった。受けた仕打ちを、忘れずに済む。


「お前……!なんだっていうのその格好は!」

 

 兄の中学時代の制服を着て、父の書斎に赴けば、その場にいた義母に激昂された。そんな義母を冷ややかに一瞥して、椅子に座る父の前に片膝を突く。

 

「お父様、成人のお願い事をしに参りました」

「あの子の喪が明けてないっていうのになんて身勝手な……!」

 

 義母が叫べば、父は「黙っていろ」と咳をしながら手を振った。

 

「そう、だったな。成人したお前は何を望む」


 窪んだ赤い目で問われた。昔はその瞳で睨まれると、震え上がるだけだった。

 

「私は⋯⋯いえ、僕は鬼堂家の当主になる事を望みます」


 でも、今は違う。あいつみたいに微笑みながら言ってやった。

 

「な、なんて事を……!」

「ふふ、はははっ……そうか」


 父は豪快に笑った。私を見る目に、初めて光が宿っていた。


「万が一の事を考えて、お前に教育を施していて正解だったな。教師をもう1人増やそう」

「はい」

「あなたッ!」

「やるべき事はわかるな。17になったら男として高等学校へ入学しろ。その手筈はどうにかする。主席として学園を卒業する事が、当主となる条件だ。お前の兄がやってのけたようにな」

「かしこまりました」

「な……な!今すぐ撤回なさい!そんなことお前ごときが、できるわけないじゃないの!」

「お義母様」


 静かに立ち上がり、義母に詰め寄る。瞳孔を開き、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「今お父様の血を、鬼堂家の血を受け継いでいるのは”僕“だけです」

「……この、下賤なダンピールが何をッ!」

「お前はもう黙っていろ」

「あ……、あなたぁ!」


 父は涙ぐむあの女を無視して、私の肩に手を置いた。


「お前は今日から”イリヤ“と名乗れ。お前はもう娘じゃない。今日からお前は、私の息子だ」


 イリヤ。それが私の男の名。

 

「はい。お父様のご期待に添えるよう、このイリヤ、努力致します」


 再び膝をついて、頭を下げた。口の端が痙攣する。


 私は、お母さんと同じ天国に、もういけない。


 落ちるのは地獄と決まっている。

 ならば私を修羅に変えたこいつらを、全員地獄の釜へ叩き落としてやる。

 揺るぎない決意が、瞳の中で燃えていた。


「目しか似てないっていうのに、お前は僕になるつもりかい?“イリヤ”」


 不意に、やつの声が聞こえ、寒気がした。弾かれたように顔を上げれば、かつての麗しい姿のままの兄がいた。


「な……」

「死んだのになんでいるって?愛しいお前に会いたくて戻ってきたんじゃないか」


 体を動かせずにいると顎を取られた。


「僕は嬉しいよ。お前の傷となってこうして生きられるのだから。でも……早く落ちてこっちへおいで?大好きな兄さんの元へ。はやく、ハヤク⋯⋯!」

「や、やめろ!」


 美しい兄の顔は溶け出して、髑髏になった。


 ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎


 イリヤと同室になって、1週間が経った。

 

「……まだ寝ないのか」

「うん、ここの訳をやったら寝るよ。ちょっと難しくて分からなかったから、復習したいんだ」


 机の上で栄語の教科書を広げながら答える。僕はいつも彼女よりも遅く寝る。

 

「どこがわからない」

「……えっと、ここ」


 ベッドの梯子に足をかけていたイリヤが、こちらに来て横に座った。青い浴衣姿で、赤い横髪を耳にかけながら、真剣に教科書を読んでいる。僕はその横顔を、そっと見ていた。

 鼻腔を掠める、林檎の花の香り──。吸血されて以来、それまで感じることができなかった、彼女固有の匂いが分かるようになっていた。それはずっと嗅いでいたくなるような、いい香りで。離れ難いのに近寄られると、自然鼓動が速くなって。逃げ出したくなる衝動に駆られる。

 ベッドもイリヤの下で寝るだなんて、どうにかなってしまいそうで。畳で寝ると言ったらものすごく怒られた。この頃は中々寝付けずに、逆に朝起きづらくなっていた。

 

「ここは女性詞だからちがうが……、他は大体あってる。自信を持っていい」

「ありがとう、イリヤ」

「あぁ」


 そう褒められて、尻尾がくねった。イリヤはじっとその尻尾を見た後、立ち上がった。


「いい加減にして早く寝ろよ。おやすみ、ヨル」

「うん、分かった。おやすみ、イリヤ」

 

 困ったように微笑んで、彼女はベッドのカーテンをしめた。夜の挨拶をしてもらえる幸福に、小さくため息が出る。そうしてもう1度、ベッドを見上げる。

 今日は大丈夫だろうか──。僕が中々寝ない理由は、他にもあった。


「……うぅ」


 微かな唸り声が聞こえて、鉛筆を握る手が止まる。そっと、カーテンの隙間から彼女を覗き込む。イリヤは眉間に深くしわを寄せながら、顔を横に振っていた。

 彼女は度々、悪夢を見ているようで。こうして低い声が聞こえる時があった。それが心配で、彼女の寝息が深く穏やかになるまでは、なかなか床につけなかった。

 

 今日は明らかにうなされていた。

 

 彼女を起こそうとして、差し出した手を止める。許可なく触れないと、今日誓ったっていうのに。

 

「う……うッ……」

「イリヤ、大丈夫⁉︎……うッ!」

 

 手をこまねいているうちに、彼女が苦しそうに体をのけ反らせた。堪らず揺り起こそうとしたが、逆に手首を取られた。鋭利に伸びた爪が肉に食い込む。

 

「私に、触るなッ!あ……あ、よ、ヨル」

「い、イリヤ……。ぼく、だよ?」

 

 もう少しで血が滲み出そうになるところで、力が緩む。激昂し赤くなった顔が、見る見る青ざめる。

 

「す、すままい、怪我は」

「大丈夫。僕こそごめん、勝手に覗いて」

「いや起こそうと、してくれたんだろう?ありがとう」

「イリヤ、何か怖い夢でも見ていた?」


 そう問われると、彼女は俯いた。言葉が、出てこないようだった。

 

「何か飲むもの、持ってくるよ」

「いや、いい。大丈夫、だから。寝てくれ」

「でも……」

「ヨル。僕は、大丈夫だ」

 

 名前を呼び掛けられたが、それは僕ではなくて、自分自身に言い聞かせているようだった。ぎこちなく笑みを浮かべた顔は、血の気を失ったままで。そんな彼女を見るのは、胸が痛かった。

 何かしないと──。その時、時々じっと自分の耳や尻尾を、彼女が見つめているのを思い出した。

 

「あ!イリヤ、少しだけ横を向いてて?」

「うん?……あぁ」

 

 彼女がこちらを見ていない事を確認すると、浴衣の襟元を緩めた。そこから、長く息を吐く。それに伴って喉の奥が鳴らすような声が漏れる。微かに瞳孔が小さくなり、瞬間、体が大きく膨らむ。半分獣化した、狼の姿へと変わる。

 この姿になるのは久しぶりだった。故郷にいた時は、母にばれぬよう雪の最中、人知れずこの姿で遠吠えしたりしていた。

 本で知ったが、通常獣人は自分の意思では、半獣化できない。けれども、バイレイシャルの自分には、なぜだかそれができる。この姿になったとしても、自我を失ったり、暴走することはない。むしろ、とても落ち着く。枷が外れた気持ちになるからだ。

 

「……イリヤ、もう見てもいいよ」

 

 つま先立ちの獣の足で、寝床から一歩下がると、そう声をかけた。内心とても緊張していた。不気味がるかもしれない、と思った。でも彼女なら、そんな反応はしないようにも思えた。

 振り返ったイリヤは口を開けて、呆けたように僕を見上げていた。口の端が緩んだのを見て、尻尾が静かに揺れる。

 

「驚いた。自分の意思で半獣化できるなんて。しかも、かなり大きくなってる、よな?」

「うん。怖い?」

「いや?むしろ、可愛らしいというか」

「え?」

「あ、いや。どうしてその姿になったんだ?」

「うん、違ったらごめんね!イリヤ、よく僕の耳や尻尾を見てるから。もしかして触ってみたいのかなって」

「あ……う、えっと」

「イリヤは落ち込んでるみたいだからさ。僕は昔、猫を飼っててね。夜寂しくなると、その子が擦り寄ってきてくれて。毛を撫でていると、安心して眠れたから。イリヤも狼の僕を撫でれば、安心するかなって……」

 僕は何を言っているんだ──。最後は恥ずかしさに俯いて声が消え入りそうだった。そんな僕とは対照的に、彼女は顔を上げて、目を輝かせた。

 

「い、いいのか!?あ、いや、……ちょっとだけ撫でさせてもらっても」

 

 今度は、イリヤの方が真っ赤になって俯いた。その様子に、息つくように笑みがこぼれる。

 

「もちろん、君ならいいよ。……失礼するね」

「え、わっ!」

 

 イリヤの両脇に手を差し入れ、抱き抱えるようにして寝床から降ろした。

 赤い目を白黒させる彼女の前に跪くと、爪を立てぬように、弾力のある肉球で両手を包む。


「いっぱい……撫でて?イリヤ」

 

 そこへ頬を寄せると、片耳を動かしつつ、上目遣いで見つめてみた。彼女が、息を呑むのが分かった。


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