婚約者とられた引きこもりですけれど、意外に幸せですわ(強がり)
おおう。やっちまった。
令嬢にあるまじき言葉で、自分の失敗を罵りたい。
「聞いておりますか、ガーネット様」
「ええ。聞いておりますわ」
内心ビビり散らかしているが、私は長年培ってきた、令嬢の仮面をするりとかぶり、にこやかに微笑んだ。
「全くもう。まさか柘榴石先生が描かれる小説のように、複数の異性たちにアプローチする者が現れるとは思いませんでしたわ。本当に何なんでしょう、あの平民娘」
私も思いませんでしたわ……。
友達である、アマリリスに苦笑を見せながら、私は内心のたうち回っていた。彼女の手にあるのは、【聖石の乙女】という題名の小説だ。
その題名、とても見覚えがある。何故ならば、この小説を書いた柘榴石先生は、私だからだ。
これを書いたのは、八年ほど前。まだ私が十歳の時だ。
濡れた床で足を滑らせて頭を強打した私は、目が覚めた時、とある物語が頭の中に入っていることに気がついた。
それは平民の少女が【聖石の乙女】と呼ばれるようになり、素敵な貴族の男性達に愛される物語だった。恋愛小説のような、それでいて冒険譚なような話を紙に書き出してみた時、私は思った。
私、文才があるのでは? と。
あの時の私はまだ十歳。自分は何にだってなれるのだと思っていた。
そして私の両親は子煩悩だった。正直馬鹿親と言っていいレベルで、私がしたいと言ったことは何でも叶えてくれた。
とはいえ、侯爵家の令嬢が執筆活動して働くと言うのは少々外聞が悪い。基本高位の女性はあくせくと働かず、ニコリと可愛らしくお人形のようにしていることを美徳とするところがあるからだ。
でも私には文才があると思った親馬鹿な両親は、偽名で小説を出すことを許可した。十歳児が書いた小説を世に出すとか気狂いかと思うが、侯爵家の力をもってすればごり押しできる。
と、言うわけで、私の黒歴史は出版された。
そして意外や意外にも、そこそこの人気が出て、今なお読まれている少女たちの愛読書となっているのだ。ただしあまり男性受けはよくないので、そこそこどまりだったのだけれど。
本を読む人口は圧倒的に男性が多い。何故ならば、女性は文字を習うよりも、繕いや料理、子供の世話などを学ぶ方がいいというのが一般的な考え方だからだ。
一時期は貴族女性でさえ、文字が読めないものが多くいた。手紙を書いたり読んだりするための使用人を雇えばそれでこと足りるという考え方だったからだ。
しかしそれでは使用人にやりたい放題されても分からないという問題も出て、最終的に貴族令嬢でも文字ぐらいは読み書きできるようになった。とはいえ、最低限だ。相変わらず、女性は馬鹿な方が可愛げがあっていいとか言われたりもしている。
というわけで男性に比べて本を読む人口が少ないので、女性向けな小説は広まりが悪い。でも若い貴族令嬢は文字の勉強がてら読みやすい本を手に取るので、彼女たちの中では浸透しているのだ。
「それにしても、本気でこの小説のようになるのでしょうか? 王族に公爵、伯爵に裕福な男爵。それから王族の隠し子であられる紫水晶の君まで、聖石の乙女の虜になるなんて……。あら? 王族の隠し子って、本当にいらっしゃるのかしら?」
「さ、さあ? どうかしら? ほほほほほほ」
きっと、いるんだろうなぁ。
今さっき、私はこの素晴らしいと思った文章が、前世にあった小説の内容だと気がついた。
本当にやっちまったぜ☆だ。
パクるつもりはなかったのだ。これが前世の記憶だと言うことは、忘れていたのだから。
言語体が違うので、翻訳と言うことにしてくれないだろうか……別世界の先生のところに印税は入らないのだけれど。
本当に、ごめんなさい。
アマリリスはひとしきり愚痴った後、帰って行った。
さて、私が書いた小説が前世の記憶に基づくものだということに気がついたわけだけれど、はたしてこの世界は本の中の世界なのだろうか?
……考えてみるけれど、分かるはずがない。
そもそも小説は、主人公である聖石の乙女の周りしか描かれないので、いわゆるモブである、聖石の乙女から離れた人物の頭の中まで書かれてはいない。つまり今、私が思考しているのは、描かれなかった部分。
ならば本の中というよりは、別世界と考えてもいいのではないだろうか?
そう結論づけたけれど、問題はそれだけではない。
実は私、小説に登場する王太子の婚約者なのだ。……まじかぁ。
しかし前世にある【聖石の乙女】の話に、私は名前しか出てこない。何故ならば、裏で王太子が婚約破棄した少女になり、主人公と顔を合わせることは一切ないからだ。
この物語では、舞踏会などの公衆の前で婚約破棄を言い渡すなんて内容はなく、王太子が誠心誠意自分の気持ちを伝えて別れたと主人公に伝えるだけだった。
……ねえ、本当に誠心誠意ですか?
慰謝料たんまり払って、権力の力を使ったんでしょう? おい。
と口悪く言いたくなるけれど、そういった細かなことを王太子が主人公に話さないので、私も知らない。
物語は王家に伝わる、聖石に選ばれた少女が、世界を救うような話なので泥沼恋愛は入らないようになっていた。確かに昼ドラもびっくり泥沼何角関係なんて状態を描いたら、違う話になってしまう。恋愛は逆ハーレム状態ではあるけれど、青春的な爽やかさが保たれていた。
さて、どうしたものかと思ったけれど、じたばたしたところで、どうにもならない。
そもそも聖石に選ばれた時点で、主人公は特別なのだ。
聖石は天候を操る石と言われ、選ばれた者は聖石に宿る精霊と会話ができるようになる。聖石自体は何種類かあり、主人公は太陽の石であるペリドットに選ばれたはずだ。太陽の石は陽光の調節が可能で、雨が続けば雨雲を蹴散らせ、強い日照りが続けば曇らせることができた……はず。
それを使い、大昔に呪われた日の照らぬ土地を癒すところから物語は動くのだ。
「というか、私、名前だけ出演って……国外にでも嫁がされたのかなぁ」
聖石の乙女は、そんな二つ名がついているだけあって、社交界にも何度も顔を出していた。しかし【私】と顔を合わせたシーンがない。
考えられることは、
1.国外に嫁いだ
2.引きこもりになった
3.死んだ
ぐらいか。
それ以外だと、主人公が私に興味がなさすぎて、描写がないという可能性もある。
それならそれでいいけれど王太子の元婚約者が同じ舞踏会に出席していれば、噂が一切ないなんてあり得ない。いくら主人公が鈍くても気に留めるはずだ。つまり参加しておらず、皆が口をつぐんでいる可能性が高い。
3は怖い。まじ、怖い。
これを回避するには、1か2だろう。
……2だな。
1はギャンブルだ。全く知らない土地で暮らすのは、あまりにリスクが高い。
それにこの世界には、呪われた地と呼ばれる場所がいくつかある。聖石の乙女でもないのに、そんな場所に嫁がされたら地獄だろう。
令嬢が嫁ぐことなく、ずっと家にいるというのは外聞が悪いが、私の両親は子煩悩だ。十歳児の小説を出版させてしまうぐらいの親馬鹿だ。私が心の傷を理由に引きこもると言えば許可されるだろう。
とはいえ、ただの引きこもりというのも申し訳ない。出歩かなければ新作ドレスはいらないけれど、食費などの生活費はかかるのだ。ただの引きこもりでは、ただ飯ぐらいである。弟も結婚後に持て余すはずだ。
弟が爵位を得た後に、屋敷から追い出されても何とかなる、身を立てる何かが欲しい。
前世の知識を使って何かしてみたいけれど、残念なことに私の記憶はほとんど曖昧で使えそうにない。自分の前世の名前すら憶えていないのだ。憶えていることといえば、今世での経験と——。
「そうだわ。私には文才がある!」
憶えているのは前世にあった小説なので、文才とはちょっと違うかもしれない。
でも私が書いたというか翻訳した【聖石の乙女】の話には続きもあり、それは全部私の頭の中に入っている。自分のことはほとんど思い出せないのに、これだけは設定も全部、頭に入っていた。
未完だったはずだけれど、でもなぜかその後のストーリーも頭の中にある。よくわからないけれど、あるものはあるのだ。
これだわ。
異世界の作者様には申し訳ないけれど、私の将来のために余すことなく書かせていただこう。
ひとまず書き溜めておいて、婚約破棄をされたら、親に頼んで出版開始だ。若い女性貴族に前作が広がっているし、行けるはずだ。
目指せ印税生活だ。
そんな目標を立てていれば、小説のとおり、主人公の少女は聖石に選ばれ、私は王太子に王宮へ呼ばれた。
「――というわけなんだ、申し訳ないが、婚約はなかったことにして欲しい」
「かしこまりました」
「もちろん償いとして慰謝料は払おうと……ん? いいのかい?」
「もう、お決めになったことでしょう? こちらに呼び出したということは、王からの承認も得られたのだと理解しました」
令嬢の仮面をかぶってにこやかに、物分かりのいい少女を演じる。中指を立てるのは心の中だけだ。
これっぽっちも申し訳ないとか思っていないくせに、剥げ散らせ、ファッキン野郎なんておくびにも出さない。
「……もう少しごねられるかと思ったよ」
どうやら女性に縋られる方がお好みだったようだが、どうせこの後引きこもるのだと思えば、物分かりよくあっさり身を引くだけで十分だ。王太子のご機嫌取りをしたところで、私には何の価値もない。
「ごねたところでどうにもならぬことと分かっているのですから、これ以上敬愛なる王太子殿下のお手を煩わせるほうが心苦しいですわ。これまでありがとうございました」
ここで変にもめて、邪魔と判断されて、裏で処分と言うのは避けたいので、王太子を持ち上げた状態でさっと手を引く。二度と関わり合いにならないように、塩を投げたいぐらいだ。
「慰謝料のほうはどうしていくかは、わたくしでは判断できませんので、わたくしの両親とお決めくださいませ」
寂し気な微笑を浮かべ退出した私は、屋敷に帰ってもその顔を維持した。
そのまま両親に、不出来な娘で申し訳なかったことを伝え、大いに同情を引いてから部屋に戻る。
もちろん部屋の中では満面の笑みだ。
多分両親がしっかりと慰謝料はぶんどってくれるだろう。そして私は、晴れて引きこもり作家への道を進むのだ。
やったね。大勝利だよ。
数日後。
私はしばらく部屋に引きこもり、心の傷を負った可哀想な令嬢を演出した。でもあまりやりすぎると、両親が王太子に婚約破棄の破棄を訴えてしまうかもしれないので、食事の席には出るようにしていた。
ウキウキ気分は、令嬢の仮面でしっかり隠す。
「わたくし、周りからどのような目で見られるか不安でたまりませんの」
「きっとガーネットに皆同情するはずだ」
「いいえ。同情を見せたことで、王家に睨まれるお友達が出ることも怖いのです」
私はこんこんと両親にはおそろしくて社交界には行けない話をする。そしてもしも両親に何かあったら悲しいのだと、慰謝料を取る以上の反発を出させないように伝えておく。お金だけ得られれば十分だ。
「ですが、なにもせず日がな一日を過ごすのも辛いのです。なのでまた筆を執ってもよろしいでしょうか? わたくし、この悲しみを消化するためには、執筆しかないと思いますの。以前書いた話の、続編を出版したく思います」
「もちろんだよ。ガーネットには素晴らしい文才があるんだ。王太子のことは忘れ、励みなさい」
よし。言質ゲット!
私は両親の許可も取れたので、いそいそと、以前出版した時にお世話になった商人に連絡をとる。
友人の令嬢が読むほどに広まっているのだから、売れると思ってくれるはずだ。もう、出来上がった原稿は手の中にある。
これで私の完全勝利――と思っていた時もありました。
「ようやく会うことができて光栄です、柘榴石先生。いえ、ガーネット様?」
連絡をとっていた商人がいらっしゃったと聞き、紙束を持って客室へと向かえば、そこには見覚えのある商人以外に、印象的な紫色の瞳を持った茶髪の男がいた。……知り合いではない。
でも知っている。
彼の髪は染められた色であり、本当の髪色は王家の者と同じ金色だと言うことも。彼が亡くなった現王の兄の子であることも。
だって彼のことを私は王族の隠し子として【聖石の乙女】に書いたもの。
だらだらと、冷や汗が出た。
ひとまず令嬢の仮面で誤魔化して笑っているけれど、笑えねぇ。どういう理由でこの場にいるのか。
「えっと……どちら様でしょうか?」
小説の一ファンですと言ってくれればいいけれど、まず間違いなく違うだろう。
「俺の名はアメジスト。先生が俺のことを書いてくれたじゃないですか? ああ、髪の染粉を落とせば、理解して下さりますか?」
ひょえぇぇぇぇぇ。バレとる。
今から、私は柘榴石ではないと言うか? 無理だ。私の腕の中には、私が書きあげた原稿がいる。誤魔化しきれない。
柘榴石先生からお預かりしたのと言っても……無理だな。なんで侯爵令嬢が預かっているんだよという話だ。
数秒考え、私は椅子に座った。
逃げようと悪あがきしたところで無駄だろう。だったら交渉の席に着く以外の選択肢はない。
「先生は知っています? 今、社交会で予言の書が出ているとひそやかな噂が流れていることを」
「予言の書? 初めて聞きました」
何その、怪しげな本。予言の書なんて聞いたことがない。王家にでも伝わっているのだろうか?
「実は未来を予言したかのように書かれた小説があるのですよ。女性向の娯楽本なので、そこまで大きな話題とまではいっていませんが、読んだことがある人は、とある人物のことを書いたものではないかとピンときます。しかしそれが書かれたのは八年前。まだその物語の内容は影も形も起こっていなかったころに書かれているのです」
八年前と言う言葉に、私かぁぁぁぁぁぁと全力で叫びたくなる。
だよね。アマリリスも酷似していると気がついたもんね。聖石に選ばれたことも書いてあるので、主人公が選ばれてしまった今、予言だと思う人もいるかもしれない。
「今、社交会では聖石の乙女を読んだ者が、興味津々で王太子たちを見守っていますよ。小説のようにころりと主人公に落ちるのか、どうなるのか。一種の娯楽ですね」
「そ、そうなのですか。楽しんでいただけてなによりです」
「……俺は全く楽しめませんけれど」
小説に対するアンチ的な意味ではないだろうなぁと。
だって王族の隠された子だと知られて困るのは、アメジストの方だから。
出版された本では、まだ主人公を一度だけ助けるシーンで出ただけで、何処の誰かは分からないようになっている。瞳の色から紫水晶の君と表記されていだけだ。
紫色の瞳は珍しいが、この世界ではいないわけではない色だ。
そして紫水晶の君が「自分が本当は王族であると身を明かせば、あの輪の中に入れるのだろうか……」みたいな感じのセリフを、王家の落とし子であると分かる紋章入りのマントを手に持ちながら一人独白するシーンが入っているのだ。
具体的なことは明かしていないのでどこの誰かは分からないが、間違いなく王家には隠し子がいるということだけは分かるシーンだ。
「貴方だと分かる文面は今の巻には一切ないと思いますけれど……」
「でも、続編を出すのでしょう?」
「えっ。何故それを」
「だってそのために商人の彼を呼んだのでしょう?」
そうでした。続編出したいから来てと書いたの私でした。
でも決してあなたを呼び出したわけではありません。
「読ませてもらっても?」
「えー、あー。出版前のものはちょっと……」
「人のこと書いておいて、はい、そうですかなんていくわけないだろ」
「ですよね」
商人は申し訳なさそうな顔をしていた。というか、王家の隠し子だという言葉を聞いてしまい、顔色をなくしている。ごめんなさい、巻き込んで。
私は仕方がなく、書き終えた小説を差し出した。
ああ。夢の印税生活はこれで終わりか……。できることなら、最後まで書き上げてあげたかったなぁ。
そんなことを思っていると、アメジストはおもむろに私の原稿を読み始めた。静かな空間にペラペラと紙をめくる音が響く。
というか、読むの早いな。本当に読んでいるのだろうか? いや、読んでいるんだろうな。だとすると、これがいわゆる速読と言うやつか。
そんなことを思いながら、私はひとまず読み終わるのを待った。
最後の一枚まで読んだ彼は、ほうと満足げなため息をついたと思うと顔を上げた。
「ボツ」
「ボツはないでしょ?!」
この話を読んで、言うにことかいて、ボツはない。
そう思い声を上げれば、彼は眉をひそめた。
「まず誤字脱字が入っているのは致し方がないとして、同じことが繰り返し描かれている箇所が三か所はある。それから情景描写が少なく、読み手が想像しにくい箇所が数か所ある。後は、俺はこんなにアホじゃない」
「最後は関係ないでしょ」
「大ありだ。俺だと分かる描写を入れながら、あんなアホに描かれるとか屈辱だろ。というわけで、書き直しだ」
「はぁ? 出版させないなんて表現の自由を奪う権利……えっ? 書き直しってことは、書き直したら出版していいの?」
てっきり駄目だと言われるのだと思った。
それに対し、彼はコクリと頷いた。
「問題点がすべて直ったら出版していい。その中の訂正を求める部分の一つとして、目の色は仕方がないとしても、それ以外の俺に繋がる描写は、違う人物像にしてもらう。小説の出来としてはまだまだだが、内容は面白い」
面白い。
その言葉に、ぶわっと心の中に幸福感が沸き起こる。
「これを読む限り、まだ続きがあるんだろ?」
「ええ。その通りよ」
書きたい話はまだまだあるのだ。
今度こそ最後まで書いてあげたい。
「なら、俺が一番最初に読んでしっかり添削してやるから書け」
「言われなくても」
ん? もしかしてこの先私はこのアメジストに読まれ続けると言うことだろうか。
まあ、いいか。書き続けられるのなら。
この時の私は、鬼編集者と化したアメジストに添削され、ひぃひぃ言いながら締め切りを守り、出版する未来が待ち受けていることを知らなかった。
また私が出版した続編が爆売れし、王太子たちの恋愛劇が知れ渡って、社交界が大変なことになることも知らない。何故ならば私は締め切りに追われ、手の腱鞘炎と戦いながら、社交界のことなど忘れ引きこもっているのだから。
親が結婚相手を探してくれていたけれど、アメジストがそのフラグをバキバキに折ってしまったことも、締め切り間近で目が血走っている私が知る余地はなかった。
婚約者を取られ引きこもりですけれど、意外に幸せですわ(強がり)