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第3話 うびゃあっ!?


『佐伯さん、おはようございます。今日もいい天気ですね』

『今日のお弁当も、とても美味しいです。いつもありがとうございます』

『佐伯さん、一緒に帰りましょう』


 天城さんが役作りを始めてから、早一週間が経過。

 おはようからおやすみまで、彼女は徹底して清楚だった。


 歯を見せて笑わないし、大きな声を出さないし、当然僕に触れない。好き好き言わないし、LINEでのやり取りすら敬語。見た目も言動も全てが大人しい。


 何事にも全力な天城さん。

 ここまで本来の自分を押し殺せて、本当にすごいなと思う。

 心から尊敬する。


 尊敬する……けど。


「では佐伯さん、またお昼休みに。授業、頑張ってください」

「……あ、はい……」


 午前八時前。二人で学校に到着。

 教室の前で彼女と別れ、揺れ動く黒髪に向かって手を振り、僕は自分の席へと向かった。


「おはよう、真白……って、何だいその顔は。体調でも悪いのかな?」

「あぁ……おはよう昴。大丈夫……何でもないから……」

「いやいや、何でもないわけないだろう……」


 読んでいた本を置いて息をつく昴。

 僕はどうにか席に着いて、大きく肩を落とす。


「一体どうしたんだい……って、聞くまでもないか。有咲ちゃんのことかな?」

「あぁ……まあ、うん……」


 力なく返事をして、ハハッと乾いた声を漏らす。


「役作りだから仕方ないってことはわかってるんだけど……やっぱり、天城さんには笑ってて欲しいっていうか……」


 文化祭の時、僕は彼女の手を引いて走った。

 お母さんとの仲直りを諦めて、笑うこともできないあのひとを見ていられなかったから。そんなところ、見たくなかったから。


「だから、早く役作り終わらないかなとか思ったり、そういうオーディション受けないで欲しいとか思ったり……何かずっと、モヤモヤしてて……」


 頑張っている天城さんが好きだ。

 自分の好きに一直線な天城さんが好きだ。


 大好きだ。


 それは正真正銘、僕の本音。

 全力で生きて、全力で夢を追うあのひとを見ていたい……と思うのに、今の彼女を心から受け入れられない。頑張っていることはわかっているのに、本気で応援できない。


「ハハハッ、仕方ないさ。あの変わり様じゃ、気持ちがついて行かなくて当然だよ。キミみたいに密接に関わっているなら余計にね」


 昴は大人に笑って見せて、「一本食べな」とポッキーを僕の口へ捻じ込む。


 ……うん、美味しい。

 ダメな僕にも平等に甘いんだから、お菓子って優秀だ。


「あれ……その分厚い本、なに? 昴ってそういうの読むの?」

「あぁ、これのこと」


 言って、机の上の本を持ち上げた。

 ハードカバーの、しかもタイトルを見るに演技に関する教本。付箋がたくさん貼られており、かなり熱心に読み込んでいるらしい。


「すごく面白いって言われたから借りたのさ。演技のレッスンはよく受けるけど、この手の本は読んだことがなかったし、まぁいい機会かなと思って」

「へぇー。本業はモデルなのに、昴も色々勉強しててすごいね」

「演技の仕事は嫌いじゃないからね。それより、真白もちょっと読んでみるかい?」

「え? いや、僕はいいよ。どうせ読んだってわからないし」

「内容はわからなくても、きっと面白いはずだよ。命を懸けたっていい」

「い、命って……えっと、じゃあ、そこまで言うなら……」


 過激な物言いに動揺しつつ、その本を受け取った。

 内容がわからなくても面白いってどういうことだ? 解説漫画とかがついてて、そのストーリーが面白いとか? この手の本って初めて読むし、まったく想像がつかない。

 疑問に思いつつ、本を開いて――。

 そこにあったものに目を通し、ハッとした。


「ほら、面白いだろう?」


 その問いかけに、僕は頷いた。

 深く深く、頷いた。



  ◆



「天城先輩……?」

「…………」

「あのー……あ、天城先輩?」

「…………」

「大丈夫ですか……?」

「うぼぁー……」


 駅前のマクドナルド。

 学校終わりに天城先輩から連絡を受け、わたし――佐伯桜蘭はすぐに会いに行った。


 先に店内で待っていた彼女は……何というか、溶けていた。腕を伸ばして、机に突っ伏して、ぐったりとしていた。


「……さ、佐伯が……」


 苦しそうに言いながら、のそっと身体を起こした。

 黒髪ロングのウィッグに綺麗めメイク。元々のビジュアルが抜群にいいのもあって、ギャル味のない天城先輩もものすごく美人……なのだが、今は酷い顔をしている。


「兄がどうかしました? 昨日までは順調だって、すごく喜んでいたじゃないですか」


 天城先輩清楚キャラ化作戦決行から、早一週間が経過。

 彼女とは毎晩連絡を取り合っており、


『今日の佐伯、どう見てもあたしに好きって言われるの待ってたね!』

『佐伯があたしと手繋ぎたがってた! ムズムズしてたよ!』

『佐伯のもどかしそうな顔、かわちすぎー♡ しゅき♡』


 等々、いつもいい報告をわたしにくれた。

 順調に兄のフラストレーションを溜めてくれていたのに、今日はうって変わって様子がおかしい。


「……うん、そう。順調だったよ。佐伯、あたしに好き好き言われたがってるし、すごく触って欲しそうにしてるし……それがもう可愛い! 好き! って感じだった。効果出てるって……そう、思ってたんだけど……」

「だけど?」

「佐伯、何かおかしいの! 今朝は昨日と同じ感じだったのに、お昼休みになったら全部嘘だったみたいにスッキリした顔してて、今のあたしとも自然に接してくれてさ! しかも、いつも以上に優しいし! なにこれ、どうなってるの!?」


 ドンッ、とテーブルを叩いた。

 その衝撃でポテトが飛び、天城先輩はそれを口でキャッチして「意味わかんないよー!」と涙目になりながら貪る。


「おかげで、清楚キャラ維持するの大変なんだけど!! 好き好きしたくて好きが爆発しちゃうー!! うわぁ~~~!!」

「お、落ち着いてください、天城先輩! 兄を欲求不満にさせなくちゃいけないのに、天城先輩が欲求不満になってどうするんですか!」

「わかってるー! わかってるけどー!」


 そもそもこのひとは、うちの兄のことが大好きなわけで……。

 兄も辛いとは思うが、天城先輩の苦労も相当なものだろう。

 その苦しみを、兄を翻弄することで誤魔化せていた。なのに兄の豹変によって、溜まっていたものが溢れかけている。


「……帰ったら佐伯の勉強見なくちゃいけないんだけど、あたし、もうこのキャラ続けられる自信ないよ。今すぐぎゅーってしたいもん……!」


 涙目の天城先輩。

 やばいな、これ……どうしよう……。


「あの……じゃあ、今日はこれを着けて兄と接してください」

「何これ、ワイヤレスイヤホン? これ着けてどうするの?」

「スマホを通話状態にしておいてください。わたしが二人の会話を聞きつつ、随時天城先輩が暴走しないように励まします」

「励ます……それであたし、このキャラ続けられるかな……」

「いけますよ、天城先輩なら! うちの兄と付き合いたいんですよね! 恋人っぽいことしたいんですよね!?」

「……したい。ちゅっちゅしたい……っ」

「だったら、ここは踏ん張りどころです! 今日を乗り越えれば、幸せな恋人ライフが待っていますよ!」

「幸せな……恋人、ライフ……」

「そう! 兄に何をしたって許される毎日です!」

「何をしても……ふ、ふへっ、えへへっ♡ 何してもいいのかぁ……♡」

「ですです! だから頑張りましょう、天城先輩!」

「うん、あたし頑張る! 佐伯にいーっぱい、もどかしい思いさせちゃうんだから! でもって、でもって……うひっ、うひひひひっ♡♡♡」


 う、うわぁー……下心しかない顔しちゃってるよ。

 こんな顔してても可愛んだからズルいよなぁ……。


 にしてもあの男、何でいきなり変わっちゃったんだろ。

 今朝とお昼休みの間で何があった? そんな短時間で……たぶん、天城先輩の気のせいだよね?



  ◆



「内容はわからなくても、きっと面白いはずだよ。命を懸けたっていい」

「い、命って……えっと、じゃあ、そこまで言うなら……」


 昴に見せてもらった、演技に関する教本。

 開いて最初に浮かんだのは、漢字がいっぱいで文章が詰め詰めだなぁという、我ながら頭の悪い感想だった。


 いやでも、仕方ないだろ。

 どう見たってこれ、ある程度の知識があること前提に書かれてるし。演技のえの字も知らない僕には難しすぎるって。


 だけど。

 それが目に入った瞬間、難しいとか、よくわからないとか、そういうのがどうでもよくなった。


 一枚の付箋。

 そこには小さくも綺麗な字で、そのページで感じたことが丁寧に綴られていた。


 別の付箋には、書かれている内容への疑問がこと細かにメモされていた。

 また別のところには、ここまで読んだ上でのまとめが簡潔に記されていた。


 昴の字じゃない。この本は借りたと言っていたから、持ち主が書いて貼ったものだろう。

 この字には見覚えがあった。

 知らないわけがなかった。


 ――天城さんだ。


「ほら、面白いだろう? 有咲ちゃん、本当に勉強熱心だよね。別に役者として食べて行きたいってわけじゃないだろうに、どこからここまでの熱量を出せるのかな」


 言いながらカバンに手を入れ、「ちなみに、他に借りたのも全部同じ感じだよ」と何冊もの教本を机に並べた。


 どれもこれも、付箋で薄っすらと膨らんでいた。

 天城さんの努力の痕跡の一部が、そこにはあった。

 毎日僕に世話を焼いて、モデル業にいそしみながら講師業で生活費を稼いで、学校にも通って勉強は好成績。そんな日々の中で、こうして演技まで学んでいる。


「……天城さんって、本当にすごいね……」

「同感だよ。同世代でここまで頑張れる子は中々いないさ」

「僕……天城さんが演技をここまで真剣にやってるって知らなかった。モデルのついで、くらいに思ってるんじゃないかって……無意識に舐めてた、かも……」


 くたくたに疲れ果てて、それでも眠い目を擦りながら机に向かい、学びに全力投球する天城さんの姿が脳裏に浮かぶ。


 僕が間抜け面で眠る中、一歩でも前へ進もうとする彼女の姿を想像してしまう。


 あぁもう……。

 何やってるんだよ、僕は。


 天城さんがいつも通り構ってくれないからって不貞腐れて……くそ、ふざけるなっ。

 そうじゃないだろ! 格好悪いにも程があるだろ! 間抜けなのは、寝顔くらいにしとけよ!


「私はさ――」


 と、昴はどこか誇らしそうに口を開く。

 蒼天色の瞳は、やわらかく、温かく、僕を真っすぐに映す。


「ちゃんと気づいて、ちゃんと反省できるキミが親友で、本当によかったと思うよ」

「…………」

「何だい、その疑いの目は? 今のは正真正銘の本音だよ」

「そうじゃなくて……もしかして昴、僕に天城さんの本気度を気づかせようとしてわざわざ本借りて来て、僕がそれを見るように仕向けた?」

「面白い推理だね。探偵にでもなるといいよ」

「それ、犯人の台詞じゃない?」


 プッと、お互いに笑い合う。


 僕は再び手元の本へ視線を落とし、付箋に綴られた文字を目で追う。

 懸命に走る彼女の背中を押すために、僕に何ができるのか思案する。


 何か僕にしかできない形で労おう。

 結果、役作りのせいで天城さんがニコニコしてくれなかったとしても、心の中で笑ってくれればそれで構わない。


 どうするべきか。

 何をするべきか。

 僕には何ができるのか。



 ――……と、半日考え抜いて。



 学校終わり。

 珍しくどこかへ寄ってからうちに来た天城さん。

 僕は()()を済ませて、「どうぞ入ってください」と玄関の扉を開く。


「うびゃあっ!?」


 僕を見た瞬間、彼女は凄まじく間抜けな声をあげて玄関の扉を閉めた。


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