第10話 ん゛お゛っ♡♡♡
「あの……あ、天城さん?」
「んー?」
「ちょっと仰向けは、恥ずかしいというか……」
「何で? さっきと何が違うの?」
「いや……そ、その……」
跨って座っている。
天城さんが、僕の左足の上に。
重みと温もり。
薄闇の中で白い肌は妖しく輝き、小悪魔じみた笑みは普段よりも色っぽさを増す。この体勢では、そういう視覚的な情報をどうしたって受け取ってしまう。
「もしかして、変な気分になってるぅー? あれあれぇ? お客さん、ここ普通のマッサージ屋さんですよー?」
「べ、別になってませんよ! 変な気分、とか……!」
「……お客さんになら、特別サービスしてあげてもいいですけど?」
「結構ですっ!」
キッパリと断って、大きく深呼吸した。
そうだ。そうそう、これは普通のマッサージ。
天城さんは、ただ僕を労おうとしてくれているだけ。
なのに、当の僕が勝手に下心を出すのは失礼だろう。
……静かにしてろよ、思春期。妙な気を起こしたら許さないからな。
「んじゃ、やってくよー!」
と言って、僕の空いた右足のマッサージを始めた。
「ぅあ……! ほ、ほんと、上手ですよね……!」
「でしょ? でも、痛かったりしたらちゃんと言ってね?」
「は、はぃ……ぁ、っ……!」
うつ伏せの時と同様、思わず声が漏れてしまうマッサージ。
天城さんの手は的確に効く部分を捉え、完璧な力加減で気持ちよさだけを生み出す。
本当にすごい、素晴らしい……の、だが。
「……あ、あの……」
「ん? どっか痛い?」
「いえ、その……何でも……」
時たま、彼女の指が僕の鼠径部に触れる。
マッサージ的な快感とは別のものを極僅かに生産し、すぐに去ってゆく。
……き、気のせいだろう。ていうか、気にしちゃダメだ。
いくら天城さんが上手いといっても素人、余計なところを不本意に触ってしまっても仕方がない。
「じゃ、次は左足ね!」
マッサージが終わった右足の上に跨って、左足の施術が始まった。
気持ちいい。気持ちいいけど……さっきよりも高頻度で、指が鼠径部に触れる。
「気持ちいい?」
「……は、はいっ」
「どのへんが?」
「どの……って……あ、足、が……っ」
「他には?」
「……他?」
「もっとあたしに触って欲しいところ……ある?」
スーッと、僕の下腹部を爪先で優しくなぞった。
艶やかな光を放つ赤い瞳が、綺麗ではない感情を宿して僕を見る。獲物を見つけた腹ペコの虎のように、力強くも静かな息を漏らす。
「……ふふっ。じゃあ次の箇所、マッサージしていこっか」
ゾワゾワとした感覚だけを残して、一旦ベッドの外へ。
そして、
「佐伯、もうちょっと下に行って」
「あ、はいっ」
「んじゃ、頭上げてもらっていい?」
「……えっ?」
「早くしてくれなきゃマッサージできないよ」
言われるがまま頭を上げると、彼女はそこへ自身の膝を差し込んだ。
いわゆる膝枕の完成である。
「ちょ! これはダメでしょ!?」
「何で?」
「何でって……それは……!」
「おっぱいしか見えないから? おっぱいがあったら、マッサージしちゃいけないの? 不純異性交遊になっちゃうの?」
「そ、そんな話はしてなくないですか!?」
「あたしはただ、愛しの旦那様に健全なご奉仕をしたいだけだよ? いいから黙って気持ちよくなってて?」
と言って、僕のデコルテをほぐし始めた。
確かに気持ちいいが、まるで集中できない。視界の半分以上を天城さんの胸が占め、彼女の顔がまったく見えない状態だから。
彼女が屈むたび、圧倒的な質量を持つそれが顔に当たる。
タンクトップ越しなのにやわらかくて、温かくて、いい匂いで……本能的にそれを、嬉しいと思ってしまう。
視界を完全に塞がれて、息苦しくされて、それなのに身体が勝手に喜ぶ。
僕の中の血が、欲望が、思春期が。
あらゆる制止を振り切り、ある地点を目掛けて走っていくのがわかる。
「佐伯、息荒くない? だいじょーぶ?」
まずい。
「身体もすっごく力入ってるし……ちょっと深呼吸して、落ち着こ?」
まずい。
「安心できるように、ぎゅってしてあげる。ほら、ぎゅーって……あっ、これだとおっぱいで息できないかな?」
非常に、まずい。
「あれ……? 佐伯……?」
困惑色の声。
なぜそんな声を出すのか、その理由は僕が一番よくわかっている。
「もぅ……♡ ただのマッサージでナニ考えてるのさー♡」
◆
このマッサージの目的は佐伯の疲れをとって癒すことだが、実はもう一つ隠された目的がある。
それは、彼の情欲を煽って煽って煽りまくり、爆発するように仕向けること。
あわよくば、えっちな展開に持って行くこと。
本物の夫婦の営みをすること。
そのためにまず、照明と香りでエロい空間作り。
うつ伏せでしっかりと真面目にマッサージして警戒心を解き、仰向けからは少しずつ、しかし確実に、彼の野性の部分を刺激していった。鼠径部を攻めまくって期待させ、仕上げのおっぱいアイマスクで覚醒……っと、そういう筋書き。
「佐伯、息荒くない? だいじょーぶ?」
これはきたぞ、と思った。
「身体もすっごく力入ってるし……ちょっと深呼吸して、落ち着こ?」
勝利の匂いがし始めた。
「安心できるように、ぎゅってしてあげる。ほら、ぎゅーって……あっ、これだとおっぱいで息できないかな?」
ニヤニヤが止まらなかった。
「あれ……? 佐伯……?」
優しくて思いやりのある佐伯の、乱暴で自分勝手な側面。
……やっぱり、怖い。
すごく、すごく、怖い。
でも不思議と、それと同じくらい嬉しい。
可愛くて、愛おしくて、欲しくて、目が離せない。
「もぅ……♡ ただのマッサージでナニ考えてるのさー♡」
と口にした、その瞬間――。
ガバッと、佐伯はあたしを振り払い身体を起こした。
えっ……ほ、本当に、我慢できなくなっちゃったの?
堪らなくなっちゃったの……!?
「……あ、天城、さんっ、ちょっとすみません……っ」
「え? ――わぁっ!」
突然肩を痛いくらいに捕まれ、ベッドへうつ伏せに叩きつけられた。
や、やっば……! これ、本当にスイッチ入っちゃったやつだ!
どうしよどうしよどうしよっ! えっと、こういう時、どうすれば……!? あたしがリード……って、でも経験ないしっ!
……まあでも、なるようになるよね。
大丈夫だよ、佐伯。あたしが全部、受け止めてあげるからね♡
「ん゛お゛っ♡♡♡」
不意に身体に未知の快感が走り、喉の奥から野太い声が漏れた。
何これ、知らない! こんなの知らない、怖い……!
「ちょっと……さ、佐伯っ!」
「本当にごめんなさい、天城さんっ」
「謝るのはいいから……や、やめっ、ん゛う゛っ♡ へ、変な声っ、でりゅぅ……♡」
「これ以上マッサージを受けていると、僕、おかしくなりそうなので……!」
「ぎ゛もぢい゛ぃ♡♡♡ 声っ、ブサくなるからっ、やめ――お゛っほぉお♡♡♡」
「なので、交代してもらいます。……夫婦だって言うなら、奥さんのことも労わないと」
うつ伏せのあたしの背中に、佐伯による情け容赦のない的確過ぎる指圧。
いまだかつて経験したことのない気持ちのよさに、頭の中で火花が散る。汚い声なんか出したくないのに、どうしたって出てしまう。
「佐゛伯゛ぃ……♡ う、上手過ぎぃ……♡ あ゛ぅう♡♡♡」
「姉に散々仕込まれたので……いやぁ、気に入っていただけたなら何よりです……!」
「あ゛、頭゛っ、お゛がじぐな゛る゛う゛ぅ~~~~~~~♡♡♡♡♡」
かくしてあたしの目論見は失敗に終わり、この手の家庭的なスキルでは佐伯に絶対勝てないと身をもって思い知らされた。