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友情に関する私的見解

作者: コルシカ


 友情に関する私的見解


 仲良きことは美しきかな。友だちとの友情はむかしからよきものとされている。

 一方で「かわいさ余って憎さ百倍」などと一度友情が壊れてしまったら、その分憎悪が増してしまうのも人情というものであろう。

 友だちを数え切れないほど抱えている人もいれば、ごく少数の限られた友だちと付き合う人もいる。

 どちらが正解ともいうことができず、まさに友情というものは千差万別、十人十色といったところである。

 友だち付き合いの濃度も、人それぞれである。週に何度も会い、週末には一緒に遊びに行ったりバーベキューをする人もいれば、一年に一度、年賀状でのあいさつだけという人もいる。

 友情について考えれば考えるほど、いろいろなカタチがあって新たな発見をすることがある。


 (私の友だちとの歴史)

 私は一人っ子なので、ありがちなこととはいえ、最初にまわりに友だちがいなかった。

 そこで当時同居していた祖母が私を公園に連れて行き、活発そうな同年代の幼児に声をかけ、

 「この子の友だちになったって」

 ということでできたのが初めての友だちの記憶である。

 当時は昭和五十年代初頭、第二次ベビーブームで生まれた同年代の子どもたちが町内にあふれ、そこからネズミ算式に友だちが増えていくのは自然のことであった。

 そこから保育所一年、幼稚園一年を経験し、小学校に入学する頃には、

 「自分に合う友だちはこんな感じの子なんだろうな」

 と趣向が固まっていた。

 つまり活発で乱暴な子どもではなく、文科系で大人しく、ユーモアを解する子どもが理想であった。

 中学高校ともなるとだいたい「同じ匂い」のするクラスメイトに声をかけたり、かけられたりして本や音楽の話題、お笑いの話題等話したりするようになった。

 私は無理をすればテンションを高くもっていくことができ、クラスのトップカーストの生徒たちと短時間なら付き合うこともできたのだが、やはり自分らしくいられる、楽しく過ごせるのは毎日他愛のないおしゃべるができる友だちたちだった。

 大学、サラリーマン時代の友だちともなれば一生の縁となる。

 専門分野の研究や同じ職務をしてともに過ごした経験は何物にも代えがたい。中には私の授業ノートを目的に近づいてきたり、仕事の人脈(そのようなたいそうなものはもっていなかったが)目当てで寄ってきたりする人などは、やはり何年か経過したら目の前からいなくなっている。

 損得勘定で友だちを作ろうとする人が私は嫌いなので、表情や態度に出ていたのかもしれないが。

 脱サラし、自宅を拠点とした自営の店舗と執筆活動およびケガ病気の療養生活ともなると、さらに交流のある友だちは減ってくる。

 それでも、私自身は別に困らない。心のおけない少数の友だちと妻と娘で充分である。


 (望ましい友情)

 理想の友情とは何だろうか。リスクを顧みず困ったときに助け助けられる関係か。あるいは「君子交るは淡き水のごとし」といった距離感を重視した関係か。

 はたまた一度友だちになったからには、LINE等で二十四時間つながっていたいという若い子もいるであろう。

 そう、友情は年齢やシチュエーションによって望ましい関係が変化するのであろう。

 ある程度年齢を重ねると、あれだけ親しかった友だちとの関係も「ただの執着だったのかな」と振り返ることもあろう。それだけ友情とは多様なものなのである。

 また、一方的に「あの子は私の友だちだから」と思っていても実は相手からすると「知り合いみたいなもん」というふうに友情には双方の温度差が存在するのは事実だろう。

 そこまで極端にいかずとも「生涯の親友」と「仲のいい友だち」くらいの差異は必ず存在しているはずであり、等質の友情を感じ合っている友だち同士が実はひとつの理想形なのかもしれない。

 先述した「君子交わるは淡き水のごとし」ということばは、換言すれば「友情というのは、ほとんどといっていいほど互いに思い入れの度合いが違うものなので、適当な距離をおいて付き合う方がお互いのためなのだよ」という先人の知恵なのかもしれない。

 とはいえ、私たちは古の成人君子のように冷静に友情の距離ははかれない。

 「可愛さ余って憎さ百倍」、自分が思っていたこと(あるいはそれ以上)の友情を目に見えるカタチで示してもらえなければ、たちまち不満をもってしまう。

 そうなればもうそこは友情ではなく「執着」になってしまっている。

 仲良くしている友だちが他のクラスメイトとおしゃべりしているのを見て嫉妬したりモヤモヤしたりするのと同じだ。

 結局のところ友情は相手の内心を確認する術がないため、どこまで相手を信頼できるかどうかが大切なのではないだろうか。

 だが疑心暗鬼は相手に伝わるものだし、せっかく築き上げてきた友情を阻むものではあるものの、お互いが不完全で煩悩の塊といえる人間同士であるかぎり、誰しも必ず生む感情であろう。

 そこを行動で示したり、言葉で誤解を解いたり、自分は相手をどれだけ大事に思っているか等を伝えることにより、友情を確認し合い、絆を深めていくのもいいことだと思う。


 (男女間の友情)

 これもよく興味本位だったり、あるいは真剣に語られるテーマであろう。

 具体的には異性間に性的関係があることが多いので、性的関係なしに純粋な(何を純粋かという問題もあるが)友情が成立するか?と話題にのぼったりする。

 私としては、男女間の友情は存在すると考えている。なぜなら友情は広い意味での愛情の一形態と考えるからである。たとえば妻など家族でありながら友だちでもあるので、男女間の友情は成立している、こんな感じである。性的関係はこの際あまり関係ないという解釈している、

 同性間の友情にしてもLGBTQが前提となっている昨今であれば、性的関係を排除して友情を語れまい。

 そもそも性的関係を排除して友だちになりたいという考えこそが相手を差別していると思うので、その人とは友だちになろうとしない方がいいのではないだろうか。

 人間生きていればどのような関係性になるかはわからないものであり、視野狭窄になれば生きづらくなるのは必定である(不倫などは推奨できないが)。

 ともあれ友情にはそれぞれのカタチがあって定義も人それぞれなので異性であれ同性であれ、お互いが大事に思えて必要な相手ならばそれでいいのではないだろうか。


 (友情と損得勘定)

 先にも少しのべたのだが、私が最も友情にほど遠いのは「損得勘定」なのではないか、と考えている。

 あいつはお金をもっているから。異性の友だちが多いから。地位や名誉をもっているから。等の理由で友だちを選んでいる人は意外にも多い。

 私は人間的に魅力的で、惹かれる人と友だちになりたいが、たしかに「この人と付き合っていればメリットになる」と思える人と友だちになれば、おいしいこともあるのだろう。

 そしてその人が凋落すれば離れていくのが普通だと思っていると。

 それは、私にとって友情ではなくビジネスである。ビジネスは利益を出さなくてはならないので、そのような観点で付き合う人を選定するのは至極当然のことだからである。

 しかしまあ、こういう言い方はどうかと思うのだが、あの世にお金は持っていけない。

 友情は肉体が滅びても永遠に残る。お金は貯めることが目的ではなく使うことが主目的であるからして、お金を使うのであれば友情であったり、家族であったり大事な人たちのために使いたいな、とかねがね思っている。

 例えば、親しい友だちに「お金を貸してくれ」といわれればどうだろう。

 私は通常お金を貸したら返してもらう督促をするのが嫌なので、人にお金を貸すことはしない。

 それが親友にいわれたならばどうなるか。もう返ってこないつもりでお金を貸すであろう。もちろん督促は一切しない。そういうケースは過去になかったので、やはり礼儀をわきまえている友だちはそのような申し出はしないものなのかな、と考えている。


 (友情の意義)

 意義はさほど気にしなくてもいいのではないかと思うのだが、しいていえば「心の支え」の一本になるのかな、と考える。

 学校や職場、私生活において嫌なやつがいたりなかなかのストレスを被ったりする中、自分の味方がいてくれるだけでもずいぶん心強いものだ。

 ときにはその愚痴をいいあったり、傷をなめ合ったりしてもいいだろう。

 すくなくとも自分をいじめたりする嫌な奴の悪口を陰で楽しんだりするのはなかなかスッキリする。

 子どもも大人も、自分を大切に扱ってくれない人間に対して決していい顔をする必要はない。自分のことをわかってくれて(内心まで探ろうとする必要はないにせよ)尊重してくれる人とのみ付き合っていけばよいのである。

 そんな安心感はいくらお金を積んでも買うことはできない。天はいつもお金や権力で手に入らないものに大きな価値を与えている。

 友情もそのひとつであるといえるだろう。


                  終


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