第14話 モヤモヤ
十二月二十四日。
待ちに待った日が来たが、学校は普通にある。
ということでいつも通り授業をこなし、僕は一度家に帰った。
天城さんとは、午後六時に駅前で待ち合わせ。「最強に可愛くしてくるから!」と、美容室へすっ飛んで行った。気合十分です、という顔をして。
こちらも普段より念入りに準備をして、少し早めに家を出た。
正直、天城さんほどではないと思うが、僕も今日というがとても楽しみだった。
うちの実家には、クリスマスに特別なことをするという習慣がない。思想上とか宗教上とかの理由ではなく、単純にお金がかかってしまうから。
テレビでクリスマス特番がやっているだけの、何でもない一日。
ただの平日。
だからこそ、どことなく浮ついた空気の外を歩き駅を目指すだけのこの時間さえ、僕には何だか特別なものに思えた。
「流石にひとが多いな……」
午後五時半。
駅前には帰宅するひと、これから出かけるひと、ケーキを家へ持って帰るお母さんやソワソワと誰かを待つ男性など、多種多様のクリスマスの過ごし方があった。
これ、下手すると合流するだけで時間かかっちゃうな。
どっかわかりやすい場所を探そう。
――と。
思っていた、その矢先。
「…………ん?」
いた。
人ごみの中でも圧倒的な存在感を放つ、長い金の髪。
華やかなメイクに夏色の雰囲気。
誰がどう見たって天城さん。
だけど――。
「誰だろ……ナンパ? いや、でも……」
後ろ姿で顔はわからないが、背格好からして男性と思しき二人に話し掛けられていた。
一瞬ナンパかと思ったが、他でもないこんな日に、明らかに誰かを待っているであろう女性に、勝ち目ゼロのナンパをする男などいないだろう。
「ファン、かな……天城さんの……」
昴には及ばないにしても、天城さんも一般社会でそれなりに知名度がある。
一度一緒にコンビニへ行った時、中学生女子に囲まれていたし、ああいう男のファンがいたって不思議ではない。
嫌がってる感じは……うん、しない。
じゃあやっぱり、ファン対応中か。これは邪魔したら悪いな。今話しかけに行くのはやめておこう。
「…………」
会話の内容はわからない。
でも明らかに、天城さんが楽しそうだ。
「…………」
笑っている。コロコロと、いつもみたいに。
僕の知らない、どこの誰かもわからないひとの前で。
「…………」
トン、と。
気づくと僕は、一歩大きく踏み出していた。
◆
予定よりも早く待ち合わせ場所に着いたあたしは、近くの喫茶店のガラスを鏡代わりに、今一度自分の姿を確認した。
ワインレッドのニット、下はスリットの入った黒のロングスカートにブーツと、昴ちゃんチョイスの大人でセクシーな装い。
髪型は、これまた大人っぽさ意識のセンターパート。前髪とサイドのふわっと巻かれたところがお気に入り。
うん、可愛い!! 今日のあたし、ちょー可愛い!!
いやいや待ってよ。待って待って、見れば見るほど可愛いんだけど。あたしってば、やばくない? 今日のあたし、最強過ぎない!?
ほんと、昴ちゃんを頼ってよかったー! これは今度、何かお礼しなきゃね! しなきゃバチが当たるってもんだよ!
「佐伯まだかなぁー♡ あたしのこと、見つけられるかなー♡」
落ち着かなくて、居ても立ってもいられなくて、特に意味もなく右へ左へゆらゆら。
駅前は、いつもよりひとが多い。あたしが見つからなくて、でも会いたくて、焦って探し歩く佐伯を遠くから見てみたい。
ってか佐伯と待ち合わせするの、これが初めてじゃない!?
うわ、気づかなかった! そうだよ、そう! お隣さんだし、どっか行くのに待ち合わせとかしたことないもん!
そう考えたら、こうして待つ時間が堪らなく楽しくなってきた。
左手首の腕時計に視線を落とす。秒針が時を刻む。佐伯がこの手を握って歩くまでのカウントダウンをする。
ついニヤケてしまい、モダモダと足踏み。
あぁー、早く会いたい。今のあたしをお披露目したい。可愛いって言われたい。
「ん? あれ、天城じゃね?」
「おぉー、本当だ」
視界の外から男の声。
もしかして、ナンパ? よりにもよってこんな日に、男待ちの女に声掛けるとかナンセンス過ぎない? あぁもう、勘弁してよ……。
小さく舌打ちをして、男たちを睨みつけた。
だが、すぐにその正体に気づき「あっ」と声を漏らす。
「二人とも、どうしたの? デート?」
「んなわけねえだろ!?」
「これからサッカー部の彼女いない組で焼肉行くんだ」
何てことはない。うちのクラスの男子だった。
あたしの冗談に二人は笑い、すぐに怪訝そうな顔をする。
「お前こそ、こんなとこに一人でどうしたんだ?」
「そうそう。佐伯……だっけ? 二組のあいつとデートとか言ってなかったか?」
「うん! 今、待ち合わせ中なの! うちの佐伯、欲しくてもあげないからね?」
「「いらねえよ!」」
などと言って笑い合い、ふと、ひとの気配がして顔をあげた。
男子と男子の間に、ぬぼーっと立つ黒い影。
一瞬悲鳴が出かけるが……ん? あれ、佐伯じゃない?
「ひぃ!?」
「うわぁ!!」
間抜けな声をあげながら左右へ散った二人。
佐伯は二人を交互に見る。その眉間には、難しそうなシワが刻まれている。
「ち、違うって! 俺たち、天城とは同じクラスで、ナンパとかじゃなくて……なっ、そうだよな!?」
「えっ? あ、あぁ! そういうのじゃないから! わ、悪かったよ!」
何も言われていないのに弁明を始め、あたしに会釈して去って行った。
「……佐伯って、あんな感じだっけ……?」
「よく知らないけど……天城の彼氏、ってのは納得だな……」
二人の背中に軽く手を振って、改めて佐伯を見た。
……やっば。
白のワイシャツの上に藍色のカーディガン、ブラウンチェックのロングコート。下は黒のワイドパンツ。
シンプルな装いだが、ヴィンテージ品なのか生地に味がある。その落ち着きつつどっしりとした雰囲気が、それはもう佐伯にドチャクソに似合い散らかしていた。
えっ……ちょ、ちょっと待って。
待って! お願いだから待って!
前に見たオシャレ佐伯も凄まじかったけど……何かこの、小慣れた感じのオシャレ佐伯もやばくない? ってか、こっちの方があたしの好み過ぎてやばいんですけど!!
な、何これ!? はぁあああ!?
いいの!? こんなイケメン生物兵器、外に出しといちゃっていいの!?
えぇ~~~~~♡♡♡ すきぃ~~~~~♡♡♡
佐伯、かっちょ良すぎりゅぅ~~~~~♡♡♡
「…………」
ふと冷静になり、佐伯がいまだ難しい顔のまま固まっていることに気づいた。
一瞬目が合うも、すぐに横へ逸れて。すぐにまた目が合うが、中々どうして持続しない。
「ど、どうしたの? さっきの二人、本当にナンパじゃないよ? あたし、酷い目に遭ったりしてないからね?」
佐伯は優しい。度し難いほどに、優しい。
だからきっと、あたしの身を案じ、助けに入るのが遅かった自分を恥じているのだろう。
そう思っていたのだが、彼は無言で首を横に振る。
「ナンパじゃない、ってことには気づいていました。そう、なんですけど……」
「じゃあなに?」
「…………」
「もしかして、今日のあたし、変だったりする? 可愛くない?」
「っ!? い、いえ、全然そんな! 可愛いですっ、すっごく可愛いですっ! ものすごく、誰よりもっ! 可愛いっ、ですっ!!」
焦ったせいか、思ったよりも大きな声を出してしまったらしい。佐伯は頬を真っ赤にして、片手で顔を覆いながら悶絶する。
「じゃあ、どうしたの?」
あたしの問いに、彼はいっそう難しい顔をして。
しかし逃げられないと悟ったのか、大きく息をついてこちらを見た。
「……あの……」
「ん?」
「い、今から、ものすごく気持ち悪いことを言いますけど……どうか、その、引かないでください。お願いします……」
「佐伯に何言われたって引かないよ。んで、なに?」
「えっと……」
「うん」
「…………」
「佐伯?」
「……モヤモヤしました」
「へっ?」
「いつもより可愛い天城さんが……僕以外と楽しく喋ってて、モヤモヤして、気づいたら邪魔していました。あの、ほ、本当に申し訳な――」
身体が動く。
思考するよりも、ずっと早く。
一歩二歩と踏み出して、腕を広げて、彼の胸に飛び込む。
◆
昴がいつもやっているように、天城さんが外で誰かと話すのだって仕事の一部のはず。
そうとわかっていて、十二分に理解していて、強い衝動に負け動いてしまった。
これは怒られて当然だ――と、思っていたのだが。
「すっっっっっきぃ~~~~~~~~~~~♡♡♡♡♡」
駅前の喧騒の一切合切を蹴散らしてしまいそうな過去一の絶叫と共に、天城さんは僕の胸に飛び込んできた。
甘い香りが舞う。温もりが身体を襲う。暴力的なやわらかさに声が出かける。
バッと、僕を見上げた。夏の太陽みたいに焼ける双眸は、爛々と輝いて僕を映す。
「何それ何それ何それぇ~~~~~♡♡♡ 嫉妬!? 嫉妬しちゃったのぉ!? 佐伯ってば、ジェラシーしちゃったのぉ!?」
「し、嫉妬、というか……」
「嫉妬じゃなかったら何さー♡ そのモヤモヤ、他の何か言ってみなよー♡」
「え、えっと……」
「へへっ♡ へへへっ♡ いひひひっ♡♡♡ 佐伯ってば可愛い過ぎぃ~~~~~♡♡♡ 大好きぃ~~~~~♡♡♡」
「み、みんなから、ものすごく見られているので、離れて……!」
言うまでもないが、ここは駅前。
そんな場所でひとに抱き着いて、好き好きと大絶叫すれば、当然視線を集めるわけで。
クスクス、ヒソヒソ。
横を通り過ぎてゆく誰も彼もが僕たちを見て笑い、聞き取れない声で何かを呟きながら去ってゆく。
「やぁーだっ♡ こうやっておかないと、佐伯ってば、嫉妬しちゃうもんねぇ♡」
「……っ」
否定の言葉が見当たらず、グッと奥歯を噛む。
それが嬉しかったのか、天城さんはニマァと練乳のような甘ったるい笑みを浮かべる。
「すきすきすきすきだいしゅきぃ~~~~~♡♡♡ 佐伯はあたしのだし、あたしは佐伯のだからね♡♡♡ ぜーったい、離してあげないもんねぇ~~~~~♡♡♡」
合流してまだ数分。
しかし既に彼女はエンジン全開で、いつも以上にアクセルベタ踏みで、僕はついて行けるのかどうか果てしなく不安になった。