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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

下降実験 ――16の魂、悪魔の器に変わるまで

作者: ふりっぷ

奈落へ落ちるまで沈み続けるエレベーター。


少年が入ったのは、小部屋ほどの広さのあるエレベーターだった。


中には家具まである。小さなベッドと電気スタンド。


オレンジがかったカーペットが敷き詰められ、


天井にはシャンデリアがついている。


「すげえ、お前も来いよ」


「すごいね」少女も目を輝かせて言った。 「


誰もいないのかな?」少年はきょろきょろと周囲を見回し、奥へと進む。


「やめようよ……」少女は不安げに後を追った。


扉が閉まったのは、ちょうど二人が電気スタンドのスイッチを探していたときだった。


「うそ、俺、何も押してないって!」


「どうしよう……」 少年は扉に駆け寄り、


「開」ボタンを何度も連打した。


「ぶっ壊れてんじゃねえの?」


「怒られるかな……」


「知らねえよ」



真理子はスーパーで買い物を済ませたところだった。


地下の駐車場へ向かうため、エレベーターに乗る。


二基あるうち、早く来た方へ乗り込むと、中にはすでに細身の男がひとりいた。


(今日は空いてるわ。よかった)


真理子は買い物籠を持ったまま、B2のボタンを押し、


表示ランプを眺めながら夕飯のメニューを思い浮かべていた。


(ごぼうを買ったからきんぴらでいいか。


この間作ったのいつだったかしら……


正登は嫌がるかもしれないけど、ちょっと無理にでも食べさせなきゃ。


魚はどうしようかな……)


ふと、表示がまったく変わっていないことに気づく。


しかし、エレベーターは確かに“動いている”感覚があった。


(……表示の故障? 早く開かないかしら)


扉は開かなかった。買い物籠がだんだんと腕に重たく感じられてきても、


依然として動きはない。


彼女は後ろの男を振り返った。


男はまるで時間が止まっているかのように、入ってきた時と同じ姿勢で立っている。



エレベーターは沈み続ける。


「空気が……濃くなってきたな」


「全員で、何人だった?」


「16人。我々が把握している範囲で、だ」


「……苦しむだろうか」


「知るか」


若い判事の顔に、陰りが差す。


管理者仁が、それを見て言った。


「元に戻るだけだ。魂の形が、本来の姿へ戻る。


それだけのこと。子供は苦しまないはずだ」


「管理者は、何人いる?」


「さあ…俺だけかもな」


「強力な神の波動を感じます。ここも見つかるかも」


「いずれにせよ、俺達は役目は果たすだけだ」


そう言って、年配の男は手を挙げた。



「ねえ、あそこ……何かいる」


白い塊が、エレベーターの隅でうずくまっている。


「羽……生えてる」 少女は壁際に寄り、心細げに塊を見つめた。


「いつの間に、乗ってきたの……?」 涙がこぼれる。


「おなかすいたよ」


「さっきアメ渡したとき、食べなかったくせに」


「こんなところで、食べられないよ……ママ、呼んできて」


「俺のスマホ、圏外だよ」


「もう、だめ……」


少女は床に座り込んだ。


少年はどうしていいかわからず、頭をかいて白い塊を眺めた。


ふさふさとした短毛に覆われ、小さな羽、銀色がかったグレーの瞳。


どこか人間的な気配すらある。


少年はおそるおそる近づいて、手を伸ばした。


やわらかい。指がしずみこんでいく。


奇妙な感触――肌ではなく、“何かの芯”に触れているようだった。


少女も泣き止み、興味深げに近寄ってきた。


少年はポケットを探り、少し溶けかけたアメを取り出す。


「……食う?」


少女にアメを差し出し、二人で白い塊に近寄った。


「柔らかい……」


「だろ? おとなしいんだ、こいつ」


少女は隣に腰を下ろした。


「……ここで、眠っていい?」


塊は何も答えなかった。


目覚めると、天井に白い塊が四つ、ふわりと浮かんでいた。


「数、増えてる……」


「……うん」



ぼとぼとと、蛙が降ってきた。


年配の男が目配せすると、青年の周囲に結界のような空間が閉じた。


蛙たちは唐突に現れ、霧のように消えた。


「……もう、近いな」



真理子は買い物籠を床に置いた。


腕が疲れたからではなく、何か“先”に備えるような直感だった。


(そもそも、あの男が乗っていなければ……)


苛立ちが彼女の中に膨らむ。


「故障でしょうか?」


男は応えない。 不安が怒りに変わる。


「非常ベルを鳴らしますよ」


ボタンを押す。返答はない。


「……開きませんよ」


男が初めて口を開いた。


「なんでよ?」


「……」


「私、帰らなきゃいけないの。子どもが待ってるの。


あなたは出なくていいって、どういうこと?」


「私には、降りる必要がない」


真理子は背伸びして通気口に手をかけたが、びくともしない。


「手伝ってもらってもいいです?」


男は静かに首を振った。


「私、生もの買ったのよ。今日一日がめちゃくちゃになるの。聞こえてる?」


返事はない。


真理子は扉を叩き、非常ボタンを連打する。


「誰か、誰かいないの!? 閉じ込められてるのよ!」


反応はなかった。 彼女はしゃがみこむ。


男は変わらず、静かに彼女を見つめていた。


(もしトイレに行きたくなったらどうしよう……)


それが、彼女の最後の“人間的な”思考だった。



透明のエレベーターを、二人のスーツ姿の男が下っている。


向かい側の箱がすれ違う。


「あと二人」


「どこまで変質するか、だな」



腕ほども太いナメクジが、真理子のエレベーターの壁を這う。


真理子は買い物籠に反射的に手を伸ばす。


「やめろ!!」


男の声が轟く。 ナメクジが跳ね上がり、籠に群がる。


きちきちと音を立て、籠が溶けていく。


男は懐からナイフを抜いた。


無言のまま、一匹ずつ、ナメクジを切り裂いていく。


最後の一匹を刃の先で叩き落とすと、ナメクジは奇妙な甲高い音を立てて蒸発した。


濃密で甘ったるい匂いが残る。腐った花のような。


手のひらで汗を拭い、男は静かに身を起こした。


そのときだった。


「ありがとう」


女の声――だが、声色が違う。 低く、粘つくような、湿った響き。


男が振り返ると、そこに立っていたのは、もはや“真理子”ではなかった。


皮膚は半透明に透け、内側に無数の細い管のようなものが蠢いていた。


目は左右で大きさが違い、片方は縦長に収縮し、黒く濁っていた。


腕の関節が逆向きに折れ曲がっている。


けれど、彼女は穏やかな微笑を浮かべていた。


「もう、大丈夫……」


「……それは、お前の言葉か?」


女はかぶりを振る。


「わたしは……わたしのままだよ。ただ、なにかが剥がれただけ」


足元に、ナメクジの溶け残りが痙攣している。


それを踏みつけると、彼女の肌の管が一斉に脈打った。 内側から光が走る。


「ありがとう……あなたのおかげで、降りられる」


「最後に何か伝えることはあるか?」


男の背後の空気がわずかに波打った。あれが来る。


「私の罪とは何だったのかーー子供には探さないようにと」


「問題ない。君の子供は別のエレベーターに乗っている」


女の表情がゆがんだ瞬間に、背後にぬるりと魚が現れ、


魂を赤い箱に収納する。 男の頬に一滴、何かが飛び散った。


ぬるく、生温かい。


「濁った魂が必要なのだ……子供には、好き嫌いをなくすよう伝えよう」


管理者は帽子の位置を直した。


残されたのは、ぬらぬらと光るナメクジの体液と、


小さな白い羽が一枚、床に落ちているだけだった。



魂の形が変わるとき、人は自分が“自分”だったことさえ忘れる。


これは悪魔の領分。


ただ観察され、記録され、静かに終わっていく16の実験体たち。


彼らはまだ、自分が“奈落に落ちた”ことさえ知らない――。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


この実験が成功だったのか、失敗だったのか。

判断するのは、記録者ではなく、読んでくださったあなたかもしれません。


少しでも気に入っていただけたら、評価お願いします。

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