第6話 素敵なひと
「お前、天城さんと付き合ってたの!?」
「い、いや、付き合ってませんって……」
「大人しい感じなのに、ちゃんとやることやってるんだなぁ……」
「だから、その……!」
「天城さんに、誰か可愛い子紹介してって頼んでくれよ! お願いしますっ!」
「違うっ、違うんです!」
翌日。
早朝バイトのため午前五時前に家を出た僕は、終業後、その足で学校へ向かった。
いつも通り生徒玄関を抜け、廊下を進み、自分の教室へ。
ガラガラと扉を開けた瞬間、クラスの中心的な男子に囲まれこのザマである。
「素直に言えよ! 昨日のあれはそういうことだろ!!」
「おっぱいどんな感じだった!?」
「うわっ、それちょー気になる!!」
いかにも男性高校生といった話題が、僕を中心として爆発する。
あー……バカ騒ぎが労働終わりの脳みそに響く。
天城さんもそうだけど、どうして誰も彼も僕の話を聞かないんだ。付き合ってないって言ってるだろ。
まあでも、昨日のあれを聞けば誰だってそう思うよな。
仕方ないことはわかってるけど、こういう絡まれ方は慣れて無さ過ぎてもの凄く困る。
「本当に付き合ってないんです! 天城さん、僕を別のひとと勘違いしてたみたいで! だから、全部誤解なんですよ!」
とにかく話題の中心から外れようと、適当な嘘をついた。
あとで天城さんに言って、話を合わせてもらうよう頼もう。
向こうだって、変な茶々を入れられるのは嫌なはず。学校では他人のフリ、家では仲良くする……うん、これがお互いにとって一番いい。
「佐伯~~~っ!!」
噂をすれば何とやら。
バタンと、勢いよく開かれた扉。
夏の日差し並みに熱く滾った声が教室にこだまし、誰もが彼女を――天城さんを見た。
「好き!!」
……昨日の放課後とまったく同じ登場の仕方に、頭が痛くなってきた。
男子たちを蹴散らし、ドンッと僕の机に手を置いた天城さん。
前屈みになり、汗ばんだ胸元が自己主張する。
爽やかな甘い匂いに襲われ、一気に顔が熱くなってゆく。
「一緒に学校行こうと思ったのに、何で先行っちゃうの!? 酷くない!?」
「それは……バイトが、あったので……」
「朝から!? やっぱ!! ちょーえらいじゃん!!」
そう言って、僕の頭を撫で散らかす。犬でも愛でるみたいに。
コロコロと笑う天城さんとは対照的に、男子たちは白けた表情。じっとりとした目で、僕を睨みつける。
「バイトない日は一緒に行こ! あとで教えて!」
「あぁ……は、はあ……」
「お昼も一緒に食べよーね! あたし、迎えに来るから!」
「……は、はい……」
「あと、今日こそ一緒に帰るよ! 昨日みたいに置いてっちゃやだぞー?」
「わかりました……」
思考の隙を与えない要求の濁流に、ただ首を縦に振る。
ひと通り言って満足したのか、天城さんはフンスと鼻を鳴らした。やっと自分の教室に戻るのか……そう安堵しかけた矢先、「立って!!」と謎のお願いをされる。
「た、立ちましたけど、今度は何を――」
言いかけて。
やわらかく甘ったるい衝撃に、頭の中が真っ白になった。
クラスの誰もが僕たちに注目する中、彼女はそれら一切をまるで気にせず僕に抱き着いたのである。
「好き~~~っ♡ 大しゅき♡」
ぐりぐりと僕の胸に額を擦りつけ、かと思ったらこちらを見上げて白い歯を覗かせた。ニンマリと、元気いっぱいに。
彼女の体温が、視線が熱い。
じっとりと、身体が汗ばむ。だけど、不思議と不快感はなくて、彼女の赤い瞳に僕しか映っていないことが少し嬉しい。
「んじゃ、またねー!! ちゅっちゅー!!」
嵐の如く好意を押し付け、最後に投げキッスをばら撒いて去って行った。
一連の流れでドッと疲れた僕は、勢いよく椅子に座る。
……天城さん、やば過ぎる。
このままだと僕、いつか心臓が爆発して死ぬんじゃないか?
「「「佐伯?」」」
「っ!!」
男子たちからの冷たい声に、うな垂れかけた身体がビッと伸びた。
「やっぱり付き合ってるじゃねえか!?」
「朝っぱらから見せつけやがって!!」
「どんなテクニックで落としたの!? 教えてくれ!!」
もはや誤魔化し切れず、かといって説明するのは大変で。
僕はぐわんぐわんと身体を揺すられながら、ひたすらに耐えていた。
◆
「佐伯、連れて来たよー!」
「「「おお~~~!!」」」
お昼休み。
本当は佐伯と二人で昼食をとる予定だったが、クラスの友達が見てみたいというので、彼を紹介することにした。
あたしに腕を引かれながら、苦笑いをする佐伯。
友達三人は、そんな佐伯を値踏みするように見つめる。
「有咲ちゃんってこういうのがタイプだったんだー」
「へぇー、いいじゃん! 背え高いし!」
「えっ、結構カッコよくない? ちょっと前髪あげてよ!」
と、一人が佐伯に手を伸ばそうとした。
あたしは「あーっ!」とその手を軽く振り払い、佐伯の前に立ち盾になる。
「勝手に触っちゃだめ! あたしの佐伯だから!」
「いや……僕、天城さんの彼氏でも何でもありませんからね?」
「……ってことは何? あたし以外にも触って欲しいわけ?」
「そ、そんなこと言ってませんよね!?」
「だよね。佐伯は、あたしにだけ触られたいよね?」
言いながら脇腹を揉むと、弱点なのか、彼は身体をくねらせて赤面した。
うひひ、可愛い♡
「んじゃ、佐伯はこっち座って!」
「は、はい……お邪魔します……」
適当な椅子を借りて、あたしの隣に座ってもらった。
持っていた巾着袋を机に置いて、ちょこんと縮こまる。自分のクラスじゃないし、知らないひとばかりだから緊張しているのだろう。
「ねえねえ! 有咲ちゃんのこと、一回フッたって本当!?」
「一人暮らしってそんな大事?」
「さっさと付き合っちゃいなよ~!」
「佐伯には佐伯の事情があるの! ほら、早くご飯食べちゃお!」
あたしからグイグイいくならともかく、周りから急かされては佐伯も面白くないだろう。
友達の口を止めて、バッグからお弁当を出した。佐伯も巾着袋を開いてタッパーを取り出し、そっと蓋を開く。
「佐伯君って一人暮らしだよね……?」
「これ、自分で作ったの!?」
「やっば!! ちょっと写真撮らせてよ!!」
「あ、はい……いいですけど……」
彩り豊かな佐伯の手作り弁当に、三人は興味津々。
昨日で料理上手なのはわかったけど、学校に持って行く分までちゃんと作ってるんだ。
朝からバイトあったのに……佐伯ってば、本当すごいなぁ。
「えっ……あ、天城さん?」
「どしたの?」
「そのお弁当……な、何ですか、それ?」
顔をしかめながら、あたしが広げた昼食を指差した。緑と白の二色で構成された、今日の昼食を。
「ブロッコリーと鶏むね肉茹でたやつだよ。佐伯も食べる?」
「いや、僕は……それより、何でそんなの食べてるんですか? ダイエットとか?」
「んー……まあ、ね。体型、気になるし」
「十分に痩せてるじゃないですか! もしかして、お金がないとか? 僕の弁当、少し食べます?」
田舎のお婆ちゃんみたいに心配そうな佐伯に対し、「知らないの?」と友達が言う。
「有咲ちゃんって、モデルやってるんだよ」
「体型維持とか言って、そういうのばっか食べてる!」
「一人暮らしも、モデルで生きてく練習で始めたらしいし」
「あ、ちょ、言わないでよー! 全然仕事ないからカッコつかないし、佐伯には黙ってるつもりだったのにー!」
勉強はやればやった分だけ結果が出るのに、本当にやりたいモデル業は中々どうして上手くいかない。
だからごく限られたひとにしか言ってなかったのに、あっさりとバラされてしまった。
「△△大付属の中高一貫のとこ通ってたのに、芸能活動ダメって言われたからうちの高校来たんでしょ?」
「マジでもったいないよね。絶対そっち通ってた方が良かったのに」
「有咲ちゃんって、頭いいのに悪いんだよなぁ」
「いいの、別に! あ、あたしは後悔してないし!」
内心少し腹立たしく思いつつ、顔には笑みを浮かべて三人を黙らせた。
自分の選択が、世間的に見て間違いなのはわかっている。それは先生や親にも散々言われたし、あたし自身、バカなことをしたなという自覚はある。実際、モデルでの収益は微々たるものだし。
だからこそ、佐伯には知られたくなかった。
好きだから、あたしのいいところだけを見て欲しい。
泥臭く藻掻いている自分なんか、見られたくない。
嫌われたくないし、バカにされたら悲しいから。
「佐伯君? どうしたの?」
神妙な面持ちで黙ってしまった佐伯に、友達が尋ねた。
彼はあたしを見て、あたしのお弁当に視線を落として、またあたしを見て。
顔を青くして、なぜかもの凄い勢いで頭を下げる。
「すみません!! ほ、本当にすみませんでした!!」
「はぇ!? な、何で謝るの!?」
「だ、だって……!」
おずおずと、頭を上げた。
とんでもないことをしてしまった、という表情を貼り付けて。
「そんなことも知らず……昨日っ、天城さんにたくさん食べさせちゃいましたし!」
「……えっ?」
「出されたものって断れないですよね! 手作りのものとか、余計に!」
「あの、佐伯……?」
「これからは、量が多かったり脂っぽいなって思ったら、ちゃんと言ってください! あとできる限り、考えて作るので!」
真っ直ぐにあたしの目を見て、軽く手を握って。
程なくして無意識に触っていたことに気づいたのか、「す、すみません」とまた謝って手を離す。
「そ、そんな、気をつかってくれなくていいんだよ? みんなが言ってるように、あたしってモデルとして全然だし、自慢とかできる感じじゃないし……」
佐伯は優しい。だから、あたしの味方をしているだけだろう。
……と、思っていたが。
何言ってんだコイツ、と言いたげな目でこっちを見る。
心底不思議そうに眉を寄せる。
「勉強で学年一位とって夢まで追って、そのうえ生活費も自分で稼いでるとか本当にすごいですよ。誰にでも真似できることじゃないです。それだけで十分、自慢していいと思いますけど?」
それを聞いた友達は、各々顔を見合わせて「確かに」と頷いた。
今まで茶々を入れたことを謝って、詫びとして自分の昼食を少しずつあたしの寂しいお弁当に盛る。よ、余計なカロリーが……まあ、気持ちは嬉しいけど!
「……さ、佐伯っ」
「はい?」
机の下で、そっと彼の手を握った。
大きくて、硬くて、温かい。
彼は目を丸くしてあたしを見て、気まずそうに頬を染める。その落ち着かない視線の動きすら愛おしくて、唇が自然と弧を描く。
「何かあたし、今たまんない感じ!! お願いっ、ちゅーさせて!!」
「はぁ!? ダメに決まってるでしょ!!」
「だ、大丈夫っ!! 舌は入れないから、不純異性交遊にならないよ!!」
「何がどう大丈夫なんですか!?」
「うぅ~~~!! あぁもう好きっ!! こんなに好きにさせた佐伯のせいだぞー!! 責任取れーっ!!」
「うわっ!? ちょ、抱き着かないで!! み、みんな見てますからぁ!!」
気弱だけど、自信もないけど、他人のいいところを汲み取ることに躊躇がない。
佐伯は、そういうひと。
きっとあたしは、これ以上ないってくらい素敵なひとを好きになった。
「あ、有咲ちゃん……恥ずかしくて見てられないから、どっか別のところでやってくれない……?」
「ん、わかった! じゃあ佐伯、二人で静かなところ行こっか?」
「行くわけないでしょ!? いいから離れてくださいよー!!」