第16話 苦しいくらいに
「……ん? あぇ……?」
まぶたを開けて、喉がやけに乾いていることで、自分が眠っていたことに気づいた。
ぼんやりとした頭で天井を見つめ、ふと、佐伯が部屋に来ていたことを思い出す。
やけに静かな部屋。常夜灯だけが、薄っすらと壁を照らす。
流石に帰っちゃったか……と思った矢先、もぞっとベッドのそばで何かが動く。
「あ、起きました? どうですか、調子は?」
「えっ……と、まだ……つらい、かも……」
「そうですか。ちょっと触りますよ」
あたしの額に手を当て、「熱いな……」と目を細めた。
「とりあえず、何か飲みます?」
「……う、うんっ」
「じゃあスポーツドリンク、取ってきますね」
「……ずっと、そばにいたの?」
「そりゃあ、まあ。そばにいるって言ったのは僕ですし」
時刻は午後九時過ぎ。
あれから五時間以上、あたしのことを気遣って明かりもつけず、ただ静かに起きるのを待っていたのか。
……ってか部屋、ちょー綺麗になってる。
何かいい匂いもするなぁ。お粥作るとか言ってたっけ。
「冷えてるのと常温の、どっちがいいですか?」
常温の方を指差すと、わざわざ封を切って渡してくれた。
嬉しい。大きな気遣いも、小さな気遣いも、何もかも全部が。
彼の顔が直視できなくて、辛い。
「うぅ……うぅ~~~……!」
「ど、どうしました!?」
「佐伯……っ」
「は、はい!」
「……結婚、して」
「……はい?」
「一生一緒にいて~~~……!」
「えーっと……か、考えておきます」
あたしが病人だからだろう。
普段よりも優しい口調で躱して、困ったように笑って見せた。
喉を潤して、次いで体温測定。
うーん……高い。三十九度ちょっと。通りでボーッとするわけだ。
「食欲ありますか?」
「……ん、お腹すいた」
「じゃあ、お粥温めますね」
お粥をよそって、レンジでチン。
それを持ってきた彼を、あたしはただ、ベッドに座ったまま見つめる。
「あのー……」
「…………」
「もしかして……食べさせて欲しかったりします?」
「うんっ」
えへへ。
考えてること、伝わっちゃった。うれちー♡
「えっと……あ、あーん……」
「んあー」
昴ちゃんと張り合ってあーんしてもらったことを思い出しながら、佐伯に餌付けしてもらう。
正直言って、体調のせいで味はよくわからない。
でも、美味しい。
味がわからないのに美味しいなんて変な話だが、そう感じるのだから仕方がない。
胃袋が、彼の優しさで満ちてゆく。
それに比例して、よりいっそう、彼のことが好きになる。
無際限に与えてくれる安心感が、あたしの頭の中の彼との将来を煌びやかに彩る。
「おぉ、全部食べましたか。えらいですよ、天城さん」
「へ、へへぇ……」
「おかわり、いりますか?」
「ううん。それより……バナナジュース、ほしい」
「わかりました。そっちも温めてきます」
程なくして、あたしの手元にポカポカなマグカップが届いた。
薄っすらとした茶色のバナナジュース。
ひと口飲むと、優しい甘さに頬が緩む。
「美味しい……あたし、これ好きかも……」
ぼすっ、とベッドに腰を下ろした佐伯。
あたしの顔を見て満足そうに笑って、そっと頭を撫でてくれた。
安堵と愛情のこもった彼の体温が、頭頂部から身体の芯まで沁みゆく。
じゅわー……って、しみしみしていく。
……あぁ。
んあぁああ~~~~~~~~~……♡♡♡
なにこれぇ♡ 幸せっ、幸せしゅぎりゅ~~~♡♡♡
佐伯ってば、甘やかし力どーなってるのー!?
こんなのズルだよぉ! 反則だよぉ! 惚れさせたいのに、あたしばっか惚れちゃう!
あたし、ダメにされちゃう……。
佐伯なしじゃ生きられなくなっちゃう~~~♡♡♡
「じゃあ、次は薬飲みましょうか」
「……ちゃんと飲めたら、褒めて?」
「いいですよ。褒めちぎっちゃいます」
別に薬を飲むのが苦手というわけではないが、とにかく今は甘やかされたくてどうしようもなかった。
何でもない錠剤を飲み、ほら飲めたとアピールして、また撫でてもらう。
至福だぁ……うへへ……♡
「僕、部屋に戻りますね」
「……か、帰っちゃうの?」
「ちょっと着替えてくるだけです。結構汗かいちゃったので」
「そっか。わかった」
と、佐伯を見送って。
残ったバナナジュースに舌つづみをうち、ふと思った。
……あたしも、メチャクチャ汗かいてない?
もしかして、臭い?
学校で体育をして、帰宅してベッドに入って、佐伯が来てから眠って。
ご飯を食べたのもあって、額や首の汗がすごい。
気にし出すと、段々と不快になってきた。
「……あっ」
佐伯がこのタイミングで着替えに行ったのは、お前臭いから今のうちに着替えておけよ、という意味だったりして……。
あり得る。
佐伯の性格的に、直接誰かに臭いとか言うわけがない。
だから自分が行動して、あたしに察するよう促してるんじゃ……?
スンスン、と身体を嗅ぐ。
汗臭い……気がする。
いや臭い。絶対に臭い。
ってかこのパジャマ、昨日と同じやつだし。
これ、本気で臭いって思われてたやつだ。臭い女だって思われた……よりにもよって、他の誰でもない佐伯に。
「き、綺麗にしとかなくちゃ……」
嫌われる。嫌われてしまう。嫌われたくない。
不安という不安が、強く背中を押す。
視界が揺らぐ。
数歩の移動で息が切れ、転びかけ、それでもどうにか前に進む。
まずはシャワー浴びて……いや、その前に服出さなくちゃ。
タオルと……あと下着と、新しいパジャマ。可愛いやつがいいよね。
頭がぐわぐわする。手元がおぼつかなくて、上手く必要なものを取り出せない。
頑張らなくちゃ。早く何とかしなくちゃ。
佐伯が戻って来る前に。