第25話 一月一日
一月一日。
天城さんと新年を空中で迎えたのち、うちに泊まると喚く彼女をどうにか自分の部屋へ押し込めて、僕は気絶するように眠りについた。
気づくと、時刻は午前七時過ぎ。
僕にしては遅めの起床だが、今日はバイトも学校もない日。
実家に帰るくらいしか予定がないため、もう少し寝ようと意識を手放しかけた――次の瞬間。
「佐伯っ!!」
玄関の扉が開く音。聞き知った声。
冬の室温は僕を永久保存したいのかってくらい低いが、バタバタと鳴り響く彼女の足音と共に、心なしか少し暖かくなる。
「すっきぃ~~~~~~~♡♡♡」
「うぐぇっ!!」
突如登場した天城さんが、僕の布団の上にダイブした。
身体の奥から、踏み潰されたカエルみたいな声が漏れる。
「ど、どうしたんですか……こんな朝早くから……!」
眠たい目で、僕を敷布団にする天城さんを見た。
バッチリメイクに、いつでもお出かけできますよという服装。な、何でこのひと、こんな時間から完全武装してるんだ……。
「だって今日、佐伯の実家行くんでしょ!? つまりそれって、結婚の挨拶じゃん!」
「違いますね」
「そう思ったら、ちょー早起きしちゃってさ! ねねっ、いつ出発するの!? 今っ!?」
「違いますよ」
「あたし、佐伯のご両親に好かれるかなぁ!? 嫌われたらどうしよぉー! ねえ、あたしどうしたらいいと思う!?」
「まず僕の上からどいて、もうちょっと寝かせてくれます……?」
「添い寝してもいい?」
「ダメです」
断ったのに無理やり身体を捻じ込んできて、「あったかーい♡」と楽しそうに笑う。
彼女の匂いが、感触が、体温が心地よくて、すぐに睡魔が襲って来て、まぶたを落とす。
騒がしい一年が、幕を開けた。
二人で昼食をとってから出発。
仕事へ行くひと、帰省するひと、初売りへいくひと。普段よりも彩り豊かな電車に乗って、実家の最寄り駅で下車。改札を抜け、足先は実家とは逆方向へと向く。
「うちの両親、初詣に行くらしくて。僕たちもそこで合流しましょう」
「ってことは、も、もう会っちゃうんだ! 緊張するーっ!」
「いつも通りでいいですよ。……でも、変なことは言わないでくださいね?」
「はーい!」
信用できない返事だなぁ、と思いつつ。
手を繋いで、神社へと向かう。緩やかな坂を、歩幅を合わせて進む。
生まれてから中学を卒業するまで、幾度となく歩いた道。初めて当たりが出た自販機。昴が泣いていた公園。
見慣れた風景を天城さんと共有するのは、僕の子どもの頃を覗き見されているみたいで少し恥ずかしく、それでいて少し誇らしい。
「……あっ」
初詣帰りか、向こうから中学時代の同級生三人が歩いて来た。
あっちも僕に気づいたようで、一瞬目が合う。途端に彼らの目は奇異なものを見る色に変わって、ヒソヒソと何やら内緒話を始める。
あぁ……まあ、こういうこともあるよなぁ。
文化祭の一件でバズった、あの動画。
僕の実家周辺がそうだったように、かつての同級生たちの間で話題になっていても何らおかしくはない。
褒められているのか、貶されているのか、何を話しているのか。天城さんを見て、可愛いとか言ってくれてるなら別にいいけど……。
「陰キャのクセに調子乗ってね?」
「ハハッ、やめとけよお前。聞こえるって」
「聖の金魚のフンだったのに偉くなったよなー」
すれ違いざまに、僕をせせら笑う声が聞こえた。
ホッと、心底安堵する。
よかった。天城さんが悪く言われていなくて。
彼女が中傷されていないなら、何だっていい。
当然だよな。今でこそ天城さんのおかげでクラスのひとたちから慕われているけど、小中時代は言い訳のしようがないくらい日陰者だったし。居場所がないから、ずっと昴と一緒にいたのも事実だし。
そんなやつが高校に入った途端にネットで威勢のいいことを言っていて、天城さんみたいな綺麗なひとと歩いていたら、そりゃあバカにもしたくもなる。
「……あれ、天城さん?」
気がつくと、繋いでいた手が解けていた。
まさかと、勢いよく振り返る。
案の定そこには、力強い足音を鳴らしながら三人に迫る彼女の姿があった。
「あのさぁ――ッ!!」
振り向いた三人は、一様にギョッと目を見張り固まった。
天城さんがどういう顔をしているのか、僕にはわからない。
だけどその声から、ものすごく怒っていることだけは汲み取れる。
「今の、佐伯のこと言ってたでしょ」
「えっ? ……ま、まあ」
「やめて」
「……あ、いや……っ」
「あたしの好きなひとの悪口、言わないで」
「悪口、とかじゃ……」
「せめて、あたしと佐伯に聞こえないとこで言って」
声量自体は穏やかだが、背中から漂う気迫は刃のように鋭く冷たい。
彼女を正面から見ている三人は、明らかに気圧されて黙りこくり後退ることもできない。
……今、思い出した。
天城さん、昴が同じ事務所のひとに悪口言われてた時も、相手が先輩だったのに構わず突っ込んでいったんだ。
だったら、僕の悪口を見過ごすわけがない。
無視など、そもそも選択肢にない。
「わかった?」
「「「…………」」」
「わかったかって聞いてんの!!」
「「「わ、わかりました!」」」
迫力満点の怒声。
三人は同時に背筋を伸ばし、声を揃えた。
「んっ! じゃ、またね!」
天城さんの明るい声に、途端に空気から緊張感が失せた。
「ばいばーい!」と、怒っていたのが嘘のように手を振る。三人も満更ではなさそうで、デヘデヘと照れながら手を振り返し去ってゆく。
……すげえ、何か最終的にいい感じにまとめたぞ。
最強だな、このひと……。
「あの、天城さん」
「ん?」
「あ、ありがとうございます。僕のために、怒ってくれて……」
天城さんが悪く言われなくてよかった、という気持ちに嘘偽りはない。標的が僕で安心したことに間違いはない。
でも。
僕だって人間だ。悪口を言われたら傷つく。嫌だな、と思う。
社会的な立場のある彼女に余計なリスクを負わせてしまった、という罪悪感はある。しかしそれでも、スカッとしたこの気持ちは本物で、誤魔化しようがない。
「佐伯のためじゃないよ。さっきも言ったけど、あたしはただ、好きなひとの悪口言われてムカついただけだし!」
何でもないように言い放って、笑った。
爽やかに、朗らかに、白い歯を輝かせた。
堪らなくカッコよくて、眩しくて、僕もこう在りたいと……そう、強く思った。