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第2話 天城先輩清楚キャラ化作戦

「あっ、佐伯さん。おはようございます」


 彼女は僕に気づき、友達との談笑をやめてこちらへ手を振った。

 いつもとまるで違う大人しい口調と、静かな声音。

 涼し気な笑みに、どう挨拶を返していいかわからない。


「……あ、天城さん?」

「はい?」

「天城さん……で、ですよね?」

「そうですよ。あたしが別の誰かに見えますか?」

「い、いやだって……!!」


 見た目、雰囲気、喋り方。

 一体どこからツッコミを入れればいいかわからず、僕はただただ狼狽える。


「佐伯君、知らなかったの?」


 と、天城さんの友達が言った。


「有咲ちゃん、今度受けるドラマのオーディションのために役作り中なんだって!」

「真面目な委員長の役らしいよ」

「それでここまでするとか、流石は有咲ちゃんだよねー」


 口々に言われて、あぁそういうことかと理解した。


 何にだって全力な天城さん。

 オーディションのためにここまでやったところで、何ら不思議はない。むしろ、そりゃ彼女ならやるよなと思う。


「事情はわかりましたが……あの、その髪、染めたんですか?」

「いえ、違いますよ。これはウィッグです」

「な、なるほど……」

「そういうわけなので、家でも学校でも、しばらくの間はこのキャラでいきます。心配しないでくださいね、()()()()

「は、はあ……わかり、ました」


 仕事のため、役作りのため。

 そのための見た目と口調の改変。

 わかってはいるけど、違和感が尋常ではない。彼女からのさん付け呼びに、脳が無意識に受け取りを拒否する。


「もうすぐ授業が始まります。佐伯さん、またあとで」

「…………」

「佐伯さん?」

「……あっ! は、はい、またあとで……!」


 と、お互いに軽く頭を下げて。


 踵を返し、二歩、三歩と行く。

 教室を出る直前、僕はふと立ち止まった。

 何かが足りない、これじゃない……そういう思いに袖を引っ張られて振り向くと、天城さんと目が合う。


「どうされましたか?」

「っ! い、いえ! 何でも!」


 天城さんに似合わない、クールな声音。

 何だか怒られているような気がして、僕は逃げるように教室を飛び出す。


 ……何が足りないのかわかった。


 あの天城さんが、僕にベタベタしてこない。好きも何もない。愛情表現の類が一切ない。

 たぶんそれは、役作り中だから。

 ドラマのキャラになり切っているから、普段の天城有咲がしそうなことはしない。


 ただ、それだけの話。


「……まあ、だったらいいか……」


 と、小さく呟く。

 愛情表現がないということは、僕を惚れさせる活動は一時中断ということ。誘惑も何もないということ。


 つまり彼女が役作りをしている間、僕の一人暮らしが崩壊する危険は限りなくゼロになる。ようやく手に入れたオアシスに、久方ぶりの安寧が訪れる。

 やったじゃないか、僕。勉強はいつも通り教えてもらえるだろうし、むしろ美味しいところだけいただけてラッキーなまである。


 ふぅー、よかった。

 本当によかった。


 よかった……。

 ……のか?


『佐伯っ!! 好きっ!!』


 不意に、つい昨日まで当たり前のように響いていた彼女の声が脳裏を過ぎった。


 彼女と出会って早三ヵ月。

 昨日まで一日だって欠かさず好きと言われ、もうこれでもかってくらい言われ続けて来た。それが急に止まったのだから、妙な感じがして当然だろう。


 大丈夫、すぐに慣れるさ。

 それに役作りだって、いつまでも続くわけじゃない。


 一週間か、二週間か……。

 まあ、それまで安全な日々を目一杯謳歌しよう。


「佐伯さんっ」

「っ!!」


 後ろから声をかけられ、バッと身を翻した。

 駆け寄って来る天城さん。

 あぁ……なるほど、結局我慢できなかったのか。

 やれやれと内心ため息をつきつつ、抱き着かれる心の準備をする。キスを迫られる可能性もあるため、その時は強引に対処しないと。


「な、何ですか、天城さん?」


 立ち止まって、僕を見上げた。

 横髪を耳の後ろにかけて、普段の天城さんなら絶対にしないような品しかない笑みで口元を覆う。


「今日もお弁当、ありがとうございます。それを言いたくて……!」

「…………は、はあ。そう、ですか」

「ではまた、のちほど」


 ペコリと頭を下げて、静かに去って行った。

 その背中を見て、好き好きと迫って来る天城さんはいないのだなと思い知る。平穏が戻って来たのだと痛感する。


 ……何だか今日は、やけに。

 足が、重い。



  ◆



「単刀直入に言います。わたしに、兄の貞操を奪う手伝いをさせてください」


 時は遡って、十一月中旬。

 佐伯が文化祭の打ち上げでいない、その夜。


 あたしの家を訪ねて来たのは、佐伯の妹さん――桜蘭ちゃんだった。


「えーっと、つまりどういうこと? 貞操を奪う手伝い? 何で桜蘭ちゃんが、あたしのこと応援してくれるの?」


 彼女を家に入れて、お茶を出して。

 あたしはテーブルを挟んだ向かい側に座り、何がどういうことなのか尋ねた。


「説明します」


 グラスに口をつけて、僅かに唇を濡らす。

 ひょこっと、特徴的なサイドテールが可愛らしく揺れ動く。


「うちの兄は現在、三つのルールの下で一人暮らしが許可されています。一つ目は【試験では学年十位以内をキープすること】、二つ目は【食費と交際費は自分で稼ぐこと】、そして三つ目は【不純異性交遊はしないこと】……」


 指を折りながら言って、「これを見てください」とスマホの画面をこちらに向けた。


『天城さんのことが、好きだからです』

『あ、いや、違うっ……くはない、ですが! 天城さんの前向きなところが好き、という意味で……!』

『とにかく僕は、お母さんと仲直りして欲しいんです! 無理とか仕方ないとか、そんな風に諦めている天城さんを見るのが嫌だから! 全力で好きなことをやって笑っているところを見るのが、大好きだからっ!』

『行きましょう。天城さん一人じゃない! ずっとずっと、僕がそばにいるよ!』


 文化祭にて、佐伯があたしを連れ出してくれた時の一部始終。

 誰かが撮影し、ネットに流し、なぜかバズった動画。


 あの時の彼の手の温もりが、力強さが蘇り、ついニヤケてしまう。


「これを見つけた時、わたしはすぐ兄に連絡し、この女性とはどういう関係なのか、付き合っているのかと尋ねました。……が、結果は否定。ただの友達だと言っていました。兄の性格的に、そこに嘘はないと思います」

「あぁ……うん、そうだよ。確かにあたしたち、付き合ってはないし」

「とはいっても、どう見たってこれは不純異性交遊の一歩手前です。なので、両親にこれは許していいのかと迫りました。……ですが、別にこれくらいはいいと、やけに甘い判断をされてしまいました」


 忌々しそうに拳を握る桜蘭ちゃん。

 対してあたしは、内心ホッとしていた。あたしを助けたせいで実家に連れ戻されちゃうとか、あんまり気持ちいいことじゃないし。


「天城先輩は、うちの兄のことが好きなんですよね?」

「えっ? ……う、うんっ! 大好き!」

「だったら、わたしが二人をくっつけるために協力します! わたしは兄を、実家に連れ戻したいので!」


 桜蘭ちゃんは膝立ちになって、「任せてください!」と胸を叩いた。


 協力してくれるひとがいるのは嬉しいけど……でも、この子に何ができるの?

 同じ学校とか、年齢が近いとかなら色々やれることはあるかもだけど、まだ中学生だからなぁ……。


「昴ちゃんに聞きました。天城先輩、兄を落とすために執拗な好き好き攻撃を仕掛けているとか。――それじゃあ、ダメですよ」

「っ!?」


 押して押して押しまくるという、九月から続けてきた作戦。

 それを真っ向から否定され、あたしは目を剥いてのけ反る。


「最初の方は兄も照れていたでしょう。しかし最近は慣れて、わりと軽くあしらわれているのでは?」

「ど、どうしてそれを!?」


 その通りだった。


 まったく照れないわけではない。

 ないが……知り合った頃より、露骨に反応が悪い。あたしからの好きを、挨拶くらいにしか思っていない。


 ボディタッチだって、最初は反応がよかったのに最近は微妙。

 手くらいなら、平気で向こうから握ってくる。それは嬉しいけど、恋人への道を歩いている気はしない。


「うちの兄の面倒見の良さはオリンピック級です。どれだけ手のかかるひとが相手でも、すぐに順応してしまいます。……つまり、このままだと遠くない未来、天城先輩からの好意に本気で動じなくなってしまうでしょう」

「えぇ!? や、やだよ、そんなの!! ずっとずっと、あたしのこと見てドキドキして欲しいもん!!」

「ですよね。なのでわたしが、起死回生の一手を授けます」

「な、なに!? あたし、何でもするよ!」

「簡単です。――兄に、冷たくしてください」


 ふんっ、と鼻を鳴らす。年齢不相応な悪い笑みで唇を飾る。

 言われて、すぐに理解した。その作戦の意味を。


 要するに、押してダメなら引いてみろ、ということだ。

 好き好き一辺倒で欲しい結果が得られないなら、その逆を試してみるのはどうかと。『北風と太陽』の太陽は試したのだから、次は北風をやってみないかと。


 なるほど、と思う。

 でも、


「……ごめん。ちょっとそれは、無理かなぁ……」

「なぜですか!?」


 桜蘭ちゃんはテーブルを叩いて、わっと目を剥いた。


「理由はいくつかあるんだけど……一番大きいのは、佐伯の性格」

「兄の性格?」

「佐伯、メンタル弱いでしょ? 急にあたしが冷たくしたら、本気で落ち込むと思うんだよね。いくら好かれるためでも、落ち込ませるのはちょっと……」

「あぁー……た、確かに……」


 あたしだって、今までそれを考えなかったわけではない。

 でもやらなかったのは、たぶんその温度差に佐伯が耐えられないから。

 ……傷心のとこを、別の女の子に掻っ攫われちゃうとかも全然あり得るよね。そんなことになったら本末転倒だよ。


「じゃあ……兄が落ち込まない形で冷たくするのは?」

「落ち込まないようにって……そんな方法、ある?」

「こ、これから冷たくするけど落ち込まないでって言うとか!」

「いや、それはちょっと不自然じゃ――」


 言いかけて。

 ビリッと、あたしの脳に電流が走った。


 ある。

 一つだけ、佐伯を落ち込ませずに冷たく接する方法が。


「……演技……」

「えっ?」

「演技だよ、演技っ! これは演技ですって前置きすれば、佐伯も落ち込まないかも!」

「それ……さっきわたしが言った案とどう違うんです?」

「例えばだけどさ、ドラマの出演が決まって清楚なキャラの役を演じることになったって言うでしょ? んであたしは、役作りのために私生活で清楚なキャラを演じるの!」

「仕事の一環であれば自然ですし、演技だとわかっていれば兄も落ち込まない……と?」

「そう! 見た目も口調もガッツリ真面目な感じに変えて、スキンシップも一切しない! そしたら佐伯、普段のあたしが恋しくなっちゃうんじゃないかな!」

「……いいかも。うん、いけます! いけますよ、天城先輩清楚キャラ化作戦!」


 いえーい、と二人でハイタッチ。

 桜蘭ちゃんは興奮気味に、フンスと鼻息を荒げた。


「この作戦、天城先輩がどれだけ清楚に徹することができるかにかかっていますよ。少しの隙も見せず、兄に接してください」

「わかってるよー! いーっぱい欲求不満にさせて、元のあたしに戻った時に色々我慢できなくさせちゃおーってことだね!」

「作戦の途中、兄が思春期を暴走させて妙な考えを起こすことだってあり得ます」

「あたし、佐伯に手出されちゃうの!? うっひゃ~~~♡♡♡ そんなことになっちゃったらどうしよぉ~~~♡♡♡」


 その後、具体的にどういった見た目がいいか、口調はどうするかなどを話し合った。

 決行は期末試験後。その日までは、いつも通り過ごす。


 これはいい。

 きっと上手くいく。


 ふ、ふふっ……ぐふふふ……!


 今度こそ終わりだね、佐伯ぃ!!

 あたしとたくさんイイことして、恋人になっちゃうんだから♡♡♡ これでもかってくらい、ちゅっちゅしちゃうんだからぁ~~~♡♡♡


 残り短い一人暮らし、せいぜい満喫しておくがいいさ!!

 ガッハッハーッ!!


「ちなみに、ちょっと聞いておきたいんだけどさ」

「はい?」

「桜蘭ちゃんは、どうして佐伯を実家に連れ戻したいわけ?」

「そんなの決まっているじゃないですか。ご飯ですよ」

「ご飯?」

「兄の作るご飯は世界一なので。あれより美味しいものはないです」


 ふんすっ、と自慢気に鼻息を荒げる桜蘭ちゃん。


 クールな感じなのにメチャクチャ可愛いこと言うな、この子……。

 まあ、その理由には同意しかないけど。


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