第11話 世界中の誰よりも
「佐伯、あーん!」
「…………」
「ほら、あーんだよ? セイ様としてたでしょ? まさか、あたしとは不純異性交遊だからダメとか言わないよね?」
「……あ、あーん」
「んふふー♡ いい子だなぁ♡」
学校が終わり、帰宅して。
いつも通り天城さんの授業を受け、これまたいつも通り僕が夕食を作り、さて食べようかとテーブルに着いたところで彼女は言った。自分も、あーんがしたいと。
気は進まないし、もの凄く恥ずかしいが、昴とはやったのに天城さんとやらないのは筋が通らない。
口を開いて、彼女の手で食べ物が運ばれるのを待つ。
受け取って、咀嚼して、飲み込む。
……緊張のせいか、いまいち味がわからない。
「あっ」
と、小さく声を漏らして。
僕の唇の端についたソースを指で拭って、自分の口へと運ぶ。いつかやったようにチロリと舐め取り、悪戯っぽく笑う。
「そんな見ちゃってどうしたの? 直接舐めて欲しかった?」
「べ、別に見てませんよ! 本当に、全然っ!」
全然見ていました。はい。
……僕って、そういう性癖あるのかな。
嫌だな、何か変態みたいで……。
「今日は本当にビックリしたよ。佐伯がセイ様――じゃなくて昴ちゃんと仲良しとか知らなかったもん。何で言ってくれなかったの?」
「あいつと同じ学校通ってことを誇りみたいにしてる同級生を、小学校の頃から死ぬほど見てきたので……そういう有名人と仲いいですよアピール、痛いじゃないですか。すごいのは頑張って結果出してる昴であって、僕は何でもない一般人ですし。友達の努力にタダ乗りとかできません」
「佐伯のそーゆーとこ……あたし、ちょー好き♡」
と、次の食べ物を口にねじ込まれた。
何がどう天城さんに刺さったのかはわからないが……まあ、いいか。一応、褒められてるっぽいし。
「でも納得だなー。うんうん、そういうことねー」
「何がです?」
「こんなモテなきゃおかしい佐伯が、今の今まで埋もれてた理由。昴ちゃんが隣にいたら、流石にみんな昴ちゃんの方見ちゃうよねー」
「別に昴がいなくても、僕はモテたりしないと思いますけど。天城さんが物好きなだけですよ」
「……だったら、よかったんだけどね……」
ふっと、やけに不安そうな表情を作った。
心配になって顔を覗き込むと、彼女はそれに気づいて誤魔化すように笑う。……何かあったのかな。
「小学校から一緒とか言ってたよね。どうやって仲良しになったの?」
「どうって……何でそんなこと、気になるんですか?」
「二人って全然タイプ違うじゃん。接点も無さそうだし、何でかなって単純な疑問だよ」
昴と仲良くなったきっかけ。
あぁ……と、内心息をつく。
――あの日。
いつも遊ぶ公園の、公衆トイレの裏の、誰も立ち寄らない暗がり。
あの日、あの夜、彼女が口にしたことを、今でも一言一句覚えている。
だからこそ、これを天城さんに言うことはできない。
「何だったかなぁ、よく覚えてないです。でも、そんなたいした理由はなかったと思いますよ。席が隣同士だったとか、そういう感じの」
「ふーん、そっかー」
言いながら、次の食べ物を僕の口元へ持って来て。
ギラリと、彼女の赤い瞳は輝きを放つ。
「んじゃ、あたしのことも今日から下の名前呼び捨てのタメ口でよろしく~!」
「……え? ちょ、はい!? どういう話の流れでそうなったんですか!?」
「そういう流れだったじゃん。佐伯ってば、あたしの話、何も聞いてなかったのかー?」
「聞いてましたけど、そんなこと一言もいってなかったですよね!?」
「だってだってー! あたしも佐伯に呼び捨てにされたーい! タメ口で喋ってもらいたいし、ちょっと乱暴な口調で呼ばれたいし、有咲は俺のものだぜ、って抱き締められながら耳元で囁かれたいよー!」
「どこの誰ですか、それ……」
と、大きなため息をつく。
「別に天城さんのことが嫌いだとか、そういう理由で敬語なわけじゃないですよ。これはただのクセで……昴とは付き合いが長いので、どうしても砕けてるっていうか……」
「うぅ~~~!! ずるい!! ずーるーいー!! あたしも佐伯と小学生の時に知り合いたかったー!!」
「そ、そんなこと言われても……」
子どものように喚きながら、僕の肩をポカポカと殴る。
……むくれた顔も可愛いな、天城さんって。怒られそうだから言わないけど。
「仕方ない。じゃあ、一緒にお風呂入ろっか」
「は、はい!?」
「そんな昔から友達なら、昴ちゃんと一緒にお風呂くらい入ったことあるよね。女の子の友達とお風呂に入ったことがあるなら、今あたしとも入れるはずだよ。違う?」
「流石にそんなメチャクチャが通るわけないでしょ!?」
「だ、大丈夫! 変なことしないから! ……あ、あたしには変なこと、してもいいけどね? へへぇ……♡」
「……っ!」
とろけるような表情と、相も変わらず自己主張する胸元に、ついバカな妄想が芽吹いた。
ダメだダメだ。
落ち着けよ僕!
「天城さんとはお風呂に入りませんし、そもそも、昴とだって入ったことないです。っていうか、仮にあったとしても、子どもの頃のことを今できるわけないでしょ」
「ぶーぶーっ! つまんなーい!」
「つまんなくないです。それより、僕に食べさせてばっかじゃなくて、天城さんもご飯食べてくださいよ。冷めちゃいますし」
「…………」
「……な、何ですか、その顔は?」
「佐伯が食べさせて! あーんってしてあげたから、あたしにもして!」
「はぁ……はいはい」
むすーっとした顔も、おかずをひと口食べれば元通り。
「おいしー!」と、すぐにコロコロと笑う。……単純なひとだなぁ。そういうところがこのひとのいいところで、本当に素敵だと思うけど。
「じゃあさじゃあさ! 昴ちゃんと最近やった、一番ドキドキしたことってなに? お泊りとか、腕組みデートとかした? 最近のことなら、あたしともできるよね!」
「あの……さっきから、どうして昴と張り合ってるんですか?」
「あたし、佐伯のこと大好きなんだよ。その大好きなひとに、あたしよりもずっと仲いい女の子がいたら、相手が誰でも嫉妬しちゃうのは当然じゃん。せめて同じことして差を埋めたいってなっちゃうじゃん。だって、佐伯の一番になりたいから!」
「……そんなことしなくても、僕が一番可愛いって思ってるのは天城さんですけど……」
何の気なしに、そう言って。
言い切って、ひと呼吸して。
ん? と思考が止まった。
あれ……。
いま僕、もの凄く恥ずかしいこと言わなかったか?
毎日毎日、天城さんからバカみたいにベタベタされて、耳にタコができるくらい好き好き言われてるから、変な影響を受けたのかも……。
い、一番って……やばい、やらかした。死ぬほど恥ずかしい。
いやまあ、嘘はついてないけど……!
「……っ……っ!」
「あの、天城さん……?」
「ぅぁ……うぅ……」
「だ、大丈夫ですか?」
こんがりと焼かれたリンゴのような顔。
涙の膜が張って潤む瞳。
珍しく、余裕のない表情。
視線もあちこちに飛び、数秒置いて、ようやく僕と目が合う。
「不意打ちやっば……! ちょ、もうやだぁ! 顔ブサくなっちゃうからー!」
「……ブサくは、ないと思いますが……」
「…………」
「へ、変なこと言って、申し訳ないです……」
「…………一番なの?」
「えっ?」
「あたしが、一番?」
「……ま、まあ」
こちらの真偽を確かめる、じっとりとした目。
僕の言葉を聞いて、天城さんの表情に再び笑みが灯る。
「世界中の誰よりも……可愛い?」
「……一応、今のところは……」
「こういう時は、嘘でもうんって言って!! 真面目かあほぉー!!」
「す、すみません!」
「謝らなくていいから、ほら、何ていうの?」
「……世界中の誰よりも、か、可愛い……です……っ」
「いひひ、やったぁ~♡ うれちーうれちー♡♡♡」
喜ぶ天城さんとは逆に、僕は顔を覆って悶絶する。
前にも可愛いと言ったが、これはまた一段と恥ずかしい。
……でも、天城さんが嬉しそうだからいいか。
ドン引きされてたら、それこそしばらく立ち直れなかったと思うし。
「でさ――」
ほっと、僕がひと息ついたところで。
白い歯を覗かせながら、天城さんは言った。
「昴ちゃんと、どんなドキドキすることしたの?」
その話って、まだ終わってなかったのか……。