氷のような貴方に愛を込めて
「アマリア様、この荷物はどうすればよろしいですか?」
「ああ、それも捨ててしまって」
「さようでございますか。カーセル様が大事にしていたものですが……」
「構わないわ」
夫が死んだ。魔王軍との一戦で。
ファルシュタイン公爵家の嫡男である夫、カーセルは、王国最強とも謳われる金竜騎士団の団長だった。
その彼が率いる騎士団は見事魔王を討ち果たす。騎士団員ほぼ全ての命と引き換えに。
夫もまた命を失った一人だった。
奇跡的に生き残った団員の証言によると、魔王にとどめの一撃を浴びせるも、魔王の反撃で命を落としたのだと言う。
魔王の最後のあがき、その魔法攻撃で吹き飛ばされ、死体すら残らなかったらしい。
戦死を伝える報に添えられていたのは、唯一、彼が所持していた剣だけ。魔王にとどめを刺したと言う剣。
そんな夫の遺品を見ながら、私の心は動かなかった。だって──
『お前を妻として愛することは無い』
婚姻の日、初夜の褥で待っていた私に投げつけられたあの言葉。
底冷えのするような冷たい瞳に「どうして?」という言葉すら出て来なかった。
カーセルと私は、言わば幼馴染のような関係だった。
彼のファルシュタイン公爵家と私のリーデルベル伯爵家。二家は親しい間柄だったし、王都での別邸が近かったこともあり、私とカーセルは兄妹のように育った。
幼い頃から私は、将来はカーセルのお嫁さんになるんだと根拠なく思い込んでいたし、本当に婚約の話が出てきた時は、心の底から嬉しかった。
でも、その頃からだった。カーセルの私への態度が冷たくなり始めたのは。
顔を合わせても言葉を交わすどころか、目すら合わせてくれない。
結婚の準備で必要だからと声をかけても、二言三言、事務的な会話をするだけ。それが済むと、あっちに行けと言わんばかりに手で振り払われる。
それでも、これまでの彼の優しさを知っている私は、どこか甘く考えていた。結婚すれば、ちゃんと私と向き合ってくれるだろうと。でも──
結婚式で、彼は口づけをしてくれなかった。参列者には見えないようにしていたけど、寸前で止めて、決して唇をつけてはくれなかった。
そして、初夜の床でのあの言葉。
その言葉の通り、彼は私に指一本触れなかった。寝室に私を放置して、「隊舎に戻る」とだけ言い捨て、部屋を出て行った姿に、涙も枯れ果てた。
事ここに至って、私も理解せざるを得なかった。
彼は私を愛していない。いや、むしろ嫌っているのだと。
泣いて縋った。何が悪かったのかと。どうすれば振り向いてくれるのかと。
でも、彼は答えてくれない。そのうち、屋敷に帰らず、隊舎や駐屯地に泊まり込むことが増えるようになった。
そんなことが数か月も続いたころだろうか。
夫が魔王討伐の一員として出征することが決まったのは。
魔王軍は強大だ。生きて帰れないかもしれない。
身を案じ、見送りに出た私に彼は言ったのだ。
『俺が死ねばお前は自由だ。誰ぞ好きな男でも見つけるんだな』
その言葉に、私の心は壊れてしまったのかもしれない。
かつて最愛の人だった夫の死を伝えられても、何も感じなくなるほどに。
そうして、夫の遺品を片付けていたところに侍女が来客を告げに来た。
「アマリア様、旦那様がお越しになっております」
……旦那様、つまり現ファルシュタイン公爵であり、カーセルの父、私にとっての義父の来訪であった。
急いで応接室に通し、義父の求めに従い、人払いをすると彼は話し始める。
「すまない、苦労を掛けるな」
「いえ、そんなことは……」
確かに葬儀に各種手続きにと忙しい日々であったが、実際の事務作業は家令がやってくれる。公爵に頭を下げられるほどの苦労はしていないはず。だが、公爵の次の言葉は私を驚かせるものだった。
「いや、息子が君に酷い扱いをしていた件だ」
「ご存じだったのですか?」
夫の私への接し方については、もちろん家内では明らかだったが、義父の屋敷とは独立した家の中でのこと。義父が知っていたのは意外だった。
つまり家内の誰かが義父に告げ口したと言うことか? あるいはもっと悪く、夫と義父が共謀していた?
だが、義父の答えはそれらとは違った。代わりに彼は何通かの封書を懐から取り出した。
「息子からの手紙だ。それに書いてあったよ。君への扱いについては出征後に送られてきた手紙に書いてあった。私も読んだのは最近だ」
そう言うと、私の前に封書を並べた。
「読んで欲しい。本当は、息子からは君には絶対に見せるなと書かれていた。だが、馬鹿な息子ではあるが、君に誤解されたままではいて欲しくない。読んで、彼の思いを知って欲しい」
促され、私は封書の一つを手に取った。一番、日付が古い手紙。私たちの婚約が俎上に上がってきたころだろうか。
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父上
お元気でいらっしゃいますか。私は騎士団の業務で忙しい毎日を過ごしております。
さて、今日お手紙を差し上げたのは他でもありません。アマリアと私の結婚の話が進んでいると耳にしたからです。
父上もご存じでいらっしゃいますよね。今、王国では侵攻して来た魔王軍への一斉攻勢に出る準備が進んでいることを。
魔王軍は強大です。私も生きて帰れないかもしれない。
でも、それは構いません。王国のため、民のため、この命を投げ打つ覚悟は出来ています。
ですが、何故このタイミングで結婚なのですか? それはつまり、死ぬなら、跡継ぎを作ってから死ねと言うことでしょうか。
ファルシュタイン公爵家の当主としての父上のお立場はわかります。公爵家を守らなければならない立場でいらっしゃることを。
ですが、そこに、アマリアへの配慮はありますか?
結婚して数か月で未亡人になってしまうかもしれない彼女のことを少しでも考えていらっしゃいますか?
私は大好きなアマリアが苦しむようなことはしたくない。
もう一度お考え直しください。魔王軍討伐の後、生きて帰れたなら、喜んでこのお話受けさせていただこうと思います。
どうか賢明なご判断をお待ちしております。
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手紙を持つ手が震える。いったいこれは何だ? 私は何を見せられている?
心が追い付かないまま、私は次の手紙を手に取った。
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父上
私とアマリアの結婚が国王陛下にまで報告されたと伺いました。陛下からは直々にお祝いのお言葉をいただきました。
何と言うことをしてくれたのですか。
これではもう後戻りが出来ない。国王陛下にまで上がってしまった話を取り下げることなどできる訳が無い。
これを見越して、国王陛下に話を持って行きましたね。
あれ程考え直してくれと申し上げていたにも関わらず。
父上の考えはよくわかりました。であれば、私は私で自分の考える通り行動させていただきます。
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……考えるとおりの行動、それはまさか、そう言うことなのだろうか。
定かならぬ予感を抱きながら、最後の手紙を手に取った。
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父上
魔王城への突入命令が出ました。
後2時間ほどで全軍による攻勢が始まります。
これが最後の手紙となるかもしれません。
これまで育てていただき、誠にありがとうございました。
父上の息子として生まれたこと、正しく在れと導いていただいたこと、感謝に堪えません。
最後に一つだけお願いがあります。
アマリアのことです。
私は彼女に酷いことをしてきました。
彼女を邪険に扱い、暴言を吐いて泣かせました。
私が死んだ時、悲しまなくていいように。こんな冷酷な男、死んでくれてせいせいした、そう思ってもらえるように。
そして、夫婦だと言うのに触れることもせず、優しく抱き寄せることもせず、放置し続けました。
下手に子を成して、後の彼女の人生を縛ってしまわないように。
だから、私が死んでしまったなら、彼女を自由にしてあげてください。
決して家の都合で縛り付けないでください。
これが私の願いです。
私のただ一つの。
いえ、嘘です。本当は生きて帰りたい。
生きて帰って、彼女に謝りたい。
彼女に全てを打ち明けて、彼女の許しを請いたい。
そしてもし、許してくれるなら、一緒に暮らしていきたい。
今度こそ幸せに、笑い合って。大好きなアマリアと。
追伸:この手紙は決してアマリアには見せないでください。彼女が悲しむことが無いように。
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ポタリ、ポタリと手紙に滴が落ちる。
涙が溢れて止まらない。
愛されていたことの嬉しさに、そして、真実を告げてくれなかった悲しさに。
相談してくれたなら伝えただろう。
例え数か月であろうと、あなたとの優しい思い出があれば、後の人生を生きていける、と。
その時、ハッと思いついた。
「いけない!」
「アマリア?」
ガタッと立ち上がった私を義父が驚いて見つめているが、それどころでは無かった。
カーセルの遺品を大量に捨てようとしていたのだ。今頃、焼却炉で焼かれているだろう。早くしないと、彼との思い出の品が消えてしまう!
私は、義父への挨拶もそこそこに、焼却炉のある裏庭に急いだのだった。
それからまた数か月が経った。
私は結局、カーセルとの屋敷に留まり続けていた。
実家からは帰って来いと言われているが、今の私には、カーセルの妻だったと言う事実だけが心の支えだった。
義父もカーセルの意向を酌んで、私の我儘を許してくれたから、それに甘えていた。
そんな時、突然舞い込んできた手紙によって、また事態は大きく動くことになる。
王都からも、かつての魔王城からも遠く離れた小さな街。
そこの小さな病院のベッドにいたのは──
「カーセル!」
夫だった。少しやつれていたけれど、流れるようなプラチナブロンドの髪、吸い込まれるようなアイスブルーの瞳。変わらぬ夫の姿が、そこにあった。
何故彼がこんな所にいるのか?
同行してくれた軍の関係者の推測では、魔王が最後に放った魔法は、攻撃魔法では無く、転移魔法だったのでは無いかとのこと。
転移魔法で逃げようとしていたが、そこにカーセルが突っ込み、魔法が暴走してカーセルのみが転移させられたのだろうと。
そのカーセルは、私の呼びかけに戸惑うような視線を向ける。
「あなたは?」
その言葉に息が詰まった。彼の瞳に浮かんでいるのは、久しぶりに再会した妻への愛しさでも、驚きでも無く、ただ戸惑いだけ。
「記憶を無くしているんです」
隣に立った医師が説明してくれる。
「カーセル様は記憶を無くし、この街に現れた時にはボロボロで、身分を明かすものを何も持っておられない状況でした。方々手を尽くし、ようやくファルシュタイン公爵家のご子息と判明してご連絡差し上げた次第です」
唇を噛む。奇跡的に再会できたと言うのに、彼は何も覚えていないと言う。幼い頃からの大切な思い出も、私を悲しませないために吐いていた不器用な嘘も。
でも、それが何だと言うのだ。生きていてくれた、それだけで十分では無いか。
「カーセル様、私はアマリア。あなたの妻です」
「妻? それではあなたと私は夫婦だったと言うのですか?」
「ええ」
私の答えに夫は考え込むような仕草をしたが、頭を押えた。
「すまない、何も思い出せない」
苦しそうな彼の側に歩み寄り、その手を両手で包む。
「大丈夫です。焦らず、ゆっくり思い出していきましょう」
そうだ。焦る必要は無い。例え、思い出さなかったとしても、一から夫婦の絆を築いていこう。
私はもう惑わない。あなたの愛を知っているから。
「ゆっくり、夫婦になっていきましょう。愛しています、カーセル」
お読みいただき、誠にありがとうございます。
「氷のような貴方に愛を込めて」、いかがだったでしょうか。
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どうぞよろしくお願いします。