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第14話 しゅき


「佐伯……」

「はい?」

「もう何度か言ってるけど……あたし、本当にお金払わなくていいの?」


 十月初旬。

 夏は休業期間に入り、秋がそろそろ出番かと準備運動を始めた、今日この頃。


 早朝バイトもなく、なのに無駄に早起きしてしまった僕は、いつもより少し凝った朝食を作り天城さんを招待した。


 麦ごはんに味噌汁、赤魚の竜田焼きと冷やし茶わん蒸し、サラダや漬物等々。

 一人なら絶対に朝からここまでしないが、食べてくれるひとがいて、しかもそのひとのリアクションがいいため、つい張り切ってしまった。


「気にしないでください。材料費は半分以上出してもらってますし、手間賃まではもらえませんよ」

「でもさ、お弁当もほとんど毎日作ってもらってるし……」

「趣味みたいなものなので。……あっ、もしかして迷惑でした?」

「違う違うっ! ちょー大助かり! 佐伯が栄養管理してくれてるから、最近ちょっと痩せたし!」

「そうですか。なら、よかったです」

「お礼にちゅーしていい?」

「ダメに決まってるでしょ」

「ケチー!」


 天城さんと関わり始めてから、もう何だかんだ一ヵ月が経過した。

 そのうち僕に飽きるだろうと思っていたが、彼女はいまだに毎日この調子。好かれることは嬉しく、だからこそ危なっかしく、心臓の休まる時がない。


「バカなこと言ってないで、早く食べちゃってください。遅刻しますよ」

「はーい!」


 モリモリと美味しそうに、だけど上品に。

 天城さんの食べ方は、やっぱり好きだ。


 ……っと、見惚れてないで僕も食べなくちゃ。


 ほどなくして、「ごちそーさま!」と天城さんは手を合わせた。少し遅れて僕も食べ終わり、彼女が洗い物をしてくれている間に学校へ行く支度を済ませる。


「待って! それ、あたしがする!」

「え? あ、じゃあ……お願いします」


 ネクタイを巻こうとしたところで、パッと天城さんに奪われた。

 意気揚々と僕の前に立って、何が楽しいのか鼻歌を歌いつつ手を動かす。


 他人にネクタイを巻く。そんなことをここまで楽しそうにやる彼女に対し、いいなぁ、と語彙力皆無な感想が湧く。


 何だろうな、この気持ち。この感動。

 でも、いいなぁ、以外に言いようがないんだよ。


 言葉にするって、難しい。


「これ何か、新婚さんみたいだよねー♡ へっへー♡」


 キュッとネクタイを締めて、「はいできた!」と続けた。


 そのまま僕を見つめて、ニンマリと笑って、顔を伏せて。

 突然、抱き着いてきた。


「うわっ!? い、いきなり何ですか!?」

「佐伯チャージ! 有咲ちゃんは、佐伯からしか取れないサエキミンがないと死んじゃうのだー!」

「意味不明な設定出さないでください! ちょ、もう、離れて……!」


 やわらかい。温かくて、いい匂いがする。

 朝から摂取するには、あまりに暴力的な情報。

 血液が妙なところへ流れないうちに脱出しようともがくが、彼女の力が強過ぎて中々どうして上手くいかない。


「離れてください!」

「…………」

「……あの、天城さん?」

「…………」

「大丈夫ですか……?」

「……っ」


 いつもの彼女なら、少しくっついて、それでおしまい。

 だけど、今日は様子がおかしい。


 話し掛けても反応がなく、代わりに僕の背中に回した手に力をこめた。チラリと、一瞬だけこちらに向けた目には、不安と緊張が入り混じっていた。


「……ぎゅって、して」


 普段なら、こういうお願いはまず断る。

 しかし、今回は思考するよりも先に身体が動いた。


 華奢な身体。日々のトレーニングのおかげか、薄っすらと感じる筋肉の弾力。体温。

 そして、僅かな震え。


 理由はわからないけど、何とかしてあげたいと思った。

 僕には何にもできないけど、とりあえず、強く抱き締めようと思った。


 コツコツと、アパートの廊下を誰かが歩いて行く。

 時計の針が動く。


 どれほどの時間が経ったか、天城さんに腕を叩かれ、ようやく解放する。


「よーっし、チャージ完了!! んじゃ、学校行こっか!!」

「……天城さん」

「んー?」

「何か、ありました……?」


 ついさっきまで、明らかに様子がおかしかった。

 元気になったから問題ないか、とはいかない。聞かざるを得ない。


「ふふー、内緒っ。今度教えてあげるよ!」

「いや、でも……」

「何だぁ、知りたがりさんだなー? おっぱいの大きさも教えてあげよっかー?」


 悪戯っぽく笑って、わざとらしく胸元を強調した。


 僕が視線をそらすと、「行くよー!」と荷物を持って玄関へ向かう。

 ……聞かれたくないなら、無理に言わせても仕方ないか。


 若干の不安を抱えつつ、僕も部屋をあとにした。






 二学期の中間試験を目前に控え、五時間目の授業は自習になった。

 昼食後というのもあって、夢の中の生徒もチラホラ。


 僕も眠気と戦いつつ、ノートと睨めっこする。


「ていっ」

「……なに? どうしたの?」


 隣の席の、この学校の王子様。

 小学校からの友達、聖昴。


 彼女はシャーペンの尻で僕の頬を突き、ニッと呆れるほどに爽やかな笑みを浮かべる。


「この問題を解く権利を、キミにプレゼントしよう。光栄に思うといいよ」

「わからないところがあるから教えて、って一言を、よくそこまで仰々しく膨らませられるね……」

「こういう風に言われると、キミは喜ぶだろう?」

「それは昴のファンだけだから、僕にされても困るよ。聞きたいことがあるならちゃんと聞いて」

「…………」

「…………」

「……真白」

「なに?」

「わからないから教えて」

「うん、いいよ」


 自分の椅子を僕の机に近づけて、教科書を持って来た。


 僕に教えを乞いているが、過去二回の定期試験において、成績は昴の方が上だ。

 仕事の合間を縫って学校に来ているような日々の中で、一体どうやって勉強の時間を捻出しているのか……。


 それもこれも、王子様、というキャラのため。

 超人だなと、心の底から思う。


「あー、ふむ、なるほど。ありがとう、真白。お礼に頭をぽんぽんしてあげよう」

「いやだから、それで喜ぶのは昴のファンだけだって……」


 そう言うが、昴は構わず僕の頭をぽんぽんと優しく叩いた。

 ぜ、全然嬉しくない……。


「しかしキミ、短いうちに随分と勉強ができるようになったね。今回の中間は、流石に私よりも上かな?」

「むしろ、仕事してる昴よりも下だったのが問題だったんだ。天城さんにも教えてもらってるし、今回はいつも以上に頑張るよ」


 言いながら、窓の外のグランドへ目をやった。

 天城さんのクラスは、現在体育の時間。グランドにて、サッカーを行っている。この距離でも、彼女の金髪は良く目立つ。


「可愛いよね、有咲ちゃん」

「うん」

「……そ、即答するのか」

「えっ? あ、あぁ……まあ……」

「ハハハッ。すっかり惚れてるね。青春していて何よりだ」

「別にそういうわけじゃ……ただ、客観的な事実として、そう思うだけで。あと見た目だけじゃなくて、性格もすごくいいし」

「だね、本当にいい子だ。この前何か、私の悪口を言っていた事務所の先輩にブチギレたらしいよ」

「……えっ?」

「言いたい奴には言わせておけばいいのにさ。しかもわざわざ先輩に突っかかって……呆れちゃうね、まったく。せっかく賢いんだから、もっと計算高く生きるべきだよ」


 どこか突き放すような口調だが、その顔にはやわらかな笑みが浮かんでいた。

 きっと、かなり酷いことを言われていたのだろう。


 怒り顔の天城さんが容易に頭に浮かび、苦笑してしまう。


「言いたいことは言うし、やりたいことはやるひとだから、天城さんは」

「……そっか」


 グラウンドを眺める昴の表情は、どことなく寂しそうで、羨ましそうだった。


 その眼差しの意味に何となく察しがついて、だからこそ、僕はかける言葉を失う。

 ふぅ、と昴は小さくため息をこぼす。


 見惚れることを強制されるようなイケメンフェイスが微かに揺らぎ、年相応の幼さが外気に触れる。



「私じゃ勝てないなぁ……」



 諦念とどこか清々しさのこもった、とても小さな声。


 不意に彼女と目が合い、お互いにパチパチとまばたきをして。

 カーッと、頬を染める。


「…………今の、口に出てた?」

「あぁ、うん。勝てないって、天城さんと何か競ってたの? 勉強で勝負してるなら、たぶん無理だよ。僕たちとデキが違うから」

「…………」

「昴?」

「……うっさい。こっち見んな、アホ。バカ真白。マヌケ」

「えぇ……」


 逃げるように自分の机に戻りながら、容赦ない罵倒。

 なぜか頬が赤く焼けていて、居心地悪そうに髪をいじりながらそっぽを向く。


 僕、何かしたか……?

 今朝の天城さんも意味不明だったし、本当に女の子はよくわからない。


 まあいいや。

 勉強だ、勉強。ここでちゃんと結果出さないと、天城さんに申し訳ない。


「……ん?」


 窓の外から、悲鳴のようなものが聞こえた気がした。

 感じ取ったのは僕だけじゃなく、窓際に座るクラスメートの多くが外へ目をやる。


 グラウンドの一角に群がる、体操着の集団。

 先生が全速力で駆けて来て、ただならない空気がここまで伝わってくる。


「真白、あれって……」

「……っ」


 同じく異変を感じ取りグラウンドを見ていた昴が、深刻そうな声を鳴らした。

 僕もそれに気づいて、腹の底が急激に冷えるのを感じる。


 人だかりの中心。

 一人の女の子が地面に倒れ伏し、皆の心配の視線を一身に集めていた。


 ――天城さんだった。



 ◆



『すっごく可愛いわよ、有咲!』


 夢を見ていた。


『有咲は世界一可愛いわねー!』


 夢を見ていた。


『有咲はママの宝物よ!!』


 古い記憶の、夢を見ていた。


『あたしねー! もっともっともぉーっと! かわいくなるよー!』


 あたしがオシャレに目覚めたきっかけは、ママだった。


 ママはいつもオシャレで、綺麗で可愛くて、みんなの視線を集めていた。だからあたしも、ママみたいになりたいと思った。

 あたしが可愛い服を着たり、可愛い髪型にしたりすると笑ってくれて、喜んでくれて、それが嬉しかった。

 仕事で朝も夜も忙しいけど、あたしのオシャレには熱心に付き合ってくれて、その時間が好きだった。


『この本、ママ載ってる! ママ、モデルさんだったの!? すごーい!!』

『昔ちょびっとだけ、バイトでね。そんなすごいものじゃないよ』

『すごいよ! ちょーすごい! あたしも、ママみたいになりたい!』


 小学生の頃にママの実家で見つけた、昔のファッション誌。

 ページの一面を飾る若い頃のママが、今までに見た何よりも輝いているような気がして、あたしはモデルという仕事に興味を持った。


 そして。


 ――この日から、ママが少しずつおかしくなり始めた。


『ミニスカートはやめて。化粧はしないで。モデルになりたい? ダメよ、そんなの』


 あたしのやることなすこと全てにケチをつけて、そのたびに言い合いになって、まともな会話にならなくて。


 ママ自身もオシャレをやめて、いつの間にか服もアクセサリーも全部クローゼットの奥にしまって、笑うことすらなくなった。


 どうしてこうなったのだろうと、今も思う。

 あたしはずっと、ママのことが大好きなのに。

 ずっとずっと、憧れの存在なのに。






「…………」


 ベッドに横になり、ボーッと天井を見つめて夢の余韻に浸る。

 体育の授業中、あたしは激しい眩暈に倒れ、保健室に運ばれた。


 三十八度の発熱。すぐに家へ帰され、現在に至る。


「……っ」


 寝返りをうって、まぶたを落とした。


 頭が痛い。何の気力もわかない。身体が熱くて、なのに寒気がする。

 そして何より、心細い。


 一人暮らしを開始して、初めて盛大に体調を崩した。そのせいか、このまま死んだらどうしようと、過剰な心配が頭の中に居座っている。


 ママには頼りたくない。絶対に嫌味を聞くハメになるから。

 でも、この状況を一人で乗り切れる気がしない。


 もう既に耐えられなくて、涙がにじむ。


 ――ピンポーン。


 インターホンの音。

 酷く重たい身体を引きずって、玄関へ急ぐ。ドアスコープを覗いて来客が誰なのかわかった瞬間、スーッと心が軽くなる。


「あー……♡ 佐伯だぁー……♡」


 扉を開くと、買い物袋をさげた佐伯が立っていた。


 学校からスーパーへ、スーパーからこのアパートへ。

 かなり急いで移動したのか、額には薄っすらと汗がにじみ、軽く息を切らしている。


「あの……体調、大丈夫ですか?」

「だいじょーぶだいじょーぶ! 全然何ともな――ゲホッ! ゴホゴホッ!」

「大丈夫じゃないでしょ……」

「へへっ……まあ、あんまよくないかも……」

「スポーツドリンクとかゼリー飲料とか、色々買ってきました。よかったら受け取ってください」

「いいの? へへっ、やっさしー♡ ありがとー♡」


 ありがたく貰って、「ばいばーい!」と扉を閉めかけた。

 だが、佐伯の何か言いたそうな顔が気になって手を止める。その顔を覗き込むと、彼はふっと視線をそらす。


「佐伯、どうしたの……?」

「いや……その……」


 躊躇いながら、迷いながら、そう言って。

 泳いでいた視線が、ようやくあたしに向いた。


「そ、そばにいましょうか? 天城さんが良ければ、の話ですけど……」


 嬉しい。心の底から、そう思う。


 しかし、今は時期が悪い。

 あたしはワガママな女だし、自分のやりたいことしかやりたくないが、それでも何気に分別がある。


「ありがとう。でも中間試験が近いし、もし佐伯にうつったら大変だよ。今は勉強に集中してて?」


 佐伯は試験で学年十位内じゃないと実家に戻されてしまう。


 あたしの好意を半ば受け入れているのも、全ては一人暮らしを維持するため。

 なのに、あたしのせいで酷い点数を取ったら本末転倒もいいところ。


 今ここで、彼に甘えるわけにはいかない。


「あたし、大丈夫だから! じゃーね!」


 精一杯テンションを上げて言って、改めてドアノブに手をかけて。

 ガッと――強引に、佐伯が玄関に入って来た。


 後ろへよろめくあたしの背中に腕を回し、倒れないよう支える。彼は申し訳なさそうな顔をしつつも、その目には確固たる意志が灯っている。


「……ご、ごめんなさい。言い方を間違えました」

「えっ……?」

「そばにいさせてください。僕が心配なので……これは、僕のワガママです。本当にごめんなさい」


 視線が熱い。

 あたしを支える手に力がこもって、ちょっと痛い。


 だけどそれが、猛烈に嬉しい。


 寒気が失せる。代わりに別の熱が湧いてきて、全身がむず痒くなる。

 流されちゃダメだ。ここはキッパリと、もう一度言うべきだ。帰って欲しいと、一人で大丈夫だと言うべきだ。


 それが佐伯のため。佐伯の幸せを願うなら、そうすべき。


 わかっている。

 わかっているのに、口が動かない。


 無意識に手が動いて、彼の服を掴む。助けを乞うように、見上げてしまう。


「とりあえず……部屋、入っても大丈夫ですか?」


 その質問に、本来突っぱねなければいけない問いかけに。

 あたしは迷わず、首を縦に振ってしまった。


 うぅ……佐伯、ずるい。


 しゅき。


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