第二話:視る者
今回の話は、いわば“最初の異変”です。
物語の中で、琉煇という人物の立ち位置や、彼が何を持たず、何を持ち得るのか――その境界線がほんの少しだけ揺らぎ始める回になります。
本来なら「起きてはいけないもの」が、予兆の風と共に現れる。
そして、それに応じるかのように「動かぬはずの何か」が、彼の中で微かに息をし始める。
宝具は応えない。
でも、“視える”ようになったものがあった。
そんなニ話目です。
風が、ざわめいていた。
霄穹界において、風は兆しのひとつ。
嘉印たちはそれを「予兆の声」と呼ぶことがある。
その日吹いた風は、異様だった。
静かな洞の霊路を逆なでるようにすり抜け、
耳鳴りのような気配を残していく。
何かが――近づいていた。
「……妙な風だな」
そう呟いたのは、当直中の吏司・墨麟。
彼は霊盤の揺らぎを注視しつつ、
緩んだ結界へと指を滑らせた。
淡く光る符が浮かび、
静かに霊域の再結界が始まる。
「おーい、起きてる?
どうせまた一人で朝稽古してるんでしょ?」
振り返ると、霜蘭が駆けてきた。
白い耳と尻尾を揺らしながら。
「あんたが準備してない日なんか、一度も見たことないし」
彼女は笑いながら耳を伏せた。
だが、尻尾は少し張っていた。
「風、変だよね」
「ああ……感じたか」
「感じるよ。獣の勘、なめないで」
討伐の準備は静かに、
だが確実に進んでいた。
守護者・風凌は装備を整え、
無言の目配せで指示を送っていた。
「吏司、霊路は?」
「問題ない。ただし、東方結界の緩みが気になる。
応急術式を重ねておいた」
墨麟の声は冷静だったが、
その目は深く警戒していた。
呪符を重ね、結術を施し、
賦術で感応強度を高めていく。
「索術も起動中だ。近辺に歪みはない」
「……ならば、出るぞ」
十数名の洞子たちが整然と並ぶ。
その列の中に、琉煇と霜蘭の姿もあった。
霊道を抜け、夙罹の出現地点へ。
風は冷たく、鈍い音を孕んでいた。
「ッ、来る……!」
霜蘭が耳を立てたその瞬間、
結界が裂ける。
現れたのは、今までの夙罹とは異質な存在だった。
目のない頭部。
仮面のように滑らかな顔面。
全身に淡く明滅する霊光。
蠢く霊管。
這うように伸びる舌状の器官。
そして、“視ている”。
目もないのに、確かにこちらを。
濁った共鳴音が、静かに漏れた。
「劫術を展開! 弾幕を張れ!」
墨麟の号令。
呪符が走り、低威力の光弾が放たれる。
同時に、防御結界の陣が広がる。
「構えろ!」
風凌の声が鋭く響いた。
武具が抜かれ、祈りが空に解き放たれる。
だが――夙罹は止まらない。
光弾が核を狙い、命中する。
だが、急所と思われた部位が消え、
別の場所に霊光が瞬く。
「核の位置が……変動している?
いや、これは……」
墨麟の目が細まる。
「……“視られること”を拒絶しているようだ」
仲間が傷を負い、守護者が倒れる。
琉煇は、剣を握ったまま動けずにいた。
(……動け)
応えぬ宝具。震える手。
視界の奥に、焼けつくような痛み。
――そして視えた。
色。形。霊の流れ。
すべてが、透けるように明瞭に。
偽の核の奥。
一つだけ、脈動する“本物”が浮かび上がる。
光って、萎んで、膨らんで――震えている。
「そこだ……!」
宝具は応えぬまま。
だが、琉煇の剣は迷わず、
敵の核を正確に貫いた。
空間が裂け、夙罹が悲鳴をあげる。
「兄さま! 大丈夫ですか!」
駆け寄ってきたのは雲澤。
その瞳には、驚きと――憧れがあった。
「……ああ、問題ない。下がっていろ」
その声には、かすかに熱が宿っていた。
琉煇の中で、確かに何かが――動き始めていた。
✦ 次回予告
眼球に刻まれた力。応えぬ宝具。
その夜、彼の中で何かが目覚める。
これは、忘れられた者の戦いの記録。
読んでくださって、ありがとうございます。
この第二話では、ただの戦闘回にしたくなかったので、
呪術のバリエーションや、仲間たちとの関係性、夙罹という敵の「異質さ」にも意識を配ってみました。
視力を得るって、単なる能力アップじゃなくて、
世界の“見え方そのもの”が変わる、という体験だと思うんです。
琉煇の中では、今それが始まったばかりです。
次回、彼がその“視えすぎる世界”にどう向き合うか――
よければ、もう少しだけお付き合いください。