第30話 鳶が鷹を生む
ママはたぶん車で来たと思うと、天城さんは言った。
ということで、学校から一番近い駐車場へ向かう。
道中、僕は考えていた。
他人である僕が、しかも何の面識もないひとを相手に、どういう言葉をかけたらいいものかと。
天城さんのお母さんが、天城さんみたいな社交性に溢れた感じなら、介入の余地はあったかもしれない。
……だけど、あれはたぶん無理だ。
チラッと見ただけだが、とてもじゃないが部外者の声を聞くようなタイプには見えない。
下手をすれば、二人の仲が余計にこじれてしまう。それだけは避けたい。
どうする。どうすればいい。
悩みながらひたすらに走って、駐車場に着いて。
そして、僕たちは見た。
信じられないものを――。
「うわぁああああ!! 有咲に嫌いって言われたぁああああ!! もうムリだよ、ムリぃ~~~!! アタシ、子育て向いてないってぇええええ!! もうやだぁああああ!!」
一台の車のそばにうずくまって、子どものように絶叫するその女性は。
誰がどう見ても、天城さんのお母さんだった。
◆
鳶が鷹を生む、という言葉を知ったのは、アタシ――天城有栖が十八歳の時だ。
高校在学中に有咲を身ごもり、そのまま退学。
出産後は、両親の手を借りながら毎日子育てをしていた。
『ちょ、ちょっとあんた!? 有咲ちゃんが!!』
有咲がまだ二歳の頃。
母親が血相を変えて見せて来たのは、有咲の落書き。
アタシがいて、両親がいて、有咲がいて……絵自体もものすごく上手いが、更に作者名を記すように紙の隅に名前が書かれていた。
天城有咲と、漢字のフルネームで。綺麗に。
有咲は賢かった。
それはもう、ずば抜けて。
シャレにならないくらい。
漢字の読み書きだけじゃなく、三歳の時点で掛け算や割り算もマスターしていた。
家の中の本を勝手に読み漁って学習し、わからなければ誰かに聞いて、乾いたスポンジみたいに何でも吸収する子だった。
大人の言葉をよく理解していて、近所の噂話から時事問題まで、ほとんど対等に会話することができた。
『鳶が鷹を生んだなー』
『本当にあのバカの子どもなのか……?』
『橋の下から拾って来たって言われた方が信じられる』
『そんなこと言っちゃ悪いわよ。ふふふっ』
『有咲ちゃんは、お母さん似じゃなくてよかったね』
両親やその他の親類は、いつだってアタシと有咲を比べた。
仕方ない。アタシはバカだから。底辺高校すら中退するような落ちこぼれだから。
言い返す力が、説得力が、アタシにはない。
ただヘラヘラと笑って、『だよねー』と皆に同意するので精一杯。
でも、
『みんな、ママにひどいこと言うのやめてよ! あたし、ママ似だしっ! ママがママでよかったし!』
有咲は違った。
大勢の前でアタシを庇ってくれた時、アタシは初めてこの子の母親でよかったと思ったし、いい母親になろうと決意した。アタシがまだ、二十歳になったばかりの、夏の暑い夜のことだった。
有咲が小学校に入学するのと同時に、学校の近くに部屋を借りて二人で暮らし始めた。
質素だけど、楽しい毎日。
この頃から、有咲は急速にオシャレへ興味を持ち始め、アタシは嬉しかった。これならアタシも、少しはこの子の役に立てるぞと思って。
色々な服や靴やアクセサリーを買ってあげた。お金が足りなくてどうにもならない時は手作りもした。
毎朝学校へ行く前に、目一杯可愛い髪型にして送り出した。
化粧がしたい。ネイルがしたい。髪を染めたい。
あの子の望みは、全部、全部、叶えてあげた。バカなアタシには、これくらいしかできないから。
『有咲ちゃん……な、何だか、段々とあんたに似てきたわね……』
小学校高学年の頃。
有咲を実家に連れて帰ると、母親は難しい顔でそう言った。
確かに……。
今まであまり気にしていなかったけど、見た目も雰囲気も服の趣味も、何もかもが十代の頃のアタシと同じ。コピーして貼り付けたみたいに、まんまアタシ。
『この本、ママ載ってる! ママ、モデルさんだったの!? すごーい!!』
『昔ちょびっとだけ、バイトでね。そんなすごいものじゃないよ』
『すごいよ! ちょーすごい! あたしも、ママみたいになりたい!』
アタシの写真が載った雑誌を見つけたことを皮切りに、今度はモデルという職業へ興味を持ち始めた。
せっかく受験までして入った、レベルの高い中学校。このままエスカレーター式に高校へ行けるのに、仕事をしたいがために別のところへ進学すると言い出す。
『有咲ちゃんの人生だし、あの子なら何でも上手くやっちゃうとは思うけど……もう少し、まともな道に進ませてあげたりできないの? あんただって、あの子が自分みたいになったら嫌でしょ?』
そう母親に言われ、同意しかなかった。
せっかく賢いのに、バカなアタシでもわかるくらい道を逸れようとしている。
アタシのせいだ。オシャレを教えたからこうなった。あんな雑誌、さっさと捨てておけばよかった。
どうすれば有咲が、いい人生を送れるか。
アタシなりに考えた。
あの子と話し合ったりもした。
でも、どんどん会話が成立しなくなる。
有咲の言っていることがわからなくて、だけど絶対的に正しいような気がして、こっちの言い分がちっぽけでくだらないものに思えてしまう。
バカなアタシじゃ、賢い有咲を説得できない。
だから、
『ミニスカートはやめて。化粧はしないで。モデルになりたい? ダメよ、そんなの』
今までのアタシは、たぶん優しすぎたんだ。
甘やかしちゃダメだ。厳しくしないと。接し方から変えないと。
アタシ自身も、派手に着飾ることをやめた。じゃないと、説得力がないから。
元々アタシの真似をしていたのだから、アタシがやめたら向こうもやめるかもしれない。
幸せな方へ、歩いてくれるかもしれない。
そう思っていた。
――で、その結果。
『ママなんか、大っ嫌い!!』
正直、頭の片隅ではわかっていた。
自分はあの子に嫌われているのだろうと、何となく察していた。
でも、いざ言葉にされると……ものすごくへこむ。
有咲は悪くない。悪いのはアタシ。
せっかく心を鬼にして厳しくしたのだから、成果が出るまで厳しい母親であろうと欲張った自分のせい。
バカがバカな頭を絞ってバカをやった、という話。
仕方ない。どうしようもない。当然の報い。
わかっている。わかっているけど。
「うわぁああああ!! 有咲に嫌いって言われたぁああああ!! もうムリだよ、ムリぃ~~~!! アタシ、子育て向いてないってぇええええ!! もうやだぁああああ!!」
駐車場に着いた瞬間、色々と耐えられなくなって叫んだ。人目もはばからず、思い切り。
こんなはずじゃなかった。こんな結末は望んでいなかった。
何かしてあげたくて、何かできる気がして、でもそれがわからなくて。
本当に、嘘偽りなく、あの子に幸せになって欲しいだけなのに……。
母親がアタシ以外の誰かなら、もっと上手くやったのかな。
鷹を導くのは、鳶にはあまりに荷が重い。
「ママ……?」
後ろから声がして振り返った。
そこには有咲と……知らない男の子が立っていた。