第18話 ドキドキしよ?
「あのー……」
「…………」
「あ、天城さん……?」
「…………ひゃい……」
声、ちっさ。
「大丈夫ですか? 入って来てから、ずっと様子が変ですけど……」
詰めれば大人が三人は入れるくらいの、木の温かみがあるサウナ。
腰にタオルを巻いて先に入っていると、程なくして身体をバスタオルで隠した天城さんがやって来た。
扉を開けた時はニコニコだったのに、すぐに視線を伏せて無言で座り、壁に身を寄せて縮こまり目も合わせてくれない。
「も、もしかして、体調が悪いとか……?」
外は寒いのに、サウナの中はとても暑い。
この温度差で気分が悪くなったのではと思ったが、彼女は弱々しく首を横に振った。
「…………やばい」
「や、やばい?」
「やばいよぉー……! 好きなひとの裸、恥ずかし過ぎて見てらんないよぉー……!」
「……はい?」
両手で顔を覆い、プルプルと震える天城さん。
それを見て、僕はため息をこぼす。
「今まで散々やっといて、僕の半裸程度でそれは嘘でしょ……」
言いながら、少しだけ彼女との距離を詰めた。
面と向かって好きと叫んだり、大衆の面前で抱き着いたり、下着を見せつけたり。これまでのことを考えると、今の彼女の様子はどうしたって不自然だ。
「また何かの作戦ですか? 変な芝居はいいので、ちゃんと喋ってください」
と、腕を軽く掴んで引っ張った。
僕を映す、彼女の赤い瞳。
薄い涙の膜は小刻みに揺れ、それと同時に顔がリンゴみたいに赤くなってゆく。嘘でも演技でも冗談でもないと、濡れた表情が語る。
「ご、ごめんなさい! あのっ、本気で恥ずかしがってると思わなくて……!」
腕を離し、距離を取り、勢いよく頭を下げた。
……今思い出したけど、おでこにキスした時もメチャクチャ恥ずかしがってたっけ。
褒めただけでも慌てて照れまくるし、天城さんって、自分がするのは平気だけどされるのは弱いんだろうな。
「うぅー……! こんなはずじゃなかったのにぃー……!」
「な、何がですか?」
「サウナの中で軽くスキンシップして、あわよくばえっちな展開に持っていくつもりだったのにー! 佐伯の裸がえっち過ぎるのが悪いんだよ! 責任取って!!」
「そんなムチャクチャあります!?」
っていうか、ただサウナに入るだけとか言っといて、やっぱり邪なこと考えてたのか。
……まあ、正直予想できてたけど。
「ってかあたし、こんな調子じゃ佐伯とえっちなこととか一生無理じゃん!? 半裸でこれだよ!? 全裸見たら死んじゃうよ!!」
「流石に死にはしないと思いますけど……」
「いや死ぬね! 自信ある! もう既に心臓バクバクで爆発しそうだし!」
息を切らしながらこちらを見て、小さな悲鳴をあげながら壁へ視線を戻す。
更に顔が赤くなった。
大丈夫かな、このひと……。
「……ちょっとだけ、触ってもいい?」
「変なことしたら帰るって最初に言ったの、もう忘れたんですか?」
「ち、違うよ! あたしってば、佐伯のこと大好きなんだよ!? だから、ちょっとでもいいから耐性つけて、普通に話せるようになりたいの!! 初デートのラストが恥ずかしいまま終わっちゃうとか、そんなの嫌だもん!!」
今にも泣き出しそうな声。
必死だというのは、顔が見えなくたってわかる。
今回のクリスマスデート、天城さんは心底楽しみにしていた。実際、丹念にプランを練って、目一杯オシャレして、僕を惚れさせようと全力で臨んでいる。
それなのに、レストランの予約が受理されていなかったという、彼女にとっては最悪の滑り出し。更に終わり方までこれというのは、ちょっと可哀想な気がする。
ここで僕が突っぱねたら……天城さん、しばらく引きずりそうだな。
このひとの暗い顔とか見たくないし、ちょっと触るくらいは別にいいか……。
「……わかりました。でも、不純異性交遊にならないよう、変なところを触るのはやめてくださいね」
「う、うん……!」
こちらを見ずに、手だけを少しずつ僕に近づけた。
ちょんと、指先同士が触れる。汗で濡れた指を絡ませて、繋いで、そこにいることを確認し合う。
手を繋ぐくらい、今となってはほとんど当たり前の行為。
なのに僕の心臓は、初めての時くらい激しく脈打つ。
ここがラブホテルの一室で、他に誰もいない静かなサウナの中で、お互いにタオルの下は裸という非日常が、鼓動の背中を押す。
「……手、熱いね……」
「そりゃあ、サウナの中、ですから……」
「…………」
「…………」
「佐伯……汗、すごい……」
「……天城さんも、ですよ……?」
「…………」
「…………」
会話が続かない。
熱さと緊張が、思考の速度の足を引っ張る。
「佐伯……って、さ……」
「はい?」
「意外と筋肉あって……そーゆーとこ、好き……」
僕の手のひらを解放して、おずおずと前腕へ。
次いで上腕に触れて、軽く揉んで、ずっと壁に張り付かせて視線をこちらに向けた。
先ほどよりかは、いくらか余裕を取り戻した瞳。
少しだけ僕との距離を詰めて、肩と肩が触れた。何の障壁もない汗ばんだ肌同士が擦れ合い、どうしようもなく心臓が高鳴る。
「……ちょっとだけ落ち着いて、きた……かも……」
「そ、それはよかったですが……僕の汗、気持ち悪くないですか……?」
「……だいじょぶ……」
「そう、ですか……」
「佐伯は……あたしの汗、平気……?」
「えっ? あ、あぁ……はい、大丈夫です……」
「……そっか……」
呟いて、頷いて、唾を飲んで。
すっと、もう指二本分だけ距離を詰めた。
腰と腰が、膝と膝が触れ合う。
汗が、体温が混ざって、どちらのものでもない熱を生む。滴り落ちて、臀部を置いているタオルにシミを作る。
ふと、彼女はこちらを見上げた。その瞳はまだ躊躇いを帯びているが、しばらく見つめ合って、ようやく少しだけ笑ってくれた。
可愛い。
すごくすごく、可愛い。
今度は僕が見ていられなくて、照れ臭くて、つい視線を伏せてしまう。
バスタオルで隠された、彼女の肌。
窮屈そうな胸。
僅かにはみ出たそれに視線を攫われ、見ちゃいけないとわかっているのに、僕の脳みそは言うことを聞かない。
彼女の首筋からにじんだ汗が、たらりと垂れて胸元へと落ちていった。
その行く末を見送ったところで、いやいやまずいだろと理性という名の鞭を振るい、顔を彼女の方へと引き戻す。
「……ひひっ……♡」
「な、何ですか……?」
「とぼけるなよー……♡ やらしぃ……♡」
白い歯を覗かせ、むわっと熱気を纏った笑みを浮かべた。
僕の何もかもを溶かしてぐちゃぐちゃにするような、甘くて可愛くて危険な笑みだ。
「……佐伯もあたしのこと、触っていいよ……?」
「は?」
「っていうか……触って?」
「い、いやいや! それは不純異性交遊に――」
「ならないよ。変なところ触らなかったら大丈夫って言ったの、佐伯だし」
「……そ、それは、まあ……」
「腕とか、足とか……ねえ、いいでしょ?」
媚びるように、眉が八の字を書いた。
同時に、僕の手の甲の上に彼女の手が重なった。
緩く握って持ち上げて、自身の太ももの上に置く。バスタオル越しでもわかる肉感に、ゴクリと唾を飲む。
汗で張り付いていて、少しだけで透けていて、熱い。
きっと彼女は、仮に僕がこれを捲ったところで怒りはしないだろう。むしろ喜び、僕の何かもを受け入れてくれるに違いない。
そう思うと、自然と指に力がこもる。ダメだと理性で振り払うが、欲求はどれだけ倒しても襲って来て、僕の自制心の首を狙う。
「これだと……触りにくい、よね?」
「っ!? ちょ、ちょっと、天城さん……!?」
腰を上げ、座り直した。
僕の膝の上に、ペタンと。
この体勢は今まで何度もやったが、当然、ちゃんと服を着た状態でのこと。今、僕と天城さんを隔てる壁はあまりに弱々しい。
これはダメだ、流石にアウトだ――と、声を張り上げかけて。
想定していたよりも、ずっと恥ずかしかったのだろう。
天城さんはいまだかつて見たことがないほど赤面していて、甘ったるく息を切らしていて、それがあまりにも可憐で……僕は、口を噤む。
見惚れてしまう。
どうしようもないほどに。
「ほら……触って?」
僕の右手を、次いで左手をとって、腰のあたりに触れさせた。
薬指と中指は骨に当たり、人差し指は柔肌に沈む。
彼女は両手で僕の頬を包み、愛おしそうに目を細める。僕の何もかもを求めて、その双眸は蠱惑的な光を放つ。
「……もっといっぱい、ドキドキしよ?」