第4話 いっちゃった
『何ですか、今の声は!? 天城先輩!! 大丈夫ですか、天城先輩!!』
右耳に着けたイヤホンから、桜蘭ちゃんの声が響く。
あたしは扉に手を着いて呼吸を整え、「だ、大丈夫……っ」と小声で返す。
……えっ?
ちょ、あの……え? はぇ……?
今の、な、なに? あたし今……何を見たの?
「天城さん? どうしました?」
「~~~~~~~~~~~~~っ!!」
ガチャリと、扉が開いた。
家であたしと一緒の時、佐伯の服装は制服かシンプルな部屋着の大体二択。
なのに、今日は違った。
前に昴ちゃんが買ってくれた、高級感漂う白Tシャツにグレーのセットアップ。髪も自分でセットしたようで、控え目に言って宇宙一カッコいい。
あ、あひょ……ひょぇえ……?
なにっ、な、なになに!? 何でぇ!?
何でオシャレ佐伯が降臨なさってるの!? あたしのサプライズプレゼント、ちょっと前にくれたばっかだよね!? 今日って何でもない普通の日だよねぇ!?
「さ……えき、さん? そ、その格好は……」
我慢だ……我慢、我慢、我慢っ!
彼に見えないよう、手の甲を思い切りつねって役に徹する。今すぐ抱き着きたい欲求をどうにか噛み殺す。
「え? あ、あぁ、これですか。昴にもらって一度着てからずっとしまっていたので、久しぶりに引っ張り出してみました。髪も……ど、どうです? 動画とか参考にしながら自分でやってみまして……」
「上手……だ、だと、思いますよ。すごく似合っています」
似合ってるどころじゃないよ!!
やばいやばいやばい!! す、好きがっ、好きが出ちゃう!!
全部出ちゃうぅ~~~~~~♡♡♡
「そうですか! よかったぁー……!」
よくない!! 全然よくない!!
安直に世界遺産級にカッコよくなっちゃうのやめて!!
犯罪だよ!? イケメン有罪死刑だよ!!
「……あの、い、いきなりどうして? 普段通りでいいのに……」
「あぁ、ははっ……じ、実は……」
と、恥ずかしそうに笑った。
「僕……天城さんが役作りを始めてから、ちょっと不貞腐れてたんです」
指先で頬を掻いて、視線を泳がせた。
その仕草すら、即死級の破壊力があった。
「いきなり笑ってくれなくなって、好きとかそういうのもなくなって、寂しいなって思っちゃって……いや本当、ガキですよね! 申し訳ないです……!」
『わたしたちの作戦、完全に成功してるじゃないですか! よかったですね、天城先輩!』
パチパチと、耳元で桜蘭ちゃんの拍手が響く。
「でも、今日昴のおかげで、天城さんが俳優業も本気でやってるって気づけたんです」
『……ん?』
「もうくだらないことで、不貞腐れたりしません! 僕なりの方法で、頑張ってる天城さんを応援させてください……!」
『は、はぁ!? ちょっとこのバカ兄、何言ってるんですか!?』
「ということで……え、えっと、オシャレをしてみました。前にやった時、天城さん、すっごく喜んでくれたので。学校にこういう感じで行くのは恥ずかしいですが、家の中なら頑張れるかなって……!」
『天城先輩、正気をたもってください!! 爆発しちゃダメですよ、絶対に!!』
「夕飯も期待していてください。デザートには、前に食べたいって言ってたパフェも用意してますよ。ヨーグルトを使ったヘルシーなやつを」
『我慢っ、我慢ですよっ!! 果てしなくいい男ですが、だからこそ、射止めるために頑張ってきたんですよね!? ここで素を出したら全部ご破算ですよ!!』
「どうぞ、入ってください。勉強の指導、今日もよろしくお願いします」
『天城先輩!! 我慢っ!! 大丈夫です、先輩ならやれます!!』
歩いて行った佐伯の背中を見送って、あたしは大きく息をつく。
全身の空気を抜いて、次いで深く吸い込み換気する。
「……うん、心配しないで。あたし、やれるから……!」
顔面の筋肉を引き締めて、声を絞り出した。
何やら吹っ切れてしまった佐伯に対して、現状の作戦がどこまで有効かはわからない。
でも、彼があたしとのスキンシップを恋しく思っていることは確定した。欲求不満だということも、憶測ではなく真実となった。だったら、このキャラを維持する価値はある。
よしっ……うん、落ち着いてきた。
大丈夫、何の問題もない。
佐伯ってば、ビックリさせないでよ。不意打ちイケメンはズルいって。鼻血出して倒れちゃうかと思ったじゃん。
まあでも? そこはほら、有咲ちゃんは優秀ですから?
日々の研鑽で培われたあたしの自制心を舐めてもらっちゃ困る。
ちょっとばかり超絶カッコいいくらいじゃ、あたしの演技を崩すのは無理だよ。へへっ、残念だったね佐伯!
さーてさてさて。はぁー、やれやれ。
今日もこの清楚有咲ちゃんが、あたしに構って欲しくて仕方ない佐伯君を翻弄しちゃおうかな?
もう我慢できないよってなって、自分から手出してきて、あたしのことメチャクチャにしちゃうまで煽っちゃおうかな?
うひ、うひひひっ♡ 覚悟しなよ、佐伯ぃ♡
今日はあたしのこと、全部全部ぜぇーんぶ、欲しくさせちゃうからね♡♡♡
「あ――っ!」
靴を脱ぎ、部屋にあがりかけたところで。
足がもつれて体勢を崩し、声が漏れた。
迫る床。
ゆっくりと流れてゆく景色。
やばい、転んじゃう――と、思った瞬間。
「大丈夫ですか?」
間一髪、佐伯に支えられ事なきを得た。
ゆっくりと、視線を上げた。
彼はあたしを見下ろし、心の底から安心したように、まるで自分が救われたように、何の淀みもない笑顔を浮かべて見せた。
あっ……わ、わわぁ……!
わぁああああ~~~~~~~~~~~♡♡♡
カッコいい!! しゅき!! しゅきしゅぎて死にゅう~~~~~♡♡♡
何でこの男、あたしが危なくなったらいつも助けてくれるわけ!?
生徒指導に難癖つけられた時も、体調崩した時も、ママと喧嘩した時も!!
もぉ~~~!! んもぉお~~~~~~~!!
意味わからん過ぎて頭おかしくなる!! 運命のひと過ぎて脳みそ沸騰する!! 好き過ぎるぅ~~~!!
や、やばい……!
心臓がっ……呼吸が、苦しいっ!
好きって言いたい! 好きって! 今すぐ好きって言ったら楽になれるのにぃ!!
んにゃ~~~~~♡♡♡ もう無理ぃ~~~~~♡♡♡
い、言っちゃう……♡♡♡
らめなのに言っちゃうぅ♡♡♡
いやぁああああ♡♡♡ いっちゃうぅうううううううううううううう♡♡♡
『天城先輩っ!!』
「はっ!?」
桜蘭ちゃんの声に、あたしはギリギリのところで我に返った。
ダメダメダメ!! 絶対にダメ!!
一体何のために、今日まで頑張ってきたのか。それは全て、佐伯との幸せな明日のため。
あたしは負けない……。 負けるわけにはいかない!
ふ、ふんっ、ちょっとイケメンで優しくてあたしの大好きなひとだからって調子に乗らないでよね! そんなカッコよ攻撃……ぜ、全然効かにゃいんだからぁ!
よーし、んじゃ深呼吸っと……うん! これで落ち着いた!
気を取り直して、ここからはあたしのターン。
その涼しい顔、いつまでもつか見ものだぜ!!
「失礼します」
と、言って。
軽々とあたしの足をさらい、何がどういうわけかお姫様抱っこ。
玄関の照明を背景に、佐伯はあたしを見下ろす。ただただ純粋に、他の誰でもなくあたしだけのために笑みを描く。
「前に体調崩した時、これ、して欲しいって言われたこと思い出して……ど、どうですか? 嫌ならおろしますけど……」
自信なさそうに、恥ずかしそうに笑った。
暗闇を進むみたいに、おっかなびっくり。それでいて、確実に一歩前へ行こうという力強さを宿して。――あたしを支えたいという想いだけが、そこにはある。
あぁ。
これ、ダメなやつだ……。
「……天城さん?」
「…………」
「どうかしました?」
「…………」
「天城さ――」
「すきっ」
「…………え?」
あぁ、と内心息をつく。
この一週間の苦労。その全てが今、音を立てて瓦解した。
「……あーあ♡」
全身から力が抜け、自分でもわかるくらいにだらしない笑みが漏れた。
彼に対する気持ちで、何もかもがとけてしまう。
「いっちゃった……っ♡」
好きで好きで好きで。
彼の何もかもが好きで、大好きで。
頭が、バカになる。